2009/7/3

愛国思想の擁護者は暴力を好む  曲学阿世の輩


「ホワイトカラーエグセンプション」の時の話しらしいですが、あれ自体「残業ゼロ法案」「過労死促進法案」とも言われ、「日本ではそぐわない」と言う事で反対意見があり、参院選直前で中止になった法案でも有名です。それに対して「怠けた社員もいるから厳しい経営をすべきだ」「ホワートカラーエグゼンプションで死者は出ない」と、「家族団らん法」推進派の大臣と同じ発想の人がこう云っていました。

拙者もアルバイトだが日産自動車(村山工場)でベルト・コンベァーの作業をしたことがある。あれも一定期間ごとに作業を入れ替えて公平な業務を図っている。だが一律に時間・幾らと”丼(どんぶり)勘定”の時代は終わったのである。

業績に合わせて賃金が支払われる(能率給の)時代になったのである。
コンピューターなどにより仕事を数値化・数量化できるようになったからである。
これは時代の趨勢で如何ともし難い。


『これからは、能率化と効率を上げる成果主義の時代だ!!』とも言いたいのですね。

さすがはチキンホークの代表格であって、三輪さん、喜八さん、浪人さんの事を『郵政三悪人ブロガーと名付けただけあって、いい仕事してますね(反語的礼賛)。

いくら能率化や効率を上げると言っても制限が無かったら、それによるパニック障害・神経衰弱などのリスクも考慮すべきだが、チキンホーク先生としては『時代が時代だから甘ったれるな!』とも御高言したい訳ですね。

チキンホーク先生、言うまでもなく野獣○○の事です。

チキンホーク、本来の意味は「戦争を賛美し、推進する者は最前線で戦争経験を積むよりは兵役忌避をするか、安全な後方に居座っている人』の意味ですが、野獣○○に限っては、正業を継続する努力をしないのに限って、「経験より業績だ、成果主義」だと言う事から『チキンホークの代表格』と言う有り難い称号を授与する事に決めました。


誰もが持つ疑問の一つとして

「本当に愛国を声高く唱えるなら、なぜ軍隊に志願しないのか?」
「本当に自らを犠牲にして公の為にしたいなら、なぜ最前線に志願しないのか?」


と言うのもあります。戦略家・ビジネスマンの必須本である孫子の兵法書にも『戦争をやたらとするのは危険な事だ』『戦争を続ければ財政が逼迫して、国民生活に悪影響を及ぼす』とも警告を与えています。最前線に出れば、極限状態にさらされて神経衰弱になった者や、精神に異常を来したものなどが多発するため、悲惨さを実感するものです。

なぜそうなるのか、最前線では「相手を殺せば自分も殺される」と言う極限状態を生き抜くにはよほど強靭な精神を要するもので、巷に言われている鉄拳制裁などの「戦場で殺されるより怖い」軍隊のいじめが行われるのもその為で、まともな精神状態ではやっていけない負の部分があります。

聞いた話では米海兵隊は、入隊当初は名前で呼ばれず番号で呼ばれるほど人間扱いをせず、訓練をする事でようやく人間扱いされるとも聞きます。その訓練自体があの日本軍よりも厳しく、それを乗り越えれてこそ人間扱いされるのです。それがある故にガダルカナル・マーシャル諸島・サイパン・硫黄島・沖縄などであれほどの実績を上げられるのです。

よく考えれば、愛国を声高く唱える者に限って、兵役についた時の事や最前線に配備される事を考慮せず、「誰々を打ち破った」としての功績や美談に引かれてそうなったと思います。

『愛国擁護の持ち主は暴力を好む』(オスカーワイルド)

とはよく言ったものです。兵役について最前線で戦い抜いて実績を上げて『現場叩き上げの軍人』として賞賛される努力をしないものだから、その攻撃的衝動を抑える事が出来ず、それを正当化する為に暴力行為を行うものだと思います。あの「愛国無罪」と唱える某政治団体がその例でしょう。

今はもう実生活でも最前線並の極限状態で、生きるか死ぬか、食うか食われるかの極限状態ですから、守るのは我が身ばかりに他者に関心を持つ余裕などありません。そのため「他者には容赦なく厳しい割には自らに比較的に甘い」様な人士も出てくるわけで、その象徴がチキンホーク先生こと野獣○○なんです。

このような自己中心的な人間が多ければ、世間が物騒になるのは当然ですが、チキンホーク先生にはこの環境が好ましいものですね。だから弱者には容赦ないほど厳しい訳ですね。


いまではホワイトカラーエグセンプションも、金融危機によって雇用調整で派遣切りや時間短縮まで行われそれどころではなく、頼みの綱の小泉将軍党も改革の負の部分が噴出して非難の矢面ですから、チキンホーク先生は『自由のどこが悪い』『景気が悪化してるから誰がなっても一緒』とまでにヤケになってます。

ホワイトカラーエグセンプションもそうですけど、クレジットカードの規制緩和だって、借金まみれで返済できず、最後は弁護士のお世話になった人もいるのですよ。

際限のない自由ほど、容量オーバーで収拾不能になってパニック障害を起こすものです。それで神経衰弱になって犯罪でも起こされて物騒な社会になったらどうするのですか?「足るを知らない」自由主義者ことチキンホーク先生からすれば、将軍様なみの『鈍感力』を持つべきだと言うでしょうね。

残念ながら、貴方ほどの「鈍感力」は常人にはありません。これからもその「鈍感力」でアンサイクロペディアに記載されるほどの立派な「憂国コントブロガー」にでもなって下さいませ。(反語的礼賛)


喜八さんこのような物でよろしいでしょうか?
どうもこのごろ急に暑くなったりする物ですから、頭がどうにかしてました。課題違いのブログであの様な事になっていまい、ごめんなさい・・・・

ブログを閲覧してる皆様、急に暑くなりましたので体調を崩してしまい、3日間の休養を取りました。どうもこれからも桔梗電信網を愛して下さる様、よろしく御願いします。
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2009/6/29

焚書坑儒は四面楚歌のもと  曲学阿世の輩

近頃の政治屋は『知識はあるが、教養は無し』と言えるだろう。

教養のある人間なら、こんな『表現規制』『政道非難封殺』の暴挙などしない。
なぜしないかと言えば、『厳罰化によって表現規制・政道非難封殺』で滅びた王朝の例もあるから。

言うまでもなく『焚書坑儒』をやらかしたので有名な『秦』王朝。
なぜ、秦王朝が滅びたかと言うと『陳勝・呉広の乱』をきっかけに項羽・劉邦らを筆頭とした反乱勢力が立ち上がったからであるが、原因は『厳罰化による表現規制・政道批判封殺』であり、『役人の機嫌次第の厳罰化』をやったために、陳勝・呉広がやむを得ずたちあがったから。

その弊害があって、漢の高祖・劉邦は『法は三章のみとす』つまり『強姦・窃盗・殺人』などの自然犯罪のみ厳罰化することで簡略化したのもその為であり、大衆に多大な支持を得たのは『史記』『項羽と劉邦』を読んで解る通り。

『焚書坑儒法案』の推進者、高市早苗は「有害サイトを取り締まる声が高まっている」とは言うが、長期的視点で冷静にものを考えず、その場しのぎの感情論の声ばかり聞いているとしかない。

こんなので本気に「青少年の性の暴走」を抑止できるのか?
本来なら『性交すると言う事は、その時は良いが、長期的に見れば後悔しますよ』と真摯に諭すべきではないのか?

この問題に関しても『将来的に表現規制・政道批判封殺の危険があるから、それで非難されれば元も子もないでしょう』と、諭すべきではないか?

それを聞く聞かないは自由だが、聞かなければ「刹那的な性的刺激で快感を求めてる青少年と同じ」と言うリスクを背負うのだし、それでは国民の支持を得る事無く『四面楚歌』になるのは言うまでもないでしょう。

あの秦王朝を滅ぼした項羽だって、彼自身が『秦王朝に対する制裁だ』として、三代皇帝を残首して、無駄を象徴している阿保宮を焼き払ったとしても、それが庶民に対する信用を得るばかりか、逆に『項羽残暴、劉邦仁厚』とある様に、憎しみを買ったのではないのか?(横山光輝著作 「項羽と劉邦」第6巻・第7巻、第11巻、参考)

それに加えて、盟主である楚の義帝を弑逆したために諸候からの反発を買われたように
項羽自身が『長期的視点で物を考えず、衝動的に反対者などを力でねじ伏せた』からではないか?

范増と言う名参謀がそれを危惧して忠告したり諫言したりするが、それを全く聞かなかったため使いこなせず排斥した事が破滅の要因とされる。

『豎子、図るに足らず』(小僧とは一緒にやっていけない)
『楚人沐猴而冠耳』(原点は『楚人は沐猴(もっこう)にして冠するのみ』つまり、猿が冠を付けた様な物)


これは『四面楚歌』に続いて、項羽にまつわることわざであるが、「なぜ、項羽は人望を得ず、破滅の道へと進んで来たのか」「なぜ、項羽ではなく劉邦を選んだのか?」を理解する為に必要なキーワードだろう。

暴虐な秦王朝を滅ぼしたとしても、その暴虐ぶりを行えば、信用されず、破滅の道に進む。それは項羽だけではなく、焚書坑儒推進派などにも言えるのではないか?『いくら、有害であり許されざる事でも、それと同じ道を歩んでいないか?本当の腐敗や堕落とは、それを誰もが言わない事によって起きる』事を覚えてもらいたい。

今回は『教養』と言うキーワードで「項羽と劉邦」を題材にして焚書坑儒審議会や推進者達について書きました。本当、教養が無いとえらい事になりますね、それを痛感しました。

世の中、生きる事が精一杯で厳しい状況だから、教養より実用化する事を考えろとと言われても、長期的視点で物事考えるなら、実用化する為にも『教養』は必要でしょう。

どこぞの活動家や役立たずの笑い者と同じ様に、その場、その場の状況で衝動的にギャーギャー喚いているだけが能ではない。

『誰もがまっとうに生きられる共生共存の社会』『互いの欠点を理解し、解りあえる切磋琢磨な社会』を目指す為に「教養」は何よりも必要です。

喜八様、今回はどうも有り難うございます。これが書けたのは貴方のおかげです。

散策様、トラックバックと情報の提供有り難うございます。おかげさまで参考になりました。

考え方は違えど『共生共存と切磋琢磨な社会』を目指すのは同じ。桔梗電信網は皆様の
おかげで成立しています。

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2009/6/28

焚書坑儒審議会  曲学阿世の輩

政府が『少女ポルノ』について単純保持するのを規制するのを審議入りしていと言うニュースが入った。

これ自体、恐れていた通り「表現規制」こと「21世紀版焚書坑儒」ではないのか?

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)は、秦(現:中国)で発生した弾圧事件。焚書坑儒とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味。

秦の始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。史記によると、丞相の李斯は、儒者たちが古え(いにしえ)によって現政府を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。始皇帝はこの建議を容れて挟書律(医学・占い・農業以外の書物の所有を禁じた令)を制定した。

これにより、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の守尉に提出させ、焼き払うことが命じられた(焚書)。李斯は、秦の歴史家によるものを除いて、すべての史書は燃やすべきであると主張し、各諸派によって書かれた書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。儒教の経典である六経のうちの楽経はこの時失われ漢代に五経として確立された。

翌年(紀元前212年)、廬生や侯生といった方士や儒者が始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難し逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを、生き埋めにし虐殺した(坑儒)。

(ウィキペディアから抜粋)


マスコミ報道にも問題がある、『少女ポルノがあるから犯罪になる』『少女を大人の欲望で食い物にするのがけしからん』と報道して、それに便乗した大衆が『少女ポルノは規制すべし!!』とまでに怒りの声を上げ、『これに反対するとはけしからん!子供達はどうするの!』とは言うが、それからも「政道批判封殺」に繋がらないか?と思う。

今回の審議は「実写のみで漫画・アニメは例外」との運びになったが、それでは推進者がおさまらずに、「これでもかこれでもか」とばかりに政府関係者や官公庁に押し掛けるに決まってる。それで「声が上がってます」と規制するだろう。

何が気に入らんと規制する事自体が大人のする事か?まっとうな大人なら『これはいけません』と反面教師になって見るのが当然ではないか?

「少女ポルノはいけない、それで悲しんでいる人がいる、それに反対するのは愛好者だ!!」というのも、「愛好者」と言う時点で反面教師と認めているではないか。

このような反面教師にならない様に「まっとうな大人」としての道を進み、子供達に模範を示す事が重大ではないか?

模範を示す事より、いい年こいた大人がセンセーショナリズムなヘイトスピーチを出して感情論だけを優先して叫ぶ事自体恥ずかしい事と思わないのか?それが守るべき子供達から軽蔑されるのを見ないのか?

なぜ、お前らが軽蔑されてるか解るか?
それは自分自身の力不足を自覚しているが「議員先生や団体様、はては亜米利加様にすがって法律作って規制してもらう事しか出来ない」と言う情けない他力本願の姿勢からだ。

『まっとうな大人がいない』と嘆く前に自分自身がまっとうな大人として模範を示すほうがよほど『子供達を守る』のに繋がっているのに気付かないのか?

『俺の妻や子供に手を出したらただでおかないぞ!法は許しても俺は許さんぞ!!』
『もし、俺の妻や子に手を出したら、お前を地獄の底まで追いつめる』

とまでに示すのが『女子供を守る』ものの姿勢ではないか。本当の子を守る親の気持ちではないのか?
法律以前に自分自身の気概の無さを考えるべきではないか、それから反省して気概を身につける様『努力』すべきではないか?

「児童ポルノ規制、有害サイト規制で子供をまもる」などと奇麗事を言うよりは、自分自身の人間性なり精神性なりを見てもらいたいとまでに思う。

今回は柄にも無く(?)激してしまったね。
『焚書坑儒』とは物騒な、歴史を見ての通り、それにはなる危険性は充分ありますからね。『誰かを懲らしめて撲滅する』なんて血なまぐさい歴史を持った国か狩猟民族の発想だから、これぐらいのことは解ってもらわないと困るよ。城内さんが『人権擁護法案』で問題にしたのは「表現規制と政道批判封殺」なんだから。


喜八様、城内実様とその支援者様、意見は異なれど、『誰もがまっとうに生きられる社会』『共生共存の社会』を目指すのは同じです。

どうもこれからもこの初心者ブロガーをよろしくお願いします。
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2009/6/26

役立たずの笑い者  曲学阿世の輩

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『役立たずの笑い者』

「三國演義」でおなじみの諸葛亮孔明が赤壁前哨戦の時に呉の論客との論戦で使われた言葉。または『曲学阿世の輩』とも言う。

『真の学問とは世のため、人の為に役に立てようとするためにあり、それに対して学問の為に学問をし、自分の栄達の為に使わないのは役立たずの笑い者だ』(諸葛亮孔明)

私が城内実氏を支持する理由の一つが

『横須賀の暇人が皇室を蔑ろにする「逆賊」であり、国体を破壊し「国賊」である』事。

それに対し、城内実氏は地道に政策を考え、万民の平和と安全を守る為に尽力してるか
らであり、あの郵政民営化に対しては『年次改革要望の事を知らなかったら、賛成はしていたが、それを知って以降反対した』とある様に、郵政民営化そのものが国益に害する事を察知した事であり、国益を擁護する為に反対した無念さがにじみ出ている。

役立たずの笑い者と言えば、代表格がマスコミ。

今回はタレント知事が自民党に行くか行かないだと騒いでは、当人は総裁になるだとかなんとかでごたごたになってるようだが、田中康夫の例もあるだろうが!!

それ以前に任期途中の知事に対して選挙に出馬しろだと!!えらい目に遭うぞ!!
そんな職務放棄者に票を入れるほど庶民は馬鹿ではないぞ!!

そんな馬鹿騒ぎを報道する暇あったら、もう少し真面目で誠実な議員の功績ぐらい報道しろ!

馬鹿騒ぎとも言えば、安倍総理の辞任の時もそうだった。あまりにも役立たずの笑い者が騒ぎすぎるので、あきれ果てて『三国演義』のドラマで「赤壁の戦い」を見ていましたが(そのため「RED CLIFF」と言うハンドル名が決まりました)。

マスコミが報道するのは政策ではなくて政治闘争、その政治闘争をサスペンスドラマの様に面白おかしく報道して、それが選挙の判断基準にされればたまったものではない。

『品行下劣』

この言葉しか浮かばない。精神がまっとうではないよ、功績を無視して、他者のアラを探してそれで叩きまくる事自体が「心が貧しい」と言うものでしょう、それで健全な社会が出来ますか、大人が子供の模範としてやれますか。

視聴率のためとは言え、ただの馬鹿騒ぎでは社会の模範として誇りが持てますか?

不安を煽って、乱痴気騒ぎを繰り返し、他者のあら探しに終始することが健全でまっとうな思考ですか?

何よりも子供の前で『真実を見つめ、社会正義の為にやってます』と誇りに思えますか?

実際は違うでしょう、あたかも子供に見せてはならない有害なものをまき散らしてるだけではないのでしょうか?

それを自覚すれば、有害サイト規制法について異議申し立てて、表現規制と政道非難封殺の危険性を解くべきでしょう。

いくら社会正義の為とは言え、誰かを叩き潰すなどと言う思考でやるべきではないでしょう。

そう言う姿勢が無いからまっとうな庶民から呆れ果てて視聴率が下がるのです。

今回はマスコミ批判に終始しましたけど、弱肉強食や他者排斥ではなく、共生共存・相互扶助が如何に重大かを書きました。

そのためには独善的な正義に奢らず、自己反省して見直しながら成長したいと思います。

城内実様、喜八様、そしてブログの常連の皆様。

『誰もがまっとうに生きられる、共生共存の社会』
『思想は違えど、切磋琢磨して成長する』ことでは共通してると思います。

どうかこれからもこの新参者のブロガーをかわいがっていただける様、よろしくお願いします。
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2009/6/24

『前』に行きますか、それとも『後』に行きますか?  曲学阿世の輩


私の考えでは派遣村の人もネット右翼も、思想が違っても同じプレカリアートであると思います。問題なのは自分自身の弱さを見つめて前を向くか、後ろに行くかなのです。

一連の派遣村報道で「派遣村の人は被害者面をしている」とまでに誤解している様ですが、それはあまりにも失礼な話でしょう。

しかし、これは『弱者正義→左翼』と言う固定観念に縛られたために、彼らが厳しい社会を前向きに生きようとする姿勢が見えなかった為の誤解だと思います。

つまり、自分自身の弱さを見つめるにしても、プレカリアートであるのを認めても『厳しい現実を前向きに生きるか、過激なネット右翼として後ろ向きに生きるか?』の選択肢でしかありません。

マスコミ報道のおかしい所は派遣村の報道が出るたびに『彼らだけが犠牲者』であるように報道します。それによってネット右翼でなくても「こいつらだけが被害者か?」と言う固定観念を植え付けさせて批判させる方向へ誘導させると言う図式でしょう。

マスコミ当局としてもインテリ集団ですから、右傾化の空気を読んでいますので『弱者正義→左翼→偽善者』の図式で非難を浴びる事ぐらいは承知な事です。これは「イラク法人誘拐事件」や「ネットカフェ・ビデオ試写室難民問題」などでも『自己責任』と言う形で証明されました。

今回の派遣村問題でも週刊誌などでは『マスコミは派遣村報道ばかりでいいのか!』と言う事で自称保守派などを総動員して「彼らは怠け者の集まりだ」などと、あまりにも極端すぎる印象操作もやりましたね。

しかし、その自称保守派さんの牙城『産經新聞』が大規模な部数減に陥って、『諸君!』まで休刊になった現実からして、ネット右翼諸氏がプレカリアートであるのも証明されましたが、ネットカフェ難民問題にしたって、ネット右翼もそうである可能性もあるのですよ。誰からも相手にされない孤独感から居場所を求めてやった事だと思いますから、同情はしますが。

確かに過激なネット右翼として弱者に冷淡で左翼を罵倒すること自体、何も考えずにいられますから心地がいいですよ。何せ元は、私もその末席の身分でしたから。

しかし、それがまっとうな人間の生き方ですか?

自分自身の弱さを見つめて厳しい社会に生きようとするのは確かに辛いですよ、しかし派遣村の人たちでなくても、それは日々、貧しいながらも地道に汗して働く者が共通して持っている事ですし、まっとうに人間として前向きに生きようとする人なら当り前の事でしょう。

それが本当に『生き抜く為に戦う』事であり、「人間としての尊厳を守るため」ではないのか?

私自身、それを強く思います。
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