2021/4/15
「ことだま」
漢字では「言霊」
または「言魂」
と書きます。
ことだまとは、
言葉に宿る霊的な力の事と言われています。
発した言葉が、
相手に対して何らかの影響を与えます。
良い言葉は良い事が起こり、
不吉な言葉は
悪いことが起こるとされています。
「ことだま」というと、
なにか特殊な事の様に聞こえますが、
これらは日常に起きている当たり前の事で、
相手に良いことを言えば、
その言葉から相手は幸せになり、
悪い事を言えば、
相手を嫌な気分にさせたり不幸にします。
言葉は意志を伝える道具で、
意志とは心です。
心とは魂でもあります。
すなわち「ことだま」は
自分の魂を相手の魂に伝える事になり、
相手の魂に影響を与える事になります。
魂と魂の繋がりと言ったら良いでしょうか。
経験があるのですが、
思っていもいない言葉が
自分の口からぽろっと出て、
それが相手に
大きな影響を及ぼす事が何度かありました。
それは自分では全く考えもせず、
思ってもいなかった言葉がぽろりと出て、
どうしてあの時あの言葉が出たのか、
後から考えても不思議でなりません。
恐らく神仏様がおいらの口を使って、
相手に伝えたかった言葉なのでしょう。
これはまさに
「ことだま」
なのだと思いました。
普段あまり意識しない言葉。
言葉ひとつで相手を幸せにしたり、
相手を不幸にしたりします。
言葉にはそういった力があります。
暴言をつつしみ、
相手に気持ちを伝える。
そして、
言葉を大切にする事が
肝心なのだと思います。
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2021/4/1
日本を代表する怪談に、
「東海道四谷怪談」
があります。
四谷怪談と言えば、
顔の半分が醜くただれた幽霊が
「うらめしや〜」
と出て来るあれです。
歌舞伎などで四谷怪談を公演する前には、
出演する役者や関係者は、
かならずお岩稲荷に詣でると言われています。
もし詣でないで芝居を公演すると、
事故が起きたりするなど、
祟りがあるとの事です。
主人公のお岩さんは実在の人物でした。
しかし実際のお岩さんは、
芝居や怪談などに出て来るお岩さんとは、
随分違った様ですよ。
お岩さんが亡くなったのは
1636年(寛永13年)で、
東海道四谷怪談が
歌舞伎で初上演されたのは
1825年の江戸時代で、
この間実に200年もの差があるのです。
四谷怪談の舞台は、
元禄時代となっています。
元禄時代は1688年から1704年ですから、
実在のお岩さんが生きていた時代とは合いません。
「東海道四谷怪談」の作者
鶴屋西鶴が東海道四谷怪談を書き上げたのは
1825年の事です。
明治維新の40年前の事で、
実在のお岩さんが居た頃から
これまた随分後の事なのです。
「東海道四谷怪談」は、
歌舞伎の
「仮名手本忠臣蔵」
と同時上演でした。
当時幕府の政(まつりごと※政治の事)に
不満を持っていた庶民にとって、
幕府側の吉良上野介に対し、
敵討ちをする仮名手本忠臣蔵は
大受けしたそうです。
四谷怪談の話の中で、
お岩さんの敵を討った与茂七はそのあと、
忠臣蔵の四十七士に加わり、
吉良上野介を討ちに行くという演出でした。
忠臣蔵と四谷怪談の2つの芝居は、
今で言う、
コラボレーションした演出で、
四谷怪談は忠臣蔵の
スピンオフ作品だったのです。
四谷怪談が上演されていたのは化政時代で、
様々な文化が花咲いた時代であり、
商業が活発化し、
庶民の経済も潤っていました。
商人や庶民がが豊かになる一方、
武士の生活は段々厳しくなる背景も有りました
そんな浮かれた庶民に対して、
規制を掛けるなどしたため、
庶民は幕府の政に対し不満が高まり、
政を風刺する様な文化が生まれたのでした。
幕府としては、
政を風刺するなどとけしからぬ事であり、
そこで幕府は庶民に対して、
より様々な規制をしたのでした。
それはその後、
天保の改革へと繋がってゆきます。
そうした時代背景が、
東海道四谷怪談にも見られます。
作者の鶴屋西鶴は
幕府から作品の内容を軋轢されて
不満を持っていました。
そこで事実の全てをあべこべにして、
幕府に対して皮肉を込めて
東海道四谷怪談を作ったのだ思うのです。
忠臣蔵にしても、
幕府側の者を討つ内容で、
これも幕府に対しての当てこすり、
皮肉だったと思います。
芝居のタイトルが
「東海道四谷怪談」
となっていますが、
四谷は東海道では無く
今の山梨県へ続く甲州街道沿いにあります。
しかも
東海道四谷怪談の舞台となっているのは雑司が谷で、
雑司が谷は現在の東京都豊島区雑司が谷で、
池袋に近い場所であり、
四谷は現在の新宿区にあり、
雑司が谷と四谷は離れています。
つまり、
タイトルと実情がめちゃくちゃなのです。
これは、
わざとめちゃくちゃにしていて、
実際に起きた事では無く、
全くのフィクションなのです。
主人公のお岩さんは武家の娘で、
良妻賢母だった人で、
夫婦とも仲睦まじかったのだそうです。
実際のお岩さんは
ご主人の伊右衛門を献身的に支え、
田宮家を復興させています。
お岩さんが生前信仰してた社には、
お岩さんの良妻賢母のご利益を授かろうと、
信仰する者も多かったのだそうです。
しかし四谷怪談の中では
伊右衛門はお岩さんを殺害し、
お岩さんを幽霊にしてしまいました。
作者の鶴屋西鶴は、
お岩さんの良妻賢母ぶりも
反対の不幸のどん底に落とす演出をしました。
東海道四谷怪談は鶴屋西鶴が、
当時起きた猟奇事件をヒントに、
良妻賢母だったお岩さんの家を、
全く逆の事として描き、
忠臣蔵のスピンオフの芝居に作り上げ、
忠臣蔵とともに上演して、
幕府への不満を表したものだったのです。
今でも四谷怪談を上演する前に、
関係者がお岩稲荷に詣でるのは、
お岩さんが恐ろしい幽霊だから
祟りに恐れをなして詣でるのではなく、
実際には良妻賢母だったお岩さんや
伊右衛門を始めとする田宮家を
真逆に演じる事に対して
予めお詫びしているのだと思います。
四谷怪談の話は全くのフィクションで、
お岩さんは良妻賢母で、
夫婦仲も仲睦まじかったというのが
真実なのです。
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