先日ちょっと用があって、
神奈川県茅ヶ崎市に出かけました。
その際に、
少し時間があったので、
隣町の寒川町に鎮座する
寒川神社を参拝してきました。
寒川町(さむかわまち)は茅ヶ崎市の北隣にある町で、
首都圏の外郭都市として発展目覚ましい町です。
その寒川町にあるのが、
相模の国の一宮である寒川神社です。
寒川神社の創建は定かではありませんが、
約1600年前に朝廷から
幣帛(へいはく)の奉勅(ほうちょく)が
あった記録があります。
ご神祭は、
寒川比古命 (さむかわひこのみこと)様と、
寒川比女命 (さむかわひめのみこと)様です。
寒川神社は、
八方除の守護神とされています。
八方除けとは、
様々な災難から逃れるという意味で、
大難は少難に、
少難は無難に収めさせていだだけるとして、
多くの参拝者が訪れる神社で、
著名人も参拝されています。
境内はきちんと整備・清掃されていて、
おどろくのは、
その社(やしろ)の大きくて立派な事。
さすが相模国の一宮です。
しかし、
それにしても立派な社で、
失礼ではありますが、
周囲の街の環境からは、
似つかわしくないほど立派で、
どこかアンバランスな感じさえした程でした。
家に戻って寒川神社の事を調べてみると、
その理由が分かりました。
寒川神社は幕末頃には、
かなり荒廃した状況だったそうです。
「これではいけない!」
と、
当時の神職や街の有力者、
地域の住民たちが、
寒川神社の再興に尽力したそうです。
その後関東大震災で被災しましたが、
そうした災難も地域の人たちの力によって、
再興されました。
寒川神社は相模国の一宮であると同時に、
地域の人たちの拠り所となって、
神社と地域が一体となっていたのです。
その後寒川神社は
昭和44年に社会事業の一環として、、
寒川外科医院を開設し、
昭和57年に
寒川病院となり、
地域の医療を充実させ、
寒川町を始め、
周辺地域の基幹病院となりました。
平成16年に現在の場所に移転して、
更に充実した医療機関として、
地域に貢献しています。
また老人施設や、
訪問看護ステーションも開設しています。
その他に寒川神社は昭和52年に、
今で言う学童保育を開設したり、
ボーイスカウトの支援をしたり、
地域の子供達の教育にも貢献しています。
これ程、
神社が地域に貢献し、
一体となっている例は少ないのではないでしょうか。
そして医療機関の利潤の一部が、
再び神社に反映され、
地域と神社が共に栄えてゆく
好循環が生まれているのだと思いました。
神道は宗教ではありますが、
日本人にとって神道は、
宗教を感じさせない文化として定着し、
それはDNAの中にも刷り込まれているものです。
そうした上で寒川神社は、
更に一歩踏み出し、
神社と地域が一体となって共に栄え、
共存しあっているのだと思いました。
これは素晴らしい事で、
思わず感銘してしましました。
観光地として栄える神社はありますが、
寒川神社の周辺には、
観光地としての華やかさはありません。
しかし、
地域のインフラのひとつとして、
人々の心の拠り所として
相模の国の一宮として鎮座しているのです。
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