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2018/11/21

波賀城@宍粟市  史跡

浄土寺を出発し、コスモスの花を見ながら走り

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中国道を通って、宍粟市の山崎インターを出ると
ホテルに入るには早すぎるし、それに、
明日は雨だというので、波賀城史跡公園を目指すことに。

どんどん北に走り、まずは“道の駅みなみ波賀”で
巨大な柿“太郎丸”などを購入。

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そこで夫は
「普通車がすれ違える広さの道路がある。
 お城の近くまで行ける」と聞いたため、
楽勝で行けると車を進めた。

私はネットではかなり怖い道と読んだが…、

実際はどうだろうかと心配しながら
家が立ち並ぶところから、ちょっと進むと

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「災害のため、波賀城へは登城はできない」と。

車は通れないが、「歩けるところまで行こう!」と
歩き始めると、間もなく、
約60mほどがこの状態。7月の豪雨のためだろう。
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でも、この区間だけで、あとはきれいな舗装道路。
しかし、なかなかの急坂でしんどい。

25分間の登坂の後、15:50ようやくここまで来た。

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崩れかかった藁屋根の家には誰もいない。
入山料を徴収する人も箱もない。

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この木の門をくぐり、下ったり上がったりしながら進むと
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「立ち入り禁止」の看板。しかし、右折する道は進めた。
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道はさらに急になり、足元に白いものがいっぱい。
お城の漆喰が台風の風で落ちたようだが…、

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やっと下界が眼下に広がった。

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小さな櫓のようなお城と石垣と塀がある。
漆喰は真っ白できれい。
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最近修理をしたみたいだが…、
車は通れないのに、どうやって修理したのだろう?

ここからさらに登り山頂へ。小さな祠がある。
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降りながら屋根を見ると、瓦葺ではなくて板葺。
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他では見たことがない珍しい石垣の積み方。
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とても古い積み方であることがわかる。
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16:05。ここまでで40分、疲れたが
暗くならないうちにと、休むことなく下山。

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下りは紅葉を上から見るので
登りの時とは見え方が違う。

16:35、無事に車まで戻れた。やれやれ。
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2018/10/8

興福寺中金堂再建落慶慶讃法要  史跡

9月に入った頃だったろうか?
夫が「招待状が届いてるし、興福寺に行こうや」と。

私は何のことかよくわからず、
日程表を見ると、10/8(月)なら行けるとなった。

このブログを始めた後か?
前だったか? その頃のお正月に
阿修羅像を見に興福寺に行ったことがある。

その時に、夫は建物の改築のために
1万円を寄付をしたらしい。

その建物が、中金堂(ちゅうこんどう)であり、
お礼として、落慶慶讃法要の招待状が届いたというわけ。

10/7(日)に(関係者のみ?)3,000人で法要がおなれたようで
中金堂の屋根を飾る鴟尾(しび)の
除幕が行われたことが、TVニュースで放映されていた。

8(月) 8時半に家を出て、近鉄電車で奈良に。

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9:10には奈良公園内にある興福寺に到着

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8(月)〜11(火)は寄付した人を招いて
 さまざまなお寺のご山主が参加して法要が営まれる。

20(土)からは一般公開

受付を済ませ席を確保。法要開始は10時からなので、

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私は写真を撮ったりお茶を買いに行ったり。 夫はここにいる。
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10時になると司会の男性の美しい声が響き渡る。
「なんて上手!」と思ったら、NHKのアナウンサーやって!
そりゃ〜、上手いはずや〜。

美しい衣をまとった各山の山主や、雅楽隊が座に着き

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舞楽・舞楽が奉納。雅楽隊も太鼓もすぐ近くなので迫力満点。

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NHKの大きなカメラがあちこちに陣取り
クレーン車かと見まがうくらいの巨大な装置でも撮影。

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それがスクリーンに映し出され
献茶の様子や、献書の巨大な字もよく見えた。

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岡寺ご山主による唄匿(ばいとく ばいのく)
法要の初めに身心を静めるために唱えられる唄や

その後、高い屋根の上から散華

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興福寺の多川貫首から挨拶
「興福寺は藤原の不比等により創建されて1300年、
 火災・再建の繰り返しで、中金堂は300年ぶりに再建された」
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             奈良県知事荒井正吾氏から祝辞

実におおらかと言うか、
細かなことにはこだわらない人だとわかる挨拶。

建立…「こんりゅう」を「こんりつ」
玄奘三蔵…「げんじょうさんぞう」を「げんしょうさんぞう」
中国・韓国…この場合、中国・朝鮮と言うべきでしょう?
藤原道長の有名な歌…
 「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
 …私でもサラサラと言えるのに…(*_*;
般若心経とは…「細かいことにはこだわらなくていいとの教え」
〆は…
「中金堂がよく見えるよう、県庁の食堂に南窓を作った。
 500円の定食を食べに来て、中金堂を眺めてください」と。

朗らかなご挨拶に私もすっかり楽しくなって、
挨拶が終わると無意識のうちに、拍手をしていた。
それにつられたのか、周囲からも拍手が沸き起こった。

東大卒の元官僚だそうだが、
こんなキャラの人がトップだと
上手くいくこともあるのだろう…と思った。

それから、4人の男性による舞楽。前列の2人は30歳くらい?

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足腰が安定していて、

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緩急・静動のキレが良く、ほれぼれ。

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焼香には興福寺婦人会の会長・副会長も。
なんとなく、女性はこんな壇上に
上がらせてもらえないと思っていたのに、
ちょっと意外、驚き。
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 とにかく日差しが強烈で暑い。重い着物を着ている人も
         カメラを回している人も大変だわ。

前半と太鼓を打つ人が変わった。
この人が雅楽の隊長? 圧倒的存在感。
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会場全体を見渡し、太鼓を打ち、全てを仕切っている感じ。
昨日の法要では舞楽を舞っている姿がテレビで放映されていた。

12時ちょうどに法要式典が終わり、
西の席の人から順に堂内に。

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我々は東なので後。途中から行列の進行が止まり、

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 中金堂を背に、自撮りで記念撮影。
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鮮やかな中金堂と、渋い五重の塔とが対照的

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この中に安置されているご本尊の釈迦如来坐像などを見学。
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 柱の礎石と思われる石が多数並んでいる。

今は奈良公園の一部と化してしまい
天平時代はどこまでが興福寺だったのか
わからない。
どれほど広大やったんやろ?

とにかく今日のような経験は、
めったにできるものではない。

1万円以上の値打ちがあった。幸せ〜 o(^-^)o

ところで、巨大な柱に使われているのは
アフリカのカメルーン産のケヤキ。

環境破壊が進んだそうで、
現在はすでに伐採禁止になっている。

2階部分に使われているのはカナダ産のヒノキ

日本にはこのような巨木はなく
国産木材は全体の1%くらいしか使われていない。

今後はこれくらいの巨木を使わないと
建て替えられない神社仏閣があっても
もう建てられないということ。

クジラやアフリカゾウの保護も大切だが、
それ以上に木を保護しないといけないのでは…
と思うと、辛いものがある。

お腹がすいたので国宝館を見学する前に
昼食を摂ることとし、県庁前を西に進み

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とんかつ定食とアイスコーヒー。
それから戻って国宝館で阿修羅像をはじめ仏像などを見て
さらにオヤツを食べてから帰宅した。

興福寺・奈良公園・正倉院展…お勧めですよ!
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2018/10/2

復旧中の熊本城  史跡

10/2(火)、生駒は気持ちのいい秋の風で
気候的には最高だが、気持ちはソワソワ。

せっかくの休みの時間なので、
早めに熊本に行き、
復旧中のお城を見ようと出発。

新幹線の中では10/18配信予定の
Mさんのコラムのチェックを済ませた。

これは最高級に興味深い。
配信が楽しみo(^-^)o

15時半前にチェックインし、
あちこちにメールをし、
お城目指して出発。

程よい距離があり、気候も良好、いい散歩。

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お城が見えてきた。
「きれいやん」と思って歩くと、すぐに崩壊現場
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東18間櫓の建っていたところ 北18間櫓の建っていたところ
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解説のパネルがそれぞれの場所に掲示されていて、
地震前の写真と、被災直後の写真が見られる。
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城の入り口は閉鎖中
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少し歩くと棒庵坂という坂があり、
登り口のところにたくさんの大きな石が
ナンバーをつけられて並べられている。
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一番見たかったこの櫓の石垣。まだこのまま建っていて驚き。
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加藤神社の鳥居をくぐると、その奥に清正公御手植えの古木。
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その右手前からは、修復中の小天守・大天守がきれいに見える。
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2016年4月の熊本地震でほとんどすべての瓦が落下し、
悲惨な姿になったのに、キラキラに変身中!

加藤神社内には、清正公ゆかりの
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石製の品が残されている。
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鳥居から出て左に曲がるとすぐに行き止まりとなるが
そこから、宇土櫓が真正面に見え、
その後ろに大小の天守が見える絶好の撮影スポット。
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櫓と言っても小さな城の天守より、大きくて立派。
その大きさは日本でも最大規模の城であることを実感。

熊本城を訪れたのはこれで3度め。
今日歩いたのは城郭のほんの一部だが、足が疲れた。

帰途に着き、県立美術館の南に広がる広場(高橋公園緑地)には
小さめの石は堤防のように積み上げられ、
大きな石はナンバーが打たれて、ずらりと並べられている。

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このヨーロッパ的な建築物の中には
第7代熊本市長の高橋守雄氏の胸像。
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その隣には、谷干城氏の像
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横井小楠めぐる維新群像
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明治維新というと薩長土肥。
ここで言う「肥」は肥前で佐賀。

この4県は光っていても
熊本県は霞んでいる感じが否めない。

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横井小楠という思想家がいたことや
西南戦争の制圧に尽力した谷干城という人がいたなんぞは
私は全く知らなかった。

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いくつになっても知らないことが多くてアキマヘンな〜。

このような像があることにより、少しは
熊本の歴史や彼らを知る人が増えるんでしょうね。
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2018/8/16

敦賀港 金ヶ崎城跡など  史跡

8/15(水)10:10 金ヶ崎城跡・金崎宮前のPに到着。

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「今年のお盆は敦賀に行く!」と
6月の初めには決めていた。

その理由は、2017/7/28
敦賀駅に降り立ったときに、
金ヶ崎という駅があったことを知ったから。

何年か前にテレビで、与謝野晶子が
敦賀から船に乗り、シベリア鉄道に乗って
パリにいる夫 鉄幹に会いに行ったと知った。

今回の旅行計画立案のため検索すると、
金ヶ崎駅舎は、鉄道資料館になっていて、

地図を眺めていると、
その近くに金ヶ崎城跡が目に入った。

「ついでやし、近いし、城跡にも行ってみよう」と
ごく軽い気持ちで、何の下調べもしなかった。

車から降りて、石碑などを見て初めて、
「ここは歴史を動かす大戦が
 2つもあったところやったんや!」と、ビックリ(@@)

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織田信長が、朝倉攻めの際、
妹のお市から両端をしっかり縛った小豆袋が届き
味方だったはずの浅井の裏切を知って、
命かながら逃げ帰った話は有名だが、
この城がその場だったとは、知らなかった〜。

前日ほどではないが、高温高湿の空気をかき分けながら
急勾配の階段・坂を登っていくと

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南朝の後醍醐天皇の皇子、
尊良親王の自刃の地に着いた。

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南北朝時代のことは、笠置山・吉野に行ったり
読んだり、見たりしても、ちっとも分らなかったが、
やっと少しわかった気がした。

金ヶ崎城跡の頂上、月見御殿跡から下を見ると、
火力発電所と真っ黒な粉炭の山。

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「これらが燃えて地球温暖化させていくのか」
「電気の無駄使いはできない」
「これ以上の異常気象の地球に住むのは嫌や」と思った。

金ヶ崎城跡は岬の先端、その東に続く高い山が天筒山。
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これ以上高いところまで歩く気力がなく下山。

金ヶ崎は、昔は3方を海に囲まれていたそうだが、
今は埋め立てられているので、実感できない。

でも、杉原千畝記念館にあった絵地図で納得。
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下山して、歩いて鉄道記念館に向かう
途中、廃線になった線路を渡る。
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いつの日かまたこの線路の上を
列車が走ることがあるのだろうか?

港のほうに曲がると、傍らに急行「わかさ」

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赤レンガ倉庫の中のお店は休業していて入れず、
近くの喫茶店で休憩した後、
旧金ヶ崎駅舎=敦賀鉄道資料館に。

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北陸本線の歴史や、特急雷鳥・急行日本海などの
写真を見つめていると、懐かしいという感情とともに
もう昔のことになってしまったと、一抹の寂しさも。

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1階に下りると、ビデオの上映をしていたので鑑賞。

明治45年、東京の新橋駅⇒敦賀駅⇒金ヶ崎駅に
直通列車が運行され、
敦賀は大いに繁栄したことが紹介されていた。

観ていると、私より少し若い女性のガイドがやって来て
いっぱいしゃべりながら解説してくれた。

敦賀が好きで好きで大好きで、
誇りに満ち溢れていて、幸せそう。

退館し駐車場に向かう途中に、
「杉原千畝記念館」とも言うべき
「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。
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リトアニア日本領事館の杉原領事代理は
苦慮煩悶のあげく、外務省の指示に背いて
博愛第一に考え、ナチスに追われているユダヤ人に

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日本通過ビザを発行。その数は6千人分とも。

ビザを手にしたユダヤ人達はシベリア鉄道の終点
ウラジオストック駅で降り、船に乗り換えて敦賀に上陸。
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「敦賀が見えた時は、天国に見えた」と。

その後、神戸などから
第3国に亡命するための通過ビザ。

そのビザがなければ、おそらく
ナチスに命を奪われていたであろう。

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敦賀市民からはリンゴや銭湯が
無料でふるまわれたそうな。

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このとき敦賀に上陸した人々のうち、
幼かった人の中には、今も、
経済界などで活躍してる人もあり、

大人になっている人の子ども達も、
アメリカなどで活躍している人が多いそうだ。

帰り際、受付でお土産のクッキーを購入。

売り子は、農水省を定年退官した男性で、
今は学芸員となるために勉強していると。

杉原千畝の映画を見たことのある夫によると
彼は帰国後、上からの指示に背いたかどで
公務員としての職を失ったそうだ。

3人でおしゃべりが盛り上がった。

・上からの命令に従っただけの小役人で、
 ユダヤ人大量殺戮の責任者を務めたアイヒマン
                     ⇒こちらを     
・公務員としてあるまじき行動をとった杉原

果たしてどっちが精神的に楽? 人間的?

2人の評価は、現代では
・アイヒマンは鬼のような悪人
・杉原は博愛精神に満ち溢れている人

この評価が逆転していた第二次世界大戦中。
再び逆転することは、あってはならないのだが…

上からの指示
「こうするのが当たり前」
「昔からそれは常識」
「皆そうしているのだから、同じことをしていれば無難」
「あなただけ勝手に違うことをしないで」

これらに背くことは、いかに難しいか。
いかに勇気のいることか。

特に医療分野では、まさに

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

   の精神で働いている医療従事者が多い。

ハンナアーレントいわく
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です…」

この悪によって、第三次世界大戦とまでは言わないが、
医療は確実に崩壊の一途を辿って来たと、私は思う。
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2018/8/14

一乗谷朝倉氏遺跡  史跡

8/14は、大野城跡⇒仏御前の滝
⇒一乗谷朝倉氏遺跡の予定だったが、
時間オーバーで、仏御前の滝はパス。

一乗谷朝倉氏遺跡には、
私は30年ほど前に、見学したことがある。

当時、京大では1年に1度、寺社・史跡見学会があり、
大型パスに乗り、専門の教官のガイド付きという
超贅沢な催しがあり、私も参加したことがあった。

が、夫は行ったことがなく
「行きたい」と言うので、行くことにした。

Pに車を止めて、復元町並み入場料
210円/1人を支払い、歩き始めると、

30年前はこんな塀はなかったような気が…、

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1軒の家の中で、着付け体験がされていた。
この猛暑にも負けず、
戦国時代の衣装を着た小中学生の女子が何人か(@@;
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   この男性は着つけ体験者ではなくガイド。

「30年前に来た時は塀はなかったと思うが…」
 と尋ねると、「近年作られた」と。

ああ、よかった記憶は確かだった。

それから「立派な庭園があったが…」と尋ねると
「それは、あちら」の手で指し示してくれた。

塀の奥には武家屋敷跡があり、
さらに進むと、暖簾がかかった家々

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これはハッキリ覚えている。
染物屋があったはず!

お〜、夫がすでに入っている。
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金物屋や鍛冶屋なども

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家々の中には必ず井戸があり、
裏庭にも必ず井戸がある。
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                 便所も裏庭に
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復元町並みを見学し終わったところで
暑さに耐えきれず、アイスキャンディー。

大野でもアイスクリームを食べたが、
甘い冷たいものを食べすぎも加わってか
ますます体はしんどくなってきたが、

30年前に見た庭園跡をどうしても見たくて
一乗谷川にかかる諏訪館橋を渡ると、

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崩れかかった石垣が続いている。

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「この上だったはず」と思い、
またまたキツイ坂道を歩く。

30年前は秋だったと思うが、
暑くてしんどかった記憶が…。

「この坂だからやったんや」と思いながら歩くと
あった! 記憶通りの庭!
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 諏訪館とは、朝倉義景の妻 小少将(こしょうしょう)の館

でも、池には水が全くない。
猛暑と少雨で池の底の土はヒビワレ状態。

 「日本の庭園史上、貴重な庭園」と
  30年前に専門の教官から聞いたような気が…。

ここから池に水が流れ落ちるように
作られているはずだが、全く水はなし。
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北に進み、さらに高い所に上がっていくと、
荒々しく巨石がゴロゴロ

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降りて行くと「中の御殿跡」。義景の母の屋敷跡らしい。
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ここから朝倉館跡が見下ろせる。
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  ここから水が流れ落ちていくはずだが、ここも水はなし。

他にも寺や城の跡などがあるようだが、
もうしんどくてこれが限界。

朝倉義景公などが祀られている
墓所の横を通り過ぎ、
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唐門をくぐりぬけて、錦鯉の泳ぐ川を渡り

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駐車場に向かう歩道の上は
川面から流れて来る、やや涼しい風と
道路から吹き寄せる熱風で、
停滞前線ができているよう。

気温は心もち下がっている気はしたが…、
湿度はさらに上昇。不快指数も上昇。

雨は降りそうで降らない。

「時間があれば丸岡城にも行こう」
なんて言っていたが、とんでもない。

越前厨温泉の宿へと急いだ。
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2018/8/14

猛暑の急坂昇り@越前大野城跡  史跡

今年は3月に彦根城、
4月は姫路城を訪れ、よく歩いたし、
5/2は竹田城、
5/4は出石城・有子山城跡に挑戦。

城めぐりの楽しさと
体力低下のひどさを身にしみて知ったので、

「これからの人生は、夫婦で
 トレッキングを兼ねて、城めぐりをしよう」

ということとなった。

日本の天空の城3選に挙げられているのが、
備中松山城・竹田城・越前大野城

備中松山城は10年以上も前に行ったので

「お盆休みは越前大野城に行こう!
そしたら3つともクリアすることになる!」

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と決めたのが、        この写真はリーフレットを撮影
6月に入ったばかりの頃。

その時はまだこんな猛暑になることは
想定していなかったが…、
8/14は福井県のほとんどが37度の予想で的中。

大野城のパーキングで車から出ると
サウナのような暑さ。

「お城がきれいに見えるところで写真を」
なんて余地は全くなし。

「1年に1度くらいは猛暑中修行のつもりで
 山登りをせなあかんのや」と

自分に言い聞かせて急坂に臨んだ。

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  この写真はパーキングに帰ってきた時に撮ったもの。

  写真に写っているより実際ははるかに急勾配で、
  昇る前は見ただけで、写真を撮る気力もなかった。

途中まで階段を登ったところで、
さらに続く階段昇りは断念。

距離はあるが緩やかな木陰の道を歩いて行くと、
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大野の市街が一望。ずいぶんと高くまで登ったと満足。
そのまま道なりに歩くと石碑があり、

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少し歩くと天守が見えてきた。

心なしか涼しい風が吹いても、
すぐに熱気がまとわりつく。

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やっと資料館に到着、入口に「冷房中」の札!
中ではビデオを上映している。

汗の出ない私は、命拾いした気分。
熱中症になる一歩手前だったのに、助かった〜。

少し体温を下げてから、天守の中の展示品を見て、
最上階から展望。南(郡上)方向を撮った写真。
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帰路は往路とは違う道を進むこととし、
往路にはなかった門をくぐり、
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                        ↑
     往路では断念した急勾配階段を下り
     この門を出て左にUターンするように戻ると

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柳廼神社⇒民俗資料館があり入館。
お盆の間はすべての施設は無料。

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中に入ると私が幼児〜小学生時代に
家にあった道具や・農作業の機器や

普及し始めたばかりの電化製品や
ガス炊飯器・魔法瓶などがズラリ。

「今の時代には、それらはもう
 “民俗資料”なんやな〜」と

ガックリしたり笑えたり。

私が子どもの頃にはもう使われなくなっていたが
いろんな形と材料で作られた
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赤ちゃんを寝かせた“いづめ”や
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木枕。こんな高い枕に首を乗せて寝ていたなんて
何と丈夫な首やったんやろ。私はこれでは寝られんわ。
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このアンカは、私も使っていた記憶がある。

その後、昼食を摂りに七間通りへ。
倉敷・出石のような美しい商店街。

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木材が美しい北陸銀行や、ギリシャ風?なお店?
暑い中頑張って歩き、やっと飲食店に辿り着いた。
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冷房で体を冷まして、軽食を摂り
武家屋敷(家老の内山家)に。
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部屋の中から庭を眺めると
城山・天守が借景になっている。

1階の台所と居間。かまどがない。
囲炉裏ですべて煮炊きをしていた?
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2階に上がると、天井がおしゃれ!
蒲鉾のようなカーブ…、見たことない。

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な学びの里「めいりん」・有終小学校の前に、二宮金次郎の像。
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我々が子どもの頃はどの小学校の前にもあったが、
この頃は、見ることはトントないのに、懐かしい〜。

この端のP⇒天守⇒民俗資料館⇒この端の七間通り

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そして、一番下の道を通って元のPに。

いや〜、こんな暑い目にあったのは何年ぶり?
いや、人生初?

これからの暑さは、きっと苦にならないでしょう。
いや、そうあってほしい。
5

2018/5/4

出石城址・桂小五郎潜居跡  史跡

5/4(金) 竹野の民宿を出て、出石城跡へ。
玄武洞は若い時に行ったことがありパス。

原始河川に近い円山川の堤防の低さ!
津波や豪雨で氾濫すれば、ひとたまりもなさそう。

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途中で海の駅なるところに入ったが
ほとんどが添加物入り商品で、
買ったのは高知の塩芋ケンピだけ(>_<)

出石城址から300mほどのところにある
大駐車場に車を入れ、
アンティークな店で買い物の下見をしながら進むと

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出石蕎麦の有名店の前には開店前から行列ができている。

絶滅する前の野生のコウノトリが、
最後まで棲息した出石ならではのオブジェ。
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辰鼓楼。明治に廃城となり、
三の丸大手門の石を垣を使って建てられた。

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札幌時計台とともに、日本最古の時計台だが、
札幌と違って、この時計は近代的な電気時計。

これを過ぎたところから
城跡に入るのかと思ったら、
突然これが見えだした
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これは出石町役場の玄関だったと。
今は豊岡市役所出石支庁の敷地内なのだ。

ここを過ぎるとすぐに登城橋

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石段の登り、櫓の横を通り、

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左に曲がって城跡内を歩いていると、

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有子山城跡というのがあるので、
行ってみることとし、歩きはじめると熊が出る?

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時々大きな声を発しながら進んだが…、
すごい急坂、革靴では無理。

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仮に登れたとしても、
怪我せずに降りられる自信はなく、
あと750mのところでリタイア。

稲荷神社の鳥居をくぐりぬけ下界に。

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天守らしき跡はわからなかったが、
ここからでも出石の街が十二分に見渡せる。

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お土産街を歩きながら、バッグ・乾物
リユース着物(千円!)などを購入。詳しくはこちら

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出石名物蕎麦を食べようと歩いたが、
どこも長蛇の列。

やむなく、桂小五郎潜居跡を見に行くことに。

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この松の下に石碑がありそうなので、
「すみませ〜ん、写真撮らせてくださ〜い」と
行列に分け入り、パチリ。

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禁門の変(蛤御門の変)の後、
但馬を転々と潜居、ここもその一つ。

荒物屋だったと書いてあるが、
甚助・直蔵の生家ではないようだ。

『花神』(司馬遼太郎)によると
城崎の温泉宿では、そこの娘さんが桂の子を
みごもったが流産し、桂の実子は残らなかった。
今はTという温泉宿になっているとある。

そこを訪れなかったことが悔やまれる。

復路は往路同様、朝来経由。
渋滞に遭うこともなく、楽だった。
3

2018/5/2

竹田城跡@朝来  史跡

5/2(水)から2泊3日の旅。

雨になるとの天気予報なので、
雨が降らないうちに竹田城跡に登ろうと
6:35には自宅を車で出発。

西紀(さいき)PAでトイレ休憩し、
兵庫県朝来市にある道の駅
「但馬まほろば」に、8時半に到着。

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まだフードコーナーは開いてなくて、
但馬牛弁当・但馬牛まき寿司・イチゴを買って朝食。

この古代調の建物の奥にある
古代あさご館も見学したいと思いつつ
まだ開館していないし、雨になっても困る。

朝来市和田山町にある竹田城跡は、
天空の城として、
近年人気がとても高いところ。

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このような雲海に包まれるのは秋〜冬、
前日まで暖かく急に冷え込んだ早朝だけ。

なので雲海を望むのは不可能だが、
駐車場から2.2km歩いて登るので、
いい運動になる。

タニウツギなど、いろんな花が咲いているのを
愛でながら歩き、やっと城の入り口に到着。

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1人あたり500円を支払って入城
さらに石の階段を上り、
大手門跡を過ぎた広場を一周。

くぐって来た水路閣のような高速道路の橋脚がきれい。

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天守台も見える。

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案内係りの70歳くらいの男性に写真を撮ってもらい、

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さらに高くきびしい石の階段を上って
天守台の直下まで到着。

そこで、落し物に気づき、
私は大手門までバック。

しかし、見つからずまた頑張って登り、
天守台の上から見渡すと、城郭の広さにびっくり!

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こんな田舎のへんぴなところに
なんでこんな大きな城が必要だったんだろう?

しばし理解できなかったが
地理を考えれば、
山名宗全が西日本に睨みをきかすための
格好の地だったのだろうと、
何となくわかった。

天守台から降り、さっき眺めていた広場に立ち
天守台を見上げると…、

下に雲海、上に天守の石垣を見上げながら…、

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「生きているうちに、一度でいいから見てみたい」
「どんなに幻想的できれいだろう」

とは思ったが、何日間も滞在しないと難しそう。

雨が降り始めないうちにと頑張って歩き、
車に乗って走り出した途端、雨!

良かった〜、ギリギリセーフやった(^_^)v

ところで、
今年の11/17(土)に、朝来市の保育士さんに
講演会に招いてもらえることに決まった。

 ちなみに、11/18(日)は京都府福知山市の
 助産師Yさん主催で同様に開催。
 
人生で初めて訪れた朝来に
今年は2度も訪れることになるなんて(*^_^*)
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2018/3/29

彦根城めぐり  史跡

今回の旅は「井伊巡り」
彦根では…、その2 国宝彦根城と、
竹生島めぐりを予定。

明日は寒くなるとの予報なので、
今日中に竹生島に…と考えたのだが、

彦根港に着くと、

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竹生島行きの最終便は出たばかり。

では、今日中にお城に…と思ったところで、
エネルギー源が枯渇。

そこで目に入ったのが…これ。

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どっちも最高級の美味しさ〜!
これで城を巡る元気が湧いた。

今夜の宿「かんぽの宿」は彦根港の200mほど北。

チェックインして荷物を置いて、
すぐにお城に向かって歩き、15分ほどで到着。

入場券を買って、まずは、楽々園
これは、彦根藩下屋敷の建物部分を指すそうな。

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手建物の周囲にはもちろん庭園もあり、枯山水。

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建物の内部には入れず、
そそくさと玄宮園に。

ここは彦根藩下屋敷の庭園部分。

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彦根城を借景とした廻遊式庭園で

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あちこちに木製の橋が架かっている。

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桜(ソメイヨシノ)は3分咲きくらいだが、椿はきれい。

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お堀には黒鳥が優美に遊泳
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堀を渡って表御門跡から入り
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長い石の階段を上がって行くと、
太鼓門と続き櫓
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ここに架かっている廊下橋に向かって進む
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  廊下橋を渡り
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    門をくぐり
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さらに進んで門を過ぎると本丸
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美しい天守。何年か前に来た時は
修理中で見られなかったが、

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今回は屋根の鋭角が特徴の彦根城天守を
しっかり確認できた。

その隣は満開。ソメイヨシノではなく、よくわからない。

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天守内を見学。

はしご並みの急な階段を、両手両足4点支持で上がり
最上階に到着。天井裏を撮影。
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窓から場内や琵琶湖が見渡せて、すばらしい眺望。

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階段を降りるときはもっと怖い。

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後ろ向きに降りる人もいたが、
私は手すりにつかまって横向きに降りた。

この階段は滑らないように補修してあるのでまだいい。
松本城の方がもっと怖かった。

しかし、武士たちはこんな急な階段を
武器を持って昇降していたのかと思うと、
彼らの身体能力は、どれほどのものだったのだろう。

外に出て、セルフタイマーで記念撮影。

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帰途につくと、傾いた陽に湖面が照らされて黄金色。
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裏側から見た天守。桜に囲まれ西日に照らされて美しい。

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熊本城の石垣も立派だが、
福岡城も金沢城も彦根状も立派。

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よくぞこれだけの石を積み上げ、
今なお崩れないことに感服するばかり。
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2018/3/29

井伊直虎ゆかりの地めぐり  史跡

今回の旅は「井伊巡り」
3/29(木)は、その1…井伊直虎ゆかりの地めぐり

宿から東に車を走らせ、気賀駅から北に走り、
浜松市地域遺産センターの駐車場に車を止め、

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そこから井伊谷(いいのや)城(=城山公園)に向かって
急坂をハアハアいいながら歩く。
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桜はすでに散り初め

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ようやく到着。

全国あちこちの城めぐりをすると、

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「ようこんな高い所に城を建てわ〜」
と、思うことがよくあるが、
昔の人は足腰が強かったんやね〜。

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急坂を滑るように降り、

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小野但馬守政次の慰霊塔に向かう途中
道路がややこしくて、老紳士に道を尋ねると、

「小野但馬守様の…」と
様づけで丁寧に教えてくださった。

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「おんな城主 直虎」では
「裏切り者」のようにも描かれていた小野氏。

歴史の場面場面で、
憎まれ役を受け負わざるを得ない人がいるが
小野氏もそうだったんだろう。

そして、そのことをしっかり理解し
尊敬している人が
今なおいることを実感。

その後、井殿の塚を参り、

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私はIPadを持たず、
夫の後から写真を撮りながら着いて行く。

夫は地理感がいいので、
どこを通ると近道かすぐにわかるようで
畑の傍らの道なき道も平気で進む。
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私はまるでイスラムの女性みたい。

その理由は、3/23(金)に生駒を発つときに、
ツバの広い帽子をかぶらずに出てしまった。

風が強いので日傘も役に立たず
タオルマフラーで日焼け防止というわけ。

少し歩くと公民館があり、
ここが井伊氏居館のあったところ。
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航空写真がとてもわかりやすい。
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さらに少し歩くと、家老の小野氏屋敷跡。
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途中、白いタンポポや、
濃い桃色の小さな花木も撮りながら

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携帯電話も車の中に置き去りにし、
ゆっくり歩く私と、どんどん先を行く夫。

井伊谷宮境内に入り、

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さらに夫は前方に、私はトイレに。
ついに全く見えなくなった。

「どうせ龍潭寺に行っているはずやから」と
相変わらずのんびり写真を撮りながら進んでいくと

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       井伊家歴代墓所
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ここに直虎(次郎法師)が眠っている。
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巨大な花を付けた山吹もパチリ
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ここを抜けると、龍潭寺の境内に裏から入ることになる。
古い鬼瓦が飾られている。
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ついに夫の姿発見! 気長に待っていたようだ。

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龍潭寺境内は桜も

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コブシも満開

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井伊家の菩提寺 龍潭寺

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入ると廊下は見事な鴬張り。いい音!

立派な仏様なのに顔も体も傷だらけ。
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明治の廃仏毀釈の時に、
近所の子どもたちによって
金箔がはがされ落書きされた。

それを歴史の遺産として今に伝えている。

鴬張りの廊下から見える枯山水の庭。
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こちらは奥の庭。とても広くて1枚に収まらない。
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玄関を出ると、小さなキンカンのようなミカン?
と思ったら「橘」の木なのだと。
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桜もお寺もお互いに、美しさを引き立てている。

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  山門をくぐり抜けた。
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本来はこっちから入るべきだろうが、
これだと散策コースとしてはきつい。

大通りに沿って歩くと井伊谷川にかかる
神宮寺橋。ここにも井伊の家門。
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強い日差しと暑さなのに、強風で日傘も使えず、
ひたすら頑張って、地域遺産センターまで歩いた。

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建物の中に入ると直虎ちゃんがお出迎え。

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いろいろと見て、最後に大河ドラマのロケの
様々な資料やパネルを眺めて復習。

次郎法師が龍潭寺で修行していたロケ地は
今日見た龍潭寺ではなく、方広寺だと。

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「方広寺に行ってみたかったな〜」
と思いながらも、「体力的に限界や〜」

と簡単に諦められるくらい
暑さと強風で、体力消耗がひどかった。
でも十分満足できた。
4

2018/1/15

大宰府天満宮  史跡

1/15(日)は、生駒から福岡への移動日となり、
10時頃になって突然、
「大宰府の天満宮に行こう」と思い付いた。

遅くとも16時には着きたいので、
路線検索をして、急いで準備して、
お昼少し前に生駒駅を出発。

年末年始で頭の中が
仕事モードになりきっていないせいか、

セミナーで博多にも
筑紫野温泉アマンディにも何度も通ったので
ああ、あの方向なら…と
暢気に構えていたのが仇となった。

検索結果の見違い・思い違いの連続。
二日市から気がついたら筑紫?!
アマンディの方向に来てしまった!

「遊びよりよほど仕事が好きな人間なんや〜」と
改めて自覚した。

二日市まで戻り、乗り換えてようやく大宰府。
ここからまた、頭が普段モードではなくなった。

まだ使い慣れないIPadを片手に、
「これを見ながら迷子にならないように歩こう」
「この道を通れば一番近いんや」と考えながら歩いた。

確かに駅からは迷うことなかったが、
乗り換えミスなどで時間をロスし
到着したのは17時少し前となってしまった。

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楠の大木に感動
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向こうの楠も屋根を突き破って天に伸びている。
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檜皮の屋根に雪が残っている!
ここを通りぬけると本殿が見えて来た。

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正面から見た本殿
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右近の橘

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左近の桜ならぬ“梅”

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これが有名な菅原道真が大宰府に左遷される前に、
京都の屋敷の梅の木に

「こち吹かば匂い起こせよ梅の花
 あるじなしとて春な忘れそ」と詠み

その梅の木が大宰府まで飛んで来たと言われる梅で
この天満宮のご神木となっているそうな。

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正月からずいぶん過ぎ、しかも遅い時間なのに、
予想外に人が多く、なかなか写真が撮れず。

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楼門の北屋根には雪が残り、
西側は西日を浴びて美しい。

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楼門をくぐって振り返って、
「そうや、こっちから入るべきやったんや!」と

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あらかじめ順路を検索すべきやった。

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池も太鼓橋も美しい。

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「使いの牛」。京都の北野天満宮にもあるが
当然のことながらここにも。

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「ああ、ここから入るべきやったんや」と改めて。。。

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門前の土産物店もズラリ

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温かい梅ケ枝餅を1個買い、
土産物街を抜けたらすぐ左手に駅があった!

何でこの土産物街が見えなかったんやろ?
答えは簡単、
IPadの地図と前しか見ていなかったから。

やっぱし従来のように
キョロキョロしながら歩かないとアカンね。

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大宰府政庁跡の解説石碑

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突然思い立って行動しては
今日みたいなことになる。

1日ゆっくり、日をとって
国立博物館と大宰府政庁跡の見学に
来ないとあかんな〜と、反省ばかりの1日。

おまけに何とパソコンの電源ケーブルを
新幹線の中に忘れた? 床に落とした?!

また出費が増え、ショック _| ̄|○
3

2017/12/4

神宝館・新原奴山古墳群・宮地嶽神社  史跡

水巻の次の駅は遠賀川
途中に遠賀川が見えるはず!

川を見るのが大好きな私の、そんな期待は…ハズレ_| ̄|○

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何本もかった橋で川は全く見えず(:へ;
弁当を食べ終わると、すぐに東郷に到着。

駅前からバスに乗ろうと
時刻表を見ると、待ち時間は20分。

「宗像神社までタクシーに乗ると
いくらかかるの?」と、
暇そうに立っている2人の運転手さんに尋ねると、
1600円
うーん、1人で乗るにはもったいない。

などとしゃべっているうちに、
「生駒山の遊園地に行ったことがある」
と、若い方の運転手さん。

「宮地嶽神社もいいよ〜」
などと観光案内をしてもらったりしていたら、
バスの時間となった。

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長閑な景色を眺めているうちに、すぐに到着。
6月の宗像神社参詣時にもらった招待券で神宝館に入館。

といっても500円 ⇒ クリックすると元のサイズで表示します

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金の指輪・馬具の装飾金具・陶器・勾玉など
さすが国宝と唸らせる品々。

しかし「8万点もの国宝が収蔵されているなら、
もっとたくさん見せてくれたらいいのに」とも思った。

神社の前からタクシーに乗り、
新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群に。

到着寸前に突然、大粒の雨と風。
女性の運転手さんから
丈夫そうな傘を貸してもらい、

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ため池(?)の横の道を小走りに古墳群に向かった。
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青空と雨雲が入り混じる空の下を走り、

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古墳の間の草が踏み固められた小径を登ったところで

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風と雨はますます強くなり

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その先の古墳群に立ち寄るのをあきらめて
タクシーが待っている所に戻った。

天気が良ければずーっと歩いて、
タクシーに先き回りしてもらって
拾ってもらえたのに…残念。

少し不満そうな私を見て、運転手さんは
「この後は宮地嶽神社に行かれる人が多いんですよ」と。

と言うことで、そちらに向かってもらい
階段下ではなく、上がったところで下車。

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       ↑
大注連縄の下で参拝。小雨降る中を階段に向かった。

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おーっ、これが東郷駅前で男性の運転手さんが
見せてくれた観光ガイドに載っていた写真の階段。
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境内に同じ写真のパネル。
      ↓               
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                     ↑
         私が撮った写真とは撮影場所も高度も違う。

JALのCMで嵐がここに収録に来て以来、
たくさんの観光客が訪れているとのこと。

特に、この参道と日没が一直線になる
光の道が現れる
2/20・10/18の前後は、たいへんな人出だそうな。

下まで降りて、タクシーにまた乗ったところ
「名物の松ケ枝餅は買われませんか?」と勧められ
そう聞くと欲しくなり、4個購入。

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「海まで行かれますか?」と尋ねられ、
そう聞くと、また、行ってみたくなった。

海に着くと、タクシーのドアを
開閉できないほどの強風となり、雨も大粒に。

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それでも気合を入れて撮影。ここに写っているのは…これ。
                         ↓
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もう1枚撮った写真を画像調整したら、
字が浮き出て来て、読めた。

素早くタクシーに乗り込み、

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最寄りの福間駅に送ってもらうと、
何と3分後には博多行きがある!

ダイヤもすっかり正常になっていて
博多に無事到着。

車の運転免許も持っていない私なので、
このような田舎での観光は、
タクシーを使わざるを得ない。

安くはないが、運転免許を取りに行くことや
車を買うことを考えれば、安いものである。

今日の悪天候はこの低気圧によるもののようだが
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仕事では天災・事故・故障などで
足止めされることがない私なのに、

遊びの日は今日のように
交通混乱・悪天候に見舞われることが、しばしば。

うーん、神様は私が遊ぼうとすると怒るの?
「仕事をしておれ!」と言うことなのかなぁ〜?

遊んでいただけなのに、ああ、疲れた〜。
2

2017/7/9

宗像・沖ノ島、8つの関連遺産群が登録に  史跡

7/9(日)は大相撲名古屋場所の初日。
本日の取り組みの最後のあたりで、
ニュース速報が流れた。

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の、
8つの構成資産すべてが

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世界文化遺産に登録されることに決まった。

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6/26(日)、夫と一緒に宗像大社 辺津宮 ・宗像大島を旅したばかり。
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  関連記事 宗像大社 辺津宮 宗像大島 宗像⇒生駒
 
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、
平成21年、世界文化遺産の登録を目指す国内の暫定リストに記載、
去年1月、日本政府が
「神聖な島として信仰の対象であることなどが世界的に見ても顕著」
として、ユネスコに推薦した。

ところが今年5月、登録の決定に大きな影響を与える
ユネスコの諮問機関イコモスは、
4つの資産だけを
「世界遺産に登録することがふさわしい」と勧告した。

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残り4つの資産については、
沖ノ島の古代の祭祀(さいし)が現在の宗像信仰につながったか
多くの疑問点があるなどとして、
「世界的な価値とは認められないので除外すべき」と。

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日本政府や地元の福岡県などは、
世界遺産委員会の参加国に対して、
8つすべてを構成資産登録を求めていた。

その甲斐あってか、イコモスの勧告を覆して
7/9、8つすべての登録が認めらた。

その理由として、世界遺産委員会は
「沖ノ島の古代の祭祀と宗像大社に伝わる
信仰との間には連続性があり、

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8つの構成資産すべてを登録すべきと判断した」と。

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私も宗像を旅して、
「イコモスが4つだけを登録すべきと
勧告したのはおかしい!」と思った。

なぜなら、

宗像大社は、玄界灘に一直線に並ぶ3つの社の総称で、
天照大神の3人の娘“宗像三女神”が祀られていて、

 沖ノ島にある沖津宮 (長女 田心姫君 タゴリヒメ)
 大島にある中津宮 (二女 湍津姫君 タギツヒメ)
 宗像市にある総社・辺津宮(三女 市杵島姫君 イチキシマヒメ)

宗像大社の表参道・宗像大島・沖ノ島・
対馬の北端・韓国の釜山は、下の地図で一目瞭然
ほぼ一直線につながっているからである。

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玄界灘は道中(=みちなか)とも呼ばれ、
朝鮮半島と日本をつなぐ大切な航路であるだけでなく
両者の戦いの場ともなる

元寇文永の役では、対馬の住民のほぼ全員が虐殺され、
弘安の役では、14万2千人もの高麗や南宋の兵士が亡くなった。

  関連記事 元寇の島 鷹島

さらに、日露戦争の日本海海戦ではバルチック艦隊全滅の場となり
5千人近くの兵士が亡くなった。

「この三女神が守る海の道からは、
驚くことに古代日本が国家として羽ばたいていった秘密が見えてくる」
と書いているサイトもあり、私も同感。

海を渡って戦をするのも、
商売をするのも、まさにバクチ。

「だから、中津宮境内にバクチの木が
植えられているのではないか?」と勘繰る私である。

大和朝廷がおさめるこの国が、
豊かな平和な国として栄えるには
軍備を固めつつ、神に祈る場が必要だったのだろう。

沖ノ島からは銅鏡や金製の指輪など
およそ8万点の装飾品などが出土。

「海の正倉院」とも呼ばれているが、
宝物は、今は宗像大社宮の辺津宮の境内にある
神宝殿に保管されている。

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沖ノ島は女人禁制で、
一般の男性も1年に日だけしか入ることを許されていない。

先日のガイドさんから聞いた話によると
神社側からは「女人禁制とは言ってはいない」とのこと。

「沖ノ島の周囲は波が荒く、
男の人でも沖ノ島に渡るのは命がけである」

「そのような危険な島に、
赤ちゃんを生み育てる大切な役割を持つ女の人に
行かせるわけにはいかない」
との人々の想いから女人禁制へとつながっていったそうだ。

この説明に、イコモスの調査員の人達も
深く納得したそうだ。

岸田外務大臣は、
「古くから神聖な祭祀の場とされてきた沖ノ島は、
わが国の古代の国際交流の歴史を示す多くの品々が
手つかずの状態で残されている世界にも類を見ない島だ。
今回の登録を心から歓迎すると同時に、
古代から続く遺産群の文化的伝統を現代まで
連綿と受け継ぎ守ってきた地元の皆様に
深甚なる敬意を表したい…」と。

今回の登録で国内の世界遺産は文化遺産が17件、
自然遺産が4件で、合わせて21件となる。

詳しくは、NHK Web ニュースでどうぞ。
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2017/6/25

宗像大社 辺津宮  史跡

15:50に生駒の家に到着、
リュックに着替えやオヤツを詰め込み
15:00に家を出て、
生駒駅からコスモスクエア行き電車に。

コスモスクエアで、ニュートラムに乗り換え、
大阪南港のフェリーターミナル駅で下車。
16:05受付を済ませて乗船。

毎日旅行が多い夫だが、
今回は初めてサンケイトラベルの旅。

ステッカーを帽子に貼り
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      往復とも、名門大洋フェリー「CITIY LINE 京都2号」

        17:00 大阪南港を出発
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朝はコーヒーだけ、
昼はミックスサンドイッチだけだったので
お腹はペコペコ。

17時の出港と同時に、
レストランで1550円のバイキング(朝食付き)

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特に御馳走という料理もなく
デザートもわずかだったが、
腹ペコのお陰で、この写真の約2倍、

鱈腹食べ、焼酎も少しだが飲み、
風呂に入った後は、すぐに寝てしまった。

朝から空手で、熱中症のようになり、
水のようなシャワーで体を冷ましてから
「遅くならないように」と頑張って施術をし、

   急いで生駒に向かったのと、
   前日までの寝不足のお陰で、
 カプセルホテルのような船室で、延々と眠れた。
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4時に起床、外はまだ真っ暗、おまけに雨も降っている

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    4時半から朝ごはん。
   いつもは食べないのだが、
今日はたくさん歩かないといけないので、
   少しだけ食べることに。
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 有難いことにコーヒーは美味。
   牛乳も入れて満足。

食べ終わる頃に明るくなり、雨も止んだ。
陸地が近くに見えるようになり、そろそろ下船。
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下船後はすぐに観光バスに乗って、6:45に宗像大社に到着。
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添乗員さんの説明の甲斐なく、多くの人は本殿Cに向かわず、
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まだ開いていない交通安全の祈願殿Dに向かった。
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それを見た添乗員さんは
「何で?! 私、あんなに言ったのに…!」と。

「あんたが皆に伝わるような喋り方をせんかったからや」
と、添乗員さんに喋り方の“講義”

  世界文化遺産の候補として浮上して以来、
     観光客が急増した宗像大社 辺津宮
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私も不勉強なので、今回の旅を機に、
少しは古代祭祀について知りたいと思う。

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庭の木や社殿からも、格の高さがうかがえる。
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          拝殿の奥に本殿
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           御神木はナラ
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    長く横に伸びた枝の下に立つ夫
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      新築中の二ノ宮、三ノ宮を見て
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    高い階段いくつも登り、高宮祭場へ。
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  宗像大神降臨の地で、宗像大社内で最も神聖な場所。
神社の建物はなく、古代祭祀の姿を今に伝える全国でも稀な祭場
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  高宮祭場から本殿の方に戻ってくると、
   木と建物が見事にマッチし美しく、パチリ。
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7:15集合、バスはフェリー乗り場へと急いだ。

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      7:35 神湊⇒大島、乗船開始。
    濃霧の中、神湊(こうのみなと)を後にした。
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「雨でずぶ濡れにだけはなりませんように」と祈りつつ。
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2017/6/4

福岡城址  史跡

日本庭園の白塀に沿って進むと
NHK福岡の建物が真っ正面に見え、
今朝見た「ドドド」の文字。

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    左のお濠に花菖蒲

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透けるような黄色のスイレン 
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         福岡城址と書かれた石碑があるが
           その隣にある橋は交通止め(:へ;
      
      どうしたら城内に入れるのか?
      とにかくお濠に沿って歩いていくと
      濠の向こう岸に渡れた。
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   赤紫のスイレンも、ここからだときれいに撮れた。

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  石垣に沿って土の道を登っていくと、

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          高い石垣と櫓

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      石垣の大部分は修繕中
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   維持補修には莫大な経費がかかりそうだが、
    入園料を徴収するところはなさそう。

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  石垣は全体的にゆるい傾斜でやさしい感じがするが、
    忍者も泣いた!? 不落の名城だとか?

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東側に野球をしている人たちを眺めながら北に進むと
   白壁ではなく木を張り詰めた美しい櫓(祈念櫓)
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  北側から見ると、北西の陽を浴びて美しい。

そこから「天守に行くには?」と一瞬迷ったが
外国人観光客の大群が見え、
「あの人たちの行く方向が天守に違いない」と
後ろについて歩いた。

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  丸く削ったのだろう? 珍しい石垣。

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   私は撮影しながらなのでゆっくり進んで行くと
   団体さんが天守の階段を降りて来た。

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   入れ替わりで天守に上り、ゆっくり撮影
       南には福岡の街

   北東から下を見ると、天守台に上がる階段
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 北の梅林の向こうにも街。梅の季節にも来てみたい
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     西には大濠が陽を浴びで輝いている。
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   これが天守の推測復元模型の写真

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   そもそも、天守があったのかどうかが
  謎らしいのだが、古文書からもあったらしい。

そりゃ〜、あったと思う。
何かの理由でなくなった後、
再建されなかったのだろう。

江戸城の天守でさえ、
財政難などの理由で再建されなかったのだから
福岡城の天守も
再建されなくても不思議ではないと思う。

   天守台を後に、帰途に着くと、
   途中ススキのようにきらめく白い穂。
   トラノオ? きれいやな〜と見とれてパチリ。
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  扇坂⇒東御門⇒資料館へ

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  現代の地図と、江戸時代の城の復元模型を見比べたり
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     二つの地図を見比べたり

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   博多と福岡の街を分けていた古地図も…。
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古い歴史を持つ町人の街 博多
江戸時代に作られた武士の街 福岡

これが明治になって合併して、
福岡市となり、駅名が博多となった。

よそ者の私ですら福岡市・福岡県と
命名されたことに納得いかないのに、
博多の人達はどんなに悔しかっただろう。

近年、博多の祭り 祇園山傘が
福岡の街でも祭られるようになり
2つの街はメンタル面でも融合しつつあると聞くが…、

そのきっかけとなった
「福岡」城という名にも違和感を感じる私は
相当しつこい性格なのだろう。

でも、きっと多くの福岡市民は
そんなことは過去のことで、どうでもいいことで、
知らない人も多いのだろう。

あまり見なかった軍師官兵衛
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          この看板が場内のあちこちにあったが、
          進む方向と地図の向きが違って、
          よく理解できなかった。

うーん、スマホなし生活も、もう限界かな?
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