供養とは、仏教の思想で
香、華、燈明、飲食などを御仏様に捧げる事です。
日本では、亡くなった方に対する
冥福を祈る事を供養と言う様になりました。
更に、動物や物に対し
感謝の意を表する事にも使わています。
針供養というのも、そのひとつです。
供養は仏教の法要にもあたります。
法要は本来、お釈迦様の教えを知る事、
仏法の要点や肝要を知る事を意味していました。
その後、仏事、法事・法会などの
儀式祭礼などの仏教行事一般のことをいうようになりました。
法要(供養)の中に、「追善法要」というものがあります。
自分より先に亡くなった年長者に対して冥福を祈る法要の事です。
自分より若くして亡くなった故人に対して冥福を祈る法要を
「逆修」(逆修善・逆修法界)と言います。
いずれにしても、故人の冥福を祈る仏教の儀式祭礼です。
故人は霊界で、自分が落ち着くべき部屋を目指して、
長い旅をします。
その道は枝の様に分かれ、
どちらにいって良いのか分からなくなる時があります。
その時期が、仏教でいう葬儀、初七日、四十九日、百か日、三回忌........
などの回忌(法事)なのだそうです。
それぞれの時期に仏教では法要(供養)が営まれます。
すると故人は、行くべき道に光を見つけ、
道に迷う事無く先に進むとされています。
なので、仏教では、
節々において法要(供養)を営んでいるという事なのです。
故人の親族は、こうして供養をしますが、
そうでは無い、餓鬼道で苦しむ者に対して行われるのが、
施餓鬼供養(せがきくよう)です。
施餓鬼供養は、特定の先祖や親族の供養ではなく、
広く一切の諸精霊に対して行われるものですが、
中世以降は、戦乱や災害、飢饉または、
非業の死を遂げた故人に対して行われる様になりました。
日本ではお盆の時に行われる事が多い様です。
中国に伝わる施餓鬼供養の由来は
お釈迦様の弟子のひとり目連が、
神通力で亡くなった母親の行方を捜した所、
母親は餓鬼道に落ち、逆さ吊りにされ
体はやせ衰えて骨ばかりで、
地獄のような苦しみの中に居る事が分かりました。
目連は神通力で母親を供養しましたが、
食べ物はおろか、水も燃えてしまい、
母親に与える事ができません。
そこで何とか母を救う手がないかお釈迦様に尋ねると、
お釈迦様は
「お前の母親の罪はとても重い。
生前は他人に施さず、自分勝手だったので餓鬼道に落ちた。
それを救うには、多くの僧が雨期の修行を終える七月十五日に、
ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。」
と言いました。
目連は早速その通りにすると、
母親は餓鬼の苦しみから救われたのでした。
※この他の説もあります。
こうした事から、
餓鬼道で苦しんでいる霊を救うには、
一般の供養とは少し違う施餓鬼供養を行うのだそうです。
施餓鬼供養には、
餓鬼道で苦しんでいる霊を救う供養を行う事によって
徳を積むという意味もあるのだそうです。
お盆の正式な名称は
「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言います。
「盂蘭盆」はサンスクリット語の「ウラバンナ(逆さ吊り)」、
ペルシャ語の「ウラヴァン(霊魂)」
から来た言葉だと言われています。
この盂蘭盆会の行事が日本の祖霊信仰と融合し、
日本独自のお盆の風習がつくられたそうです。
また、施餓鬼供養は宗派によって、
呼び方や概念が違いますので申し添えておきます。
おいらの父親は他界して久しく、
今年はお盆と合わせて十七回忌の法要を営みました。
盛大に行うのではなく、
菩提寺で、近親者だけでひっそり行いました。
その際には、真心を込めて、
故人の冥福を祈り、供養させて頂きました。
どうかご先祖様が道に迷う事無く、
精進されますように。
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