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2021/8/31

東塔を見に、3回目の薬師寺  史跡

8/29(日).30(月)と生駒で施術。
31(火)は施術予約もなく暇。

どこかに行こうかと考えたところ

「そうや、薬師寺の東塔の
 大修理が終わったんや!
 見に行こう!」となり

雑用を片付けブランチを摂って
11時半頃に家を出たら
12時少し前に西ノ京駅に到着。

駅のホームから東塔・西塔が
そろって、ハッキリと見える。

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駅からは徒歩3分
我が家から北拝観受付までは
30分という便利さ。

水雲(東塔のてっぺんの装飾部分)の
展示も見るには合計1,600円。

拝観券を買って入るとすぐに
薬師寺の象徴 東塔(国宝)が見える。
        ↓
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薬師寺を訪れたのは、これが3回目
1回目は夫と、2回目は孫3人と

2回とも東塔は
全面解体大修理中で
テントに覆われていた。

今春、修理が終わり
やっと見られたことに感激。

この夏初めて見た蓮の花。

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もうほとんど枯れていて
わずかばかりだが美しさにウットリ。

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受付で案内された通りの順路で進むと
東塔の先端まではっきりと見えてきた。

まずは、日本最古の禅堂
東院堂(国宝)に入ると

以前は東僧坊に展示されていた
「千年の釘」が
こちらに移されていいる。

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木造建築を千年以上にわたって
しっかりと支えた和釘。

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東院堂に入って、板張りの床に
正座して聖観世音菩薩立像(国宝)にお参り。

奈良時代に建てられた時は
他の建物同様、土間だったが
後年、床が張られたとのだと。

中門に向かう途中
東塔・西塔が並んで見える。

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中門をくぐると右側に東塔 ↓
 
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初層が特別開扉されているのを見に。

心柱は床にすっぽりと収まっていて
下端を見たかったのに…
残念ながら見えかった。

確か下端部分は地下なので
見えないんや〜。

ということは、地震のときは
この床ごと動くんやな〜
と眺めていたのだが…

小学生の修学旅行で
能登のお寺を見学したとき

大きなお深皿型の石の上に
心柱が立っていたのを
今も鮮明に覚えているが…

「あんな風に見せてもらえたら
 子ども達も心に残るのにな〜」

と、ちょっと残念。

中門まで戻って、記念自撮り。

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そこから西門を撮り

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少し北に進んで東塔を正面から撮影。

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六重に見えるが三重の塔。
絶妙のバランスで

“凍れる音楽”

と称される律動的な美しさ。

東寺・興福寺の塔も美しいが
薬師寺東塔は別格と感じる

金堂に入って薬師三尊像(国宝)にお参り。

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堂内はもちろん撮影禁止。

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      ↑
これは、東僧坊に掲示されていたのを撮影。

半年ほど前?
NHKテレビで見た古い白黒映像。

ユーモラスな解説で人気のあった
薬師寺のお坊さんが

薬師如来さんはお医者さん。
日光菩薩さんは日勤の看護婦さん
月光菩薩さんは夜勤の看護婦さん

と、桂米朝さんのように
軽快に解説されていた。

彼の解説の録音が
残っていないのだろうか?

それを聞きながら見学できたら
どんなに楽しいだろうに…

と思いながら、大講堂に。

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ここを見た後、食堂(じきどう)に。

我々が5年余り前に
瓦1枚を寄進したのが ↓

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この食堂の瓦として
屋根に葺かれているはずだが…

暑くてもうフラフラ
写真のことなんか
頭から吹っ飛んでしまった。

自動ドアを入ると
中は巨大なイベントホール👀‼️
完全空調で
天井の装飾はえらくモダンに見える。

周囲には仏教伝来の絵
14枚が飾られている。

休憩用の椅子もあり
写真集を見ながら一休み。

すると、寒くなってしまい
そそくさと次の西僧坊へ。

これが本日のもう一つの見学目的、水煙(すいえん)

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1300年間、東塔を護り続けた
この水煙は

この度の解体大修理を期に
その役目を終え
地上に降ろされたものだと。

そんな貴重なものを拝観者が
触れる状態にしておいていいの?

これは国宝の一部ではないの?
それに、このコーナーだけは撮影可。
訳が分からない…。

塔の先の各部分の名称や重量なども
詳細に書かれていて
それぞれの重さに👀‼️

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これじゃ〜、塔の土台部分は
地盤沈下しないよう
頑強でなければならない。

そんなこともテレビで見たな〜。

瓦屋根のすぐ上の伏鉢・平頭・擦管
      ↓
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      ↑
擦管には文字がびっしり。

解体大修理の写真パネルもあり
これを見ると心柱の下端は
丸い石に差し込まれていて
それが石の上で動くようなっている?  ↓

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ここにも大きな和釘が展示されている。

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エンタシスのように
中央部が膨らんでいるだけでなく
凸凹と波打っている。

木材に打ち込むと木は伸縮するため
釘は木材に包み込まれる。

すると、釘の頭が錆びて消失しても
釘は木材の中に残り、木材を支え続ける。

もっと詳しく知りたいが
説明してくれる人もいない。

せめて音声ガイドがあれば
もっと感動したと思うし
拝観者も増えると思うのに…、残念。

来るたびに経営に口出ししたくなってしまう。
ただいま修理中の建物も2カ所ある様子だし ↓

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北の伽藍の塀もボロボロで
まだ修理されていないし

こんな巨大寺院を維持していくには
そうとうな経営手腕を持つ人がいないと
大変だろうな〜と思う。

これは東僧坊に展示されている
台湾産の巨大な赤桧の株

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この巨木を輸入して
大講堂の柱を切り出した。

その後、台湾は森林保護のため
巨木の輸出を禁止した。

そのため、興福寺中金堂の建設には
アフリカから巨木を輸入。

そのアフリカも輸出禁止に。

今後、こんな大きな建物を
建てることはおろか
修理することも難しい。

日本で木を育てるしかないやん!
何百年もかかるとは思うが…。

そんなことを考えながら
駅に戻る途中
200mほど歩くと「がんこ一徹長屋」
というのがあるとの看板。

それなら行ってみようと
たどり着いたが

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全く人影もなく
展示物がわずかに見えるくらい。

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販売している様子も
教室を開催している気配も無し

これはコロナのせい?
それともそれ以前から?

暑い中くたびれただけ。

駅に戻って椅子に座って前を見ると
あれっ、ホームに薬師寺の石柱が!

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前に来た時も気づかなかったが…。

こんなところに立っているということは…
この駅はもともと薬師寺の敷地で
門があった所なのかも?

分からないことだらけ
??が飛び交う頭で、暑い中
へとへとになって帰宅した。
6

2021/8/25

吉城園・入江泰吉旧居・正倉院  史跡

県庁を出て、歩くこと約10分
依水園に到着。だが、締まっている!

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HPには水曜日も休むなんて
書いてなかったのに〜😥

ここは、2019/1/4も来たのに
やはり休みで、やむなく
東大寺ミュージアムに入った。 

さて、今日はどうしょうか?
と、南隣を見ると
「吉城園」と書かれていて、無料だと。

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無料の園なんて…
と、全く期待もせずに入ったところ

素晴しい庭園😮

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この池の写真は↑ この ↓ あずま屋から撮った。

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苔もシダも見事!

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山野草もいろいろ咲いていて美しい。

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茅葺の茶屋も趣があり

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内から見ても芸術性の高い建物。

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苔の庭は広く、私以外誰もいなくて

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超贅沢空間。

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ずいぶん歩き回って受付に戻ると
60歳くらい(?)の女性が

「紅葉の頃は最高にきれいなので
 ぜひまた来てください」と。

瓦などをはめ込んだ塀の壁も面白く
名残惜しさを振り切って
正倉院に向かうことにした。

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真夏の暑さとなった道路を
歩き進むと、途中に
「入江泰吉旧居」とあり

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奈良を撮りつくした
写真家の記念館のようなので
避暑と休憩を兼ねて入ることに。

入場料は200円。
安〜っ、これじゃあ電気代くらい?

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このような仏像や寺院や様々な行事などを
写真に納めた人とのことで

エアコンの効いた涼しい部屋の
ソファに座って
写真集をゆっくり見て休憩。

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庭も立派だが、ガラス戸と網戸が
大部分閉まっているためきれいに撮れず。

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池の中の鬼瓦? 水は干上がっている。

帰ろうとすると
玄関の前の石に丸いのが2つ見え
これは石臼では?
    ↓
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幼いころ、近所のおばあさんが
これを使って豆を挽き
きな粉などを作っていたのを思い出した。

受付の女性に尋ねると
やはり石臼だった。

それから
「この道に沿って歩いて行くと
 暗室(現像室)があり
 入れるのでぜひ」と。

歩いて行くと、庭に小さな石仏。   ↑

さらに進むと、暗室があり、入ると

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今も使われているという、現像機械や

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水洗い用の流し台が設置されている。

暗室側の出口から道路に出ると
暑い〜っ😓

でも「頑張って正倉院まで歩くんや〜!」

アッチチの道路の上を黙々と歩き進むと

お〜、近づいてきた。↓

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しかし、ここからが遠い。暑い。
東大寺の境内は広いわ〜😫

大仏池の東側を進むと

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「正倉院皇宮護衛官派出所」と書かれた建物。
なんだか…
近づきがたい雰囲気。

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そのまま進むと、校倉作の建物が見えてきた。

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でも、ここからは入れない。
右に曲がって
アッチチの小さな玉砂利の道の
何と長く感じたことよ。

やっと「正倉」外観 拝観者出入り口に着いた。

ここからは涼しい風が吹いていて、ホッ。

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それでもけっこう長い距離を歩くと
まん丸の池の向こうに
正面に正倉が見えてきた😄!

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緑色のコーンの向こうに
立ち入り禁止の棒が横たわっていて
それ以上は近づけない。

そりゃ〜、そうやろ
これほどの木造建築やもの。

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正倉院展は何度か見たが
正倉院を訪れたのはこれが初めて。

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今は宝物はここには納められていなくて
東西の宝庫に分納されているが…
あ〜、感無量😄

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でも、もう頭が回らない。
どれが東宝庫か、西の宝庫か…?

もういい、熱射病で倒れないうちに
涼しいところに入らないと…。

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後ろから見る大仏殿。
  ↓
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小鹿が草をはむ大仏池の南を通って
天極堂へと歩いた。
3

2021/8/6

下関市(彦島)唐戸エリア  史跡

北九州の旅 最初の訪問先は
関門海峡の向かい側
山口県下関市の赤間神宮

8/6(金)10:10 門司港から

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関門連絡船に乗り
10:17 唐戸港に着岸。

赤間神宮に向かおうと進むと
私好みの建物が正面に😮

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 (これは旧秋田商会ビル。今は
  観光情報センターとして活用されている)

カメラを手にどこから撮ろうかと
歩いていたら…
突然前に転び、右膝を強打😫

車止めのコンクリートで
つまづいたことが分かった。

真新しいズボンの表地に穴があいたが😥
幸い
打撲はたいしたことなく普通に歩ける。

7年前、橿原神宮の前で
カメラを構えていて
20cmの段差から落下し
右足首がひどいことになった。

私はカメラを手にすると
周囲が見えなくなる😓

この建物に入ってみたいと思ったが
正午までには門司港に
戻らないといけない…😥

赤間神宮へと急ぐ私の目に
この建物が…。

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これは旧下関英国領事館
帰りに時間があれば入ってみることに。

続いて、亀山八幡宮(亀山天皇が祀られている)

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フク(フグ)の巨大な像があるらしいが
この石垣の高さ…、諦めよう。

そして、大鳥居の右側に
床屋発祥の地の石碑。

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さすが下関、歴史ある街!

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大量のフグのヒレ ↑
唐戸市場内では、フグのお土産を売る店や
フグ料理を食べられるお店が
たくさんあるんやろな〜とは思うが

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今回の旅はそれが目的ではないので
さらに歩くと、日清講和記念館 ↓

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  ↑
この向こう側には往年のテノール歌手
藤原義江記念館もあるらしいが…

ここからすぐに赤間神宮の大鳥居

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正面に安徳天皇の巨大絵馬 ↑
   ↓
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その隣の水天門をくぐると ↑

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木材の赤色は鮮やかで
塗り替えられて
年月が経っていないようだが
屋根はずいぶん傷んでいる。   ↓

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「この建物全てを維持するには
 莫大な費用がかかるやろな〜」

などと思いながら
外拝殿の前を左折して

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耳なし芳一像の祠に。

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なぜここに来てみたかったかについてはこちらを。

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その前を進むと平家の人々の
小さな墓石が並んでいる墓地。

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ここでお参りしてから
外拝殿に戻って参拝。 ↓

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ここに、この神宮の由緒記   ↑

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・御祭神 八幡大神 神功皇后
・今から1,200年前、日本西門の
 守り神として創建された

ことなどが書かれている。

ウィキペディアには
祭神は安徳天皇と書かれているが
それではつじつまが合わない。

神功皇后(ヒミコの次の女王 トヨ)でないと。

帰る途中、少し時間があるので
旧英国領事館に。

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「無料?」と思ったら

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内部は喫茶店になっている。

飲食せずにただで見学するのは
気が引けるし…

咽喉も乾いていたので
テイクアウト容器入りの
ブラック アイスコーヒーを
500円で購入。

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領事館として使われていた時のまま
保存されているお部屋もあり

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エリザベス女王の写真も飾られている。

旧秋田商会ビルに入る時間はなく
後ろ髪引かれる思い。

「もう1回来ないとアカンわ〜」

と思いながら
11:40の船に乗り
門司港へと向かった。
3

2021/6/3

丸亀城  史跡

6/3(木)は丸亀城巡り。

午後には雨になるとの予報なので
8時には新居浜のホテルを発ち

特急しおかぜ で1時間弱
9:20丸亀に到着。

丸亀ではこれまで
セミナーをした日数は20日以上

そのたびに見上げていた丸亀城。

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最後が2017/2/12となった。

日本一高いと言われる
石垣に毎度、圧倒され

セミナーの日の早朝に
「登ってみよう」との気もわかず
今日に至ってしまった。

そこで、新居浜の帰りに登ろうと
夫を誘ったというわけ。

お城に近づくと、道端に
見たことのない小さな花
 ↓
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旧税務署跡には見たことのないサツキ ↑

お堀の前から大手二の門と天守

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くぐって右に曲がると大手二の門

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くぐって振り向くと。

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木材の大きさに目を見張ってしまう ↑

うっかり、キャスターバッグを
駅のコインロッカーに預け忘れ

観光案内所のコインロッカーに
2人分の荷物を全部入れ

急坂「みかえり坂」を上ると
美しい勾配の石垣。 ↓

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坂を上り切って見返ると
緑のトンネルが美しい。 ↓

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右に曲がるとまた急坂。

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鮮やかなサツキを撮りながら    ↑
休み休み上りきると、天守台広場。

瀬戸内海が見える。

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案内図を見て、コースを確認。

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天守の前で記念撮影。

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天守内の階段降昇も急勾配で
上の段の角に
スネが当たってイタ〜ッ😥

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万治3年(1660年)安全祈願の木札が  ↑
昭和25年の修理時に見つかった。

日本の文化財は、このように
きちんと何年に何があったと
証拠が残っている。素晴らしいね〜。

天守の窓からの光景 ↓

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天守の天井 ↓

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COVID-19 のせいで人は少なく
案内係りや店員さん達も暇そう。

コロナ禍がおさまっても
自粛生活で弱った足腰の人達は

こんな急坂・急階段のところに
来られるかなぁ?

天守から、からめ手門跡へ

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途中、きれいな花が

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緩やかに下りながら
雄大な石垣を見上げて…。

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からめ手門跡を左折し
野面積(のづらづみ)の方向に。

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丸亀城の石垣の多くは
打ち込み接ぎ(うちこみはぎ) ↑

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野面積はここだけ。

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野面積の端っこ。アザミがたくさん咲いている。

大手門に向かって歩くと、あずまやがあり
長椅子に座って、しばしの休憩。

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堀はあちこち堰止められていて
流れがほとんどなさそう。

藻やプランクトンが多く
緑のドロドロ、残念。   ↑

大手門に近づくときれいな花壇。

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近づいて見ると、西洋っぽい花。
お城の花壇の雰囲気ではないな〜。

大手一の門の中を見学。

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ここを先に見ておくべきやった〜。

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  ↑
1対の(夫婦の)シャチホコ。
昭和25年の修理の後
雌が行方不明になっていたそうで

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それから35年後の1985年(昭和60年)に
見つかったのだと。雌の尾びれは欠けている。↑

木材が竹でつないである。
こんなのを見たのは初めて。
   
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窓から見る大手二の門 ↓

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それから、玄関先御門をくぐって

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市立資料館に入り、見学。
でも、丸亀城主のことがほとんどでイマイチ。

駅への途中
セミナーで訪れていたときには
いつも閉館中に入れなかった
「街の駅 秋寅の館」

今日、やっと入れる!
と、ワクワクしたのも一瞬。

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ここも、古い金庫などが
置いてあるくらいで ↓

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これといった企画もなく
コーヒーすら飲めず…😥

駅への途中、腹ペコで
うどんを食べたが
コンビニのうどんの方が
ずっとおいしいくらい。

お城は素晴らしかったが
街全体としては

「もっと創意工夫に尽力してほしい」

と言いたくなった。

駅舎に入る寸前に雨がパラパラッ…

天の神様
ありがとうございました〜っ。
2

2021/6/2

別子銅山 その周辺  史跡

東平を後にし、道の駅マイントピア別子に。
ところが、カメラの充電切れ…😥

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やむなく、このサイトから頂戴した。

週末はマイクロバスが
ここから東平まで
往復しているが

平日は5人以上の予約がないと
走ってくれないので
タクシーを利用したというわけ。

山岳鉱山鉄道の85%の大きさの
復元列車が走っているので
乗車券を購入。

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乗客は我々2人だけで
気持ちよく乗っていたのに
5分足らずで終点😮

これで往復1,300円! 高っ!

降りて「入口」と
書かれている方向に歩いて行くと
坑道の入り口にちょんまげ姿の
男性の人形が立っている。

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 この時は充電が復活し
 これ1枚だけ撮れた。

この人形のモデルは
有望な鉱床を見つけた
坑夫長兵衛さんで

ここは、1690年(元禄3年)に
最初に銅の鉱脈が発見された所。

皆で歓喜の声を上げたそうで
歓喜坑と名付けられたのだと。

この中では、江戸時代の
鉱山の様子が残されいて

絵・人形・解説パネルなどが
たくさん掲示されていて、よくわかる。

さらに進むと
明治〜昭和の鉱山の様子が
ジオラマで再現。

鉱山列車・ケーブル・牛
ベルトコンベアが動いていて
子どもから高齢者まで
よく理解できる。

帰りは電気機関車が先導。

坑内見学は無料なので
乗っている時間はわずかなので
往復1,300円は、まぁ妥当。

コロナ禍以前は、お客さんで
いっぱいだったそうなのに
往復とも乗客は我々2人だけ。

タクシーの運転手さんも
1日に駅と東平を3往復したくらい
忙しかったそうだが

今年に入ってからは
我々を乗せたのが初めてだと👀‼️

あぁ〜気の毒。

その後、旧広瀬邸と

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邸宅の裏庭に建てられている
広瀬歴史記念館を見学。

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広瀬宰平氏は、明治初期に
西洋の進んだ技術を取り入れて
別子銅山を近代化させた人。

それが、現在の新居浜の基礎を作り
日本の近代工業を
推し進めることにつながった。

世界遺産となった
石見銀山は、遠くて
交通の便も悪く
人が多かったこともあり…

とにかく、しんどかった。
それしか記憶にないくらい。

その点、別子銅山は交通の便も良く
見ごたえもあり、景観も素晴らしい。

公害や大規模な労働災害を
起こすこともなく

近代日本を築く上で
多大な役割を果たしたことが
よく理解でき、感動の連続。

「世界文化遺産に」と
あちこちに書かれていたが

ぜひ、なってほしい。
多くの人に見学してほしいと思った。

タクシーでホテルまで運んでもらい
延長時間分の料金を支払い
あぁ〜、よかった〜。
2

2021/6/2

東洋のマチュピチュ 別子銅山  史跡

6/2(水)、ホテルから新居浜駅まで歩き
駅前でタクシーの運転手さんに
別子銅山観光のチャージを伝えると

「駅でクーポンを買うと安くなる」

と教えてもらい切符売り場で
7千数百円で購入。
これで、2時間半乗車できる。

最初に別子銅山資料館に。

5/31までコロナ禍で閉館していたが
6/1から開館し、ラッキー。

サツキだろうか?
見事に手入れされている。

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ここで別子銅山の歴史などの
基礎知識を入手。

鳥居は大山積神社。

ここに、SL・ディーゼル(?)
機関車が展示されている。

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建物も塀も全て石積み。

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岩石名もわからないのが悲しい😥
タクシーで東平(とうなる)に向かう。

勇壮な山を眺めながら

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険しくすれ違い困難な
山道を進み、東平に到着。

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まずは東平歴史資料館に。

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東平には、昭和48年の閉山まで
最高5000人もの人が住んでいて

社宅や病院はもちろん
私立住友東平小学校・同中学校
娯楽館・プール・鉄道と

東寺としてはとても
近代的で文化的な街で
大人は働き、子どもは学んだ。

驚くべきは
当時の人々の力の強さ。

この巨大なノコギリ。↓

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さらに驚くのは、作られた粗銅を
仲持(なかもち)と呼ばれた
担ぎ手さんが
男性で45kg、女性で30kgを背負って
十数kmもの険しい山を運んだと👀‼️

その類似体験ができるコーナー。

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台から浮かすことすら
できないだろうとの予想に反して
浮いた\😄/

でも、「2〜3mすら歩けない!」と感じた。

それからシアターに。

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資料館で見たことなどが
映像と音声で、わかりやすく。

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さっきのSLが走っていた姿も。

銅の鉱石や植物などの
展示品に混じって

キラキラ輝く調理具や
アクセサリーも。

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歴史資料館を出て、小マンプに。

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この中西当時使われていた
ブルドーザーのような重機などを
見ることができる。

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そこから、旧第三変電所と言われる
営業本部事務所(?)へ。

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きれいに植林された杉の周囲には
オオバコなどが生えている広場。

放っておけば草ボウボウになり
実生の雑木つる性植物で
大変なことになるのに

見事に整備されている。

木の根元にも岩石が積んである。
何十年、いや、何百年前から?

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巨大な岩石も!

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あぁ、タモリのような
岩石の知識がないことが悲しい。

見たことにない可愛い花もいっぱい。

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駐車場に戻って
旧インクライン クリックすると元のサイズで表示します

220段の長大階段を降りると
貯鉱庫跡

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その前で、オートシヤッターで記念撮影。

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石楠花がきれい。

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この下に、索道基地跡があるのだが
道もわからず、体力的にも難しく

タクシーへと戻った。

残念😥 なので写真だけ。

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9

2021/4/20

小樽観光 -2- 人力車で鰊御殿に  史跡

小樽港から駅に向かっているはずなのに
駅が見えて来ない…。

なんだか疲れてきたところに
目に入ったのが

元気な人力車の車夫姿の
オニイチャンの笑顔。

「僕、今日が初仕事なんです!」

「それじゃぁ、ご祝儀として
 乗ることにしよう」と思って

「鰊御殿まで、片道でもいい?」と尋ねたところ

「モチロン片道でもいいです。
      45分で行きます!」と。

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ところが傍にいた先輩が
(後で聞いたところ、小樽の支店長)

そんな遠いところまで行ったことはなく
ましてや新入り社員に…と

自転車で後ろからついて行くことになった。

私が先ほど歩かなかった北運河を
新米車夫 中峰君は、解説しながら進む。

これは小樽では珍しいコンクリート作りで
つい近年まで使われていたのだと。↓

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九州の軍艦島と並ぶ
国内最古のコンクリート建造物で
いつまで形をとどめられるか…?

あたかも実験中のような状態。

次々に撮影してくれて、ガス灯の下でも。
そのたびに空手のポーズで気合。

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旧渋沢倉庫⇒クリックすると元のサイズで表示します

必死にカメラを向けている私が
ガラス戸に写っている!

なんと私らしい😄 ↓

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   ↑
渋沢栄一の写真が貼ってある。

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小樽運河は直線ではなく曲線
世界的に見ても、とても珍しいのだと。

これは、掘ったのではなく
今の海と今の運河の間を
埋め立てて作った運河。

その時に、曲線になったらしい。
ということは
大阪の中之島も同様なのでは…?

ここから北は運河の幅が広くなる。
南は道路を作るために
狭くなったため。

ここが運河の北端。 ↓

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この辺りには観光客の姿は全くなく
トンネルを3つぐくり抜けると

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鰊御殿こと小樽貴賓館(旧青山別邸)

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広い豪邸。全てが豪壮・豪奢

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見学出来るのはこちらで、ここから入る   ↓

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中峰君は小樽で生まれ育ったのに
入ったことがないのだと。

私は1,100円払って入り
中峰君は無料。良かったね〜😄

館内には素晴らしい家具や什器
美術品などがいっぱい
展示されているが撮影禁止

枯山水の庭は撮影可で
ガラスにレンズを当てて撮影。

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京都の善峯寺を彷彿とさせる松。↑

海も見える。 ↓

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門のすぐ内側にある石狩挽歌の石碑

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この歌詞の小樽が見たくて
来たくらいなのだから

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どうしても番屋らしい番屋を見たい。

ということで、昼食より番屋。
貴賓館で昼食を摂り
バスで帰ろうと思っていたのに…

昼食抜きで、時間延長で
番屋に向かってもらうことにした。

人力車無理なほどの急坂を
頑張って歩いて
着いたのは小樽市鰊御殿。

海辺にあったのを
高台に移設したもので
入館料は300円

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玄関の上は吹き抜け

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ニシン漁の船の船尾に

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張り付けられていた装飾板

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こちらはNKの朝ドラ
「マッサン」の撮影地かと思うくらい
そっくりで、まさに、番屋!

漁や加工に使われた道具類
番屋で年間を通して
暮らしていた人々の
生活の様子がよくわかる。

鰊が来なくなって
昭和28年でニシン漁は
消えたと言われるが

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近年でも、メスが産卵した後
オスの白子で
海が真っ白になることがあって

これを群来(くき)と呼ぶのだと。

ようやく帰途。運河近くにある
今は使われていない
道内最古の鉄道、幌内鉄道の軌道に。

レールが今も残っている。

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札幌まで続いていたそうで
ここは、手宮駅⇔色内駅の間。

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ここでも記念撮影。

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小樽駅に戻る途中に
立派なうだつの上がった建物 ↓

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ここを左に曲がると
あれっ
私が最初に撮った家屋!

店と商家とがつながっていたんや〜。

隣の屋根を取り除いた跡が
倉庫の壁についているのが
たくさんあったのは
こういうわけやったんや〜。

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ここで最後の記念撮影。かしこまって。

時折強風が吹き
乗っているだけの私は
寒いくらいだったが
中峰君のシャツは汗ビショ。

私は予定外の大出費(3万円余り)
となったが
息子に私の遊び相手をさせようと思ったら
こんな額では済まない。

タクシーをチャーターする方が
安いが
人力車も風情があっていいものだ。

豪華特急列車にも
乗ったことがないし
乗りたくもないし

自動車の免許を取りに行く
時間とお金を考えても…

まあ、それよりは安い出費でしょう。

中峰君、お疲れ様!
大変な仕事デビューだったね〜。
11

2021/3/9

賀名生 南朝皇居  史跡

賀名生梅林ハイクの後
昼食会場は
南北朝時代、南朝の
後醍醐天皇らが移り住んだ
賀名生皇居跡である「堀家住宅」

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表門には、 ↓ 重要文化財

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 南朝在世 賀名生 皇居 ↑ と掲げられている。

門をくぐると、立派なかやぶきの家。

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         ↑
(これは食後に添乗員さんに撮ってもらった)
         ↓
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今は、内部で KANAUという
レストランが営業している。

足利尊氏が幕府を開き
建武の新政に抵抗した足利尊氏によって
後醍醐天皇・阿野康子・北畠親房らは
京都⇒比叡山⇒吉野 ↓

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(この写真は2018/4/5吉野の花見時に撮影)

さらに、吉野を追われて⇒賀名生へと移動。

我々が近場を旅をすると
笠置温泉・敦賀の金崎ケ崎城・吉野など
あちこちで南朝関連の遺跡に出会う。

そのたびに、説明書きを読み
ネットで調べて読んでも
難しくて南北朝時代について理解できなかった。

だが、つい3/7に最終回を迎えた
大河ドラマアンコール放送
「太平記」を視聴して
やっと少し理解できた。

堀氏は南朝の人々を邸宅に迎え
手厚くもてなし
邸宅はその後
3帝(後村上・長慶・後亀山天皇)の
皇居として使用された。

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私と夫と、もう一組の夫婦の    ↑
卓上の天井には、槍が置かれている。↓

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これは武器? それとも儀式用? ↑

鎌倉末期〜南北朝時代は
日本の歴史でも最悪。

裏切りの連続
最多の殺し合いがあった時代?

南北朝時代が幕を下ろしたのは
3代将軍、足利義満の時代。

尊氏や弟の直義、重臣らが
幕府の目的や戦略を
明確に持って行動していたら

あれほどの果てしなき戦は避けられ
もっと生産力・文化の高い
日本になっていたやろに…。

太平記を見ていて、後半
ずいぶんとイラつき

『私本 太平記』(吉川英治)を
読まなくては…と、思いつつ読めない私😥

テラス席からは
山々や激流を楽しめるが、寒い。

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かなり待って
ようやく運ばれてきたのはイタリアン

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どの料理もオリーブオイルがたっぷり。
夫はピザは半分残していたが…、私は完食。

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鴨ロースは3切れあればいいんやけど…。

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さらには、スパゲッティ

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とどめに、甘い梅ソーダと
チョコレートケーキ2切れ。
これも1切れでいいよ〜。↓

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でも、すべからく完食する
貧乏性な私。

2〜3日分くらいの炭水化物
油分を摂取し、お腹は超満腹。

ゆっくり1皿ずつ出てきたので
ずいぶん昼食に時間がかかった。

行ってみたいと思った
北畠親房墳墓にも行けず

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歴史民俗資料館も見られず…。

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我々の食事も
添乗員・運転手さん同様
1皿ランチでいいのに〜。

昼食時間が短ければ
チラッとでも見られたかも…

でも、迷子になって
皆さんに迷惑をかけた身なので
そんなことも言えず…😥

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後ろ髪引かれる思いで
南朝皇居を後にした。
6

2021/2/6

晴明神社  史跡

53年間も京都で暮らしているのに
初めて渡った一條戻橋

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堀川通りの東側を北進すると
「一條戻橋・晴明神社」のバス停

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美しく立派で広い。
こんなバス停あまり見たことない。

堀川通りの東側から見た晴明神社の鳥居

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ところが、横断歩道がないため
そのまま北進し

元誓願寺橋のところまで歩くと

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横断歩道があり、広い堀川通を渡ると
全く車の姿が見えない👀‼️

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これもコロナ禍のせい?
堀川通西側を南進し晴明神社へ。             ↑
            ↓
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右手側の狛犬と

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左側の狛犬の間を進むと

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左側に式神の石像と古い戻り橋
 ↓
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式神とは ↓

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ここにある戻橋は大正から平成まで
実際に使われていたものをここに復元したのだと。

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この橋を渡り

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道路を1本渡ると、2つめの鳥居があり
正面に本殿が見える。 ↓

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陰陽師(天文学者)である
阿倍晴明を祀る神社にふさわしく

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全てに☆印がついている。

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手水はコロナで使用禁止。
そして、あちこちに消毒用アルコールが。

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本殿に向かって左に晴明像

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安倍晴明の人気は高いし
羽生結弦ファンの聖地となっているそうで
参拝者はコロナ禍でもけっこう多い。

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本殿に向かって右には厄除け桃と、御神木。

木の根元には参拝者が上れる
台が設置されている。

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そこに立って「手を樹皮に当て
「木の力を感じ取ってください」と書かれている。

木の下で記念写真。ヒドイ写真だが
ここに来たという証拠としてUP

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御朱印をもらう建物内に
掲げられていた絵を撮って帰途に。
3

2021/1/29

黄檗 萬福寺  史跡

黄檗(おうばく)駅で降りて
徒歩5分もかからないくらいで
萬福寺の総門に到着。

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萬福寺は禅宗の一つ 黄檗宗の大本山。

開かれたのは1661年
4代将軍徳川家綱の時代。

平安京発足期に開かれた
京都の東寺のようには古くはない。

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東寺より新しい臨済宗や曹洞宗のお寺は
日本風なのに
それらより新しい萬福寺は中国風(明朝様式) ↑

総門の次の門が三門 ↓

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ここに伽藍の地図が掲示されている。何と広大!  ↑
これを今から全部見て回る体力はないわ〜。  ↓

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ここで拝観料を払い、リーフレットをもらい
とにかく有名な木魚を見たく クリックすると元のサイズで表示します
どこにあるのかを教えてもらった。

中国風のお寺に
七福神の一人、布袋(ほてい)さん? ↑

ミスマッチな感じがするが
京都府内の7カ所の寺社の七福神を巡る
都七福神(みやこしちふくじん)巡りの
巡礼札所となっているのだと。

三門の次にある、この天王堂に ↓

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布袋さんがど〜んと座っておられる。
    ↓
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七福神が乗っている舟は
莫大な富を持つ倭寇舟がモデルだと
聞いたことがあり
「なるほど」と思っていたが

これによると七人の出身は
日本の土着宗教
インドのヒンドゥー教
中国の仏教・儒教

と、国際色豊かなようだ。

天王堂の前には優美な水の器

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流れ落ちる水で手を洗う?

天王堂の次は大雄宝殿(本殿) ↓

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                ↑
その正面には、完璧なほど中国風の香炉
              ↓
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大雄宝殿の中には十六ならぬ十八羅漢が
ズラリと並んでおられる。

半数は中国・日本人的なお顔で
半数はインド・アラビア・アフリカ的。

これらを見ていると、仏教とは
遠い異国から発展しながら日本に伝えられ
日本に着いてからも
どんどん発展・進化しているのだとわかる。

大雄宝殿から右に曲がると
斎堂(食堂)があり
その回廊には萬福寺のシンボル ↓

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木魚の原形となった開梛(かいぱん)
-魚梆(ぎょほう)とも-

カメラ・スマホが置ける台が置いてあり  ↑
自撮りで記念撮影できるようになっている。↓

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色が変わっているところを
打ち鳴らして、時を報ずるためのもので
現在も使用されている。

かなり新しいことを思うと
これまでに何度も作り直されたのだろう。

私の後ろが売店になっていて
赤い毛氈の腰かけに座って
コーヒーが飲めるようになっている。   ↑

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コーヒーの紙コップにも開梛の絵が。↑

萬福寺を開いたのは
中国明の僧・隠元(いんげん)禅師で
日本における「煎茶道の祖」。

木魚だけでなく
普茶料理・インゲン豆・スイカ
レンコン・孟宗竹(タケノコ)なども
隠元禅師によって
導入・普及されたものなのだと👀‼️

境内には中国風(明朝様式)の門と
卍崩しの欄干がついた文華館。   ↓

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でも、休館中のよう。コロナのため?

天王殿に戻って、左側に伸びる回廊を進むと
          ↓
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大雄宝殿などの屋根の勾配がとても強く ↓
これも明朝様式?

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回廊の途中に鐘楼があるのも明朝様式? ↓

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眞空塔と書かれている塔 ↓

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隠元禅師の像がどこかに
あるらしいが、わからなかった。
公開されていないのも?

尋ねてさらに歩き回る体力はなし。
なのに
売店や三門に生けられている
蠟梅の花が気になる。

相当大きな木でないと
大きな花をたくさんつけた枝は切れない。

きっと境内にあるはずと思って
尋ねたところ、天真院という塔頭(たっちゅう)に
あることが分かった。

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ところが「観光不可」と書かれている。

が、浄財を入れ、蠟梅の木を撮影。
さすがに大きな木、花もいっぱい。 ↓

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中国風のお寺には蠟梅がよく似合う。

帰ろうと、放生池のところまで来ると
望遠レンズ付きの立派なカメラを持った
高齢男性が二人「おっ、来た来た」と。

「何を狙っているんですか?」と尋ねると

カワセミだった。 ↓

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私のカメラではこの程度にしか撮れず…😥

この日、人生初乗車の、京阪宇治線 ↓

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中書島→丹波橋→近鉄丹波橋→生駒に帰宅。

仕事での移動時
生駒⇔京都、生駒⇔大阪 は

緊急事態宣言後も
あまり変わりなく混んでいる。

でも、お寺も電車もガラガラ。

お寺もお土産屋さんも
収入減で大変でしょうね。
5

2021/1/28

宇治 平等院  史跡

1/28(木)は何の予定もない日。

10時ころに突然思い立って
宇治の平等院と
黄檗の萬福寺に行くことにした。

学生時代から行きたいと思いつつ
京都からも生駒からも
半端に遠くて不便なので、行ったことがない。

「自分の足で歩けるうちに
 目が見えるうちに、行かないと」

と、思うようになってきたので
未練を残すことなく

「まだ行ったことのない所には行っておこう!」と。

幸い、夜中は降っていた雨もあがり
寒くもなく、風もないお出かけ日和。

近鉄大久保駅から京阪バスに乗り換え
宇治の総合庁舎前で降りて、ゆっくり歩いて…。

生駒駅から1時間で
710円しかからないのにねぇ。

平等院のHPによると、新型コロナ対策として
表門だけを開けているとのこと。 ↓

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600円の拝観料を払って ↑
門をくぐってから、振り返って撮影。

藤棚の奥に見えるのは観音堂。

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そういえば、藤の季節がお勧めと
聞いたことはあったが
なかなか、そうはいかない。

鳳凰堂の内部の拝観は別料金で300円
1回に15人までで、10分ほどの待ち時間。

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その間、辺りを撮影。

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鳳凰堂内部は撮影禁止なので
リーフレットを撮影。
阿弥陀如来坐像と二重天蓋(国宝)
         ↓
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阿弥陀様の周囲を取り囲む      ↑
雲中供養菩薩像(国宝)    ↓

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15分足らずで鳳凰堂から出て
池の対岸に向かい

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鳳凰堂の真正面に。
屋根の上の鳳凰が美しい。↓

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これが平安時代から一度も
火災に遭うこともなく残っているとは…すごい。

鳳凰堂内で聞いた通り
格子の窓から阿弥陀様のお顔が見えた!
             ↓
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夜、ライトアップで見てみたい。

「疫病病魔退散」「被災黄難復旧」の祈願も。↓

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こちらの木は桜のよう。
         ↓
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桜・藤・紅葉がきれいな季節は
多くの人で鳳凰堂内部の拝観待ち時間は長そう。

今は、コロナ禍でもあるので人は少ない。
でも、思ったよりは多い。さすが平等院。

鳳翔館ミュージアム内では
仏像や建物などの創建当時の色彩や
宝飾が復元されていて
あまりの美しさに、目を見張るばかり。

たくさんの雲中供養菩薩像も
しぐさや指先まで見事。見ごたえあり。

鳳翔館を出て
鳳凰堂の裏を通って表門に。

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宇治橋を渡って

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京阪宇治駅から乗車、黄檗に向かった。
7

2019/4/28

壺阪寺  史跡

高取城址からの帰途、壺阪寺奥の院
五百羅漢の方に歩くと、
もっと年季の入った羅漢さんかと思いきや…、

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新しい小さなお地蔵さんや
観音菩薩像なとがきれいに整列している。

岩に刻みつけられた無数に石仏は見つけられず、
そのまま進み舗装道路に出て少し歩くと
壺阪寺に戻った。園芸種の花々もきれい。

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白鳳時代に建てられたという古刹で
この有名なセリフの舞台となったところだと
初めて知った。

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また、眼病封じ観音として信仰され、

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盲老人ホーム慈母園が、境内に建てられている。
        ↓
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境内にはいろいろな石仏。
      ↓
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                       ↑
寒くなってきたのでパーカーを着て記念撮影。

20数年前の、長男からの“お上り”で、
左胸には ロサ モタ のサイン入り。

歳をとると「あぁ、この時はこんな服装で行ったんや」と
着ていた服も懐かしくて、記念に残しておきたくなる。

仁王門の前には仁王さんの下駄。

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門の下には、仁王門修理事業の募金箱があり
千円募金すれば手形を持って帰っていいと書かれている。

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奉加帳を見ると夫の名がないので、
2人の名を書いて、2千円を寄進。

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眼がどんどん弱っていくのが不安で、
あちこちに浄財を投入しながらお参り。

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インドとの結びつきが強いようで
ガンジーの教えがお寺に!

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この巨大な石仏は、

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インドで作られて運ばれて来たのだと!

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とても日本的な仏像だと思ったのに…、
日本人好みに作ってもらったのかな?

14:30のバスに乗り、
その後は乗り継ぎ良好だったが
腹ペコ、疲れ果てて帰宅した。
3

2019/4/28

高取城址  史跡

10連休は夫婦一緒に旅する予定はなし。
私はうち5日間は施術。

夫は北陸街道を歩く予定だったのに
宿が取れず、湖北で小鮎釣りのみだと。

4/28(日) 1人で高取城址へ、行くことにした。
夫は27(土)に近鉄電車で行って来たとのことで。

橿原神宮駅で吉野行きに乗り換え、
壺阪山駅で降り、奈良交通バスに乗り換え、
壺坂寺で降り、入山料600円を支払い、

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お寺巡りは下山後として、

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駐車場の奥から坂道を歩き始めたのが11:30。
巨大な石仏を眺めながら、

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かなりきつい勾配の舗装道路を
城址までの2.8kmり道のりを進む。

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ここから土の山道に変わり、

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「毒蛇の発生に注意せよ」などと!
毒蛇は“発生”するもの?

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すぐに石垣が見え始め、

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「日本最強の城」と書かれた幟旗が
駅からずーっと、あちこちに立っている。

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           ↑
本丸に近付くと「芙蓉姫」と名付けられた、
途中から二股になっている御神木の杉の大木。
     ↓
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いくつもの石垣の間を歩いて行き

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本丸跡の広場に着いた。南の十津川方面 ↓

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一番高い天守台跡(?)から ↓

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夫は「ほとんど人はいなかった」と言っていたが、
今日はかなりの人出。夫は朝早くに登ったためかも?

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       ↑
帰り道の途中、この看板の前で記念自撮り
           ↓
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三大天空の城(備中松山城・竹田城越前大野城)には登ったが、
三大山城には、美濃岩村城があげられている。

天空の城と山城はどう違うの?

どちらにも入っている備中松山城は
急峻な山の上で、建物も残っていて、
見ごたえは抜群だった。

まだ行ったことがない美濃岩村城にも行ってみたい。

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こんな写真も掲示されていたが、
明治20年に建物はすべて取り壊されたとのこと。

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                  この本には ↑

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        ↑
このような写真も載っているが、
これだけの大規模な、最強の山城を
作らねばならなかった理由は?

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秀吉が吉野の杉を手中に収め、
熊野・伊勢に睨みをきかせるため?

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道中、スミレ色の小さな花々を撮影。

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夫はバスに乗らず、壺阪山駅から歩き、
私とは違う登山道を歩き、
壺坂寺には参詣していないとのことだが…、

そんな長時間、歩くのは嫌や。
一人だと自分のペースで進めるのがいいね。
4

2018/11/21

波賀城@宍粟市  史跡

浄土寺を出発し、コスモスの花を見ながら走り

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中国道を通って、宍粟市の山崎インターを出ると
ホテルに入るには早すぎるし、それに、
明日は雨だというので、波賀城史跡公園を目指すことに。

どんどん北に走り、まずは“道の駅みなみ波賀”で
巨大な柿“太郎丸”などを購入。

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そこで夫は
「普通車がすれ違える広さの道路がある。
 お城の近くまで行ける」と聞いたため、
楽勝で行けると車を進めた。

私はネットではかなり怖い道と読んだが…、

実際はどうだろうかと心配しながら
家が立ち並ぶところから、ちょっと進むと

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    ↑
「災害のため、波賀城へは登城はできない」と。

車は通れないが、「歩けるところまで行こう!」と
歩き始めると、間もなく、
約60mほどがこの状態。7月の豪雨のためだろう。
    ↓
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                       ↑
でも、この区間だけで、あとはきれいな舗装道路。
しかし、なかなかの急坂でしんどい。

25分間の登坂の後、15:50ようやくここまで来た。

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崩れかかった藁屋根の家には誰もいない。
入山料を徴収する人も箱もない。

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  ↑
この木の門をくぐり、下ったり上がったりしながら進むと
      ↓
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「立ち入り禁止」の看板。しかし、右折する道は進めた。
           ↓
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道はさらに急になり、足元に白いものがいっぱい。
お城の漆喰が台風の風で落ちたようだが…、

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やっと下界が眼下に広がった。

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小さな櫓のようなお城と石垣と塀がある。
漆喰は真っ白できれい。
              ↓
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              ↑
最近修理をしたみたいだが…、
車は通れないのに、どうやって修理したのだろう?

ここからさらに登り山頂へ。小さな祠がある。
              ↓
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降りながら屋根を見ると、瓦葺ではなくて板葺。
              ↓
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他では見たことがない珍しい石垣の積み方。
           ↓
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とても古い積み方であることがわかる。
           ↓
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16:05。ここまでで40分、疲れたが
暗くならないうちにと、休むことなく下山。

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          ↑
下りは紅葉を上から見るので
登りの時とは見え方が違う。

16:35、無事に車まで戻れた。やれやれ。
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2018/10/8

興福寺中金堂再建落慶慶讃法要  史跡

9月に入った頃だったろうか?
夫が「招待状が届いてるし、興福寺に行こうや」と。

私は何のことかよくわからず、
日程表を見ると、10/8(月)なら行けるとなった。

このブログを始めた後か?
前だったか? その頃のお正月に
阿修羅像を見に興福寺に行ったことがある。

その時に、夫は建物の改築のために
1万円を寄付をしたらしい。

その建物が、中金堂(ちゅうこんどう)であり
お礼として
落慶慶讃法要の招待状が届いたというわけ。

10/7(日)に(関係者のみ?)3,000人で
法要がおなれたようで
中金堂の屋根を飾る鴟尾(しび)の
除幕が行われたことが
TVニュースで放映されていた。

8(月) 8時半に家を出て、近鉄電車で奈良に。

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9:10には奈良公園内にある興福寺に到着

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8(月)〜11(火)は寄付した人を招いて
さまざまなお寺のご山主が
参加して法要が営まれる。

20(土)からは一般公開

受付を済ませ席を確保。
法要開始は10時からなので、

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私は写真を撮ったりお茶を買いに行ったり。夫はここに。↑
    ↓
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10時になると司会の男性の美しい声が響き渡る。
「なんて上手!」と思ったら

NHKのアナウンサーやって!
そりゃ〜、上手いはずや〜。

美しい衣をまとった各山の山主や
雅楽隊が座に着き

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舞楽・舞楽が奉納。
雅楽隊も太鼓もすぐ近くなので迫力満点。

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NHKの大きなカメラがあちこちに陣取り
クレーン車かと見まがうくらいの
巨大な装置でも撮影。

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それがスクリーンに映し出され
献茶の様子や
献書の巨大な字もよく見えた。

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岡寺ご山主による唄匿(ばいとく ばいのく)
法要の初めに身心を静めるために唱えられる唄や

その後、高い屋根の上から散華

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興福寺の多川貫首から挨拶

「興福寺は藤原の不比等により創建されて1300年
 火災・再建の繰り返しで
 中金堂は300年ぶりに再建された」
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        奈良県知事荒井正吾氏から祝辞 ↑

実におおらかと言うか、
細かなことにはこだわらない人だとわかる挨拶。

建立…「こんりゅう」を「こんりつ」
玄奘三蔵…「げんじょうさんぞう」を
     「げんしょうさんぞう」
中国・韓国…この場合、中国・朝鮮と言うべきでしょう?

藤原道長の有名な歌…
 「この世をばわが世とぞ思う望月の
  欠けたることもなしと思えば」
  …私でもサラサラと言えるのに…(*_*;

般若心経とは…「細かいことにはこだわらなくていいとの教え」

〆は…
「中金堂がよく見えるよう
 県庁の食堂に南窓を作った。
 500円の定食を食べに来て
 中金堂を眺めてください」と。

朗らかなご挨拶に
私もすっかり楽しくなって
挨拶が終わると無意識のうちに
拍手をしていた。

それにつられたのか
周囲からも拍手が沸き起こった。

東大卒の元官僚だそうだが
こんなキャラの人がトップだと
上手くいくこともあるのだろう…と思った。

それから、4人の男性による舞楽。
前列の2人は30歳くらい?

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足腰が安定していて、

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緩急・静動のキレが良く、ほれぼれ。

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焼香には興福寺婦人会の会長・副会長も。
なんとなく、女性はこんな壇上に
上がらせてもらえないと思っていたのに、
ちょっと意外、驚き。
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とにかく日差しが強烈で暑い。
重い着物を着ている人も   ↑
カメラを回している人も大変だわ。

前半と太鼓を打つ人が変わった。
この人が雅楽の隊長? 圧倒的存在感。
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   ↑                    ↑
会場全体を見渡し、太鼓を打ち
全てを仕切っている感じ。

昨日の法要では舞楽を舞っている姿が
テレビで放映されていた。

12時ちょうどに法要式典が終わり、
西の席の人から順に堂内に。

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我々は東なので後。途中から行列の進行が止まり、

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 中金堂を背に、自撮りで記念撮影。
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鮮やかな中金堂と、渋い五重の塔とが対照的

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この中に安置されているご本尊の釈迦如来坐像などを見学。
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 柱の礎石と思われる石が多数並んでいる。

今は奈良公園の一部と化してしまい
天平時代はどこまでが興福寺だったのか
わからない。
どれほど広大やったんやろ?

とにかく今日のような経験は、
めったにできるものではない。

1万円以上の値打ちがあった。幸せ〜 o(^-^)o

ところで、巨大な柱に使われているのは
アフリカのカメルーン産のケヤキ。

環境破壊が進んだそうで、
現在はすでに伐採禁止になっている。

2階部分に使われているのはカナダ産のヒノキ

日本にはこのような巨木はなく
国産木材は全体の1%くらいしか使われていない。

今後はこれくらいの巨木を使わないと
建て替えられない神社仏閣があっても
もう建てられないということ。

クジラやアフリカゾウの保護も大切だが、
それ以上に木を保護しないといけないのでは…
と思うと、辛いものがある。

お腹がすいたので国宝館を見学する前に
昼食を摂ることとし、県庁前を西に進み

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とんかつ定食とアイスコーヒー。
それから戻って国宝館で阿修羅像をはじめ仏像などを見て
さらにオヤツを食べてから帰宅した。

興福寺・奈良公園・正倉院展…お勧めですよ!
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