人はどこから来て、
どこへ行くのでしょう。
この世に生を受けた意味とは、
何なのでしょう。
以前交わした白藤先生との雑談を思い出しながら書き記します。
仏教には、
輪廻転生と言う思想があります。
人はこの世で一生を終えた後、
黄泉の国へ行きます。
黄泉の国で長い旅をして、
自分が収まるべき場所へ辿り着きます。
そこで、
現世において過不足があった部分の修行(勉強)をします。
そして再び、
現世へ戻って来るのだそうです。
現世は一見、
自由な様に見えながら様々な制約があります。
その中で生きて行かなければなりません。
自分の思う様には行きません。
お釈迦様もおっしゃっておられます。
「人生は、自分の思う通りにならないのが当たり前の事なのだよ。」
と。
どんなに努力しても報われない事があります。
逆に、
自分は大した事もしていないのに、
とんとん拍子で物事が良い方に展開する事もあります。
おいらは思うのです。
この世に生を受けたのは、
何かしらの意味があるのだと思うのです。
報われない事があっても、
幸運な事があっても、
その事は自分に対して、
または他人に対して、
何らかの意味があるのだと。
自分自身は何も感じず思わなくても、
他の人からしたら、
私たちがこの世に存在し、
何かをしたり考えたりする事は、
世の中や他の人に
何らかの影響を及ぼしていたりする事もあって、
大なり小なり、
この世に存在している意味があるのだと思うのです。
亡くなる事すら、
他の人には意味がある事なのかも知れません。
「自分なんて、生きていてもしようがない。」
と思っていても、
そう考えているあなたが存在している事自体が
誰かに影響を与え、
影響を受けた人は、
それを何らかの糧にしているのだと思います。
現世で悪辣な事をした者は、
いわゆる地獄行きになって、
猛省させられる事になるのだそうです。
そして転生する時には、
人として転生できない事もあるのだそうで、
そうした事からも現世では、
せめても、
他人に迷惑を掛けない様に生きる事も、
現世での修行なのかも知れません。
そうした全ての物事をひっくるめて、
この世での役目を終えた時、
お迎えが来るのだと思います。
現世に残った私たちは、
亡くなられた先人達に感謝しつつ、
また先人達に恥ずかしくない様に、
現世を生きて行かなければならないと思います。
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