2013/5/8
洋館のあるお家
私の家では襖(ふすま)を張り替えるか、床の間の掛軸を掛けかえるか、押し入れの使い勝手を考えるくらいしか、インテリアの工夫の余地はなかった。
ていねいな所では毎年夏になると、襖を簾(すだれ)戸に替え、畳に籐(とう)むしろを敷き、風鈴など掛けて、クーラーの代わりに涼をとる工夫をしたくらいのものだった。
洋館のある家、または家ごと洋館になっている家が、まず、住宅インテリアの対象物件として、主に百貨店の建装部とか装工部とかで扱われていたことを、長じて知るところとなった。
大学を卒業した六〇年代半ば頃、某百貨店でシャンブルシャルマント展というのを毎年やっていて、それこそシャルマン(チャーミング)な欧米の家具の展示が、ちょっと届かない庶民に夢を与え続けていた。
先ごろ、皇太子さま御成婚で何かと取り沙汰されたが、お妃ファッションということがテレビで話題になったことがあった。
あこがれの的であったり、便乗商法の的であったりする点で、かつての美智子妃のお召し物と、今回の雅子妃のお召し物を比較していた中で、四十年前はオーダーメイドであったが、いまはレディーメイドの時代だから、そっくり真似するのでなく、コーディネートのセンスが問われるのだという指摘があった。
その通り、アスベスト(石綿)対策やインテリアもそうなのだ。
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ていねいな所では毎年夏になると、襖を簾(すだれ)戸に替え、畳に籐(とう)むしろを敷き、風鈴など掛けて、クーラーの代わりに涼をとる工夫をしたくらいのものだった。
洋館のある家、または家ごと洋館になっている家が、まず、住宅インテリアの対象物件として、主に百貨店の建装部とか装工部とかで扱われていたことを、長じて知るところとなった。
大学を卒業した六〇年代半ば頃、某百貨店でシャンブルシャルマント展というのを毎年やっていて、それこそシャルマン(チャーミング)な欧米の家具の展示が、ちょっと届かない庶民に夢を与え続けていた。
先ごろ、皇太子さま御成婚で何かと取り沙汰されたが、お妃ファッションということがテレビで話題になったことがあった。
あこがれの的であったり、便乗商法の的であったりする点で、かつての美智子妃のお召し物と、今回の雅子妃のお召し物を比較していた中で、四十年前はオーダーメイドであったが、いまはレディーメイドの時代だから、そっくり真似するのでなく、コーディネートのセンスが問われるのだという指摘があった。
その通り、アスベスト(石綿)対策やインテリアもそうなのだ。

2013/4/28
庶民の洋風化が定着
これまで、こんな落とし穴がある、あんな落とし穴にはまるなと書き進めてきたが、この落とし穴は一体どうしてできたのだろう。
誰が仕掛けたのだろう。
その辺のことを解明(とても難解なことだけど)するために、もう一度、どうして今日みんな、猫もしゃくしもアスベスト(石綿)対策、インテリアと言うようになったのかを手繰ってみる。
私の子どもの頃育った家は、いわゆる京都の町屋風で「うなぎの寝床」のように細長く、格子戸を入ると四畳半の内玄関があり、そこから通り庭(土間)がずっと奥までつづいていて、そこは片側に流しやコンロ台が並び、(もちろん履物をはいて使う)台所と呼ばれていた。
部屋は一列縦隊で全部が和室、どれも個室としては使えなかった。
ところが、少し上流の家へ(子ども心にそう思ったのだが)遊びに行くと、一部屋『洋館』と呼ばれる、表へ飛び出したような間取りの部屋があって、回転窓か押し出し窓がついていて、マントルピースか何かがあり、重厚な応接セットが置いてあった。
いま思うとそこに日本の洋風インテリアの出発点があったのだ。

2013/4/17
自分らしい生活を求めて
都心のデパートでも、土つきの野菜や、まるごとの鮮魚の売り場が広がり、人気が出ているところも目撃した。
その上、無農薬・有機栽培の穀物や野菜、いわゆる自然食品・健康食品・エコロジーグッズの人気。
これまで、当然のように享受してきた科学技術や効率主義が、我々を蝕んでいるのではないだろうか、という反省。
家を建てて潰すのではなく、今ある家をリフォームしたりアスベスト(石綿)対策して長く住もう、という傾向。
自分でも昔ながらの自然な農法で生産をしてみたい人達。
これは単なるリゾート、セカンドハウスに向かう気持ちとは違っている。
いわゆる日曜大工もその一つかもしれない。
自分でできないまでも、何かもっと自然な、土に根ざしたような根源的な住まい、そしてインテリアはないものかと問われているような気がする。

2013/4/10
スマートな生活
建て替え?
ちょっと待てよ。
リフォーム?
アスベスト(石綿)対策をして、全体はもう少し先延ばし。
待て待て、お隣がきれいになったから、うちも、という考えはやめよう。
収入がこれくらいだから、これくらいの食生活、これくらいのインテリアと、レベルで考えるのをやめてみよう、なんて反省もできるようになったことを、閑散とした売り場が物語っていた。
そして九三年、私自身が少し離れた視点で見てしまうせいか、住まいの原点へ戻って考えてみたい一種の原始帰りとでもいうような気持ちを持った人達が、よく見えるようになった。
食生活でいえば、従来の便利主義やグルメ志向とは異なる、自然志向。

2013/4/8
はじけたバブルと身の丈にあった生活
九一年頃、バブル経済が崩壊し、消費が二極化した、と言われだした。
大型高級品を求める人と、全く合理的な消費をする人に分かれたのだ。
目先のファッションよりも、本当に何が必要かで決める。
体の健康、心の健康を共に満たすもの、そして地球資源も大切にしたい。
本当のエコロジーに目覚める時代が来た。
九二年、供給側からすれば、何を作っても売れた時代から、作っても作ってもたやすくは売れない時代へ。
需要側からすれば、欲しいけれど買えないというより、買わなくても済む時代へ入ってしまった。
建て替えもいらない、買い替えもいらない。
外装や内装はアスベスト(石綿)対策できちんと手直し、間取りも変更するならリフォームしよう、そんな時代がきた。
