あれから3年が経ちました。朝からテレビでは被災地の様子や犠牲者のインタビューなどが流されています。地震の起きた日は仕事が休みで遅い昼食後、ソファに横になりながらテレビを見ていました。いつもより長く続く横揺れに「これは普通の地震じゃない」と思い反射的にチャンネルをNHKに変えると画面には大津波警報の文字が点滅し、各地の状況がリポートされる中、ヘリコプター中継による宮城県名取市の様子が流れてきました。家屋や田畑、車などを飲み込み内陸へ進む津波、その先の道路を走行している車も見えますが、私が画面に向かって「逃げろ」と叫んでもその声は届きません。画面を傍観するだけで何もできない自分の無力さを感じたことは忘れられません。昨年、両親と岩手県、宮城県の被災地を訪れました。がれきの処理が進んでいなくて山積みになったままの所が数多くあったり、寸断された道路の工事をしている所があったりで復興にはまだまだという状態でした。今の状態はわかりませんが、現在も26万7千人が避難生活を強いられており、災害公営住宅の建設は3県(岩手・宮城・福島)で2347戸、計画戸数の9%にすぎません(復興庁)。

津波が到達した時刻で時計が止まっている大槌町役場(左)
鉄骨だけが取り残された南三陸町防災対策庁舎(右)
一日も早い復興、いや「復幸」を心から願います。

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