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2021/4/20

小樽観光 -2- 人力車で鰊御殿に  史跡

小樽港から駅に向かっているはずなのに
駅が見えて来ない…。

なんだか疲れてきたところに
目に入ったのが

元気な人力車の車夫姿の
オニイチャンの笑顔。

「僕、今日が初仕事なんです!」

「それじゃぁ、ご祝儀として
 乗ることにしよう」と思って

「鰊御殿まで、片道でもいい?」と尋ねたところ

「モチロン片道でもいいです。
      45分で行きます!」と。

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ところが傍にいた先輩が
(後で聞いたところ、小樽の支店長)

そんな遠いところまで行ったことはなく
ましてや新入り社員に…と

自転車で後ろからついて行くことになった。

私が先ほど歩かなかった北運河を
新米車夫 中峰君は、解説しながら進む。

これは小樽では珍しいコンクリート作りで
つい近年まで使われていたのだと。↓

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九州の軍艦島と並ぶ
国内最古のコンクリート建造物で
いつまで形をとどめられるか…?

あたかも実験中のような状態。

次々に撮影してくれて、ガス灯の下でも。
そのたびに空手のポーズで気合。

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旧渋沢倉庫⇒クリックすると元のサイズで表示します

必死にカメラを向けている私が
ガラス戸に写っている!

なんと私らしい😄 ↓

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   ↑
渋沢栄一の写真が貼ってある。

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小樽運河は直線ではなく曲線
世界的に見ても、とても珍しいのだと。

これは、掘ったのではなく
今の海と今の運河の間を
埋め立てて作った運河。

その時に、曲線になったらしい。
ということは
大阪の中之島も同様なのでは…?

ここから北は運河の幅が広くなる。
南は道路を作るために
狭くなったため。

ここが運河の北端。 ↓

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この辺りには観光客の姿は全くなく
トンネルを3つぐくり抜けると

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鰊御殿こと小樽貴賓館(旧青山別邸)

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広い豪邸。全てが豪壮・豪奢

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見学出来るのはこちらで、ここから入る   ↓

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中峰君は小樽で生まれ育ったのに
入ったことがないのだと。

私は1,100円払って入り
中峰君は無料。良かったね〜😄

館内には素晴らしい家具や什器
美術品などがいっぱい
展示されているが撮影禁止

枯山水の庭は撮影可で
ガラスにレンズを当てて撮影。

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京都の善峯寺を彷彿とさせる松。↑

海も見える。 ↓

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門のすぐ内側にある石狩挽歌の石碑

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この歌詞の小樽が見たくて
来たくらいなのだから

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どうしても番屋らしい番屋を見たい。

ということで、昼食より番屋。
貴賓館で昼食を摂り
バスで帰ろうと思っていたのに…

昼食抜きで、時間延長で
番屋に向かってもらうことにした。

人力車無理なほどの急坂を
頑張って歩いて
着いたのは小樽市鰊御殿。

海辺にあったのを
高台に移設したもので
入館料は300円

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玄関の上は吹き抜け

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ニシン漁の船の船尾に

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張り付けられていた装飾板

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こちらはNKの朝ドラ
「マッサン」の撮影地かと思うくらい
そっくりで、まさに、番屋!

漁や加工に使われた道具類
番屋で年間を通して
暮らしていた人々の
生活の様子がよくわかる。

鰊が来なくなって
昭和28年でニシン漁は
消えたと言われるが

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近年でも、メスが産卵した後
オスの白子で
海が真っ白になることがあって

これを群来(くき)と呼ぶのだと。

ようやく帰途。運河近くにある
今は使われていない
道内最古の鉄道、幌内鉄道の軌道に。

レールが今も残っている。

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札幌まで続いていたそうで
ここは、手宮駅⇔色内駅の間。

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ここでも記念撮影。

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小樽駅に戻る途中に
立派なうだつの上がった建物 ↓

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ここを左に曲がると
あれっ
私が最初に撮った家屋!

店と商家とがつながっていたんや〜。

隣の屋根を取り除いた跡が
倉庫の壁についているのが
たくさんあったのは
こういうわけやったんや〜。

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ここで最後の記念撮影。かしこまって。

時折強風が吹き
乗っているだけの私は
寒いくらいだったが
中峰君のシャツは汗ビショ。

私は予定外の大出費(3万円余り)
となったが
息子に私の遊び相手をさせようと思ったら
こんな額では済まない。

タクシーをチャーターする方が
安いが
人力車も風情があっていいものだ。

豪華特急列車にも
乗ったことがないし
乗りたくもないし

自動車の免許を取りに行く
時間とお金を考えても…

まあ、それよりは安い出費でしょう。

中峰君、お疲れ様!
大変な仕事デビューだったね〜。
10

2021/3/9

賀名生 南朝皇居  史跡

賀名生梅林ハイクの後
昼食会場は
南北朝時代、南朝の
後醍醐天皇らが移り住んだ
賀名生皇居跡である「堀家住宅」

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表門には、 ↓ 重要文化財

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 南朝在世 賀名生 皇居 ↑ と掲げられている。

門をくぐると、立派なかやぶきの家。

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         ↑
(これは食後に添乗員さんに撮ってもらった)
         ↓
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今は、内部で KANAUという
レストランが営業している。

足利尊氏が幕府を開き
建武の新政に抵抗した足利尊氏によって
後醍醐天皇・阿野康子・北畠親房らは
京都⇒比叡山⇒吉野 ↓

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(この写真は2018/4/5吉野の花見時に撮影)

さらに、吉野を追われて⇒賀名生へと移動。

我々が近場を旅をすると
笠置温泉・敦賀の金崎ケ崎城・吉野など
あちこちで南朝関連の遺跡に出会う。

そのたびに、説明書きを読み
ネットで調べて読んでも
難しくて南北朝時代について理解できなかった。

だが、つい3/7に最終回を迎えた
大河ドラマアンコール放送
「太平記」を視聴して
やっと少し理解できた。

堀氏は南朝の人々を邸宅に迎え
手厚くもてなし
邸宅はその後
3帝(後村上・長慶・後亀山天皇)の
皇居として使用された。

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私と夫と、もう一組の夫婦の    ↑
卓上の天井には、槍が置かれている。↓

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これは武器? それとも儀式用? ↑

鎌倉末期〜南北朝時代は
日本の歴史でも最悪。

裏切りの連続
最多の殺し合いがあった時代?

南北朝時代が幕を下ろしたのは
3代将軍、足利義満の時代。

尊氏や弟の直義、重臣らが
幕府の目的や戦略を
明確に持って行動していたら

あれほどの果てしなき戦は避けられ
もっと生産力・文化の高い
日本になっていたやろに…。

太平記を見ていて、後半
ずいぶんとイラつき

『私本 太平記』(吉川英治)を
読まなくては…と、思いつつ読めない私😥

テラス席からは
山々や激流を楽しめるが、寒い。

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かなり待って
ようやく運ばれてきたのはイタリアン

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どの料理もオリーブオイルがたっぷり。
夫はピザは半分残していたが…、私は完食。

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鴨ロースは3切れあればいいんやけど…。

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さらには、スパゲッティ

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とどめに、甘い梅ソーダと
チョコレートケーキ2切れ。
これも1切れでいいよ〜。↓

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でも、すべからく完食する
貧乏性な私。

2〜3日分くらいの炭水化物
油分を摂取し、お腹は超満腹。

ゆっくり1皿ずつ出てきたので
ずいぶん昼食に時間がかかった。

行ってみたいと思った
北畠親房墳墓にも行けず

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歴史民俗資料館も見られず…。

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我々の食事も
添乗員・運転手さん同様
1皿ランチでいいのに〜。

昼食時間が短ければ
チラッとでも見られたかも…

でも、迷子になって
皆さんに迷惑をかけた身なので
そんなことも言えず…😥

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後ろ髪引かれる思いで
南朝皇居を後にした。
6

2021/2/6

晴明神社  史跡

53年間も京都で暮らしているのに
初めて渡った一條戻橋

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堀川通りの東側を北進すると
「一條戻橋・晴明神社」のバス停

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美しく立派で広い。
こんなバス停あまり見たことない。

堀川通りの東側から見た晴明神社の鳥居

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ところが、横断歩道がないため
そのまま北進し

元誓願寺橋のところまで歩くと

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横断歩道があり、広い堀川通を渡ると
全く車の姿が見えない👀‼️

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これもコロナ禍のせい?
堀川通西側を南進し晴明神社へ。             ↑
            ↓
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右手側の狛犬と

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左側の狛犬の間を進むと

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左側に式神の石像と古い戻り橋
 ↓
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式神とは ↓

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ここにある戻橋は大正から平成まで
実際に使われていたものをここに復元したのだと。

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この橋を渡り

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道路を1本渡ると、2つめの鳥居があり
正面に本殿が見える。 ↓

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陰陽師(天文学者)である
阿倍晴明を祀る神社にふさわしく

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全てに☆印がついている。

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手水はコロナで使用禁止。
そして、あちこちに消毒用アルコールが。

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本殿に向かって左に晴明像

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安倍晴明の人気は高いし
羽生結弦ファンの聖地となっているそうで
参拝者はコロナ禍でもけっこう多い。

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本殿に向かって右には厄除け桃と、御神木。

木の根元には参拝者が上れる
台が設置されている。

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そこに立って「手を樹皮に当て
「木の力を感じ取ってください」と書かれている。

木の下で記念写真。ヒドイ写真だが
ここに来たという証拠としてUP

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御朱印をもらう建物内に
掲げられていた絵を撮って帰途に。
3

2021/1/29

黄檗 萬福寺  史跡

黄檗(おうばく)駅で降りて
徒歩5分もかからないくらいで
萬福寺の総門に到着。

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萬福寺は禅宗の一つ 黄檗宗の大本山。

開かれたのは1661年
4代将軍徳川家綱の時代。

平安京発足期に開かれた
京都の東寺のようには古くはない。

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東寺より新しい臨済宗や曹洞宗のお寺は
日本風なのに
それらより新しい萬福寺は中国風(明朝様式) ↑

総門の次の門が三門 ↓

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ここに伽藍の地図が掲示されている。何と広大!  ↑
これを今から全部見て回る体力はないわ〜。  ↓

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ここで拝観料を払い、リーフレットをもらい
とにかく有名な木魚を見たく クリックすると元のサイズで表示します
どこにあるのかを教えてもらった。

中国風のお寺に
七福神の一人、布袋(ほてい)さん? ↑

ミスマッチな感じがするが
京都府内の7カ所の寺社の七福神を巡る
都七福神(みやこしちふくじん)巡りの
巡礼札所となっているのだと。

三門の次にある、この天王堂に ↓

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布袋さんがど〜んと座っておられる。
    ↓
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七福神が乗っている舟は
莫大な富を持つ倭寇舟がモデルだと
聞いたことがあり
「なるほど」と思っていたが

これによると七人の出身は
日本の土着宗教
インドのヒンドゥー教
中国の仏教・儒教

と、国際色豊かなようだ。

天王堂の前には優美な水の器

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流れ落ちる水で手を洗う?

天王堂の次は大雄宝殿(本殿) ↓

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                ↑
その正面には、完璧なほど中国風の香炉
              ↓
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大雄宝殿の中には十六ならぬ十八羅漢が
ズラリと並んでおられる。

半数は中国・日本人的なお顔で
半数はインド・アラビア・アフリカ的。

これらを見ていると、仏教とは
遠い異国から発展しながら日本に伝えられ
日本に着いてからも
どんどん発展・進化しているのだとわかる。

大雄宝殿から右に曲がると
斎堂(食堂)があり
その回廊には萬福寺のシンボル ↓

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木魚の原形となった開梛(かいぱん)
-魚梆(ぎょほう)とも-

カメラ・スマホが置ける台が置いてあり  ↑
自撮りで記念撮影できるようになっている。↓

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色が変わっているところを
打ち鳴らして、時を報ずるためのもので
現在も使用されている。

かなり新しいことを思うと
これまでに何度も作り直されたのだろう。

私の後ろが売店になっていて
赤い毛氈の腰かけに座って
コーヒーが飲めるようになっている。   ↑

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コーヒーの紙コップにも開梛の絵が。↑

萬福寺を開いたのは
中国明の僧・隠元(いんげん)禅師で
日本における「煎茶道の祖」。

木魚だけでなく
普茶料理・インゲン豆・スイカ
レンコン・孟宗竹(タケノコ)なども
隠元禅師によって
導入・普及されたものなのだと👀‼️

境内には中国風(明朝様式)の門と
卍崩しの欄干がついた文華館。   ↓

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でも、休館中のよう。コロナのため?

天王殿に戻って、左側に伸びる回廊を進むと
          ↓
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大雄宝殿などの屋根の勾配がとても強く ↓
これも明朝様式?

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回廊の途中に鐘楼があるのも明朝様式? ↓

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眞空塔と書かれている塔 ↓

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隠元禅師の像がどこかに
あるらしいが、わからなかった。
公開されていないのも?

尋ねてさらに歩き回る体力はなし。
なのに
売店や三門に生けられている
蠟梅の花が気になる。

相当大きな木でないと
大きな花をたくさんつけた枝は切れない。

きっと境内にあるはずと思って
尋ねたところ、天真院という塔頭(たっちゅう)に
あることが分かった。

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ところが「観光不可」と書かれている。

が、浄財を入れ、蠟梅の木を撮影。
さすがに大きな木、花もいっぱい。 ↓

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中国風のお寺には蠟梅がよく似合う。

帰ろうと、放生池のところまで来ると
望遠レンズ付きの立派なカメラを持った
高齢男性が二人「おっ、来た来た」と。

「何を狙っているんですか?」と尋ねると

カワセミだった。 ↓

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私のカメラではこの程度にしか撮れず…😥

この日、人生初乗車の、京阪宇治線 ↓

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中書島→丹波橋→近鉄丹波橋→生駒に帰宅。

仕事での移動時
生駒⇔京都、生駒⇔大阪 は

緊急事態宣言後も
あまり変わりなく混んでいる。

でも、お寺も電車もガラガラ。

お寺もお土産屋さんも
収入減で大変でしょうね。
5

2021/1/28

宇治 平等院  史跡

1/28(木)は何の予定もない日。

10時ころに突然思い立って
宇治の平等院と
黄檗の萬福寺に行くことにした。

学生時代から行きたいと思いつつ
京都からも生駒からも
半端に遠くて不便なので、行ったことがない。

「自分の足で歩けるうちに
 目が見えるうちに、行かないと」

と、思うようになってきたので
未練を残すことなく

「まだ行ったことのない所には行っておこう!」と。

幸い、夜中は降っていた雨もあがり
寒くもなく、風もないお出かけ日和。

近鉄大久保駅から京阪バスに乗り換え
宇治の総合庁舎前で降りて、ゆっくり歩いて…。

生駒駅から1時間で
710円しかからないのにねぇ。

平等院のHPによると、新型コロナ対策として
表門だけを開けているとのこと。 ↓

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600円の拝観料を払って ↑
門をくぐってから、振り返って撮影。

藤棚の奥に見えるのは観音堂。

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そういえば、藤の季節がお勧めと
聞いたことはあったが
なかなか、そうはいかない。

鳳凰堂の内部の拝観は別料金で300円
1回に15人までで、10分ほどの待ち時間。

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その間、辺りを撮影。

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鳳凰堂内部は撮影禁止なので
リーフレットを撮影。
阿弥陀如来坐像と二重天蓋(国宝)
         ↓
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阿弥陀様の周囲を取り囲む      ↑
雲中供養菩薩像(国宝)    ↓

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15分足らずで鳳凰堂から出て
池の対岸に向かい

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鳳凰堂の真正面に。
屋根の上の鳳凰が美しい。↓

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これが平安時代から一度も
火災に遭うこともなく残っているとは…すごい。

鳳凰堂内で聞いた通り
格子の窓から阿弥陀様のお顔が見えた!
             ↓
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夜、ライトアップで見てみたい。

「疫病病魔退散」「被災黄難復旧」の祈願も。↓

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こちらの木は桜のよう。
         ↓
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桜・藤・紅葉がきれいな季節は
多くの人で鳳凰堂内部の拝観待ち時間は長そう。

今は、コロナ禍でもあるので人は少ない。
でも、思ったよりは多い。さすが平等院。

鳳翔館ミュージアム内では
仏像や建物などの創建当時の色彩や
宝飾が復元されていて
あまりの美しさに、目を見張るばかり。

たくさんの雲中供養菩薩像も
しぐさや指先まで見事。見ごたえあり。

鳳翔館を出て
鳳凰堂の裏を通って表門に。

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宇治橋を渡って

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京阪宇治駅から乗車、黄檗に向かった。
7

2019/4/28

壺阪寺  史跡

高取城址からの帰途、壺阪寺奥の院
五百羅漢の方に歩くと、
もっと年季の入った羅漢さんかと思いきや…、

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新しい小さなお地蔵さんや
観音菩薩像なとがきれいに整列している。

岩に刻みつけられた無数に石仏は見つけられず、
そのまま進み舗装道路に出て少し歩くと
壺阪寺に戻った。園芸種の花々もきれい。

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白鳳時代に建てられたという古刹で
この有名なセリフの舞台となったところだと
初めて知った。

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また、眼病封じ観音として信仰され、

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盲老人ホーム慈母園が、境内に建てられている。
        ↓
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境内にはいろいろな石仏。
      ↓
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                       ↑
寒くなってきたのでパーカーを着て記念撮影。

20数年前の、長男からの“お上り”で、
左胸には ロサ モタ のサイン入り。

歳をとると「あぁ、この時はこんな服装で行ったんや」と
着ていた服も懐かしくて、記念に残しておきたくなる。

仁王門の前には仁王さんの下駄。

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門の下には、仁王門修理事業の募金箱があり
千円募金すれば手形を持って帰っていいと書かれている。

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奉加帳を見ると夫の名がないので、
2人の名を書いて、2千円を寄進。

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眼がどんどん弱っていくのが不安で、
あちこちに浄財を投入しながらお参り。

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インドとの結びつきが強いようで
ガンジーの教えがお寺に!

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この巨大な石仏は、

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インドで作られて運ばれて来たのだと!

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とても日本的な仏像だと思ったのに…、
日本人好みに作ってもらったのかな?

14:30のバスに乗り、
その後は乗り継ぎ良好だったが
腹ペコ、疲れ果てて帰宅した。
3

2019/4/28

高取城址  史跡

10連休は夫婦一緒に旅する予定はなし。
私はうち5日間は施術。

夫は北陸街道を歩く予定だったのに
宿が取れず、湖北で小鮎釣りのみだと。

4/28(日) 1人で高取城址へ、行くことにした。
夫は27(土)に近鉄電車で行って来たとのことで。

橿原神宮駅で吉野行きに乗り換え、
壺阪山駅で降り、奈良交通バスに乗り換え、
壺坂寺で降り、入山料600円を支払い、

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お寺巡りは下山後として、

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駐車場の奥から坂道を歩き始めたのが11:30。
巨大な石仏を眺めながら、

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かなりきつい勾配の舗装道路を
城址までの2.8kmり道のりを進む。

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ここから土の山道に変わり、

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「毒蛇の発生に注意せよ」などと!
毒蛇は“発生”するもの?

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すぐに石垣が見え始め、

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「日本最強の城」と書かれた幟旗が
駅からずーっと、あちこちに立っている。

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           ↑
本丸に近付くと「芙蓉姫」と名付けられた、
途中から二股になっている御神木の杉の大木。
     ↓
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いくつもの石垣の間を歩いて行き

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本丸跡の広場に着いた。南の十津川方面 ↓

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一番高い天守台跡(?)から ↓

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夫は「ほとんど人はいなかった」と言っていたが、
今日はかなりの人出。夫は朝早くに登ったためかも?

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       ↑
帰り道の途中、この看板の前で記念自撮り
           ↓
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三大天空の城(備中松山城・竹田城越前大野城)には登ったが、
三大山城には、美濃岩村城があげられている。

天空の城と山城はどう違うの?

どちらにも入っている備中松山城は
急峻な山の上で、建物も残っていて、
見ごたえは抜群だった。

まだ行ったことがない美濃岩村城にも行ってみたい。

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こんな写真も掲示されていたが、
明治20年に建物はすべて取り壊されたとのこと。

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                  この本には ↑

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        ↑
このような写真も載っているが、
これだけの大規模な、最強の山城を
作らねばならなかった理由は?

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秀吉が吉野の杉を手中に収め、
熊野・伊勢に睨みをきかせるため?

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道中、スミレ色の小さな花々を撮影。

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夫はバスに乗らず、壺阪山駅から歩き、
私とは違う登山道を歩き、
壺坂寺には参詣していないとのことだが…、

そんな長時間、歩くのは嫌や。
一人だと自分のペースで進めるのがいいね。
4

2018/11/21

波賀城@宍粟市  史跡

浄土寺を出発し、コスモスの花を見ながら走り

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中国道を通って、宍粟市の山崎インターを出ると
ホテルに入るには早すぎるし、それに、
明日は雨だというので、波賀城史跡公園を目指すことに。

どんどん北に走り、まずは“道の駅みなみ波賀”で
巨大な柿“太郎丸”などを購入。

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そこで夫は
「普通車がすれ違える広さの道路がある。
 お城の近くまで行ける」と聞いたため、
楽勝で行けると車を進めた。

私はネットではかなり怖い道と読んだが…、

実際はどうだろうかと心配しながら
家が立ち並ぶところから、ちょっと進むと

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    ↑
「災害のため、波賀城へは登城はできない」と。

車は通れないが、「歩けるところまで行こう!」と
歩き始めると、間もなく、
約60mほどがこの状態。7月の豪雨のためだろう。
    ↓
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                       ↑
でも、この区間だけで、あとはきれいな舗装道路。
しかし、なかなかの急坂でしんどい。

25分間の登坂の後、15:50ようやくここまで来た。

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崩れかかった藁屋根の家には誰もいない。
入山料を徴収する人も箱もない。

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  ↑
この木の門をくぐり、下ったり上がったりしながら進むと
      ↓
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「立ち入り禁止」の看板。しかし、右折する道は進めた。
           ↓
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道はさらに急になり、足元に白いものがいっぱい。
お城の漆喰が台風の風で落ちたようだが…、

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やっと下界が眼下に広がった。

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小さな櫓のようなお城と石垣と塀がある。
漆喰は真っ白できれい。
              ↓
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              ↑
最近修理をしたみたいだが…、
車は通れないのに、どうやって修理したのだろう?

ここからさらに登り山頂へ。小さな祠がある。
              ↓
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降りながら屋根を見ると、瓦葺ではなくて板葺。
              ↓
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他では見たことがない珍しい石垣の積み方。
           ↓
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とても古い積み方であることがわかる。
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16:05。ここまでで40分、疲れたが
暗くならないうちにと、休むことなく下山。

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下りは紅葉を上から見るので
登りの時とは見え方が違う。

16:35、無事に車まで戻れた。やれやれ。
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2018/10/8

興福寺中金堂再建落慶慶讃法要  史跡

9月に入った頃だったろうか?
夫が「招待状が届いてるし、興福寺に行こうや」と。

私は何のことかよくわからず、
日程表を見ると、10/8(月)なら行けるとなった。

このブログを始めた後か?
前だったか? その頃のお正月に
阿修羅像を見に興福寺に行ったことがある。

その時に、夫は建物の改築のために
1万円を寄付をしたらしい。

その建物が、中金堂(ちゅうこんどう)であり、
お礼として、落慶慶讃法要の招待状が届いたというわけ。

10/7(日)に(関係者のみ?)3,000人で法要がおなれたようで
中金堂の屋根を飾る鴟尾(しび)の
除幕が行われたことが、TVニュースで放映されていた。

8(月) 8時半に家を出て、近鉄電車で奈良に。

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9:10には奈良公園内にある興福寺に到着

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8(月)〜11(火)は寄付した人を招いて
 さまざまなお寺のご山主が参加して法要が営まれる。

20(土)からは一般公開

受付を済ませ席を確保。法要開始は10時からなので、

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私は写真を撮ったりお茶を買いに行ったり。 夫はここにいる。
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10時になると司会の男性の美しい声が響き渡る。
「なんて上手!」と思ったら、NHKのアナウンサーやって!
そりゃ〜、上手いはずや〜。

美しい衣をまとった各山の山主や、雅楽隊が座に着き

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舞楽・舞楽が奉納。雅楽隊も太鼓もすぐ近くなので迫力満点。

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NHKの大きなカメラがあちこちに陣取り
クレーン車かと見まがうくらいの巨大な装置でも撮影。

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それがスクリーンに映し出され
献茶の様子や、献書の巨大な字もよく見えた。

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岡寺ご山主による唄匿(ばいとく ばいのく)
法要の初めに身心を静めるために唱えられる唄や

その後、高い屋根の上から散華

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興福寺の多川貫首から挨拶
「興福寺は藤原の不比等により創建されて1300年、
 火災・再建の繰り返しで、中金堂は300年ぶりに再建された」
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             奈良県知事荒井正吾氏から祝辞

実におおらかと言うか、
細かなことにはこだわらない人だとわかる挨拶。

建立…「こんりゅう」を「こんりつ」
玄奘三蔵…「げんじょうさんぞう」を「げんしょうさんぞう」
中国・韓国…この場合、中国・朝鮮と言うべきでしょう?
藤原道長の有名な歌…
 「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
 …私でもサラサラと言えるのに…(*_*;
般若心経とは…「細かいことにはこだわらなくていいとの教え」
〆は…
「中金堂がよく見えるよう、県庁の食堂に南窓を作った。
 500円の定食を食べに来て、中金堂を眺めてください」と。

朗らかなご挨拶に私もすっかり楽しくなって、
挨拶が終わると無意識のうちに、拍手をしていた。
それにつられたのか、周囲からも拍手が沸き起こった。

東大卒の元官僚だそうだが、
こんなキャラの人がトップだと
上手くいくこともあるのだろう…と思った。

それから、4人の男性による舞楽。前列の2人は30歳くらい?

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足腰が安定していて、

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緩急・静動のキレが良く、ほれぼれ。

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焼香には興福寺婦人会の会長・副会長も。
なんとなく、女性はこんな壇上に
上がらせてもらえないと思っていたのに、
ちょっと意外、驚き。
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 とにかく日差しが強烈で暑い。重い着物を着ている人も
         カメラを回している人も大変だわ。

前半と太鼓を打つ人が変わった。
この人が雅楽の隊長? 圧倒的存在感。
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会場全体を見渡し、太鼓を打ち、全てを仕切っている感じ。
昨日の法要では舞楽を舞っている姿がテレビで放映されていた。

12時ちょうどに法要式典が終わり、
西の席の人から順に堂内に。

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我々は東なので後。途中から行列の進行が止まり、

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 中金堂を背に、自撮りで記念撮影。
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鮮やかな中金堂と、渋い五重の塔とが対照的

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この中に安置されているご本尊の釈迦如来坐像などを見学。
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 柱の礎石と思われる石が多数並んでいる。

今は奈良公園の一部と化してしまい
天平時代はどこまでが興福寺だったのか
わからない。
どれほど広大やったんやろ?

とにかく今日のような経験は、
めったにできるものではない。

1万円以上の値打ちがあった。幸せ〜 o(^-^)o

ところで、巨大な柱に使われているのは
アフリカのカメルーン産のケヤキ。

環境破壊が進んだそうで、
現在はすでに伐採禁止になっている。

2階部分に使われているのはカナダ産のヒノキ

日本にはこのような巨木はなく
国産木材は全体の1%くらいしか使われていない。

今後はこれくらいの巨木を使わないと
建て替えられない神社仏閣があっても
もう建てられないということ。

クジラやアフリカゾウの保護も大切だが、
それ以上に木を保護しないといけないのでは…
と思うと、辛いものがある。

お腹がすいたので国宝館を見学する前に
昼食を摂ることとし、県庁前を西に進み

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とんかつ定食とアイスコーヒー。
それから戻って国宝館で阿修羅像をはじめ仏像などを見て
さらにオヤツを食べてから帰宅した。

興福寺・奈良公園・正倉院展…お勧めですよ!
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2018/10/2

復旧中の熊本城  史跡

10/2(火)、生駒は気持ちのいい秋の風で
気候的には最高だが、気持ちはソワソワ。

せっかくの休みの時間なので、
早めに熊本に行き、
復旧中のお城を見ようと出発。

新幹線の中では10/18配信予定の
Mさんのコラムのチェックを済ませた。

これは最高級に興味深い。
配信が楽しみo(^-^)o

15時半前にチェックインし、
あちこちにメールをし、
お城目指して出発。

程よい距離があり、気候も良好、いい散歩。

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お城が見えてきた。
「きれいやん」と思って歩くと、すぐに崩壊現場
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東18間櫓の建っていたところ 北18間櫓の建っていたところ
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解説のパネルがそれぞれの場所に掲示されていて、
地震前の写真と、被災直後の写真が見られる。
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城の入り口は閉鎖中
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少し歩くと棒庵坂という坂があり、
登り口のところにたくさんの大きな石が
ナンバーをつけられて並べられている。
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一番見たかったこの櫓の石垣。まだこのまま建っていて驚き。
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加藤神社の鳥居をくぐると、その奥に清正公御手植えの古木。
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その右手前からは、修復中の小天守・大天守がきれいに見える。
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2016年4月の熊本地震でほとんどすべての瓦が落下し、
悲惨な姿になったのに、キラキラに変身中!

加藤神社内には、清正公ゆかりの
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石製の品が残されている。
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鳥居から出て左に曲がるとすぐに行き止まりとなるが
そこから、宇土櫓が真正面に見え、
その後ろに大小の天守が見える絶好の撮影スポット。
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櫓と言っても小さな城の天守より、大きくて立派。
その大きさは日本でも最大規模の城であることを実感。

熊本城を訪れたのはこれで3度め。
今日歩いたのは城郭のほんの一部だが、足が疲れた。

帰途に着き、県立美術館の南に広がる広場(高橋公園緑地)には
小さめの石は堤防のように積み上げられ、
大きな石はナンバーが打たれて、ずらりと並べられている。

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このヨーロッパ的な建築物の中には
第7代熊本市長の高橋守雄氏の胸像。
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その隣には、谷干城氏の像
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横井小楠めぐる維新群像
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明治維新というと薩長土肥。
ここで言う「肥」は肥前で佐賀。

この4県は光っていても
熊本県は霞んでいる感じが否めない。

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横井小楠という思想家がいたことや
西南戦争の制圧に尽力した谷干城という人がいたなんぞは
私は全く知らなかった。

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いくつになっても知らないことが多くてアキマヘンな〜。

このような像があることにより、少しは
熊本の歴史や彼らを知る人が増えるんでしょうね。
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2018/8/16

敦賀港 金ヶ崎城跡など  史跡

8/15(水)10:10 金ヶ崎城跡・金崎宮前のPに到着。

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「今年のお盆は敦賀に行く!」と
6月の初めには決めていた。

その理由は、2017/7/28
敦賀駅に降り立ったときに、
金ヶ崎という駅があったことを知ったから。

何年か前にテレビで、与謝野晶子が
敦賀から船に乗り、シベリア鉄道に乗って
パリにいる夫 鉄幹に会いに行ったと知った。

今回の旅行計画立案のため検索すると、
金ヶ崎駅舎は、鉄道資料館になっていて、

地図を眺めていると、
その近くに金ヶ崎城跡が目に入った。

「ついでやし、近いし、城跡にも行ってみよう」と
ごく軽い気持ちで、何の下調べもしなかった。

車から降りて、石碑などを見て初めて、
「ここは歴史を動かす大戦が
 2つもあったところやったんや!」と、ビックリ(@@)

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織田信長が、朝倉攻めの際
妹のお市から両端をしっかり縛った
小豆袋が届いた話は有名。

これによって
味方だったはずの浅井の裏切を知り
命かながら逃げ帰った。

この城がその場だったとは
知らなかった〜。

前日ほどではないが
高温高湿の空気をかき分けながら
急勾配の階段・坂を登っていくと

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南朝の後醍醐天皇の皇子、
尊良親王の自刃の地に着いた。

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南北朝時代のことは、笠置山・吉野に行ったり
読んだり、見たりしても
ちっとも分らなかったが、

少しばかり分かりかけてきた気が…。

金ヶ崎城跡の頂上
月見御殿跡から下を見ると、
火力発電所と真っ黒な粉炭の山。

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「これらが燃えて地球温暖化させていくのか」
「電気の無駄使いはできない」
「これ以上の異常気象の地球に住むのは嫌や」と思った。

金ヶ崎城跡は岬の先端、その東に続く高い山が天筒山。
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これ以上高いところまで歩く気力がなく下山。

金ヶ崎は、昔は3方を海に囲まれていたそうだが、
今は埋め立てられているので、実感できない。

でも、杉原千畝記念館にあった絵地図で納得。
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下山して、歩いて鉄道記念館に向かう
途中、廃線になった線路を渡る。
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いつの日かまたこの線路の上を
列車が走ることがあるのだろうか?

港のほうに曲がると、傍らに急行「わかさ」

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赤レンガ倉庫の中のお店は休業していて入れず、
近くの喫茶店で休憩した後、
旧金ヶ崎駅舎=敦賀鉄道資料館に。

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北陸本線の歴史や
特急雷鳥・急行日本海などの
写真を見つめていると…。

懐かしいという感情とともに
もう昔のことになってしまったと
一抹の寂しさも。

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1階に下りると、ビデオの上映をしていたので鑑賞。

明治45年
東京の新橋駅⇒敦賀駅⇒金ヶ崎駅に
直通列車が運行され、
敦賀は大いに繁栄したことが紹介されていた。

観ていると、私より少し若い女性のガイドがやって来て
いっぱいしゃべりながら解説してくれた。

敦賀が好きで好きで大好きで、
誇りに満ち溢れていて、幸せそう。

退館し駐車場に向かう途中に、
「杉原千畝記念館」とも言うべき
「人道の港 敦賀ムゼウム」がある。
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リトアニア日本領事館の杉原領事代理は
苦慮煩悶のあげく、外務省の指示に背いて
博愛第一に考え、ナチスに追われているユダヤ人に

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日本通過ビザを発行。その数は6千人分とも。

ビザを手にしたユダヤ人達は
シベリア鉄道の終点
ウラジオストック駅で降り
船に乗り換えて敦賀に上陸。
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「敦賀が見えた時は、天国に見えた」と。

その後、神戸などから
第3国に亡命するための通過ビザ。

そのビザがなければ、おそらく
ナチスに命を奪われていたであろう。

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敦賀市民からはリンゴや銭湯が
無料でふるまわれたそうな。

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このとき敦賀に上陸した人々のうち、
幼かった人の中には、今も、
経済界などで活躍してる人もあり、

大人になっている人の子ども達も、
アメリカなどで活躍している人が多いそうだ。

帰り際、受付でお土産のクッキーを購入。

売り子は、農水省を定年退官した男性で、
今は学芸員となるために勉強していると。

杉原千畝の映画を見たことのある夫によると
彼は帰国後、上からの指示に背いたかどで
公務員としての職を失ったそうだ。

3人でおしゃべりが盛り上がった。

・上からの命令に従っただけの小役人で、
 ユダヤ人大量殺戮の責任者を務めたアイヒマン
                     ⇒こちらを     
・公務員としてあるまじき行動をとった杉原

果たしてどっちが精神的に楽? 人間的?

2人の評価は、現代では
・アイヒマンは鬼のような悪人
・杉原は博愛精神に満ち溢れている人

この評価が逆転していた第二次世界大戦中。
再び逆転することは、あってはならないのだが…

上からの指示
「こうするのが当たり前」
「昔からそれは常識」
「皆そうしているのだから、同じことをしていれば無難」
「あなただけ勝手に違うことをしないで」

これらに背くことは、いかに難しいか。
いかに勇気のいることか。

特に医療分野では、まさに

「赤信号、皆で渡れば怖くない」

   の精神で働いている医療従事者が多い。

ハンナアーレントいわく
「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です…」

この悪によって、第三次世界大戦とまでは言わないが、
医療は確実に崩壊の一途を辿って来たと、私は思う。
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2018/8/14

一乗谷朝倉氏遺跡  史跡

8/14は、大野城跡⇒仏御前の滝
⇒一乗谷朝倉氏遺跡の予定だったが、
時間オーバーで、仏御前の滝はパス。

一乗谷朝倉氏遺跡には、
私は23年前(平成7年11月25日)に、
見学したことがある。

当時、京大では1年に1度、
寺社・史跡見学会があった。

大型パスに乗って
歴史・建築・庭園・美術の専門教官の
ガイドつきという、超贅沢な催しで、
私も参加したことがあった。

が、夫は行ったことがなく
「行きたい」と言うので、行くことにした。

Pに車を止めて、復元町並み入場料
210円/1人を支払い、歩き始めると、

30年前はこんな塀はなかったような気が…、

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1軒の家の中で、着付け体験がされていた。
この猛暑にも負けず、
戦国時代の衣装を着た小中学生の女子が何人か(@@;
  ↓
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   この男性は着つけ体験者ではなくガイド。

「30年前に来た時は塀はなかったと思うが…」
 と尋ねると、「近年作られた」と。

ああ、よかった記憶は確かだった。

それから「立派な庭園があったが…」と尋ねると
「それは、あちら」の手で指し示してくれた。

塀の奥には武家屋敷跡があり、
さらに進むと、暖簾がかかった家々

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これはハッキリ覚えている。
染物屋があったはず!

お〜、夫がすでに入っている。
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金物屋や鍛冶屋なども

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家々の中には必ず井戸があり、
裏庭にも必ず井戸がある。
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                 便所も裏庭に
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復元町並みを見学し終わったところで
暑さに耐えきれず、アイスキャンディー。

大野でもアイスクリームを食べたが、
甘い冷たいものを食べすぎも加わってか
ますます体はしんどくなってきたが、

30年前に見た庭園跡をどうしても見たくて
一乗谷川にかかる諏訪館橋を渡ると、

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崩れかかった石垣が続いている。

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「この上だったはず」と思い、
またまたキツイ坂道を歩く。

30年前は秋だったと思うが、
暑くてしんどかった記憶が…。

「この坂だからやったんや」と思いながら歩くと
あった! 記憶通りの庭!
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 諏訪館とは、朝倉義景の妻 小少将(こしょうしょう)の館

でも、池には水が全くない。
猛暑と少雨で池の底の土はヒビワレ状態。

 「日本の庭園史上、貴重な庭園」と
  30年前に専門の教官から聞いたような気が…。

ここから池に水が流れ落ちるように
作られているはずだが、全く水はなし。
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北に進み、さらに高い所に上がっていくと、
荒々しく巨石がゴロゴロ

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降りて行くと「中の御殿跡」。義景の母の屋敷跡らしい。
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ここから朝倉館跡が見下ろせる。
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  ここから水が流れ落ちていくはずだが、ここも水はなし。

他にも寺や城の跡などがあるようだが、
もうしんどくてこれが限界。

朝倉義景公などが祀られている
墓所の横を通り過ぎ、
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唐門をくぐりぬけて、錦鯉の泳ぐ川を渡り

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駐車場に向かう歩道の上は
川面から流れて来る、やや涼しい風と
道路から吹き寄せる熱風で、
停滞前線ができているよう。

気温は心もち下がっている気はしたが…、
湿度はさらに上昇。不快指数も上昇。

雨は降りそうで降らない。

「時間があれば丸岡城にも行こう」
なんて言っていたが、とんでもない。

越前厨温泉の宿へと急いだ。
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2018/8/14

猛暑の急坂昇り@越前大野城跡  史跡

今年は3月に彦根城、
4月は姫路城を訪れ、よく歩いたし、
5/2は竹田城、
5/4は出石城・有子山城跡に挑戦。

城めぐりの楽しさと
体力低下のひどさを身にしみて知ったので、

「これからの人生は、夫婦で
 トレッキングを兼ねて、城めぐりをしよう」

ということとなった。

日本の天空の城3選に挙げられているのが、
備中松山城・竹田城・越前大野城

備中松山城は10年以上も前に行ったので

「お盆休みは越前大野城に行こう!
そしたら3つともクリアすることになる!」

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と決めたのが、        この写真はリーフレットを撮影
6月に入ったばかりの頃。

その時はまだこんな猛暑になることは
想定していなかったが…、
8/14は福井県のほとんどが37度の予想で的中。

大野城のパーキングで車から出ると
サウナのような暑さ。

「お城がきれいに見えるところで写真を」
なんて余地は全くなし。

「1年に1度くらいは猛暑中修行のつもりで
 山登りをせなあかんのや」と

自分に言い聞かせて急坂に臨んだ。

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  この写真はパーキングに帰ってきた時に撮ったもの。

  写真に写っているより実際ははるかに急勾配で、
  昇る前は見ただけで、写真を撮る気力もなかった。

途中まで階段を登ったところで、
さらに続く階段昇りは断念。

距離はあるが緩やかな木陰の道を歩いて行くと、
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大野の市街が一望。ずいぶんと高くまで登ったと満足。
そのまま道なりに歩くと石碑があり、

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少し歩くと天守が見えてきた。

心なしか涼しい風が吹いても、
すぐに熱気がまとわりつく。

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やっと資料館に到着、入口に「冷房中」の札!
中ではビデオを上映している。

汗の出ない私は、命拾いした気分。
熱中症になる一歩手前だったのに、助かった〜。

少し体温を下げてから、天守の中の展示品を見て、
最上階から展望。南(郡上)方向を撮った写真。
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帰路は往路とは違う道を進むこととし、
往路にはなかった門をくぐり、
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     往路では断念した急勾配階段を下り
     この門を出て左にUターンするように戻ると

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柳廼神社⇒民俗資料館があり入館。
お盆の間はすべての施設は無料。

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中に入ると私が幼児〜小学生時代に
家にあった道具や・農作業の機器や

普及し始めたばかりの電化製品や
ガス炊飯器・魔法瓶などがズラリ。

「今の時代には、それらはもう
 “民俗資料”なんやな〜」と

ガックリしたり笑えたり。

私が子どもの頃にはもう使われなくなっていたが
いろんな形と材料で作られた
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赤ちゃんを寝かせた“いづめ”や
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木枕。こんな高い枕に首を乗せて寝ていたなんて
何と丈夫な首やったんやろ。私はこれでは寝られんわ。
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このアンカは、私も使っていた記憶がある。

その後、昼食を摂りに七間通りへ。
倉敷・出石のような美しい商店街。

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木材が美しい北陸銀行や、ギリシャ風?なお店?
暑い中頑張って歩き、やっと飲食店に辿り着いた。
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冷房で体を冷まして、軽食を摂り
武家屋敷(家老の内山家)に。
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部屋の中から庭を眺めると
城山・天守が借景になっている。

1階の台所と居間。かまどがない。
囲炉裏ですべて煮炊きをしていた?
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2階に上がると、天井がおしゃれ!
蒲鉾のようなカーブ…、見たことない。

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な学びの里「めいりん」・有終小学校の前に、二宮金次郎の像。
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我々が子どもの頃はどの小学校の前にもあったが、
この頃は、見ることはトントないのに、懐かしい〜。

この端のP⇒天守⇒民俗資料館⇒この端の七間通り

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そして、一番下の道を通って元のPに。

いや〜、こんな暑い目にあったのは何年ぶり?
いや、人生初?

これからの暑さは、きっと苦にならないでしょう。
いや、そうあってほしい。
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2018/5/4

出石城址・桂小五郎潜居跡  史跡

5/4(金) 竹野の民宿を出て、出石城跡へ。
玄武洞は若い時に行ったことがありパス。

原始河川に近い円山川の堤防の低さ!
津波や豪雨で氾濫すれば、ひとたまりもなさそう。

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途中で海の駅なるところに入ったが
ほとんどが添加物入り商品で、
買ったのは高知の塩芋ケンピだけ(>_<)

出石城址から300mほどのところにある
大駐車場に車を入れ、
アンティークな店で買い物の下見をしながら進むと

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出石蕎麦の有名店の前には開店前から行列ができている。

絶滅する前の野生のコウノトリが、
最後まで棲息した出石ならではのオブジェ。
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辰鼓楼。明治に廃城となり、
三の丸大手門の石を垣を使って建てられた。

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札幌時計台とともに、日本最古の時計台だが、
札幌と違って、この時計は近代的な電気時計。

これを過ぎたところから
城跡に入るのかと思ったら、
突然これが見えだした
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これは出石町役場の玄関だったと。
今は豊岡市役所出石支庁の敷地内なのだ。

ここを過ぎるとすぐに登城橋

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石段の登り、櫓の横を通り、

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左に曲がって城跡内を歩いていると、

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有子山城跡というのがあるので、
行ってみることとし、歩きはじめると熊が出る?

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時々大きな声を発しながら進んだが…、
すごい急坂、革靴では無理。

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仮に登れたとしても、
怪我せずに降りられる自信はなく、
あと750mのところでリタイア。

稲荷神社の鳥居をくぐりぬけ下界に。

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天守らしき跡はわからなかったが、
ここからでも出石の街が十二分に見渡せる。

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お土産街を歩きながら、バッグ・乾物
リユース着物(千円!)などを購入。詳しくはこちら

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出石名物蕎麦を食べようと歩いたが、
どこも長蛇の列。

やむなく、桂小五郎潜居跡を見に行くことに。

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この松の下に石碑がありそうなので、
「すみませ〜ん、写真撮らせてくださ〜い」と
行列に分け入り、パチリ。

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禁門の変(蛤御門の変)の後、
但馬を転々と潜居、ここもその一つ。

荒物屋だったと書いてあるが、
甚助・直蔵の生家ではないようだ。

『花神』(司馬遼太郎)によると
城崎の温泉宿では、そこの娘さんが桂の子を
みごもったが流産し、桂の実子は残らなかった。
今はTという温泉宿になっているとある。

そこを訪れなかったことが悔やまれる。

復路は往路同様、朝来経由。
渋滞に遭うこともなく、楽だった。
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2018/5/2

竹田城跡@朝来  史跡

5/2(水)から2泊3日の旅。

雨になるとの天気予報なので、
雨が降らないうちに竹田城跡に登ろうと
6:35には自宅を車で出発。

西紀(さいき)PAでトイレ休憩し、
兵庫県朝来市にある道の駅
「但馬まほろば」に、8時半に到着。

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まだフードコーナーは開いてなくて、
但馬牛弁当・但馬牛まき寿司・イチゴを買って朝食。

この古代調の建物の奥にある
古代あさご館も見学したいと思いつつ
まだ開館していないし、雨になっても困る。

朝来市和田山町にある竹田城跡は、
天空の城として、
近年人気がとても高いところ。

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このような雲海に包まれるのは秋〜冬、
前日まで暖かく急に冷え込んだ早朝だけ。

なので雲海を望むのは不可能だが、
駐車場から2.2km歩いて登るので、
いい運動になる。

タニウツギなど、いろんな花が咲いているのを
愛でながら歩き、やっと城の入り口に到着。

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1人あたり500円を支払って入城
さらに石の階段を上り、
大手門跡を過ぎた広場を一周。

くぐって来た水路閣のような高速道路の橋脚がきれい。

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天守台も見える。

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案内係りの70歳くらいの男性に写真を撮ってもらい、

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さらに高くきびしい石の階段を上って
天守台の直下まで到着。

そこで、落し物に気づき、
私は大手門までバック。

しかし、見つからずまた頑張って登り、
天守台の上から見渡すと、城郭の広さにびっくり!

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こんな田舎のへんぴなところに
なんでこんな大きな城が必要だったんだろう?

しばし理解できなかったが
地理を考えれば、
山名宗全が西日本に睨みをきかすための
格好の地だったのだろうと、
何となくわかった。

天守台から降り、さっき眺めていた広場に立ち
天守台を見上げると…、

下に雲海、上に天守の石垣を見上げながら…、

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「生きているうちに、一度でいいから見てみたい」
「どんなに幻想的できれいだろう」

とは思ったが、何日間も滞在しないと難しそう。

雨が降り始めないうちにと頑張って歩き、
車に乗って走り出した途端、雨!

良かった〜、ギリギリセーフやった(^_^)v

ところで、
今年の11/17(土)に、朝来市の保育士さんに
講演会に招いてもらえることに決まった。

 ちなみに、11/18(日)は京都府福知山市の
 助産師Yさん主催で同様に開催。
 
人生で初めて訪れた朝来に
今年は2度も訪れることになるなんて(*^_^*)
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