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トラウベとは?

2019/4/28

壺阪寺  史跡

高取城址からの帰途、壺阪寺奥の院
五百羅漢の方に歩くと、
もっと年季の入った羅漢さんかと思いきや…、

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新しい小さなお地蔵さんや
観音菩薩像なとがきれいに整列している。

岩に刻みつけられた無数に石仏は見つけられず、
そのまま進み舗装道路に出て少し歩くと
壺阪寺に戻った。園芸種の花々もきれい。

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白鳳時代に建てられたという古刹で
この有名なセリフの舞台となったところだと
初めて知った。

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また、眼病封じ観音として信仰され、

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盲老人ホーム慈母園が、境内に建てられている。
        ↓
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境内にはいろいろな石仏。
      ↓
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                       ↑
寒くなってきたのでパーカーを着て記念撮影。

20数年前の、長男からの“お上り”で、
左胸には ロサ モタ のサイン入り。

歳をとると「あぁ、この時はこんな服装で行ったんや」と
着ていた服も懐かしくて、記念に残しておきたくなる。

仁王門の前には仁王さんの下駄。

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門の下には、仁王門修理事業の募金箱があり
千円募金すれば手形を持って帰っていいと書かれている。

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奉加帳を見ると夫の名がないので、
2人の名を書いて、2千円を寄進。

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眼がどんどん弱っていくのが不安で、
あちこちに浄財を投入しながらお参り。

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インドとの結びつきが強いようで
ガンジーの教えがお寺に!

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この巨大な石仏は、

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インドで作られて運ばれて来たのだと!

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とても日本的な仏像だと思ったのに…、
日本人好みに作ってもらったのかな?

14:30のバスに乗り、
その後は乗り継ぎ良好だったが
腹ペコ、疲れ果てて帰宅した。
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2019/4/28

高取城址  史跡

10連休は夫婦一緒に旅する予定はなし。
私はうち5日間は施術。

夫は北陸街道を歩く予定だったのに
宿が取れず、湖北で小鮎釣りのみだと。

4/28(日) 1人で高取城址へ、行くことにした。
夫は27(土)に近鉄電車で行って来たとのことで。

橿原神宮駅で吉野行きに乗り換え、
壺阪山駅で降り、奈良交通バスに乗り換え、
壺坂寺で降り、入山料600円を支払い、

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お寺巡りは下山後として、

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駐車場の奥から坂道を歩き始めたのが11:30。
巨大な石仏を眺めながら、

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かなりきつい勾配の舗装道路を
城址までの2.8kmり道のりを進む。

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ここから土の山道に変わり、

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「毒蛇の発生に注意せよ」などと!
毒蛇は“発生”するもの?

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すぐに石垣が見え始め、

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「日本最強の城」と書かれた幟旗が
駅からずーっと、あちこちに立っている。

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本丸に近付くと「芙蓉姫」と名付けられた、
途中から二股になっている御神木の杉の大木。
     ↓
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いくつもの石垣の間を歩いて行き

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本丸跡の広場に着いた。南の十津川方面 ↓

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一番高い天守台跡(?)から ↓

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夫は「ほとんど人はいなかった」と言っていたが、
今日はかなりの人出。夫は朝早くに登ったためかも?

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       ↑
帰り道の途中、この看板の前で記念自撮り
           ↓
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三大天空の城(備中松山城・竹田城越前大野城)には登ったが、
三大山城には、美濃岩村城があげられている。

天空の城と山城はどう違うの?

どちらにも入っている備中松山城は
急峻な山の上で、建物も残っていて、
見ごたえは抜群だった。

まだ行ったことがない美濃岩村城にも行ってみたい。

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こんな写真も掲示されていたが、
明治20年に建物はすべて取り壊されたとのこと。

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                  この本には ↑

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        ↑
このような写真も載っているが、
これだけの大規模な、最強の山城を
作らねばならなかった理由は?

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秀吉が吉野の杉を手中に収め、
熊野・伊勢に睨みをきかせるため?

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道中、スミレ色の小さな花々を撮影。

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夫はバスに乗らず、壺阪山駅から歩き、
私とは違う登山道を歩き、
壺坂寺には参詣していないとのことだが…、

そんな長時間、歩くのは嫌や。
一人だと自分のペースで進めるのがいいね。
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