2009/6/24

『前』に行きますか、それとも『後』に行きますか?  曲学阿世の輩


私の考えでは派遣村の人もネット右翼も、思想が違っても同じプレカリアートであると思います。問題なのは自分自身の弱さを見つめて前を向くか、後ろに行くかなのです。

一連の派遣村報道で「派遣村の人は被害者面をしている」とまでに誤解している様ですが、それはあまりにも失礼な話でしょう。

しかし、これは『弱者正義→左翼』と言う固定観念に縛られたために、彼らが厳しい社会を前向きに生きようとする姿勢が見えなかった為の誤解だと思います。

つまり、自分自身の弱さを見つめるにしても、プレカリアートであるのを認めても『厳しい現実を前向きに生きるか、過激なネット右翼として後ろ向きに生きるか?』の選択肢でしかありません。

マスコミ報道のおかしい所は派遣村の報道が出るたびに『彼らだけが犠牲者』であるように報道します。それによってネット右翼でなくても「こいつらだけが被害者か?」と言う固定観念を植え付けさせて批判させる方向へ誘導させると言う図式でしょう。

マスコミ当局としてもインテリ集団ですから、右傾化の空気を読んでいますので『弱者正義→左翼→偽善者』の図式で非難を浴びる事ぐらいは承知な事です。これは「イラク法人誘拐事件」や「ネットカフェ・ビデオ試写室難民問題」などでも『自己責任』と言う形で証明されました。

今回の派遣村問題でも週刊誌などでは『マスコミは派遣村報道ばかりでいいのか!』と言う事で自称保守派などを総動員して「彼らは怠け者の集まりだ」などと、あまりにも極端すぎる印象操作もやりましたね。

しかし、その自称保守派さんの牙城『産經新聞』が大規模な部数減に陥って、『諸君!』まで休刊になった現実からして、ネット右翼諸氏がプレカリアートであるのも証明されましたが、ネットカフェ難民問題にしたって、ネット右翼もそうである可能性もあるのですよ。誰からも相手にされない孤独感から居場所を求めてやった事だと思いますから、同情はしますが。

確かに過激なネット右翼として弱者に冷淡で左翼を罵倒すること自体、何も考えずにいられますから心地がいいですよ。何せ元は、私もその末席の身分でしたから。

しかし、それがまっとうな人間の生き方ですか?

自分自身の弱さを見つめて厳しい社会に生きようとするのは確かに辛いですよ、しかし派遣村の人たちでなくても、それは日々、貧しいながらも地道に汗して働く者が共通して持っている事ですし、まっとうに人間として前向きに生きようとする人なら当り前の事でしょう。

それが本当に『生き抜く為に戦う』事であり、「人間としての尊厳を守るため」ではないのか?

私自身、それを強く思います。
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