2009/8/20

「憎悪」対「憎悪」  偽装改革

本当の保守派とは庶民の事であり、一体何を保守するのかと言えば『先代から受継された歴史と伝統』なのが当り前だが、その行動の一つが『世間を保守する』と言うのも忘れてはならない。

世間を保守すると言うのは「世間から白い目を受けて村八分になりたくない」と言う恐怖感から自分の欲求や主張を押さえ込む事であり、それに反して庶民には解らない高邁な理想で自己主張でもされたら、冷たい視線で軽蔑するか、それを押さえるのは当り前の事。

言うまでもなく、自分自身の欲求で世間からつまはじきにされれば収入や社会的地位がごく限られた存在に零落するものであり、いくら世間が鬱陶しくて自分自身の意に添わないからと言っても『生活』のために『愛するものを守る』為にも自制する。

庶民が高邁な政治思想などに関心を持たない事は『当り前の事』であり、高邁な政治思想を声高く唱えるよりは『地道にコツコツと働いて、それが社会貢献に繋がる』事を選ぶ。

『日本をここまでダメにしたのは占領政策や戦後体制だ、それを保守する日教組や自治労を叩き潰さねばならない』とは言っても、靖国神社にある通りいくら占領政策や戦後体制があっても潰れないのが『日本古来の伝統』であり、いくらそのような事でゴタゴタが起きても『平和』である事を感謝した方がよほど英霊達にとって喜ばしい事だろう。

そう言う事だから、いくら『インチキ追悼施設』を建てたとしても英霊達の魂はそちらに向かない。逆にそのようなのを建設した奴を軽蔑するだけ。

問題なのはそのようなインチキ追悼施設やインチキ教育などではなく、キョーソーによって左翼に追いつき追い越せとまでにやって、左翼に対する抗議でしか自らの優位性を確保出来ない事だ。

それによって産まれるのは無知と偏見に基づいた憎悪であり、邪気によって魂そのものが汚され、人間性すらも破壊されるほど危険なものなのだ。

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