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2021/6/3

丸亀城  史跡

6/3(木)は丸亀城巡り。

午後には雨になるとの予報なので
8時には新居浜のホテルを発ち

特急しおかぜ で1時間弱
9:20丸亀に到着。

丸亀ではこれまで
セミナーをした日数は20日以上

そのたびに見上げていた丸亀城。

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最後が2017/2/12となった。

日本一高いと言われる
石垣に毎度、圧倒され

セミナーの日の早朝に
「登ってみよう」との気もわかず
今日に至ってしまった。

そこで、新居浜の帰りに登ろうと
夫を誘ったというわけ。

お城に近づくと、道端に
見たことのない小さな花
 ↓
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旧税務署跡には見たことのないサツキ ↑

お堀の前から大手二の門と天守

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くぐって右に曲がると大手二の門

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くぐって振り向くと。

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木材の大きさに目を見張ってしまう ↑

うっかり、キャスターバッグを
駅のコインロッカーに預け忘れ

観光案内所のコインロッカーに
2人分の荷物を全部入れ

急坂「みかえり坂」を上ると
美しい勾配の石垣。 ↓

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坂を上り切って見返ると
緑のトンネルが美しい。 ↓

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右に曲がるとまた急坂。

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鮮やかなサツキを撮りながら    ↑
休み休み上りきると、天守台広場。

瀬戸内海が見える。

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案内図を見て、コースを確認。

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天守の前で記念撮影。

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天守内の階段降昇も急勾配で
上の段の角に
スネが当たってイタ〜ッ😥

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万治3年(1660年)安全祈願の木札が  ↑
昭和25年の修理時に見つかった。

日本の文化財は、このように
きちんと何年に何があったと
証拠が残っている。素晴らしいね〜。

天守の窓からの光景 ↓

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天守の天井 ↓

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COVID-19 のせいで人は少なく
案内係りや店員さん達も暇そう。

コロナ禍がおさまっても
自粛生活で弱った足腰の人達は

こんな急坂・急階段のところに
来られるかなぁ?

天守から、からめ手門跡へ

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途中、きれいな花が

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緩やかに下りながら
雄大な石垣を見上げて…。

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からめ手門跡を左折し
野面積(のづらづみ)の方向に。

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丸亀城の石垣の多くは
打ち込み接ぎ(うちこみはぎ) ↑

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野面積はここだけ。

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野面積の端っこ。アザミがたくさん咲いている。

大手門に向かって歩くと、あずまやがあり
長椅子に座って、しばしの休憩。

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堀はあちこち堰止められていて
流れがほとんどなさそう。

藻やプランクトンが多く
緑のドロドロ、残念。   ↑

大手門に近づくときれいな花壇。

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近づいて見ると、西洋っぽい花。
お城の花壇の雰囲気ではないな〜。

大手一の門の中を見学。

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ここを先に見ておくべきやった〜。

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  ↑
1対の(夫婦の)シャチホコ。
昭和25年の修理の後
雌が行方不明になっていたそうで

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それから35年後の1985年(昭和60年)に
見つかったのだと。雌の尾びれは欠けている。↑

木材が竹でつないである。
こんなのを見たのは初めて。
   
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窓から見る大手二の門 ↓

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それから、玄関先御門をくぐって

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市立資料館に入り、見学。
でも、丸亀城主のことがほとんどでイマイチ。

駅への途中
セミナーで訪れていたときには
いつも閉館中に入れなかった
「街の駅 秋寅の館」

今日、やっと入れる!
と、ワクワクしたのも一瞬。

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ここも、古い金庫などが
置いてあるくらいで ↓

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これといった企画もなく
コーヒーすら飲めず…😥

駅への途中、腹ペコで
うどんを食べたが
コンビニのうどんの方が
ずっとおいしいくらい。

お城は素晴らしかったが
街全体としては

「もっと創意工夫に尽力してほしい」

と言いたくなった。

駅舎に入る寸前に雨がパラパラッ…

天の神様
ありがとうございました〜っ。
2

2021/6/2

別子銅山 その周辺  史跡

東平を後にし、道の駅マイントピア別子に。
ところが、カメラの充電切れ…😥

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やむなく、このサイトから頂戴した。

週末はマイクロバスが
ここから東平まで
往復しているが

平日は5人以上の予約がないと
走ってくれないので
タクシーを利用したというわけ。

山岳鉱山鉄道の85%の大きさの
復元列車が走っているので
乗車券を購入。

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乗客は我々2人だけで
気持ちよく乗っていたのに
5分足らずで終点😮

これで往復1,300円! 高っ!

降りて「入口」と
書かれている方向に歩いて行くと
坑道の入り口にちょんまげ姿の
男性の人形が立っている。

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 この時は充電が復活し
 これ1枚だけ撮れた。

この人形のモデルは
有望な鉱床を見つけた
坑夫長兵衛さんで

ここは、1690年(元禄3年)に
最初に銅の鉱脈が発見された所。

皆で歓喜の声を上げたそうで
歓喜坑と名付けられたのだと。

この中では、江戸時代の
鉱山の様子が残されいて

絵・人形・解説パネルなどが
たくさん掲示されていて、よくわかる。

さらに進むと
明治〜昭和の鉱山の様子が
ジオラマで再現。

鉱山列車・ケーブル・牛
ベルトコンベアが動いていて
子どもから高齢者まで
よく理解できる。

帰りは電気機関車が先導。

坑内見学は無料なので
乗っている時間はわずかなので
往復1,300円は、まぁ妥当。

コロナ禍以前は、お客さんで
いっぱいだったそうなのに
往復とも乗客は我々2人だけ。

タクシーの運転手さんも
1日に駅と東平を3往復したくらい
忙しかったそうだが

今年に入ってからは
我々を乗せたのが初めてだと👀‼️

あぁ〜気の毒。

その後、旧広瀬邸と

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邸宅の裏庭に建てられている
広瀬歴史記念館を見学。

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広瀬宰平氏は、明治初期に
西洋の進んだ技術を取り入れて
別子銅山を近代化させた人。

それが、現在の新居浜の基礎を作り
日本の近代工業を
推し進めることにつながった。

世界遺産となった
石見銀山は、遠くて
交通の便も悪く
人が多かったこともあり…

とにかく、しんどかった。
それしか記憶にないくらい。

その点、別子銅山は交通の便も良く
見ごたえもあり、景観も素晴らしい。

公害や大規模な労働災害を
起こすこともなく

近代日本を築く上で
多大な役割を果たしたことが
よく理解でき、感動の連続。

「世界文化遺産に」と
あちこちに書かれていたが

ぜひ、なってほしい。
多くの人に見学してほしいと思った。

タクシーでホテルまで運んでもらい
延長時間分の料金を支払い
あぁ〜、よかった〜。
2

2021/6/2

東洋のマチュピチュ 別子銅山  史跡

6/2(水)、ホテルから新居浜駅まで歩き
駅前でタクシーの運転手さんに
別子銅山観光のチャージを伝えると

「駅でクーポンを買うと安くなる」

と教えてもらい切符売り場で
7千数百円で購入。
これで、2時間半乗車できる。

最初に別子銅山資料館に。

5/31までコロナ禍で閉館していたが
6/1から開館し、ラッキー。

サツキだろうか?
見事に手入れされている。

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ここで別子銅山の歴史などの
基礎知識を入手。

鳥居は大山積神社。

ここに、SL・ディーゼル(?)
機関車が展示されている。

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建物も塀も全て石積み。

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岩石名もわからないのが悲しい😥
タクシーで東平(とうなる)に向かう。

勇壮な山を眺めながら

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険しくすれ違い困難な
山道を進み、東平に到着。

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まずは東平歴史資料館に。

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東平には、昭和48年の閉山まで
最高5000人もの人が住んでいて

社宅や病院はもちろん
私立住友東平小学校・同中学校
娯楽館・プール・鉄道と

東寺としてはとても
近代的で文化的な街で
大人は働き、子どもは学んだ。

驚くべきは
当時の人々の力の強さ。

この巨大なノコギリ。↓

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さらに驚くのは、作られた粗銅を
仲持(なかもち)と呼ばれた
担ぎ手さんが
男性で45kg、女性で30kgを背負って
十数kmもの険しい山を運んだと👀‼️

その類似体験ができるコーナー。

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台から浮かすことすら
できないだろうとの予想に反して
浮いた\😄/

でも、「2〜3mすら歩けない!」と感じた。

それからシアターに。

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資料館で見たことなどが
映像と音声で、わかりやすく。

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さっきのSLが走っていた姿も。

銅の鉱石や植物などの
展示品に混じって

キラキラ輝く調理具や
アクセサリーも。

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歴史資料館を出て、小マンプに。

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この中西当時使われていた
ブルドーザーのような重機などを
見ることができる。

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そこから、旧第三変電所と言われる
営業本部事務所(?)へ。

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きれいに植林された杉の周囲には
オオバコなどが生えている広場。

放っておけば草ボウボウになり
実生の雑木つる性植物で
大変なことになるのに

見事に整備されている。

木の根元にも岩石が積んである。
何十年、いや、何百年前から?

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巨大な岩石も!

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あぁ、タモリのような
岩石の知識がないことが悲しい。

見たことにない可愛い花もいっぱい。

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駐車場に戻って
旧インクライン クリックすると元のサイズで表示します

220段の長大階段を降りると
貯鉱庫跡

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その前で、オートシヤッターで記念撮影。

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石楠花がきれい。

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この下に、索道基地跡があるのだが
道もわからず、体力的にも難しく

タクシーへと戻った。

残念😥 なので写真だけ。

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9

2021/4/20

小樽観光 -2- 人力車で鰊御殿に  史跡

小樽港から駅に向かっているはずなのに
駅が見えて来ない…。

なんだか疲れてきたところに
目に入ったのが

元気な人力車の車夫姿の
オニイチャンの笑顔。

「僕、今日が初仕事なんです!」

「それじゃぁ、ご祝儀として
 乗ることにしよう」と思って

「鰊御殿まで、片道でもいい?」と尋ねたところ

「モチロン片道でもいいです。
      45分で行きます!」と。

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ところが傍にいた先輩が
(後で聞いたところ、小樽の支店長)

そんな遠いところまで行ったことはなく
ましてや新入り社員に…と

自転車で後ろからついて行くことになった。

私が先ほど歩かなかった北運河を
新米車夫 中峰君は、解説しながら進む。

これは小樽では珍しいコンクリート作りで
つい近年まで使われていたのだと。↓

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九州の軍艦島と並ぶ
国内最古のコンクリート建造物で
いつまで形をとどめられるか…?

あたかも実験中のような状態。

次々に撮影してくれて、ガス灯の下でも。
そのたびに空手のポーズで気合。

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旧渋沢倉庫⇒クリックすると元のサイズで表示します

必死にカメラを向けている私が
ガラス戸に写っている!

なんと私らしい😄 ↓

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   ↑
渋沢栄一の写真が貼ってある。

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小樽運河は直線ではなく曲線
世界的に見ても、とても珍しいのだと。

これは、掘ったのではなく
今の海と今の運河の間を
埋め立てて作った運河。

その時に、曲線になったらしい。
ということは
大阪の中之島も同様なのでは…?

ここから北は運河の幅が広くなる。
南は道路を作るために
狭くなったため。

ここが運河の北端。 ↓

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この辺りには観光客の姿は全くなく
トンネルを3つぐくり抜けると

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鰊御殿こと小樽貴賓館(旧青山別邸)

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広い豪邸。全てが豪壮・豪奢

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見学出来るのはこちらで、ここから入る   ↓

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中峰君は小樽で生まれ育ったのに
入ったことがないのだと。

私は1,100円払って入り
中峰君は無料。良かったね〜😄

館内には素晴らしい家具や什器
美術品などがいっぱい
展示されているが撮影禁止

枯山水の庭は撮影可で
ガラスにレンズを当てて撮影。

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京都の善峯寺を彷彿とさせる松。↑

海も見える。 ↓

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門のすぐ内側にある石狩挽歌の石碑

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この歌詞の小樽が見たくて
来たくらいなのだから

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どうしても番屋らしい番屋を見たい。

ということで、昼食より番屋。
貴賓館で昼食を摂り
バスで帰ろうと思っていたのに…

昼食抜きで、時間延長で
番屋に向かってもらうことにした。

人力車無理なほどの急坂を
頑張って歩いて
着いたのは小樽市鰊御殿。

海辺にあったのを
高台に移設したもので
入館料は300円

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玄関の上は吹き抜け

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ニシン漁の船の船尾に

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張り付けられていた装飾板

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こちらはNKの朝ドラ
「マッサン」の撮影地かと思うくらい
そっくりで、まさに、番屋!

漁や加工に使われた道具類
番屋で年間を通して
暮らしていた人々の
生活の様子がよくわかる。

鰊が来なくなって
昭和28年でニシン漁は
消えたと言われるが

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近年でも、メスが産卵した後
オスの白子で
海が真っ白になることがあって

これを群来(くき)と呼ぶのだと。

ようやく帰途。運河近くにある
今は使われていない
道内最古の鉄道、幌内鉄道の軌道に。

レールが今も残っている。

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札幌まで続いていたそうで
ここは、手宮駅⇔色内駅の間。

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ここでも記念撮影。

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小樽駅に戻る途中に
立派なうだつの上がった建物 ↓

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ここを左に曲がると
あれっ
私が最初に撮った家屋!

店と商家とがつながっていたんや〜。

隣の屋根を取り除いた跡が
倉庫の壁についているのが
たくさんあったのは
こういうわけやったんや〜。

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ここで最後の記念撮影。かしこまって。

時折強風が吹き
乗っているだけの私は
寒いくらいだったが
中峰君のシャツは汗ビショ。

私は予定外の大出費(3万円余り)
となったが
息子に私の遊び相手をさせようと思ったら
こんな額では済まない。

タクシーをチャーターする方が
安いが
人力車も風情があっていいものだ。

豪華特急列車にも
乗ったことがないし
乗りたくもないし

自動車の免許を取りに行く
時間とお金を考えても…

まあ、それよりは安い出費でしょう。

中峰君、お疲れ様!
大変な仕事デビューだったね〜。
11

2021/3/9

賀名生 南朝皇居  史跡

賀名生梅林ハイクの後
昼食会場は
南北朝時代、南朝の
後醍醐天皇らが移り住んだ
賀名生皇居跡である「堀家住宅」

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表門には、 ↓ 重要文化財

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 南朝在世 賀名生 皇居 ↑ と掲げられている。

門をくぐると、立派なかやぶきの家。

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         ↑
(これは食後に添乗員さんに撮ってもらった)
         ↓
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今は、内部で KANAUという
レストランが営業している。

足利尊氏が幕府を開き
建武の新政に抵抗した足利尊氏によって
後醍醐天皇・阿野康子・北畠親房らは
京都⇒比叡山⇒吉野 ↓

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(この写真は2018/4/5吉野の花見時に撮影)

さらに、吉野を追われて⇒賀名生へと移動。

我々が近場を旅をすると
笠置温泉・敦賀の金崎ケ崎城・吉野など
あちこちで南朝関連の遺跡に出会う。

そのたびに、説明書きを読み
ネットで調べて読んでも
難しくて南北朝時代について理解できなかった。

だが、つい3/7に最終回を迎えた
大河ドラマアンコール放送
「太平記」を視聴して
やっと少し理解できた。

堀氏は南朝の人々を邸宅に迎え
手厚くもてなし
邸宅はその後
3帝(後村上・長慶・後亀山天皇)の
皇居として使用された。

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私と夫と、もう一組の夫婦の    ↑
卓上の天井には、槍が置かれている。↓

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これは武器? それとも儀式用? ↑

鎌倉末期〜南北朝時代は
日本の歴史でも最悪。

裏切りの連続
最多の殺し合いがあった時代?

南北朝時代が幕を下ろしたのは
3代将軍、足利義満の時代。

尊氏や弟の直義、重臣らが
幕府の目的や戦略を
明確に持って行動していたら

あれほどの果てしなき戦は避けられ
もっと生産力・文化の高い
日本になっていたやろに…。

太平記を見ていて、後半
ずいぶんとイラつき

『私本 太平記』(吉川英治)を
読まなくては…と、思いつつ読めない私😥

テラス席からは
山々や激流を楽しめるが、寒い。

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かなり待って
ようやく運ばれてきたのはイタリアン

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どの料理もオリーブオイルがたっぷり。
夫はピザは半分残していたが…、私は完食。

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鴨ロースは3切れあればいいんやけど…。

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さらには、スパゲッティ

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とどめに、甘い梅ソーダと
チョコレートケーキ2切れ。
これも1切れでいいよ〜。↓

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でも、すべからく完食する
貧乏性な私。

2〜3日分くらいの炭水化物
油分を摂取し、お腹は超満腹。

ゆっくり1皿ずつ出てきたので
ずいぶん昼食に時間がかかった。

行ってみたいと思った
北畠親房墳墓にも行けず

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歴史民俗資料館も見られず…。

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我々の食事も
添乗員・運転手さん同様
1皿ランチでいいのに〜。

昼食時間が短ければ
チラッとでも見られたかも…

でも、迷子になって
皆さんに迷惑をかけた身なので
そんなことも言えず…😥

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後ろ髪引かれる思いで
南朝皇居を後にした。
6

2021/2/6

晴明神社  史跡

53年間も京都で暮らしているのに
初めて渡った一條戻橋

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堀川通りの東側を北進すると
「一條戻橋・晴明神社」のバス停

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美しく立派で広い。
こんなバス停あまり見たことない。

堀川通りの東側から見た晴明神社の鳥居

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ところが、横断歩道がないため
そのまま北進し

元誓願寺橋のところまで歩くと

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横断歩道があり、広い堀川通を渡ると
全く車の姿が見えない👀‼️

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これもコロナ禍のせい?
堀川通西側を南進し晴明神社へ。             ↑
            ↓
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右手側の狛犬と

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左側の狛犬の間を進むと

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左側に式神の石像と古い戻り橋
 ↓
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式神とは ↓

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ここにある戻橋は大正から平成まで
実際に使われていたものをここに復元したのだと。

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この橋を渡り

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道路を1本渡ると、2つめの鳥居があり
正面に本殿が見える。 ↓

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陰陽師(天文学者)である
阿倍晴明を祀る神社にふさわしく

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全てに☆印がついている。

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手水はコロナで使用禁止。
そして、あちこちに消毒用アルコールが。

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本殿に向かって左に晴明像

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安倍晴明の人気は高いし
羽生結弦ファンの聖地となっているそうで
参拝者はコロナ禍でもけっこう多い。

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本殿に向かって右には厄除け桃と、御神木。

木の根元には参拝者が上れる
台が設置されている。

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そこに立って「手を樹皮に当て
「木の力を感じ取ってください」と書かれている。

木の下で記念写真。ヒドイ写真だが
ここに来たという証拠としてUP

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御朱印をもらう建物内に
掲げられていた絵を撮って帰途に。
3

2021/1/29

黄檗 萬福寺  史跡

黄檗(おうばく)駅で降りて
徒歩5分もかからないくらいで
萬福寺の総門に到着。

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萬福寺は禅宗の一つ 黄檗宗の大本山。

開かれたのは1661年
4代将軍徳川家綱の時代。

平安京発足期に開かれた
京都の東寺のようには古くはない。

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東寺より新しい臨済宗や曹洞宗のお寺は
日本風なのに
それらより新しい萬福寺は中国風(明朝様式) ↑

総門の次の門が三門 ↓

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ここに伽藍の地図が掲示されている。何と広大!  ↑
これを今から全部見て回る体力はないわ〜。  ↓

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ここで拝観料を払い、リーフレットをもらい
とにかく有名な木魚を見たく クリックすると元のサイズで表示します
どこにあるのかを教えてもらった。

中国風のお寺に
七福神の一人、布袋(ほてい)さん? ↑

ミスマッチな感じがするが
京都府内の7カ所の寺社の七福神を巡る
都七福神(みやこしちふくじん)巡りの
巡礼札所となっているのだと。

三門の次にある、この天王堂に ↓

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布袋さんがど〜んと座っておられる。
    ↓
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七福神が乗っている舟は
莫大な富を持つ倭寇舟がモデルだと
聞いたことがあり
「なるほど」と思っていたが

これによると七人の出身は
日本の土着宗教
インドのヒンドゥー教
中国の仏教・儒教

と、国際色豊かなようだ。

天王堂の前には優美な水の器

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流れ落ちる水で手を洗う?

天王堂の次は大雄宝殿(本殿) ↓

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                ↑
その正面には、完璧なほど中国風の香炉
              ↓
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大雄宝殿の中には十六ならぬ十八羅漢が
ズラリと並んでおられる。

半数は中国・日本人的なお顔で
半数はインド・アラビア・アフリカ的。

これらを見ていると、仏教とは
遠い異国から発展しながら日本に伝えられ
日本に着いてからも
どんどん発展・進化しているのだとわかる。

大雄宝殿から右に曲がると
斎堂(食堂)があり
その回廊には萬福寺のシンボル ↓

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木魚の原形となった開梛(かいぱん)
-魚梆(ぎょほう)とも-

カメラ・スマホが置ける台が置いてあり  ↑
自撮りで記念撮影できるようになっている。↓

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色が変わっているところを
打ち鳴らして、時を報ずるためのもので
現在も使用されている。

かなり新しいことを思うと
これまでに何度も作り直されたのだろう。

私の後ろが売店になっていて
赤い毛氈の腰かけに座って
コーヒーが飲めるようになっている。   ↑

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コーヒーの紙コップにも開梛の絵が。↑

萬福寺を開いたのは
中国明の僧・隠元(いんげん)禅師で
日本における「煎茶道の祖」。

木魚だけでなく
普茶料理・インゲン豆・スイカ
レンコン・孟宗竹(タケノコ)なども
隠元禅師によって
導入・普及されたものなのだと👀‼️

境内には中国風(明朝様式)の門と
卍崩しの欄干がついた文華館。   ↓

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でも、休館中のよう。コロナのため?

天王殿に戻って、左側に伸びる回廊を進むと
          ↓
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大雄宝殿などの屋根の勾配がとても強く ↓
これも明朝様式?

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回廊の途中に鐘楼があるのも明朝様式? ↓

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眞空塔と書かれている塔 ↓

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隠元禅師の像がどこかに
あるらしいが、わからなかった。
公開されていないのも?

尋ねてさらに歩き回る体力はなし。
なのに
売店や三門に生けられている
蠟梅の花が気になる。

相当大きな木でないと
大きな花をたくさんつけた枝は切れない。

きっと境内にあるはずと思って
尋ねたところ、天真院という塔頭(たっちゅう)に
あることが分かった。

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ところが「観光不可」と書かれている。

が、浄財を入れ、蠟梅の木を撮影。
さすがに大きな木、花もいっぱい。 ↓

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中国風のお寺には蠟梅がよく似合う。

帰ろうと、放生池のところまで来ると
望遠レンズ付きの立派なカメラを持った
高齢男性が二人「おっ、来た来た」と。

「何を狙っているんですか?」と尋ねると

カワセミだった。 ↓

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私のカメラではこの程度にしか撮れず…😥

この日、人生初乗車の、京阪宇治線 ↓

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中書島→丹波橋→近鉄丹波橋→生駒に帰宅。

仕事での移動時
生駒⇔京都、生駒⇔大阪 は

緊急事態宣言後も
あまり変わりなく混んでいる。

でも、お寺も電車もガラガラ。

お寺もお土産屋さんも
収入減で大変でしょうね。
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2021/1/28

宇治 平等院  史跡

1/28(木)は何の予定もない日。

10時ころに突然思い立って
宇治の平等院と
黄檗の萬福寺に行くことにした。

学生時代から行きたいと思いつつ
京都からも生駒からも
半端に遠くて不便なので、行ったことがない。

「自分の足で歩けるうちに
 目が見えるうちに、行かないと」

と、思うようになってきたので
未練を残すことなく

「まだ行ったことのない所には行っておこう!」と。

幸い、夜中は降っていた雨もあがり
寒くもなく、風もないお出かけ日和。

近鉄大久保駅から京阪バスに乗り換え
宇治の総合庁舎前で降りて、ゆっくり歩いて…。

生駒駅から1時間で
710円しかからないのにねぇ。

平等院のHPによると、新型コロナ対策として
表門だけを開けているとのこと。 ↓

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600円の拝観料を払って ↑
門をくぐってから、振り返って撮影。

藤棚の奥に見えるのは観音堂。

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そういえば、藤の季節がお勧めと
聞いたことはあったが
なかなか、そうはいかない。

鳳凰堂の内部の拝観は別料金で300円
1回に15人までで、10分ほどの待ち時間。

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その間、辺りを撮影。

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鳳凰堂内部は撮影禁止なので
リーフレットを撮影。
阿弥陀如来坐像と二重天蓋(国宝)
         ↓
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阿弥陀様の周囲を取り囲む      ↑
雲中供養菩薩像(国宝)    ↓

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15分足らずで鳳凰堂から出て
池の対岸に向かい

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鳳凰堂の真正面に。
屋根の上の鳳凰が美しい。↓

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これが平安時代から一度も
火災に遭うこともなく残っているとは…すごい。

鳳凰堂内で聞いた通り
格子の窓から阿弥陀様のお顔が見えた!
             ↓
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夜、ライトアップで見てみたい。

「疫病病魔退散」「被災黄難復旧」の祈願も。↓

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こちらの木は桜のよう。
         ↓
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桜・藤・紅葉がきれいな季節は
多くの人で鳳凰堂内部の拝観待ち時間は長そう。

今は、コロナ禍でもあるので人は少ない。
でも、思ったよりは多い。さすが平等院。

鳳翔館ミュージアム内では
仏像や建物などの創建当時の色彩や
宝飾が復元されていて
あまりの美しさに、目を見張るばかり。

たくさんの雲中供養菩薩像も
しぐさや指先まで見事。見ごたえあり。

鳳翔館を出て
鳳凰堂の裏を通って表門に。

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宇治橋を渡って

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京阪宇治駅から乗車、黄檗に向かった。
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2019/4/28

壺阪寺  史跡

高取城址からの帰途、壺阪寺奥の院
五百羅漢の方に歩くと、
もっと年季の入った羅漢さんかと思いきや…、

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新しい小さなお地蔵さんや
観音菩薩像なとがきれいに整列している。

岩に刻みつけられた無数に石仏は見つけられず、
そのまま進み舗装道路に出て少し歩くと
壺阪寺に戻った。園芸種の花々もきれい。

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白鳳時代に建てられたという古刹で
この有名なセリフの舞台となったところだと
初めて知った。

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また、眼病封じ観音として信仰され、

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盲老人ホーム慈母園が、境内に建てられている。
        ↓
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境内にはいろいろな石仏。
      ↓
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                       ↑
寒くなってきたのでパーカーを着て記念撮影。

20数年前の、長男からの“お上り”で、
左胸には ロサ モタ のサイン入り。

歳をとると「あぁ、この時はこんな服装で行ったんや」と
着ていた服も懐かしくて、記念に残しておきたくなる。

仁王門の前には仁王さんの下駄。

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門の下には、仁王門修理事業の募金箱があり
千円募金すれば手形を持って帰っていいと書かれている。

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奉加帳を見ると夫の名がないので、
2人の名を書いて、2千円を寄進。

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眼がどんどん弱っていくのが不安で、
あちこちに浄財を投入しながらお参り。

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インドとの結びつきが強いようで
ガンジーの教えがお寺に!

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この巨大な石仏は、

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インドで作られて運ばれて来たのだと!

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とても日本的な仏像だと思ったのに…、
日本人好みに作ってもらったのかな?

14:30のバスに乗り、
その後は乗り継ぎ良好だったが
腹ペコ、疲れ果てて帰宅した。
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2019/4/28

高取城址  史跡

10連休は夫婦一緒に旅する予定はなし。
私はうち5日間は施術。

夫は北陸街道を歩く予定だったのに
宿が取れず、湖北で小鮎釣りのみだと。

4/28(日) 1人で高取城址へ、行くことにした。
夫は27(土)に近鉄電車で行って来たとのことで。

橿原神宮駅で吉野行きに乗り換え、
壺阪山駅で降り、奈良交通バスに乗り換え、
壺坂寺で降り、入山料600円を支払い、

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お寺巡りは下山後として、

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駐車場の奥から坂道を歩き始めたのが11:30。
巨大な石仏を眺めながら、

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かなりきつい勾配の舗装道路を
城址までの2.8kmり道のりを進む。

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ここから土の山道に変わり、

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「毒蛇の発生に注意せよ」などと!
毒蛇は“発生”するもの?

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すぐに石垣が見え始め、

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「日本最強の城」と書かれた幟旗が
駅からずーっと、あちこちに立っている。

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本丸に近付くと「芙蓉姫」と名付けられた、
途中から二股になっている御神木の杉の大木。
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いくつもの石垣の間を歩いて行き

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本丸跡の広場に着いた。南の十津川方面 ↓

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一番高い天守台跡(?)から ↓

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夫は「ほとんど人はいなかった」と言っていたが、
今日はかなりの人出。夫は朝早くに登ったためかも?

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       ↑
帰り道の途中、この看板の前で記念自撮り
           ↓
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三大天空の城(備中松山城・竹田城越前大野城)には登ったが、
三大山城には、美濃岩村城があげられている。

天空の城と山城はどう違うの?

どちらにも入っている備中松山城は
急峻な山の上で、建物も残っていて、
見ごたえは抜群だった。

まだ行ったことがない美濃岩村城にも行ってみたい。

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こんな写真も掲示されていたが、
明治20年に建物はすべて取り壊されたとのこと。

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                  この本には ↑

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        ↑
このような写真も載っているが、
これだけの大規模な、最強の山城を
作らねばならなかった理由は?

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秀吉が吉野の杉を手中に収め、
熊野・伊勢に睨みをきかせるため?

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道中、スミレ色の小さな花々を撮影。

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夫はバスに乗らず、壺阪山駅から歩き、
私とは違う登山道を歩き、
壺坂寺には参詣していないとのことだが…、

そんな長時間、歩くのは嫌や。
一人だと自分のペースで進めるのがいいね。
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2018/11/21

波賀城@宍粟市  史跡

浄土寺を出発し、コスモスの花を見ながら走り

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中国道を通って、宍粟市の山崎インターを出ると
ホテルに入るには早すぎるし、それに、
明日は雨だというので、波賀城史跡公園を目指すことに。

どんどん北に走り、まずは“道の駅みなみ波賀”で
巨大な柿“太郎丸”などを購入。

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そこで夫は
「普通車がすれ違える広さの道路がある。
 お城の近くまで行ける」と聞いたため、
楽勝で行けると車を進めた。

私はネットではかなり怖い道と読んだが…、

実際はどうだろうかと心配しながら
家が立ち並ぶところから、ちょっと進むと

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    ↑
「災害のため、波賀城へは登城はできない」と。

車は通れないが、「歩けるところまで行こう!」と
歩き始めると、間もなく、
約60mほどがこの状態。7月の豪雨のためだろう。
    ↓
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                       ↑
でも、この区間だけで、あとはきれいな舗装道路。
しかし、なかなかの急坂でしんどい。

25分間の登坂の後、15:50ようやくここまで来た。

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崩れかかった藁屋根の家には誰もいない。
入山料を徴収する人も箱もない。

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  ↑
この木の門をくぐり、下ったり上がったりしながら進むと
      ↓
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「立ち入り禁止」の看板。しかし、右折する道は進めた。
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道はさらに急になり、足元に白いものがいっぱい。
お城の漆喰が台風の風で落ちたようだが…、

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やっと下界が眼下に広がった。

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小さな櫓のようなお城と石垣と塀がある。
漆喰は真っ白できれい。
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最近修理をしたみたいだが…、
車は通れないのに、どうやって修理したのだろう?

ここからさらに登り山頂へ。小さな祠がある。
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降りながら屋根を見ると、瓦葺ではなくて板葺。
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他では見たことがない珍しい石垣の積み方。
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とても古い積み方であることがわかる。
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16:05。ここまでで40分、疲れたが
暗くならないうちにと、休むことなく下山。

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下りは紅葉を上から見るので
登りの時とは見え方が違う。

16:35、無事に車まで戻れた。やれやれ。
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2018/10/8

興福寺中金堂再建落慶慶讃法要  史跡

9月に入った頃だったろうか?
夫が「招待状が届いてるし、興福寺に行こうや」と。

私は何のことかよくわからず、
日程表を見ると、10/8(月)なら行けるとなった。

このブログを始めた後か?
前だったか? その頃のお正月に
阿修羅像を見に興福寺に行ったことがある。

その時に、夫は建物の改築のために
1万円を寄付をしたらしい。

その建物が、中金堂(ちゅうこんどう)であり、
お礼として、落慶慶讃法要の招待状が届いたというわけ。

10/7(日)に(関係者のみ?)3,000人で法要がおなれたようで
中金堂の屋根を飾る鴟尾(しび)の
除幕が行われたことが、TVニュースで放映されていた。

8(月) 8時半に家を出て、近鉄電車で奈良に。

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9:10には奈良公園内にある興福寺に到着

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8(月)〜11(火)は寄付した人を招いて
 さまざまなお寺のご山主が参加して法要が営まれる。

20(土)からは一般公開

受付を済ませ席を確保。法要開始は10時からなので、

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私は写真を撮ったりお茶を買いに行ったり。 夫はここにいる。
    ↓
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10時になると司会の男性の美しい声が響き渡る。
「なんて上手!」と思ったら、NHKのアナウンサーやって!
そりゃ〜、上手いはずや〜。

美しい衣をまとった各山の山主や、雅楽隊が座に着き

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舞楽・舞楽が奉納。雅楽隊も太鼓もすぐ近くなので迫力満点。

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NHKの大きなカメラがあちこちに陣取り
クレーン車かと見まがうくらいの巨大な装置でも撮影。

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           ↑
それがスクリーンに映し出され
献茶の様子や、献書の巨大な字もよく見えた。

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岡寺ご山主による唄匿(ばいとく ばいのく)
法要の初めに身心を静めるために唱えられる唄や

その後、高い屋根の上から散華

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興福寺の多川貫首から挨拶
「興福寺は藤原の不比等により創建されて1300年、
 火災・再建の繰り返しで、中金堂は300年ぶりに再建された」
        ↓
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                          ↑
             奈良県知事荒井正吾氏から祝辞

実におおらかと言うか、
細かなことにはこだわらない人だとわかる挨拶。

建立…「こんりゅう」を「こんりつ」
玄奘三蔵…「げんじょうさんぞう」を「げんしょうさんぞう」
中国・韓国…この場合、中国・朝鮮と言うべきでしょう?
藤原道長の有名な歌…
 「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
 …私でもサラサラと言えるのに…(*_*;
般若心経とは…「細かいことにはこだわらなくていいとの教え」
〆は…
「中金堂がよく見えるよう、県庁の食堂に南窓を作った。
 500円の定食を食べに来て、中金堂を眺めてください」と。

朗らかなご挨拶に私もすっかり楽しくなって、
挨拶が終わると無意識のうちに、拍手をしていた。
それにつられたのか、周囲からも拍手が沸き起こった。

東大卒の元官僚だそうだが、
こんなキャラの人がトップだと
上手くいくこともあるのだろう…と思った。

それから、4人の男性による舞楽。前列の2人は30歳くらい?

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足腰が安定していて、

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緩急・静動のキレが良く、ほれぼれ。

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焼香には興福寺婦人会の会長・副会長も。
なんとなく、女性はこんな壇上に
上がらせてもらえないと思っていたのに、
ちょっと意外、驚き。
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 とにかく日差しが強烈で暑い。重い着物を着ている人も
         カメラを回している人も大変だわ。

前半と太鼓を打つ人が変わった。
この人が雅楽の隊長? 圧倒的存在感。
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会場全体を見渡し、太鼓を打ち、全てを仕切っている感じ。
昨日の法要では舞楽を舞っている姿がテレビで放映されていた。

12時ちょうどに法要式典が終わり、
西の席の人から順に堂内に。

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我々は東なので後。途中から行列の進行が止まり、

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 中金堂を背に、自撮りで記念撮影。
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鮮やかな中金堂と、渋い五重の塔とが対照的

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この中に安置されているご本尊の釈迦如来坐像などを見学。
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 柱の礎石と思われる石が多数並んでいる。

今は奈良公園の一部と化してしまい
天平時代はどこまでが興福寺だったのか
わからない。
どれほど広大やったんやろ?

とにかく今日のような経験は、
めったにできるものではない。

1万円以上の値打ちがあった。幸せ〜 o(^-^)o

ところで、巨大な柱に使われているのは
アフリカのカメルーン産のケヤキ。

環境破壊が進んだそうで、
現在はすでに伐採禁止になっている。

2階部分に使われているのはカナダ産のヒノキ

日本にはこのような巨木はなく
国産木材は全体の1%くらいしか使われていない。

今後はこれくらいの巨木を使わないと
建て替えられない神社仏閣があっても
もう建てられないということ。

クジラやアフリカゾウの保護も大切だが、
それ以上に木を保護しないといけないのでは…
と思うと、辛いものがある。

お腹がすいたので国宝館を見学する前に
昼食を摂ることとし、県庁前を西に進み

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とんかつ定食とアイスコーヒー。
それから戻って国宝館で阿修羅像をはじめ仏像などを見て
さらにオヤツを食べてから帰宅した。

興福寺・奈良公園・正倉院展…お勧めですよ!
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2018/10/2

復旧中の熊本城  史跡

10/2(火)、生駒は気持ちのいい秋の風で
気候的には最高だが、気持ちはソワソワ。

せっかくの休みの時間なので、
早めに熊本に行き、
復旧中のお城を見ようと出発。

新幹線の中では10/18配信予定の
Mさんのコラムのチェックを済ませた。

これは最高級に興味深い。
配信が楽しみo(^-^)o

15時半前にチェックインし、
あちこちにメールをし、
お城目指して出発。

程よい距離があり、気候も良好、いい散歩。

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お城が見えてきた。
「きれいやん」と思って歩くと、すぐに崩壊現場
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東18間櫓の建っていたところ 北18間櫓の建っていたところ
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解説のパネルがそれぞれの場所に掲示されていて、
地震前の写真と、被災直後の写真が見られる。
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城の入り口は閉鎖中
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少し歩くと棒庵坂という坂があり、
登り口のところにたくさんの大きな石が
ナンバーをつけられて並べられている。
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一番見たかったこの櫓の石垣。まだこのまま建っていて驚き。
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加藤神社の鳥居をくぐると、その奥に清正公御手植えの古木。
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その右手前からは、修復中の小天守・大天守がきれいに見える。
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2016年4月の熊本地震でほとんどすべての瓦が落下し、
悲惨な姿になったのに、キラキラに変身中!

加藤神社内には、清正公ゆかりの
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石製の品が残されている。
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鳥居から出て左に曲がるとすぐに行き止まりとなるが
そこから、宇土櫓が真正面に見え、
その後ろに大小の天守が見える絶好の撮影スポット。
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櫓と言っても小さな城の天守より、大きくて立派。
その大きさは日本でも最大規模の城であることを実感。

熊本城を訪れたのはこれで3度め。
今日歩いたのは城郭のほんの一部だが、足が疲れた。

帰途に着き、県立美術館の南に広がる広場(高橋公園緑地)には
小さめの石は堤防のように積み上げられ、
大きな石はナンバーが打たれて、ずらりと並べられている。

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このヨーロッパ的な建築物の中には
第7代熊本市長の高橋守雄氏の胸像。
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その隣には、谷干城氏の像
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横井小楠めぐる維新群像
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明治維新というと薩長土肥。
ここで言う「肥」は肥前で佐賀。

この4県は光っていても
熊本県は霞んでいる感じが否めない。

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横井小楠という思想家がいたことや
西南戦争の制圧に尽力した谷干城という人がいたなんぞは
私は全く知らなかった。

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いくつになっても知らないことが多くてアキマヘンな〜。

このような像があることにより、少しは
熊本の歴史や彼らを知る人が増えるんでしょうね。
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2018/8/16

敦賀港 金ヶ崎城跡など  史跡

8/15(水)10:10 金ヶ崎城跡・金崎宮前のPに到着。

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「今年のお盆は敦賀に行く!」と
6月の初めには決めていた。

その理由は、2017/7/28
敦賀駅に降り立ったときに、
金ヶ崎という駅があったことを知ったから。

何年か前にテレビで、与謝野晶子が
敦賀から船に乗り、シベリア鉄道に乗って
パリにいる夫 鉄幹に会いに行ったと知った。

今回の旅行計画立案のため検索すると、
金ヶ崎駅舎は、鉄道資料館になっていて、

地図を眺めていると、
その近くに金ヶ崎城跡が目に入った。

「ついでやし、近いし、城跡にも行ってみよう」と
ごく軽い気持ちで、何の下調べもしなかった。

車から降りて、石碑などを見て初めて、
「ここは歴史を動かす大戦が
 2つもあったところやったんや!」と、ビックリ(@@)

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織田信長が、朝倉攻めの際
妹のお市から両端をしっかり縛った
小豆袋が届いた話は有名。

これによって
味方だったはずの浅井の裏切を知り
命かながら逃げ帰った。

この城がその場だったとは
知らなかった〜。

前日ほどではないが
高温高湿の空気をかき分けながら
急勾配の階段・坂を登っていくと

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南朝の後醍醐天皇の皇子、
尊良親王の自刃の地に着いた。

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南北朝時代のことは、笠置山・吉野に行ったり
読んだり、見たりしても
ちっとも分らなかったが、

少しばかり分かりかけてきた気が…。

金ヶ崎城跡の頂上
月見御殿跡から下を見ると、
火力発電所と真っ黒な粉炭の山。

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「これらが燃えて地球温暖化させていくのか」
「電気の無駄使いはできない」
「これ以上の異常気象の地球に住むのは嫌や」と思った。

金ヶ崎城跡は岬の先端、その東に続く高い山が天筒山。
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これ以上高いところまで歩く気力がなく下山。

金ヶ崎は、昔は3方を海に囲まれていたそうだが、
今は埋め立てられているので、実感できない。

でも、杉原千畝記念館にあった絵地図で納得。
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下山して、歩いて鉄道記念館に向かう
途中、廃線になった線路を渡る。
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いつの日かまたこの線路の上を
列車が走ることがあるのだろうか?

港のほうに曲がると、傍らに急行「わかさ」

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赤レンガ倉庫の中のお店は休業していて入れず、
近くの喫茶店で休憩した後、
旧金ヶ崎駅舎=敦賀鉄道資料館に。

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北陸本線の歴史や
特急雷鳥・急行日本海などの
写真を見つめていると…。

懐かしいという感情とともに
もう昔のことになってしまったと
一抹の寂しさも。

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1階に下りると、ビデオの上映をしていたので鑑賞。

明治45年
東京の新橋駅⇒敦賀駅⇒金ヶ崎駅に
直通列車が運行され、
敦賀は大いに繁栄したことが紹介されていた。

観ていると、私より少し若い女性のガイドがやって来て
いっぱいしゃべりながら解説してくれた。

敦賀が好きで好きで大好きで、
誇りに満ち溢れていて、幸せそう。

退館し駐車場に向かう途中に、
「杉原千畝記念館」とも言うべき
「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。
      ↓
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リトアニア日本領事館の杉原領事代理は
苦慮煩悶のあげく、外務省の指示に背いて
博愛第一に考え、ナチスに追われているユダヤ人に

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日本通過ビザを発行。その数は6千人分とも。

ビザを手にしたユダヤ人達は
シベリア鉄道の終点
ウラジオストック駅で降り
船に乗り換えて敦賀に上陸。
      ↓
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「敦賀が見えた時は、天国に見えた」と。

その後、神戸などから
第3国に亡命するための通過ビザ。

そのビザがなければ、おそらく
ナチスに命を奪われていたであろう。

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敦賀市民からはリンゴや銭湯が
無料でふるまわれたそうな。

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このとき敦賀に上陸した人々のうち、
幼かった人の中には、今も、
経済界などで活躍してる人もあり、

大人になっている人の子ども達も、
アメリカなどで活躍している人が多いそうだ。

帰り際、受付でお土産のクッキーを購入。

売り子は、農水省を定年退官した男性で、
今は学芸員となるために勉強していると。

杉原千畝の映画を見たことのある夫によると
彼は帰国後、上からの指示に背いたかどで
公務員としての職を失ったそうだ。

3人でおしゃべりが盛り上がった。

・上からの命令に従っただけの小役人で、
 ユダヤ人大量殺戮の責任者を務めたアイヒマン
                     ⇒こちらを     
・公務員としてあるまじき行動をとった杉原

果たしてどっちが精神的に楽? 人間的?

2人の評価は、現代では
・アイヒマンは鬼のような悪人
・杉原は博愛精神に満ち溢れている人

この評価が逆転していた第二次世界大戦中。
再び逆転することは、あってはならないのだが…

上からの指示
「こうするのが当たり前」
「昔からそれは常識」
「皆そうしているのだから、同じことをしていれば無難」
「あなただけ勝手に違うことをしないで」

これらに背くことは、いかに難しいか。
いかに勇気のいることか。

特に医療分野では、まさに

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

   の精神で働いている医療従事者が多い。

ハンナアーレントいわく
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です…」

この悪によって、第三次世界大戦とまでは言わないが、
医療は確実に崩壊の一途を辿って来たと、私は思う。
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2018/8/14

一乗谷朝倉氏遺跡  史跡

8/14は、大野城跡⇒仏御前の滝
⇒一乗谷朝倉氏遺跡の予定だったが、
時間オーバーで、仏御前の滝はパス。

一乗谷朝倉氏遺跡には、
私は23年前(平成7年11月25日)に、
見学したことがある。

当時、京大では1年に1度、
寺社・史跡見学会があった。

大型パスに乗って
歴史・建築・庭園・美術の専門教官の
ガイドつきという、超贅沢な催しで、
私も参加したことがあった。

が、夫は行ったことがなく
「行きたい」と言うので、行くことにした。

Pに車を止めて、復元町並み入場料
210円/1人を支払い、歩き始めると、

30年前はこんな塀はなかったような気が…、

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1軒の家の中で、着付け体験がされていた。
この猛暑にも負けず、
戦国時代の衣装を着た小中学生の女子が何人か(@@;
  ↓
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                       ↑
   この男性は着つけ体験者ではなくガイド。

「30年前に来た時は塀はなかったと思うが…」
 と尋ねると、「近年作られた」と。

ああ、よかった記憶は確かだった。

それから「立派な庭園があったが…」と尋ねると
「それは、あちら」の手で指し示してくれた。

塀の奥には武家屋敷跡があり、
さらに進むと、暖簾がかかった家々

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これはハッキリ覚えている。
染物屋があったはず!

お〜、夫がすでに入っている。
           ↓           
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金物屋や鍛冶屋なども

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家々の中には必ず井戸があり、
裏庭にも必ず井戸がある。
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                 便所も裏庭に
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復元町並みを見学し終わったところで
暑さに耐えきれず、アイスキャンディー。

大野でもアイスクリームを食べたが、
甘い冷たいものを食べすぎも加わってか
ますます体はしんどくなってきたが、

30年前に見た庭園跡をどうしても見たくて
一乗谷川にかかる諏訪館橋を渡ると、

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崩れかかった石垣が続いている。

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「この上だったはず」と思い、
またまたキツイ坂道を歩く。

30年前は秋だったと思うが、
暑くてしんどかった記憶が…。

「この坂だからやったんや」と思いながら歩くと
あった! 記憶通りの庭!
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 諏訪館とは、朝倉義景の妻 小少将(こしょうしょう)の館

でも、池には水が全くない。
猛暑と少雨で池の底の土はヒビワレ状態。

 「日本の庭園史上、貴重な庭園」と
  30年前に専門の教官から聞いたような気が…。

ここから池に水が流れ落ちるように
作られているはずだが、全く水はなし。
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北に進み、さらに高い所に上がっていくと、
荒々しく巨石がゴロゴロ

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降りて行くと「中の御殿跡」。義景の母の屋敷跡らしい。
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ここから朝倉館跡が見下ろせる。
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  ここから水が流れ落ちていくはずだが、ここも水はなし。

他にも寺や城の跡などがあるようだが、
もうしんどくてこれが限界。

朝倉義景公などが祀られている
墓所の横を通り過ぎ、
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唐門をくぐりぬけて、錦鯉の泳ぐ川を渡り

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駐車場に向かう歩道の上は
川面から流れて来る、やや涼しい風と
道路から吹き寄せる熱風で、
停滞前線ができているよう。

気温は心もち下がっている気はしたが…、
湿度はさらに上昇。不快指数も上昇。

雨は降りそうで降らない。

「時間があれば丸岡城にも行こう」
なんて言っていたが、とんでもない。

越前厨温泉の宿へと急いだ。
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