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2022/4/19

法隆寺夢殿 救世観音像特別公開  史跡

4/19(火)は、法隆寺夢殿の秘仏
国宝 救世観音像
の拝観予定。

春秋期間限定で開扉され
今年の春は、4/11〜5/18 だと。

午前中はPCに向かったり
家事をしたり…

昼過ぎには出発しようと思っていたのに
夕食の準備を少しでも…

頑張っていたら、出発が
14時を回ってしまった。

生駒⇒法隆寺前のバス停に行くには
どのコースも50分前後

最短・最安は王子経由で
電車は20分に1本。

王子駅からの奈良交通バスも
接続良好なので
このコースを選択。

 王子駅での乗り換えは
 とても驚きのことがあり😢
 気になる方は、こちらを。


法隆寺前のバス停で降りて
お土産店街を過ぎると南大門。

外からの撮影に失敗。
歩き進むと両側の塀の壁は
ずいぶん荒れている。

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このひどい塀の現状を撮りたくて
中門の前から南大門を振り返って撮影。

築地塀というのだそうだが
きれいな状態の壁の写真はこちらで見られます。

世界最古の木造建築
世界文化遺産に登録されている
大切な文化財なのに…😥

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五重塔が見える中門の前には
修学旅行生がいっぱい。

撮影どころではなく
夢殿のある東院に向かって歩くと東大門。

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一見、小さくて質素。
豪華さも派手さもないが

三棟作(みつむねつくり)という
奈良時代の建築技法で
作られていて国宝。

東大門をくぐり抜けて

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崩れて中から割れた瓦などが見える
塀の壁を見ながら

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東に進むと東院。夢殿の屋根が見えてきた。

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この写真は ↓ このサイトからいただいた。

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こんな角度では
私のような素人が撮るのは難しい。

救世観音像をはじめ、夢殿内の
全ての仏像などは撮影禁止。

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聖徳太子等身の秘仏言われ
お顔は面長で柔和
身長は179cmと長身。

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写真はこのサイトからいただいた。

 太子の母君は
 ペルシャ人だったという説もあり

 近くにある藤ノ木古墳に葬られているのは
 聖徳太子の叔父(母君の弟?)
 穴穂部皇子だと言われている。

 この方もとても背の高い人で
 靴も大きく、異国調で立派。

 としたら、179cmという身長は頷ける。


肩には白っぽい埃が貯まっているが
シルバーボランティアガイドさんによると

飛鳥時代から一度も
埃を払っていないのだと👀‼️

ガイドさんのアドバイスで
両手を両目の外側に立て
外からの光を遮るようにしたら
とてもよく見える。

金箔の保存状態は見事で
とてもきれいで
いつまでも見ていたい気分だが

一番いい場所を
独り占めする訳にもいかず
立去り、屋根の上の宝珠などを撮影。

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東院の囲っている塀の壁は
これまでのとは違って
横線が5本入っている。

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鐘楼の前から見る夢殿の屋根。

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その向こうに見える屋根は修理中の覆い  ↑
塀の壁はいつになったら
修理してもらえるのやろ?

この後、すぐ北隣にある中宮寺へと歩いた。

就職した翌年と、今から十年あまり前と
これまで2度訪れたことがある。

それで、今回は中まで入る気はなかったが
入り口あたりだけでもと進むと

檜皮葺きの立派な屋根や

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絵に描いたような豪華な松の木が見えてきた。

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創建当時は、法隆寺は僧寺で
中宮寺は尼寺だったらしいが

その後、皇女が入寺する門跡尼寺となり

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皇室とのゆかりが深い。

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中宮寺と言えば国宝 菩薩半跏像
(伝如意輪観音)クリックすると元のサイズで表示します

この写真はこのサイトからいただいた。

二十代前半の訪れたときは
畳の間の片隅に、安置されていて
竹の棒が1本、像と我々を隔てていた。

手を伸ばせは簡単に触れるくらい近く
我々の体よりも大柄だったことに驚いた。

なので、指を折られるという事件も起きた。
私が訪れたときはその事件の後だった。

2度目に訪れたときは
鉄筋コンクリートのお堂の中の
遠くて高い所に安置されていた。

まじまじと見ることも
できなくなっていて残念無念。

今回も間近で見られるはずがないと思って
入らなかった。

国宝第1号の広隆寺の弥勒菩薩像も
見たことがあったが
その小ささにビックリ!

どちらも最高評価を受ける半跏思惟像だが
私は中宮寺の方が断然好き。

もう一度間近に見てみたいが
その夢は叶うことはないだろう。

そう思いながら、帰途に。

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トイレと夢殿を隔てている塀と生け垣。
きれいに整備されている。

西院に戻り、先ほど通り過ぎた所を
見渡すと、御手水。↓

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    ↑
元禄時代に作られたものらしい。

中門と五重塔の前に来ると
人っ子一人いなくなっていたので

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石の上にカメラを置いて
オートシャッターで記念撮影。

1回で上手く撮れた!

帰りは、近鉄郡山駅までバスに乗り
そこから近鉄電車で。

帰宅するとちょうど17時。

急いで夕食の準備をし
出発前に作っておいたのと合わせて
1汁5菜!
たくさん作りすぎてしまった。
2

2022/4/12

山形市 霞城  史跡

駅前から北西方向に10分ほど歩くと
霞城(山形城)の南門に到着。

この橋を渡って見渡すと

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西側の広場、濃い桃色の花が見えるので

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何の花だろうと見に行くと
葉がまだ出ていないので
たぶん、ミツバツツジ。

その西北に黄色い花が見える。

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見に行くと、支那水木(しなみずき)?

本命の県立博物館の方に進むと
空堀と城の石垣が見えてきた。

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この内側が本丸で、大手橋・高麗門

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高麗門をくぐり右に曲がると
復元されていないが、一文字櫓跡。

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入っていくと本丸御殿広場は、荒れ野原。

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何かわからないが、深い穴も。

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戻って大手橋を渡ると
真向いが県立博物館。だが、休館日。

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あ〜、今日は月曜日や〜😩

ということは
山形美術館も休館日なんやろな〜
と思いながら歩くと

前方に8分咲きくらいの桜。

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今日、山形の桜標本木で
開花が確認されたそうだが

霞城公園内では
1分〜3分咲きが多く
このように8分咲きのも。

東に進むと、最上義光(もがみよしあき)像と

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二ノ丸東大手門

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そこを抜け、水のある堀にかかる橋を渡り

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振り返って撮影。

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そのまま進むと北側に美術館があるが
やっぱりここも休館日。

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赤い椿と桜の
鮮やかなコントラストを鑑賞しながら
最上義光歴史館に向かうと

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ここも休館日😥

私は(土)(日)は働いているので
(月)は休みが多い。

(月)が定休の人もあれば
在宅ワークの人も増えているんだから

月曜日に一斉に休むのは
いい加減にやめてほしい😐

ホテルに向かう途中
豊烈神社という
聞いたことのない名の神社。

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入ってみると、戊辰戦争の時に
自分一人で責任を負って

26歳の若さで刑死した
主席家老 水野元宣を祀った神社。

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会津藩のように多数の死者を出さないよう
山形市民を守るために
犠牲になったこんな若者がいたことを知った。

ホテルに帰る途中
暑くて、熱中症になりそう。

山形の今日の最高気温は26.2℃

岩手県では数か所で
30℃を超えたと。くわばらくわばら。

ホテルにたどり着いて
ゆっくり休み

4/12(火)7:30
山形駅発山形空行きのバスに乗り

8:50発の羽田行に搭乗。

空港ビルからは撮れなかった
雄大な鳥海山(出羽富士)や    ↓

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月山など、高い山がズラリと並んでいる。
       ↓
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15分遅れの出発となったが
美しい雪山を眺めながら、羽田へと帰った。
2

2022/4/4

甲府城址  史跡

4/4(月)ピーカーブーでの施術を終えて
石和温泉駅⇒甲府駅

ここで、身延線の「特急ふじかわ」に
乗り換えるのだが
待ち時間が50分ほどある。

そこで、途中下車して
甲府城に行ってみることにした。

甲府駅のホームや車窓から
何度も見ていた城なのに
一度も訪れたことがない。

歩いて10分もしないうちに到着。

舞鶴(まいづる・ぶかく)城公園
 =甲府城跡に近づくと、他の城にはない塔が…。   ↓

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調べてみると
恩賜林謝恩碑(オンシリンシャオンヒ)
というそうで

明治44年、山梨県内にあった皇室の山林を
県が譲り受けたのを記念して
建てられたらしいが、何でこんなところに…?

これは稲荷櫓(復元)で
駅のホームからもよく見える櫓。

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その前で記念撮影。 ↑

私がこんなに小さく見えるくらい大きな櫓で
小さな城の天守閣くらい。

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駅のホームから見ていたら
広い城だとは感じなかったのに

入ってみると広くて石垣も立派。

そりゃ〜、江戸時代は徳川将軍家に
最も近い親藩(甲府藩)で

徳川幕府7代将軍となった徳川家宣が
徳川綱豊の名で城主だったのだから
立派で当然。

ここが天守台かと思ったら
       ↓
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そうではなく、稲荷曲輪というようで
ここに入る門もあったが

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キャスターバッグを引いて来て
そのうえ険しい石の階段を
歩かないと進めない。

だんだんと残り時間が少なくなり
ゆっくり鑑賞して、写真を…
なんて余裕がなくなってきた。

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出口を探して進んだところ
結局は元来たところには戻れず

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ここから下界に降りたところは
駅から離れた方向だった。

「特急に乗れなかったら大変」
と焦り
若い男性に道を教えてもらい
何とか駅に戻れた。

もう一度、大きな荷物を持つことなく
1〜2時間かけて散策すれば

もっとゆったりとした気分で
お城を味わえたことだろう。

今回は下見として
次の機会に! としよう。
2

2022/3/2

高松の旅 -1- 高松城  史跡

3/3(木)は広島県の三原施術会

2(水)はセミナーが成立せず
休みとなったため「鞆の浦でカヤックを漕ごう!」
と思ったのに

・2人でないと申し込めない
・満席
・ガイドの都合が悪くなった

などにより予約が取れず断念。

そこで、昨年の9/3に入れなかった
玉藻公園・高松城に行くことにした。

その時に改修工事中だった
3カ所すべての改修が
終わるのは、2022/2/9となっていたので
今なら終わっているはずだし…。

それに、NHKのブラタモリで
2/26に高松城
が紹介されていたのを見て
とても興味深かったから。

岡山からマリンライナーで1時間足らず
高松駅からもすぐなので便利。

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海城特有の海に面した門から
船で漕ぎ出せる水手御門を見たくて

渡櫓・水手御門・続櫓・月見櫓と
歩いて行ったが
門はピッタリと閉ざされていた…😥

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やむなく、離れたところから
月見櫓を見ると、向こうに小さな櫓が見える。 ↑

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城内(玉藻公園内)を歩いたものの
披雲閣も閉ざされていて、入れてもらえず😥

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「タモリはええな〜。一緒について歩きたいな〜」
と思いながら、天守台方向に。

入城してすぐに100円で買った鯛のエサを
どこで鯛にやればいいのかわからず
持ち歩いていたが…

ようやく天守台の近くで
投げ込める場所と鯛を見つけ
ペレット状のエサを投げ込んだところ

鯛さん達は音に驚いたのか
パーッと逃げた😵
これでは鯛願成就できない〜っ😩

そこで、少しずつおびき寄せるように
投げ込んだところ
やっと食べに来てくれた😌

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工事は終わったものだと思っていたのに
あちこち工事だらけで、工事用車両や
建物を覆う巨大なテントが目に付く。

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タモリはもっと水面近くで
エサをあげていたのに…

と思って、500円支払って乗船。
漕がせてほしかったのに
漕ぐのではなく
竿で堀の底を突いて押すのだと、断られた。

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ここで、記念自撮り。
乗船は昨日3/1〜再開し
昨日は乗船客はなく、今日は私が初めてだと!

つまり、今年の最初のお客は私となった。
城内を歩いている人そのものが少ない。

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天守閣が描かれたこの団扇を
「買いたい」と言ったのに、非売品だと😓

資料館に入り、江戸時代の月見櫓・水手御門を
海側から見た絵が素晴らしく

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これは城外から見られるはずと
城を出て海側に回ったところ、見えた!
               ↓
クリックすると元のサイズで表示します
   ↑
月見櫓〜海に面した小さな櫓のまでは
江戸時代は海だったが
今は
埋め立てられて道路になっている。
   ↓
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長崎の出島も
広島県の三原城などほとんどの海城は
もっと広範囲に埋め立てられて
今は
海から遠く離れて城址などがある。

高松城はその埋め立て地がとても狭いのは
宇高連絡船のターミナルだったためと
ブラタモリで解説されていて、納得。

私残念ながら宇高連絡船には
乗ったことはないが
昨年9/3、そのルートを渡るフェリーに乗って
少しばかりはその趣を味わえた気がする。

四国を旅すると「もうちょっと
 お客が来るように工夫すればいいのに」

と思うことが多く
資料館で見たこれもその一つ。

「讃岐三白」と書いてあり
綿の実と糸巻き車などが展示されている。

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「三白って何やねん!」と一瞬
イラッとしたが

よ〜くのぞき込むと
製塩と精糖の説明図があった。

そこで私は、三白とは
木綿糸・塩・白砂糖(和三盆)とわかったが

「讃岐三白」と書かれていても
何が三白なのか、一目ではわからないようでは

「めんどくさい」と知ろうともせずに
通り過ぎる人が多いだろうに…😓

「讃岐三白」と大きく書いたすぐ下に

木綿糸・塩・白砂糖(和三盆)
と大きく書いて

それから、それぞれについて展示・解説すれば
もう少し興味を持って
のぞき込む人が増えるだろうに…。

こんなツッコミどころ満載の高松城。

只今工事中の建物が完成したら
さらには、天守閣も再建されるなら
お客が増えるとは思うが…。

姫路城に次ぐ全国2位の大きさを誇る
天守閣の再建には莫大な費用がかかる。

その予算の目途が立たないそうで
今のところ計画は無し。

鯛願成就だけでなく
岡山城のようにもっと体験型にして

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・披雲閣で、着物を着て
 和三盆のお菓子で抹茶を楽しむとか
・団扇作り体験をするとか
・那須与一のように扇の的を射るなど

家族全員で楽しめる城にしないと
ブラタモリで紹介されただけでは
「お客は来ないな〜」と思ってしまった。
3

2022/3/1

天の香久山  史跡

大和三山(畝傍山・耳成山・香久山)のうち

2/21(月)畝傍山(198.5m)
2/22(火)耳成山(139.2m)に登ったので

残るは香久山(152m)。
そのついでに奈良文化財研究所・藤原京址も…
と思っていたのだが

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幸か不幸か、3/1(火).2(水)は東京での
メンテ“力”upセミナーが成立せず

生駒での施術予約も入らなかったため
この2日間で行ける!

でも、2(水)は広島県三原市で泊まるので
3/1(火)にと決めたが
午後から雨との予報😓

ならば、午前中に香久山に登り
12時までに奈良文化財研究所に入ろうと

生駒発9:13の近鉄に乗り
10:01 最寄り駅の耳成に到着。

10分あまり歩くと、右前方に畝傍山 ↓

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右後方に耳成山 ↓

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左前方に香久山 ↓

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舗装道路から香久山登山道に入ると
案内図があり
これを参考に歩くコースを考える。

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大和三山についての解説が書かれた看板 ↓

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   ↑
その左に、大きな石碑。

ここは国見台で
これは有名な舒明天皇の歌 ↓

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舒明天皇がここに立って
家々から上り立つ煙を見て

民が飯を炊いている煙が
立ち上っている。
民は幸せに暮らしているんだな〜

と、眺めた場所なんだ!
とわかり、感激😍

しかし、海原はンカモメ立つ立つ…?
ここからは当時でも
海は見えないはずだが?

ともあれ、ここから山頂に向かって進むと ↑
いきなりの急階段 

急坂なので、すぐに山頂に到着。
畝傍山がきれいに見える。↓

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山頂にあるのは国常立(くにとこたち)神社
小さくて、しかも傾いている😲

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社の維持にもお金がかかる。
それを集めるのが大変なんやろな〜

と思いながら万葉の森の方向に
歩いて行ったのが間違いの元だった。

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文化財研究所の方向に…と、思っていたのに
小道がややこしいことになっていて

大きな道路に出たところ
梅林があるとの看板。

すると、そこに行ってみたくなり
梅の花を見られたのはいいが

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文化財研究所はますます遠のき
万葉の丘・スポーツ公園の
管理棟にたどり着いた。

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そこから、文化財研究所に向かって進んだが
大通りから民家が立ち並ぶ道に入ってしまい
どう進んだらいいのか??

こうなったら香具山の山頂に行って
そこから下れば間違いないと思い
登っていくと、イザナミ神社。

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ここからさらに登って行くと
山頂に着く前に
国見台・文化財研究所の方向に
進む道が分かり、ほっ。

国見台に戻り  ↓

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煙立つ立つの石碑を背に記念撮影 ↑

スマホ無しで歩いていると
こんなことになるのかとも思ったが

IPadを持って歩いていた時も
全く役に立たなかったので
文明の利器はあてにしないことにしている。

本降りになって来たので
折りたたみ傘を広げ
文化財研究所へと向かった。
2

2022/2/21

橿原神宮・畝傍山登山  史跡

南千島で爆弾低気圧に発達し
北海道はホワイトアウト

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近畿も強風で寒い日になる
との予報だが…

有難いことに奈良は雪も降らず
昨晩の強風は、すっかり鎮まっている。

38豪雪を思い浮かべながら外に出ると
白梅も開花間近となっている。

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施術予約もなく
期限間近の書き物もない

こんないい日に家にいるのはもったいなく
畝傍山に登ることにした。

10:55 畝傍御陵前駅に到着。

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駅舎を背に西を見ると
真正面に畝傍山。ん〜ん、電信柱と電線が邪魔。

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駅前広場の北側に大きな地図

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あっ、そうや、
橿原考古学研究所付属博物館があるんや〜

畝傍山にを登って余力があれば
耳成山に…、と思っていたけど計画変更!

しかし、月曜なので休みかも?

とにかく、畝傍山の麓を
一周することとし森の中に入り
橿原神宮方向に南西に進むと

桜に錨の予科練のロゴがついた13期予科練生の
「殉国の碑」・航空母艦「瑞鶴の碑」

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13期? 何んでここにこれが立っているのか
全くわからないまま通過。

橿原神宮の北の鳥居をくぐると
御手水はコロナ対策で?

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木の蓋がされ、柄杓はなく
人が近づくとセンサーで感知し
細い滝のように、水が流れ落ちる。

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おー、なんと当世風😲

外拝殿に向かう途中、右手側に畝傍山

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本殿の手前の外拝殿の中には
有名な神武神武天皇の詔勅

八紘為宇 または 八紘一宇(はっこういちう)

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を、書家 山中瑞葉氏が書かれ大きな書

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「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」

と読むそうで
「全世界を一つの家族のようにする」という意味。

これが大東亜戦争時、日本が
「中国や東南アジアへの侵略を
 正当化するスローガンとして用いた」

として今では使用禁止用語のようになっているが…

日本があの無謀ともいえる戦争をしていなかったら
東南アジア・アフリカなどの国々が
西欧列強から独立できたのか?
という意見もある。

私は、八紘一宇という言葉自体は
悪いものだとは思わない。

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外拝殿の後方にそびえる畝傍山は
何と美しい。

これからあそこに登るんやな〜
と思いながら池の方に進むと

東側に表参道の鳥居とその上に
三峰山(みうねやま)が美しい。

あそこにも登りたいが…。

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池には多種多様な水鳥が気持ち良さげに泳いでいる。

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まるで野鳥の楽園。

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池から西→北へと進んで行くと

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無人休憩所「まなご亭」

中に入ってみると、1970年代を彷彿とさせる
ジュークボックス! 残念ながら壊れていた。

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本もレコードもすべてがレトロ。

これらを喜ぶ70歳以上の人しか
ここには入らないんやろな?

コーヒーをセルフサービスで
200円で飲めると書いてあったが…?
そんな準備はないみたい。

そこから、畝火山口神社を目指して進むと
文字を書いた案内石

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さらに、安産祈願ではなく
安産守神と書かれていて

畝火山口(おむねやま)神社と!

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「うねびやまぐち」でも
「うねかざんぐち」でもない😨

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途中に安寧天皇陵

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神武天皇を初代として
三代がの安寧天皇となるが

神武・安寧天皇ともに
実在した天皇はどうかは不明のよう。

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満開のきれいな梅の花下を通って行くと
畝火山口神社の鳥居。

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参拝して隣を見ると、祭神は
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
つまり、神功皇后と。

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亡くなった夫 仲哀天皇に代わって
妊娠中に三韓征伐軍を率いて
新羅を屈服させ、百済・高麗を従え
その後、出産したと伝えられる女傑。

そりゃ〜、安産守神と
崇められてもいいでしょう。

どこが登山口かわからず
たまたま来られた
地元の消防団員の方に教えてもらうと

畝火山口神社の鳥居の右手に
登山道があった。

そこから木で段が作られた階段を上っていくと

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山頂広場近くにこの看板があり

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三角点で記念自撮り

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山頂から北に向かう細い急坂を
降りて行くと
ここだけ数段の階段があるが
   ↓
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ここからまた、細くて暗い道を進む。
不安だが
下って行けば間違いないと信じて進むと
やっと明かりが見えてきて、ホッ。

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振り返って撮影すると、まるで暗いトンネル。

そこから下界の道を歩いていくと
梅林の白梅がきれいに咲いている。

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生駒は橿原より寒いんやな〜。

そこからさらに進むと
神武天皇陵

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立派な陵だが
神武天皇という名の天皇が
実在したかは不明。

神武天皇とは応神天皇(神功皇后の子)
との説があるが

今のところ、私は
この説が正しいのではと思っている。

何故そう思うかを書いていたら
長くなるのでまたの機会に。

そこから
橿原考古学研究所付属博物館の
入り口を確認に行くと

高松塚古墳の壁画展が
3/21までやっているとのこと。
絶対に見に行かないと!

耳成山に登る時間も体力もなく
15時過ぎに生駒着。

片道570円でこれだけ豊かな
体験ができるなんて、有り難い。
2

2021/12/24

今城塚古墳(継体天皇陵)  史跡

12/24(金)は「らくらく育児クラス」
の予定だったが…

希望者が少なく、次回に来てもらうことして
午前午後とも施術とした。

ところが、決定が遅かったのと
昨日に予約が集中したせいか
何と!
予約数がゼロになってしまった😲

それなら、半端に少ないよりもいい。

25(土)も施術なので
かねてから行きたいと思っていた
大阪府高槻市にある
今城塚古墳に行くことにした。

京都駅からJR新快速で高槻
各停で1駅、摂津富田で降車。

駅前からバスに乗る予定だったのに
乗り場を間違えて乗れず…😥

バスの本数も少なく、かなり不便だし
徒歩30分かからないようなので
歩き続けたところ、ちゃんと着いた。

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今城塚古墳(いましろづかこふん)は
6世紀前半に造営された
前方後円墳としては最大級。

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ここから1kmあまり西にある
太田茶臼山古墳が
第26代継体天皇陵とされているが

時代が合わず、研究者の間では
こちらが本物の継体天皇陵
との意見が有力なのだと。

国の史跡に指定されているが
宮内庁の治定は受けていないため
発掘調査が可能で

墳墓の上をパンピーが歩けるという
日本で唯一の天皇陵。

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円筒埴輪がきれいに並べられているのは
解説の陶板によると

「ここより内側は聖域ですよ」
ということを示す結界なのだと。

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保渡田古墳にも
書いてあったのかも知れないが
見た記憶がない。

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前方部だけ水のある堀になっていて
これより後ろは空堀。

この外側に

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埴輪祭りのステージが
再現されている。

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動物・兵士

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水鳥・馬が多い中、牛の埴輪も2体 ↓

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鶏・力士・建物

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建物の埴輪は、日本で最大級なのだと。

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盾や巫女の埴輪も ↓

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よくわからないが、高い円筒形の埴輪が

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後方部にもたくさん並んでいる。

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ギザギザ屋根の建物? や、

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トナカイの角のような装飾を屋根に乗せた埴輪も。 ↑

埴輪を見終えて歩いていくと
この解説陶板。

身分の高そうな人は棒を持ち
振り上げている人も。↓

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働いている人達のおびえたような表情。↑
本当にそうだったのだろうか?

継体天皇は即位前から
馬飼いの集団と強く結びついて
物資輸送力や
情報収集・伝達力を持っていた
当時としては最新最強の経営者。

ピラミッドを作ったのは奴隷ではなく
日給として食料をもらっていた
労働者だと言われているのに…。

庶民にとっては
現人神のような天皇ではなく
庶民に近い生活を
57年間も続けた人なのだから
親近感があったであろうし…。

この絵を見てなんだか
気分が悪くなっていたところに
70歳くらいの男性ガイドさんが
近づいて来られ
20分ほど歴史談義をしてしまった。

別れてから墳墓に上がり

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一通り歩いてから戻り

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古代史料館に向かっている途中
桜の花が咲いている大木。

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狂い咲かと思ったら、冬桜なのだと。

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古代資料館に入り
ロビーに展示されている
周辺の古墳群から
発掘された破片で復元した
円筒埴輪などを見て

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展示室に。

西暦200年(この図の下部)
 〜700年(この図の上部)の
作られた時代と、地域の一覧表。↓

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膨大な数の古墳があることに驚き👀‼️

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外に展示されている埴輪は
レプリカだが

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館内のは全て
発掘された破片をつなぎ合わせ
不足部位を作って復元したもの。

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力士も巫女も神様にお願いをする
高貴な職業人。

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鶏も同様に復元。

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土器なども、保存状態が良くて👀‼️

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優美な曲線を持つ器が
たくさん展示されている。

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石積みの様子のジオラマや ↓

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石室基盤工石も。 ↓

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石棺自体は地震でバラバラになって
破片が転がっていたそうだが

復元された3つの石棺が展示。

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真ん中の紫がかった桃色の石棺が ↑
継体天皇の石棺で
その中に人形が横たわっている。 ↓

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85歳くらいまで長生きされたそうなので
当時としては仙人クラス?!

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継体天皇の石棺に使われたのは
阿蘇のピンク石。
はるばる阿蘇から瀬戸内海を渡って運んだのだと👀‼️

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6世紀には太鼓がすでにあったことを示す ↑
太鼓の埴輪と、太鼓を持つ人の埴輪。

写真だけで、実物が見られず残念。

太田茶臼山古墳などにも
行ってみたいと思いつつも
歩き疲れてダメ…😓

少し歩いた氷室バス停から上手くバスに乗れ
順調に京都トコ会館へと戻った。

温暖な天候に恵まれ
古代へ想像が膨らんだ、いい1日だった。
2

2021/11/8

保渡田古墳群  史跡

11/8(月)は午後になると
降水確率が上がる予報>

降り始める前にと
7:35高崎駅前発のバスに乗車。

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「秋葉前」で降りて帰りのバスを
確認したところ、14:06までない!

ちゃんと調べて来なかったことを反省😥

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6時間もここで過ごすの?
とにかく
「かみつけの里博物館」に向かって歩き

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9時からしか
博物館は開かないし
八幡塚古墳の石室も見られないので
  ↓
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その前を素通りし、まずは
二子山古墳へと進んだ。

墳墓へ上がる途中
中島といわれる所に立ち寄った。

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前方後円墳の周囲に4つ
ある丸い部分で
祭祀が行われていた所らしい。

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上に上がって下を見ると ↑
中島がきれいに見え
周囲にはコスモスの花がきれい。

前方から後円を見ると ↓

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そこで散歩している
私くらいの女性2人と遭遇。

地元の女性で、散歩中とのこと。

高崎駅に帰るバス停は
他にないのかと尋ねると
どうも難しいらしく

ゆっくり時間をかけて
廻れるコースを紹介してくださり
私も一緒に散歩についていくことにした。

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「もう少し早かったら、
 コスモスがきれいだったのにねぇ」と。

いや…、今も十分きれいだと思うけど…
もっときれいだったのだと。

そこから「なりもりぼえん」という
武田軍に敗れて
首を落とされた殿様を祀る墓苑に。

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これが首塚 ↓

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このあたりの歴史の説明がとても上手で
まるで無料のガイドさんに出会ったみたい。

周囲には赤いルコウソウやヒルガオが
きれいに咲いている。

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若いころ、京都の家で
ルコウソウを植えていたので
懐かしくて
「良く熟した種があっら持って帰るのに…」と
言ったところ

「とんでない! これはとても厄介な雑草で
 コスモスに巻きついて大変なんだから」と。

確かに、ここではそのようだけど
鉢植えで朝顔のように育てれば
とても可愛い。所変われば…である。

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10分も歩かないうちに
西光寺(薬師塚古墳跡)に到着。↑

少し離れたところに立っていたこのお寺を
ここに移築するために整地していた時に
石棺が発見されたのだと。

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この本堂の前を右に曲がると

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赤い屋根のお堂に向かう階段があり

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お堂の右側に石棺が置かれている。

こんな貴重な文化財を
こんな無防備な所に置いて
夜中にいたずらでもされたら大変なのに…

と、心配しながら参拝。

こちらが高くて、後円部なので
この下に石棺が安置されていた。

本堂のある方が低くて、前方部。

これがきっかけとなり
八幡塚古墳・双子山古墳が
整備されることになったそうな。

本堂の方に戻り、直進すると
いにしえのお寺の瓦が飾られていて

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さらにその向こうに
巨大な切り株。イチョウなのだと。

鎌倉の大イチョウに並ぶ大きさだったが
内部が朽ちて、鎌倉の木のように
倒れては大変と、切られてしまった。

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お2人の解説のおかげで
いろいろと学べてありがたい。

60代に見えたのに
お2人とも私より年上👀‼️

3分ほど歩くと
土屋文明記念文学館の
西側階段の下に到着

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この中見て、昼食を摂り
八幡塚古墳・博物館の見学をすれば
14時のバスに乗るのに
ちょうどいい時間になるだろうと聞き
ここでお2人と別れた。

おおきにm(_ _)m 助かりました。

文学館の玄関に着くと
「わらう! 太宰治」の
特別展をしている!

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先に常設展を見学。
文学に疎い私なので

「土屋文明の作品って?」

というくらいの認識レベルだったが
・ここ保渡田で生まれ育った人
・万葉集の歌をたくさん解説した人

というくらいはわかった。
と同時に
明治・大正・昭和・平成の文人諸氏の
師弟関係や
お互いが密接に関わり合い
刺激し合っていたことなどが
少しばかり分かった。

その後、2階のカフェでブランチを摂り
午後は雨になるかもしれないので
室内で見られるものは午後にして
八幡塚古墳を先に見ることにした。

その前に、土屋文明氏が
晩年を過ごした東京青山の庭の木々を
ここまで運んで植えた「方竹の庭」を見学。

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この庭の向こうが
八幡塚古墳公園となっている。

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後円部の上から見える中島。↓

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中島は内堀にあり
まさしく島だったのだろう。

前方部に降りる手前に
石棺が保管されている地下室に
降りる階段があり
そちらを見学。↓

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さっき薬師塚の石棺を見たせいか
あたちの石棺の方が立派に感じた。

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降りて下から見上げると、まるで城郭。

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同じ場所から下を見ると
埴輪がたくさん並んでいるのが見え  ↑

それを見に行き ↓

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そこで本日の記念自撮り。

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遠征に出るときは
荷物を少なくするために
仕事でも外でも着られる服を
持って出るので
こんな格好になってしまう。

円筒埴輪には作成者と年月日が
刻まれているのが、よく見える。

数年経つと色が濃くななり
ヒビが入り、割れる。

盾を持つ人の埴輪の
新しいのはこれ
  ↓
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数年たったと思われるのがこれ
  ↓
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常に作り替え続けなければ
この景観を保てないことがわかる。

今日はたくさん歩こうと思って
ここまで来たので
古墳公園以外の周囲の地域まで
足を伸ばし、戻って来て

オヤツに群馬県民が
こよなく愛するという
「焼きまんじゅう」を1本買い
4つのうち2つ食べたところ

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中はスポンジのように
フワフワなのに満腹になってしまった。

その後、博物館内を見学。

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王をはじめ様々な人々の役割や
衣装などが解説されている。

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力士がシコを踏むとは
「大地の魔物を追い出し
 豊作を祈願する」

という意味であることを知った。

私はここに書いたように四股は当て字で
漢字で書くなら醜(シコ)が正しいとの説に
賛成なのでシコと書く。

円筒埴輪は2つ使って
棺として使われていたとは! ↓

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いろんな埴輪が展示されている中に
巫女の埴輪もあり

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巫女の衣装や装飾品の絵を見ても
王に次ぐ(いや、王以上の?)地位
だったのだとわかる。

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保渡田の3つの古墳では
二子山古墳が最も大きい。

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昭和55年頃の八幡塚古墳が
こんなに荒れ果てていたとは👀‼️

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どう見ても古墳なのに
整備保存されていなかったことが
信じられないが
近畿でも破壊されてしまった古墳が
いくつもあるらしい。

これ以上破壊されないうちに
再建できて良かったね。

最後に「わらう! 太宰治」を見て

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苦悩している太宰だけではなく
こんなにユーモアあふれる一面が
あったことを初めて知った。

なのに何度も自殺未遂をし
38歳の若さで本当に死んでしまうなんて
文学に疎い私には全くわからない。

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 写真は「土屋文明記念文学館」のリーフレットより。

バスの時間が近づき
余裕をもって15分前には出たのに

公園を出て、どちらに向かって歩けば
バス停があるのかわからなくなり、ウロウロ。

何とか思い出し
4分遅れで到着したバスに
無事乗車。焦った〜っ😩

雨が降り始める前に
ホテルに帰れてよかった。
4

2021/8/31

東塔を見に、3回目の薬師寺  史跡

8/29(日).30(月)と生駒で施術。
31(火)は施術予約もなく暇。

どこかに行こうかと考えたところ

「そうや、薬師寺の東塔の
 大修理が終わったんや!
 見に行こう!」となり

雑用を片付けブランチを摂って
11時半頃に家を出たら
12時少し前に西ノ京駅に到着。

駅のホームから東塔・西塔が
そろって、ハッキリと見える。

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駅からは徒歩3分
我が家から北拝観受付までは
30分という便利さ。

水雲(東塔のてっぺんの装飾部分)の
展示も見るには合計1,600円。

拝観券を買って入るとすぐに
薬師寺の象徴 東塔(国宝)が見える。
        ↓
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薬師寺を訪れたのは、これが3回目
1回目は夫と、2回目は孫3人と

2回とも東塔は
全面解体大修理中で
テントに覆われていた。

今春、修理が終わり
やっと見られたことに感激。

この夏初めて見た蓮の花。

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もうほとんど枯れていて
わずかばかりだが美しさにウットリ。

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受付で案内された通りの順路で進むと
東塔の先端まではっきりと見えてきた。

まずは、日本最古の禅堂
東院堂(国宝)に入ると

以前は東僧坊に展示されていた
「千年の釘」が
こちらに移されていいる。

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木造建築を千年以上にわたって
しっかりと支えた和釘。

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東院堂に入って、板張りの床に
正座して聖観世音菩薩立像(国宝)にお参り。

奈良時代に建てられた時は
他の建物同様、土間だったが
後年、床が張られたとのだと。

中門に向かう途中
東塔・西塔が並んで見える。

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中門をくぐると右側に東塔 ↓
 
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初層が特別開扉されているのを見に。

心柱は床にすっぽりと収まっていて
下端を見たかったのに…
残念ながら見えかった。

確か下端部分は地下なので
見えないんや〜。

ということは、地震のときは
この床ごと動くんやな〜
と眺めていたのだが…

小学生の修学旅行で
能登のお寺を見学したとき

大きなお深皿型の石の上に
心柱が立っていたのを
今も鮮明に覚えているが…

「あんな風に見せてもらえたら
 子ども達も心に残るのにな〜」

と、ちょっと残念。

中門まで戻って、記念自撮り。

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そこから西門を撮り

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少し北に進んで東塔を正面から撮影。

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六重に見えるが三重の塔。
絶妙のバランスで

“凍れる音楽”

と称される律動的な美しさ。

東寺・興福寺の塔も美しいが
薬師寺東塔は別格と感じる

金堂に入って薬師三尊像(国宝)にお参り。

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堂内はもちろん撮影禁止。

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      ↑
これは、東僧坊に掲示されていたのを撮影。

半年ほど前?
NHKテレビで見た古い白黒映像。

ユーモラスな解説で人気のあった
薬師寺のお坊さんが

薬師如来さんはお医者さん。
日光菩薩さんは日勤の看護婦さん
月光菩薩さんは夜勤の看護婦さん

と、桂米朝さんのように
軽快に解説されていた。

彼の解説の録音が
残っていないのだろうか?

それを聞きながら見学できたら
どんなに楽しいだろうに…

と思いながら、大講堂に。

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ここを見た後、食堂(じきどう)に。

我々が5年余り前に
瓦1枚を寄進したのが ↓

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この食堂の瓦として
屋根に葺かれているはずだが…

暑くてもうフラフラ
写真のことなんか
頭から吹っ飛んでしまった。

自動ドアを入ると
中は巨大なイベントホール👀‼️
完全空調で
天井の装飾はえらくモダンに見える。

周囲には仏教伝来の絵
14枚が飾られている。

休憩用の椅子もあり
写真集を見ながら一休み。

すると、寒くなってしまい
そそくさと次の西僧坊へ。

これが本日のもう一つの見学目的、水煙(すいえん)

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1300年間、東塔を護り続けた
この水煙は

この度の解体大修理を期に
その役目を終え
地上に降ろされたものだと。

そんな貴重なものを拝観者が
触れる状態にしておいていいの?

これは国宝の一部ではないの?
それに、このコーナーだけは撮影可。
訳が分からない…。

塔の先の各部分の名称や重量なども
詳細に書かれていて
それぞれの重さに👀‼️

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これじゃ〜、塔の土台部分は
地盤沈下しないよう
頑強でなければならない。

そんなこともテレビで見たな〜。

瓦屋根のすぐ上の伏鉢・平頭・擦管
      ↓
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      ↑
擦管には文字がびっしり。

解体大修理の写真パネルもあり
これを見ると心柱の下端は
丸い石に差し込まれていて
それが石の上で動くようなっている?  ↓

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ここにも大きな和釘が展示されている。

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エンタシスのように
中央部が膨らんでいるだけでなく
凸凹と波打っている。

木材に打ち込むと木は伸縮するため
釘は木材に包み込まれる。

すると、釘の頭が錆びて消失しても
釘は木材の中に残り、木材を支え続ける。

もっと詳しく知りたいが
説明してくれる人もいない。

せめて音声ガイドがあれば
もっと感動したと思うし
拝観者も増えると思うのに…、残念。

来るたびに経営に口出ししたくなってしまう。
ただいま修理中の建物も2カ所ある様子だし ↓

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北の伽藍の塀もボロボロで
まだ修理されていないし

こんな巨大寺院を維持していくには
そうとうな経営手腕を持つ人がいないと
大変だろうな〜と思う。

これは東僧坊に展示されている
台湾産の巨大な赤桧の株

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この巨木を輸入して
大講堂の柱を切り出した。

その後、台湾は森林保護のため
巨木の輸出を禁止した。

そのため、興福寺中金堂の建設には
アフリカから巨木を輸入。

そのアフリカも輸出禁止に。

今後、こんな大きな建物を
建てることはおろか
修理することも難しい。

日本で木を育てるしかないやん!
何百年もかかるとは思うが…。

そんなことを考えながら
駅に戻る途中
200mほど歩くと「がんこ一徹長屋」
というのがあるとの看板。

それなら行ってみようと
たどり着いたが

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全く人影もなく
展示物がわずかに見えるくらい。

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販売している様子も
教室を開催している気配も無し

これはコロナのせい?
それともそれ以前から?

暑い中くたびれただけ。

駅に戻って椅子に座って前を見ると
あれっ、ホームに薬師寺の石柱が!

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前に来た時も気づかなかったが…。

こんなところに立っているということは…
この駅はもともと薬師寺の敷地で
門があった所なのかも?

分からないことだらけ
??が飛び交う頭で、暑い中
へとへとになって帰宅した。
6

2021/8/25

吉城園・入江泰吉旧居・正倉院  史跡

県庁を出て、歩くこと約10分
依水園に到着。だが、締まっている!

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HPには水曜日も休むなんて
書いてなかったのに〜😥

ここは、2019/1/4も来たのに
やはり休みで、やむなく
東大寺ミュージアムに入った。 

さて、今日はどうしょうか?
と、南隣を見ると
「吉城園」と書かれていて、無料だと。

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無料の園なんて…
と、全く期待もせずに入ったところ

素晴しい庭園😮

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この池の写真は↑ この ↓ あずま屋から撮った。

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苔もシダも見事!

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山野草もいろいろ咲いていて美しい。

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茅葺の茶屋も趣があり

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内から見ても芸術性の高い建物。

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苔の庭は広く、私以外誰もいなくて

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超贅沢空間。

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ずいぶん歩き回って受付に戻ると
60歳くらい(?)の女性が

「紅葉の頃は最高にきれいなので
 ぜひまた来てください」と。

瓦などをはめ込んだ塀の壁も面白く
名残惜しさを振り切って
正倉院に向かうことにした。

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真夏の暑さとなった道路を
歩き進むと、途中に
「入江泰吉旧居」とあり

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奈良を撮りつくした
写真家の記念館のようなので
避暑と休憩を兼ねて入ることに。

入場料は200円。
安〜っ、これじゃあ電気代くらい?

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このような仏像や寺院や様々な行事などを
写真に納めた人とのことで

エアコンの効いた涼しい部屋の
ソファに座って
写真集をゆっくり見て休憩。

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庭も立派だが、ガラス戸と網戸が
大部分閉まっているためきれいに撮れず。

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池の中の鬼瓦? 水は干上がっている。

帰ろうとすると
玄関の前の石に丸いのが2つ見え
これは石臼では?
    ↓
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幼いころ、近所のおばあさんが
これを使って豆を挽き
きな粉などを作っていたのを思い出した。

受付の女性に尋ねると
やはり石臼だった。

それから
「この道に沿って歩いて行くと
 暗室(現像室)があり
 入れるのでぜひ」と。

歩いて行くと、庭に小さな石仏。   ↑

さらに進むと、暗室があり、入ると

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今も使われているという、現像機械や

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水洗い用の流し台が設置されている。

暗室側の出口から道路に出ると
暑い〜っ😓

でも「頑張って正倉院まで歩くんや〜!」

アッチチの道路の上を黙々と歩き進むと

お〜、近づいてきた。↓

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しかし、ここからが遠い。暑い。
東大寺の境内は広いわ〜😫

大仏池の東側を進むと

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「正倉院皇宮護衛官派出所」と書かれた建物。
なんだか…
近づきがたい雰囲気。

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そのまま進むと、校倉作の建物が見えてきた。

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でも、ここからは入れない。
右に曲がって
アッチチの小さな玉砂利の道の
何と長く感じたことよ。

やっと「正倉」外観 拝観者出入り口に着いた。

ここからは涼しい風が吹いていて、ホッ。

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それでもけっこう長い距離を歩くと
まん丸の池の向こうに
正面に正倉が見えてきた😄!

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緑色のコーンの向こうに
立ち入り禁止の棒が横たわっていて
それ以上は近づけない。

そりゃ〜、そうやろ
これほどの木造建築やもの。

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正倉院展は何度か見たが
正倉院を訪れたのはこれが初めて。

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今は宝物はここには納められていなくて
東西の宝庫に分納されているが…
あ〜、感無量😄

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でも、もう頭が回らない。
どれが東宝庫か、西の宝庫か…?

もういい、熱射病で倒れないうちに
涼しいところに入らないと…。

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後ろから見る大仏殿。
  ↓
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小鹿が草をはむ大仏池の南を通って
天極堂へと歩いた。
3

2021/8/6

下関市(彦島)唐戸エリア  史跡

北九州の旅 最初の訪問先は
関門海峡の向かい側
山口県下関市の赤間神宮

8/6(金)10:10 門司港から

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関門連絡船に乗り
10:17 唐戸港に着岸。

赤間神宮に向かおうと進むと
私好みの建物が正面に😮

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 (これは旧秋田商会ビル。今は
  観光情報センターとして活用されている)

カメラを手にどこから撮ろうかと
歩いていたら…
突然前に転び、右膝を強打😫

車止めのコンクリートで
つまづいたことが分かった。

真新しいズボンの表地に穴があいたが😥
幸い
打撲はたいしたことなく普通に歩ける。

7年前、橿原神宮の前で
カメラを構えていて
20cmの段差から落下し
右足首がひどいことになった。

私はカメラを手にすると
周囲が見えなくなる😓

この建物に入ってみたいと思ったが
正午までには門司港に
戻らないといけない…😥

赤間神宮へと急ぐ私の目に
この建物が…。

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これは旧下関英国領事館
帰りに時間があれば入ってみることに。

続いて、亀山八幡宮(亀山天皇が祀られている)

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フク(フグ)の巨大な像があるらしいが
この石垣の高さ…、諦めよう。

そして、大鳥居の右側に
床屋発祥の地の石碑。

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さすが下関、歴史ある街!

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大量のフグのヒレ ↑
唐戸市場内では、フグのお土産を売る店や
フグ料理を食べられるお店が
たくさんあるんやろな〜とは思うが

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今回の旅はそれが目的ではないので
さらに歩くと、日清講和記念館 ↓

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  ↑
この向こう側には往年のテノール歌手
藤原義江記念館もあるらしいが…

ここからすぐに赤間神宮の大鳥居

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正面に安徳天皇の巨大絵馬 ↑
   ↓
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その隣の水天門をくぐると ↑

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木材の赤色は鮮やかで
塗り替えられて
年月が経っていないようだが
屋根はずいぶん傷んでいる。   ↓

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「この建物全てを維持するには
 莫大な費用がかかるやろな〜」

などと思いながら
外拝殿の前を左折して

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耳なし芳一像の祠に。

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なぜここに来てみたかったかについてはこちらを。

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その前を進むと平家の人々の
小さな墓石が並んでいる墓地。

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ここでお参りしてから
外拝殿に戻って参拝。 ↓

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ここに、この神宮の由緒記   ↑

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・御祭神 八幡大神 神功皇后
・今から1,200年前、日本西門の
 守り神として創建された

ことなどが書かれている。

ウィキペディアには
祭神は安徳天皇と書かれているが
それではつじつまが合わない。

神功皇后(ヒミコの次の女王 トヨ)でないと。

帰る途中、少し時間があるので
旧英国領事館に。

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「無料?」と思ったら

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内部は喫茶店になっている。

飲食せずにただで見学するのは
気が引けるし…

咽喉も乾いていたので
テイクアウト容器入りの
ブラック アイスコーヒーを
500円で購入。

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領事館として使われていた時のまま
保存されているお部屋もあり

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エリザベス女王の写真も飾られている。

旧秋田商会ビルに入る時間はなく
後ろ髪引かれる思い。

「もう1回来ないとアカンわ〜」

と思いながら
11:40の船に乗り
門司港へと向かった。
3

2021/6/3

丸亀城  史跡

6/3(木)は丸亀城巡り。

午後には雨になるとの予報なので
8時には新居浜のホテルを発ち

特急しおかぜ で1時間弱
9:20丸亀に到着。

丸亀ではこれまで
セミナーをした日数は20日以上

そのたびに見上げていた丸亀城。

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最後が2017/2/12となった。

日本一高いと言われる
石垣に毎度、圧倒され

セミナーの日の早朝に
「登ってみよう」との気もわかず
今日に至ってしまった。

そこで、新居浜の帰りに登ろうと
夫を誘ったというわけ。

お城に近づくと、道端に
見たことのない小さな花
 ↓
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旧税務署跡には見たことのないサツキ ↑

お堀の前から大手二の門と天守

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くぐって右に曲がると大手二の門

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くぐって振り向くと。

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木材の大きさに目を見張ってしまう ↑

うっかり、キャスターバッグを
駅のコインロッカーに預け忘れ

観光案内所のコインロッカーに
2人分の荷物を全部入れ

急坂「みかえり坂」を上ると
美しい勾配の石垣。 ↓

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坂を上り切って見返ると
緑のトンネルが美しい。 ↓

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右に曲がるとまた急坂。

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鮮やかなサツキを撮りながら    ↑
休み休み上りきると、天守台広場。

瀬戸内海が見える。

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案内図を見て、コースを確認。

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天守の前で記念撮影。

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天守内の階段降昇も急勾配で
上の段の角に
スネが当たってイタ〜ッ😥

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万治3年(1660年)安全祈願の木札が  ↑
昭和25年の修理時に見つかった。

日本の文化財は、このように
きちんと何年に何があったと
証拠が残っている。素晴らしいね〜。

天守の窓からの光景 ↓

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天守の天井 ↓

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COVID-19 のせいで人は少なく
案内係りや店員さん達も暇そう。

コロナ禍がおさまっても
自粛生活で弱った足腰の人達は

こんな急坂・急階段のところに
来られるかなぁ?

天守から、からめ手門跡へ

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途中、きれいな花が

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緩やかに下りながら
雄大な石垣を見上げて…。

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からめ手門跡を左折し
野面積(のづらづみ)の方向に。

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丸亀城の石垣の多くは
打ち込み接ぎ(うちこみはぎ) ↑

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野面積はここだけ。

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野面積の端っこ。アザミがたくさん咲いている。

大手門に向かって歩くと、あずまやがあり
長椅子に座って、しばしの休憩。

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堀はあちこち堰止められていて
流れがほとんどなさそう。

藻やプランクトンが多く
緑のドロドロ、残念。   ↑

大手門に近づくときれいな花壇。

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近づいて見ると、西洋っぽい花。
お城の花壇の雰囲気ではないな〜。

大手一の門の中を見学。

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ここを先に見ておくべきやった〜。

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  ↑
1対の(夫婦の)シャチホコ。
昭和25年の修理の後
雌が行方不明になっていたそうで

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それから35年後の1985年(昭和60年)に
見つかったのだと。雌の尾びれは欠けている。↑

木材が竹でつないである。
こんなのを見たのは初めて。
   
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窓から見る大手二の門 ↓

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それから、玄関先御門をくぐって

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市立資料館に入り、見学。
でも、丸亀城主のことがほとんどでイマイチ。

駅への途中
セミナーで訪れていたときには
いつも閉館中に入れなかった
「街の駅 秋寅の館」

今日、やっと入れる!
と、ワクワクしたのも一瞬。

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ここも、古い金庫などが
置いてあるくらいで ↓

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これといった企画もなく
コーヒーすら飲めず…😥

駅への途中、腹ペコで
うどんを食べたが
コンビニのうどんの方が
ずっとおいしいくらい。

お城は素晴らしかったが
街全体としては

「もっと創意工夫に尽力してほしい」

と言いたくなった。

駅舎に入る寸前に雨がパラパラッ…

天の神様
ありがとうございました〜っ。
2

2021/6/2

別子銅山 その周辺  史跡

東平を後にし、道の駅マイントピア別子に。
ところが、カメラの充電切れ…😥

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やむなく、このサイトから頂戴した。

週末はマイクロバスが
ここから東平まで
往復しているが

平日は5人以上の予約がないと
走ってくれないので
タクシーを利用したというわけ。

山岳鉱山鉄道の85%の大きさの
復元列車が走っているので
乗車券を購入。

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乗客は我々2人だけで
気持ちよく乗っていたのに
5分足らずで終点😮

これで往復1,300円! 高っ!

降りて「入口」と
書かれている方向に歩いて行くと
坑道の入り口にちょんまげ姿の
男性の人形が立っている。

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 この時は充電が復活し
 これ1枚だけ撮れた。

この人形のモデルは
有望な鉱床を見つけた
坑夫長兵衛さんで

ここは、1690年(元禄3年)に
最初に銅の鉱脈が発見された所。

皆で歓喜の声を上げたそうで
歓喜坑と名付けられたのだと。

この中では、江戸時代の
鉱山の様子が残されいて

絵・人形・解説パネルなどが
たくさん掲示されていて、よくわかる。

さらに進むと
明治〜昭和の鉱山の様子が
ジオラマで再現。

鉱山列車・ケーブル・牛
ベルトコンベアが動いていて
子どもから高齢者まで
よく理解できる。

帰りは電気機関車が先導。

坑内見学は無料なので
乗っている時間はわずかなので
往復1,300円は、まぁ妥当。

コロナ禍以前は、お客さんで
いっぱいだったそうなのに
往復とも乗客は我々2人だけ。

タクシーの運転手さんも
1日に駅と東平を3往復したくらい
忙しかったそうだが

今年に入ってからは
我々を乗せたのが初めてだと👀‼️

あぁ〜気の毒。

その後、旧広瀬邸と

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邸宅の裏庭に建てられている
広瀬歴史記念館を見学。

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広瀬宰平氏は、明治初期に
西洋の進んだ技術を取り入れて
別子銅山を近代化させた人。

それが、現在の新居浜の基礎を作り
日本の近代工業を
推し進めることにつながった。

世界遺産となった
石見銀山は、遠くて
交通の便も悪く
人が多かったこともあり…

とにかく、しんどかった。
それしか記憶にないくらい。

その点、別子銅山は交通の便も良く
見ごたえもあり、景観も素晴らしい。

公害や大規模な労働災害を
起こすこともなく

近代日本を築く上で
多大な役割を果たしたことが
よく理解でき、感動の連続。

「世界文化遺産に」と
あちこちに書かれていたが

ぜひ、なってほしい。
多くの人に見学してほしいと思った。

タクシーでホテルまで運んでもらい
延長時間分の料金を支払い
あぁ〜、よかった〜。
2

2021/6/2

東洋のマチュピチュ 別子銅山  史跡

6/2(水)、ホテルから新居浜駅まで歩き
駅前でタクシーの運転手さんに
別子銅山観光のチャージを伝えると

「駅でクーポンを買うと安くなる」

と教えてもらい切符売り場で
7千数百円で購入。
これで、2時間半乗車できる。

最初に別子銅山資料館に。

5/31までコロナ禍で閉館していたが
6/1から開館し、ラッキー。

サツキだろうか?
見事に手入れされている。

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ここで別子銅山の歴史などの
基礎知識を入手。

鳥居は大山積神社。

ここに、SL・ディーゼル(?)
機関車が展示されている。

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建物も塀も全て石積み。

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岩石名もわからないのが悲しい😥
タクシーで東平(とうなる)に向かう。

勇壮な山を眺めながら

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険しくすれ違い困難な
山道を進み、東平に到着。

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まずは東平歴史資料館に。

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東平には、昭和48年の閉山まで
最高5000人もの人が住んでいて

社宅や病院はもちろん
私立住友東平小学校・同中学校
娯楽館・プール・鉄道と

東寺としてはとても
近代的で文化的な街で
大人は働き、子どもは学んだ。

驚くべきは
当時の人々の力の強さ。

この巨大なノコギリ。↓

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さらに驚くのは、作られた粗銅を
仲持(なかもち)と呼ばれた
担ぎ手さんが
男性で45kg、女性で30kgを背負って
十数kmもの険しい山を運んだと👀‼️

その類似体験ができるコーナー。

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台から浮かすことすら
できないだろうとの予想に反して
浮いた\😄/

でも、「2〜3mすら歩けない!」と感じた。

それからシアターに。

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資料館で見たことなどが
映像と音声で、わかりやすく。

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さっきのSLが走っていた姿も。

銅の鉱石や植物などの
展示品に混じって

キラキラ輝く調理具や
アクセサリーも。

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歴史資料館を出て、小マンプに。

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この中西当時使われていた
ブルドーザーのような重機などを
見ることができる。

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そこから、旧第三変電所と言われる
営業本部事務所(?)へ。

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きれいに植林された杉の周囲には
オオバコなどが生えている広場。

放っておけば草ボウボウになり
実生の雑木つる性植物で
大変なことになるのに

見事に整備されている。

木の根元にも岩石が積んである。
何十年、いや、何百年前から?

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巨大な岩石も!

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あぁ、タモリのような
岩石の知識がないことが悲しい。

見たことにない可愛い花もいっぱい。

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駐車場に戻って
旧インクライン クリックすると元のサイズで表示します

220段の長大階段を降りると
貯鉱庫跡

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その前で、オートシヤッターで記念撮影。

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石楠花がきれい。

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この下に、索道基地跡があるのだが
道もわからず、体力的にも難しく

タクシーへと戻った。

残念😥 なので写真だけ。

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2021/4/20

小樽観光 -2- 人力車で鰊御殿に  史跡

小樽港から駅に向かっているはずなのに
駅が見えて来ない…。

なんだか疲れてきたところに
目に入ったのが

元気な人力車の車夫姿の
オニイチャンの笑顔。

「僕、今日が初仕事なんです!」

「それじゃぁ、ご祝儀として
 乗ることにしよう」と思って

「鰊御殿まで、片道でもいい?」と尋ねたところ

「モチロン片道でもいいです。
      45分で行きます!」と。

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ところが傍にいた先輩が
(後で聞いたところ、小樽の支店長)

そんな遠いところまで行ったことはなく
ましてや新入り社員に…と

自転車で後ろからついて行くことになった。

私が先ほど歩かなかった北運河を
新米車夫 中峰君は、解説しながら進む。

これは小樽では珍しいコンクリート作りで
つい近年まで使われていたのだと。↓

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九州の軍艦島と並ぶ
国内最古のコンクリート建造物で
いつまで形をとどめられるか…?

あたかも実験中のような状態。

次々に撮影してくれて、ガス灯の下でも。
そのたびに空手のポーズで気合。

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旧渋沢倉庫⇒クリックすると元のサイズで表示します

必死にカメラを向けている私が
ガラス戸に写っている!

なんと私らしい😄 ↓

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   ↑
渋沢栄一の写真が貼ってある。

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小樽運河は直線ではなく曲線
世界的に見ても、とても珍しいのだと。

これは、掘ったのではなく
今の海と今の運河の間を
埋め立てて作った運河。

その時に、曲線になったらしい。
ということは
大阪の中之島も同様なのでは…?

ここから北は運河の幅が広くなる。
南は道路を作るために
狭くなったため。

ここが運河の北端。 ↓

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この辺りには観光客の姿は全くなく
トンネルを3つぐくり抜けると

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鰊御殿こと小樽貴賓館(旧青山別邸)

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広い豪邸。全てが豪壮・豪奢

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見学出来るのはこちらで、ここから入る   ↓

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中峰君は小樽で生まれ育ったのに
入ったことがないのだと。

私は1,100円払って入り
中峰君は無料。良かったね〜😄

館内には素晴らしい家具や什器
美術品などがいっぱい
展示されているが撮影禁止

枯山水の庭は撮影可で
ガラスにレンズを当てて撮影。

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京都の善峯寺を彷彿とさせる松。↑

海も見える。 ↓

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門のすぐ内側にある石狩挽歌の石碑

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この歌詞の小樽が見たくて
来たくらいなのだから

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どうしても番屋らしい番屋を見たい。

ということで、昼食より番屋。
貴賓館で昼食を摂り
バスで帰ろうと思っていたのに…

昼食抜きで、時間延長で
番屋に向かってもらうことにした。

人力車無理なほどの急坂を
頑張って歩いて
着いたのは小樽市鰊御殿。

海辺にあったのを
高台に移設したもので
入館料は300円

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玄関の上は吹き抜け

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ニシン漁の船の船尾に

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張り付けられていた装飾板

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こちらはNKの朝ドラ
「マッサン」の撮影地かと思うくらい
そっくりで、まさに、番屋!

漁や加工に使われた道具類
番屋で年間を通して
暮らしていた人々の
生活の様子がよくわかる。

鰊が来なくなって
昭和28年でニシン漁は
消えたと言われるが

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近年でも、メスが産卵した後
オスの白子で
海が真っ白になることがあって

これを群来(くき)と呼ぶのだと。

ようやく帰途。運河近くにある
今は使われていない
道内最古の鉄道、幌内鉄道の軌道に。

レールが今も残っている。

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札幌まで続いていたそうで
ここは、手宮駅⇔色内駅の間。

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ここでも記念撮影。

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小樽駅に戻る途中に
立派なうだつの上がった建物 ↓

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ここを左に曲がると
あれっ
私が最初に撮った家屋!

店と商家とがつながっていたんや〜。

隣の屋根を取り除いた跡が
倉庫の壁についているのが
たくさんあったのは
こういうわけやったんや〜。

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ここで最後の記念撮影。かしこまって。

時折強風が吹き
乗っているだけの私は
寒いくらいだったが
中峰君のシャツは汗ビショ。

私は予定外の大出費(3万円余り)
となったが
息子に私の遊び相手をさせようと思ったら
こんな額では済まない。

タクシーをチャーターする方が
安いが
人力車も風情があっていいものだ。

豪華特急列車にも
乗ったことがないし
乗りたくもないし

自動車の免許を取りに行く
時間とお金を考えても…

まあ、それよりは安い出費でしょう。

中峰君、お疲れ様!
大変な仕事デビューだったね〜。
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