人の想いは、
亡くなった後も残る事があるのだそうです。
時としてそれは物に宿る事もあるそうで、
想いというよりそれは
念と言った方が良いかも知れません。
東京国立美術館では、
平成29年4月11日から6月4日の間、
特別展で「茶の湯」が開催されます。
特別展は主に、室町時代から近代まで、
「茶の湯」の美術の変遷を大規模に展示するもので、
「茶の湯」をテーマに、名品が一堂に会する展覧会は
中々無いのだそうです。
展示品の中には、かの「
曜変天目」も
展示(5月7日まで)されるそうで
興味をそそられます。
様々な茶器が展示されるそうなのですが、
その中に「大井戸茶碗 喜左衛門井戸」があります。
この茶碗は、16世紀頃の李氏朝鮮時代に、
朝鮮半島で作られた日用雑器の高麗茶碗です。
もともと日用雑器ですから、
普段使いの素朴な茶碗、
しかも失敗作で歪んでいるのですが、
それが何とも言えない素朴な味わいのある茶碗で、
日本人は、この素朴な失敗作の茶碗に、
侘び・寂びの趣きを感じ、
茶人達に魅入られて、茶碗として見立てられたのでした。
その素朴な趣きは、
茶碗に興味が無い人でも、
味わいの深さに魅せられてしまいます。
その「大井戸茶碗 喜左衛門井戸」ですが、
諸説ありますが、
実は「いわくつき」の茶碗でもあるのです。
1611年、徳川家康と豊臣秀頼が二条城で会見しました。
この時、二人を取り持ったのが加藤清正でした。
清正は、秀頼が家康に毒殺されるのでは無いかと
警戒しながら同席していたのでした。
家康は秀頼と清正に茶を点てました。
秀頼と清正は振舞われた茶を飲みましたが、
秀頼には幸い何事も起きませんでした。
所が、清正は熊本城に帰る途中で発病して、
たどり着いた熊本城で亡くなってしまいました。
この時、家康が二条城で茶を点てた器が
「大井戸茶碗 喜左衛門井戸」
だったのです。
その為世間では、
「清正は、家康に喜左衛門井戸で毒殺された」
と噂されたのでした。
その後この茶碗は、持ち主が転々としました。
ある豪商が
「大井戸茶碗 喜左衛門井戸」を手に入れたのですが
没落してしまいました。
更にその後、大阪の裕福な町人、
竹田喜左衛門が所有しました。
喜左衛門も茶碗を手に入れた後、
道楽が過ぎで没落して全てを失いましたが、
この茶碗だけは手放しませんでした。
最期は熱病と腫れ物に苦しみましたが、
この茶碗だけは手放す事はせず、
「この茶碗はオレの物だ、奪った奴は呪い殺してやる!」
と強い執着心を持ち、
茶碗を抱きしめながら野垂れ死んだそうです。
その後この茶碗は、複数の人の手を経て
京都の道具商、山越利兵衛の手に渡り、
利兵衛から、
当時茶人として有名だった松江藩七代藩主、
松平不昧公が家臣や奥方の反対を押し切って
五百五十両で買い上げたのでした。
いわくつきの茶碗だとの事で、
不昧公の奥方は心配して、
「その茶碗を使わないで欲しい。」
と不昧公に頼んだのですが、
不昧公は茶碗をいたく気に入っていて、
奥方の忠告を聞かず、使ってしまったそうです。
すると不昧公は熱病と腫れ物を発症し、
それが原因で亡くなってしまいました。
茶碗は息子の松平月漂に渡りましたが、
月漂も熱病と腫れ物が原因で早死にしたのでした。
こうしたいきさつからこの茶碗は、
大徳寺孤蓬(こほう)庵に寄進されました。
その後200年ほど経ちましたが、
これまで何事も起きていないそうです。
物には、人の強い想いが宿る事があるのだそうです。
「大井戸茶碗 喜左衛門井戸」には、
清正の無念や、
喜左衛門の強い想いが宿っていたのかも知れませんね。
ちょっと恐ろしい気がします。
白藤先生のサイト
「神秘と心霊の世界へようこそ」
http://park14.wakwak.com/~sirafuji
の中にも関連した話で、
実際にあった話の中に、
「面に込められた執念」
http://park14.wakwak.com/~sirafuji/omote.html
があります。
よろしければご一読ください。
とは言え今回の特別展、
古今東西の
貴重な茶碗や茶器が一堂に会する機会は中々ありません。
特に世界に3点しか無く、
その製法も明らかになっていない
「曜変天目」の実物を見られる機会はそうありません。
都合が付く様であれば、
是非見に行きたいと思っています。
みなさんも興味がおありでしたら、
この機会にご覧になられてはいかがでしょうか。
東京国立博物館
http://www.tnm.jp
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