2011/3/18  20:48

なぜ津波が確実に来るところに建てるのか  

 今回の東北・関東の大震災、お見舞い申し上げます。筆者の知人もいるので心配です。

 岩手県の大槌町では中心街にあった図書館は跡形もなくなってしまったそうです。13日の記事なので、時間が経つと消えてしまうかもしれませんので、お早めに見てください。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110313-OYT1T00306.htm

 追手前小跡地は確実に津波の来るところです。図書館を建てるにしても、素早く避難誘導できる程度のもの以上はつくるべきではないのではないでしょうか?

 合築の図書館はやはり危険です。確実に津波につかります。将来のことですが、確実に死者も出ます(避難誘導の限度を超えています)。貴重な資料も現物はなくなってしまうと思いますが、人の命の方が大事です。

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2011/3/7  20:38

合築図書館の将来と高知県の将来  

 合築図書館の将来はどうなるのだろうか? 中間報告では、30年くらいしかもたない書かれ方をしている。わずか30年で建て替えるというわけにはいかないから、建て増しというのが順当な考え方だろう。しかし、建て増しする土地が追手前小敷地にあるのだろうか? だいたい雑誌や寄贈資料も含めると、本当に30年後までもつのだろうか?

 それとも、30年後にはほとんど電子書籍になっていて、紙の本は出版されていないから、紙の本の書庫は増加させる必要がないのだろうか?

 電子書籍のメリットとは何だろう?

 コピー&ペーストは自由にできない。ただ読むだけだ。全文検索ができれば便利だが、今のところそういうのはあまりない。

 特に、図書館が購入してそれを貸出し(期間付きの配信)をするとなると、著作権上の様々な制限がつくだろう。図書館内でしか見ることができないものも多いかもしれない。県立図書館から市町村立図書館へ協力貸出しするなどと言う紙の本ならではのモデルは崩れ去ってしまうかもしれない。

 紙の本を蓄積している図書館は、無料で誰でも利用できる。

 電子書籍を蓄積した電子図書館もそうなるだろうか?

 いろいろなところでお金を取られるかもしれないし、制度自体が変えられてしまうかもしれない。つまり有料制の導入だ。また、機械についていけない人は門前払いだ(今でもそうだが)。

 30年後には、もはや機械についていけない人はいないのかもしれない。

 しかし、機械の方でついていけなくすることは可能だ。情報をいろいろ操作したければ、そういうこともなくはない。

 電子図書館が本当に役立つためには、むしろ、縦横に検索できて、それを再組織化できたり、知的情報処理ができたりした場合である。今の電子書籍のモデルはそれに適合しているとは思えない。

 そもそも無料の情報コンテンツはインターネット・サイトで提供されている。

 しかし、インターネット・サイトではまともに勉強もできないのはなぜなのか? インターネットが一般的になってから、もう15年以上にもなろうとしているのに。今、インターネットで流行っているのは、目の前の友人とは対話せずに、遠くの人々とつぶやきあっているような世界である。

 こういうのは進歩と呼べるのだろうか?

 30年後はともかくも、これから30年の間に突然、紙の本や図書館がなくなるということはないだろう。紙の本は大きさが自由だし、印刷も綺麗だ。もっともこの印刷技術もコンピュータによるものだが… (実は、紙の印刷の本だから「古い」技術だとは言えないのだ。)

 さらに、今までの本を電子化するというのはなかなか大変な作業である。印刷会社にデータが残っている年代のものなら、まだしやすいがそれ以前はかなり困難だ。不鮮明な画像からテキスト化するという難題がある。

 その間に高知県はどうなるか? ひたすら人口減少を続けていき、次々に限界集落が廃墟となっていくのだろうか?

 それをやむなしとするのか? 大都市圏にこれ以上人が集中するのは本当に良いことなのか? 中核都市である高知市に一時的に人が集まっても、そこに就職口はあるのか? なければ、さらに大都市圏への流出が進むだけだろう。

 高知県の人口減少問題は、単に自然減だけでなく社会減が多いということである。つまり、高知県から出ていってしまう人が多いのだ。そして、高知県にやってくる人は少ない。だから、人口が減る。

 高知県に戻りたい、やって来たいと思うような所にしないといけない。こういう認識を持たなければ、もはや、県自体が店じまいの準備をしなければならず、中心市街地の活性化どころではなくなってしまう。うまい具合に、高知市の中心部だけ人が集まってくれるなどということにはならないのだ。

 もし、そういう妙な想定で合築図書館が考えられている(つまり、将来的に、高知県の実質的な地域は高知市近辺しかないと考えている)のなら、それは、大いに危ない認識ではないだろうか? 一部の学者にそういうことを主張する人がいるかもしれないが、そう都合良くはいかない。

 そんなことよりも、都市には都市の、田園には田園の図書館が存在し、情報が電子化した未来社会においても地域の核として、単に情報の受容体というだけでなく発信していく存在になっていけば、進化しつづけることができるのではないか。すると、むしろ、地域との密着性が必要になって来る。合築図書館はその方向性とは逆ではないだろうか。

 合築図書館構想を出すなら、30年後の高知県をどうしたいのか、その構想も合わせて必要だろう。

 少子高齢化、情報化、グローバル化などということは、すでに1980年代から予見されていた(*)。20〜30年後のことは、きちんと考えればある程度わかるのだ。

*2000年の日本 1-10巻 経済企画庁編 大蔵省印刷局発行 1982
高知県立図書館の書庫に収められています。高知市民図書館には所蔵されていません。

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2011/3/7  16:48

図書館利用に障害のある人へのサービス  

 視覚に障害のある人は、そのままでは本が読めないので、図書館の利用には当然、障害がある。本がそのままでは読めないというだけでなく、図書館に行くこと自体も大変な人もいる。

 点字の本があるからいいではないかと単純に考える人もいるだろうが、中途で失明する人などの方がずっと多く、こういう人たちが点字を習得するのはとても困難である。もし、あなたが明日、失明したら、点字を覚えていくことができますか?

 そういうことで、今、点字図書館や全国の公共図書館の一部では、音訳図書もつくられている。

 しかし、点訳図書にせよ音訳図書にせよ、活字の本の量に比べたら微々たるものである。

 それで視覚障害者は、これでは読書する権利が制限されているようなものだということで、とくに、公共図書館に対して、対面音訳(その場で本を読み上げてもらう)サービスを要求するようになった。

 このサービスはどこの図書館でもできるようになるべきだが、当然のこととして人がいなければ基本的にはできない。

 現在、県立図書館には、機械で読み上げる装置も寄贈により導入されているが、文字ばかりの本ならば比較的読み上げられるものの、表や枠で囲った表現が多いものは、うまく読み上げられない。

 ところが、なんと、こういう印刷物が役所がつくったものに一番多いのだ。

 視覚障害者は出版物としての本だけでなく、いわゆるお知らせの類や重要な文書も読めずに困っているのである。

 だから、対面音訳のようなサービスは県立図書館でやるべきとか市民図書館でやるべきとかではなく、本来、普遍的に行われなければならないサービスなのだ。

 しかし、マンパワーが問題である。

 この根本的な解決策はまだない。ボランティアもそんなに都合よく調達できるものではない。

 それから、まったく知られていないことなのだが、聴覚障害者の読書はもっと課題が多いのである。目が見えれば本は読めるだろうというのは考えが浅い。こちらの場合、はじめから聴覚障害がある人は、なかなか音声がベースの言語体系になじめないのである。だから、文章の意味が理解できないということがあるのだ。知能が低いのではない。彼らの間の手話では視覚表現で、あっという間のコミュニケーションをしてしまうこともある。必ずしも単語を文法的につないで意味を表現するのではなく、まるごと表現してしまう場合もあるからだ。

 聴覚障害の方が理解しやすいのはもちろん映像表現だが、その他、構造をシンプルにした文章による本などもある。

 こういうことにもこれから取り組まなければならない。

 さらに、様々な特別支援などなど、課題山積である。また、高齢化にともなって障害者は増えているし、もちろん、医療も高度化しているので命は助かったものの障害児で生まれてくる人というのも出てくる。

 障害の問題は他人事ではない。明日は我が身でもある。それだけ重要な問題だ。

 この問題は単なる合築問題を超える。今回、著作権法改正で、点字図書館とその他の図書館でできることに違いがほとんどなくなったことも大きな環境変化だ。

 むしろ、この分野では一体化や融合が求められているのかもしれない。

 ただし、この場合も、特定の図書館がやればよいということでなく、すべての図書館で必要だ。単独整備しても両方必要だ。そういうユニバーサルな環境自体が求められている時代になっているのである。きつい要求だけれどもそうなのだ。

 そしてこれは、日本の少子高齢化社会の進行を考えると、それこそ、どうしてもクリアしなければならない。
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2011/3/7  10:49

図書館建設補助金廃止はやはり間違いだったのではないか  

 今回の図書館合築問題で浮かび上がったのは、地方が図書館を建てよう、サービスを展開しようとすると多くの困難があるということである。

 かつては、図書館建設にも国の補助金があった。

 しかし、地方分権推進の観点から廃止された。

 それで、結局、合併特例債をあてにして、県も巻き込んでの話になっている(本来、県は関係ないのだが)。

 ところが、今回の問題を見ると、高知県、高知市の地方自治それ自体を壊しかねないプロセスになっている。

 これが地方分権推進なのだろうか? 図書館建設補助金廃止はやはり間違いだったのではないだろうか?

 関係者のコメントをいただきたいところだ。

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2011/3/7  10:01

合築と単独の比較10(子どもへのサービス)  

 中間報告案の合築と単独の比較表を見ていく。

 「こどもの読書活動の推進」という大きな項目にまとめられた中身は、合築でも単独でもほぼ同じという内容になっている。

 合築の場合、「直接サービス業務に携わり経験を積む必要あり」という言葉が入っている。県立図書館職員に対してのことだが、県立図書館の市町村支援が具体的・実践的なことだから、当然だ。

 これもまた、同じだからいいではないかということを言いたそうなつくりである。

 ただ、県立図書館と高知市民図書館とで大きく違うのは、県内市町村立図書館・図書室の児童サービス担当の研修や支援を行うのは県立で、高知市内の学校図書館の支援やそこの担当・スタッフの研修を行うのは高知市民図書館ということだ。高知市内の各種団体(文庫等)へのサービスも基本的には高知市民図書館の仕事である。

 県内市町村立図書館・図書室の児童サービス担当と書いたが、高知県の場合、明確にそういう人すら存在しないところが多い。このような支援サービスの受け手から養成していく必要がある。

 子どもの本の場合、1点ずつ買っていれば、全点購入しても1年間で1千万円も越えないので、本という資源だけ共有できるではないかという意見もあるだろう。

 しかし、子どもの本はすべてではないが、大量の複本が必要である。特に、学校や県内市町村を相手にするとそうなる。

 合築のデメリットは、県内市町村分と高知市の学校分とで取り合いにならないかということである。これを防ぐために中で分けていたりしたら、これまた、「合わせた」意味がなくなるし、煩瑣なだけである。

 合築図書館というのはこういう、非常にわかりにくい自家撞着的な要素が多いのである。

 「とてもわかりにくい図書館」というのが、せいぜい一言で言える表現だろう。だから、すでに、みな、いいのか悪いのかわからなくなってしまっているのだ。

 そういう「よくわからない」存在ということ自体が悪いのだ。

 明確性を欠くということは行政にとってよくない。
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