2015/7/21  11:27 | 投稿者: Momoly

 与謝野晶子さんが 寛さんといた
 そのお部屋で
 与謝野晶子物語を詠い語らせていただきました。
 梅雨明けをした 夏の午後
 遠くらは 蛙の声ではなく 蝉の声がしていました。

 たたらの名家 絲原家
 思い返せば 二年ほど前
 神話やたたらの作品をもっと書きたい
 古代の人々の息吹を感じたい!と
 奥出雲に拠点をつくらせていただいたとき
 この絲原家にご挨拶にうかがいました
 豪快な常務さん 安博さんにお目にかかったのはそのときがはじめてでした
 それから、何度かおめにかかり
 与謝野さんたち沢山うたつくってるよ〜それを歌っていきゃいい
 同じ文字数だから同じメロディーでいいんじゃないのおお!!あっはっは!!と
 いわれて 私は目がくるくるしました
 でもそのとき常務は大切な事をおっしゃっていたのです
 砂丘ーーねっ!って

 私の、脳裏の中にはいつも
 砂 と地下の海があります
 
 そのキーワードが 今回こんなにも私を導くなんて!

   金屋子様の資料袋に 与謝野晶子さん関連は入っていました
  
   〜私はテーマごとに 袋を分けて  自分への宿題の山がいつも沢山あります 笑 〜

 図書館にまずいき  与謝野晶子さんを調べたいです
 まだ、知識ゼロなので〜とご相談し始め

  私のキャリーバックは 本だらけ〜重い〜〜


   高村光太郎の研究をなさっている小山さんにも 名古屋の大島先生にも
   いろいろうかがい まず 光太郎さん智恵子さんとの接点から
   私の脳内の時間軸を創っていきました
   それまでは知識が並行してしまい
   なかなか脳の中に納まりません

   平塚らいてふさんや 生田長江さんも すこし並びはじめていましたがまだまだです
   大杉栄さんたちもこのごろ参加し始めました

   そんななか、やはり光太郎智恵子さんです
   
   するとするすると紐が溶け始め
   晶子さんの告別式に光太郎さんが 告別の詩を朗読され
   お二人は多磨墓地にねむられている
   私の住所とほとんど同じです。東京都府中市多磨町

   でも、膨大な晶子先生の一生を モノドラマにしようという
   私の無謀な計画は 本当に大変なことでした

   でも、これが私がしたいこと。
   二十代からこのモノドラマをし続けてきました
   でも、ハードルが高く
   役者の友人からは 役者に朗読してもらったほうがいいんじゃない?とか
   演出家がいないとだめだとか
   いろんな事をためしてきました
   オーディションをうけて、いろいろな役にトライしていくのが
   普通の生き方でしょうが 私は モノドラマがしたかった
   もちろん、シャンソンもすきでたくさん舞台にでてきましたが
   何故日本にシャンソンが流行るのか
   その元を知りたかった 

   だから今回のお仕事は 通り一遍に 絲原家でお二人が詠まれた歌を
   歌えばいいのではないと 

   入院なさっている 常務はお電話ではいつも
   大きな声で元気にお答えくださります
   玉造温泉から車で絲原家に向かったとありますが
   そのときの車種はなんですか トヨタですか
   という私の質問に
   そのときはまだトヨタはなく フォードだよ と

   ああああ!これから、山ほど質問したかった
   
   亡くなられる三日前にも留守番電話をいただき
   私は、予感がしてものすごく焦って寝る時間をおしんで
   最後の仕上げにむかいました
   録音して聞いてもらわなくては
   最後の1曲を録音していると 訃報をうかがいました


    うそ


   デモ、何故か涙はでません
      なぜか

      その夜 録音をし上げ 次の朝郵便局があくと
      録音したCDと お悔やみを 別便でお送りしました

今回のモノドラマはこの言葉で締めくくりました〜  

     晶子さんは この歌を胸に生きられたはずです

          劫初より造りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つうつ


 安博常務も 釘を打たれましたね!!
    どうぞ安らかにおやすみ下さい


     今回の モノドラマは 撮影クルーに入っていただきました
      昨年の金屋子神社との編集でまとめさせていただくとおもいます
     そして これから モンデンモモ SONG BUNGEI はいろいろなかたちで進んでいく事になります
     これが  私の  夢


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2015/7/17  12:19 | 投稿者: Momoly

昨日から、出雲に入りました。

 いよいよ 与謝野晶子さんを歌う日が近くなってきました

 フェイスブックに今立ち上げた記事です

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85年前の5月 山陰に吟行〜歌を詠みながらいろいろな場所を旅する旅〜をした与謝野晶子 寛夫妻の山陰吟行記念イベントの一環として 与謝野晶子さんの和歌を中心に歌わせていただきます。今回のイベントに向けて新作を創らせていただき、与謝野晶子物語として 一時間10分のモノドラマにさせていただきました。以前ユーハイムの朗読コンテストの審査時間の演目として毎年創らせていただいてた事を思い出しました。中には私のモモミュージカルの元になっている作品もあります。
いろいろな、図書館、記念館そして関係者からお借りした資料を読ませていただくにつれて 与謝野晶子さん本当にすごさ、そしてこの時代の魅力にすっかり見せられていきました、智恵子さん光太郎さんから 平塚らいてふさん生田長江さんへと創っている私の曲達 人々が全てつながりました。そして キーワードが 鳥取砂丘 そしてなんと多磨墓地が。そんなモノドラマを創りました。山陰吟行のきりくちからこんなにもひろがるとは、驚愕の毎日でありました。そして今回の切っ掛けを頂いた方の想いもかけない挽歌となってしまいました。14歳に見た、鈍色の空は蘇りこの道に続いていたのを 示してくださった方に献じさせていただきたいとおもいます。20日絲原家におでかけ下さいませ!

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日々のお仕事の中 新曲を創り続けてきました
 今回のお仕事をいただいた 方に出来た作品を聞いていただきたくて
 急いでいました。

 そのかたを訪れて手渡したい、すごくそう思いましたが
 そのかたは入院なさっていました
 そんななかでも、お電話では何ども元気なそのお声をきいていました。
 私の質問にも元気にお答え下さり
 本番は今回は聞いていただけないかもしれないけれど
 退院なされば機会がある!でもまずモノドラマを録音して聞いていただこう
 
 その日の三日前留守番電話をお聞きして
 私は焦りました
 その日も急いで夜中録音していたのです
 そこで、訃報をしりました
 そのかたのお母様経由で

 えっ! 

 音がなくなる 私でした

 でも
 その夜 出来るだけ録音して
 次の朝 速達でだしました

 晶子さんは  芸術の殿堂に黄金の釘を一つ打ちたい と 詠われています

 この方も、 釘をうたれました

 あのかただと、かなり太い釘です〜〜

 私は あのかたに、教えていただいたこと
 歌にしてうたっていきます〜〜

  安らかにお眠りください
  今頃、晶子さんに逢われてるかな


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