2014/4/19

つまもこもれり「伊勢物語」  古典(伊勢、源氏など)

私は伊勢物語が大好きで、殊に有名な段は好きなのだけど、歌は知られているのに、背景の物語が知られてない物にもよいものがある。もともと「伊勢」となるまでに「在五の中将」や『大和物語を」へて付け加えたり削ったり、当時は写本が普通だから書き写しながら改作されて大きな物語に完成したところもあったろう。私の底本は、池田亀鑑「伊勢物語精講」昭和三十年初版、学燈社で、古いものだけど平安時代の文学においては池田先生の研究を信奉している。以後の「伊勢」の底本はすべてこの本となると思う。
今回の十二段は、大好きな「芥川」の段ののち「東下り」のあとに出てくる短い文で、歌は

武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり

聞いたことのある歌だろうか。「古今集」には春歌(上)に、初句を「春日野は」として「よみびと知らず」の歌で出ている。「伊勢」に限らず昔の物語にはよくこのような事がある。「伊勢」の主人公が業平とみられているのは定説だが業平作と書かれてもいないし、書き加えをしている読者がこの歌に背景をつけて、業平の東下りに関連付けて作った話だろうと池田先生も書いている。その物語と言うのはこうだ。
ある男が、よその家の娘を盗み出して武蔵野まで連れて逃げていくうちに、武蔵の国の役人につかまってしまった。男は女を草むらに隠して逃げたのだがつかまってしまった。人々がこの野に盗人がいる、火をかけようと言っているのに、隠れていた女が「今日は野焼きをしないでください、私も夫も隠れているので」と言う意味の上記の歌を詠ったら、聞きつけた役人たちにつかまってしまった。何とも哀れだが現代で考えると間抜けな感じもする。しかしこの男と女は駆け落ちなので、先行きはないのだ。
「芥川」の段では男(業平)は藤原氏の姫(いずれ参内して中宮にもなろうと言う)をさらって逃げる途中で、取り返されてしまうのだが、この武蔵野の話ではどこの誰ともない男女(だが女の親たちは嫁ぎ先を決めていたのだろう)が、捕まれば離れ離れになる運命を思いながら、火をかけないでと詠ってしまう心の弱さを描いている。
池田先生は「面白みから言えばこの段の方が、ユーモラスなようで数段勝る。一幅の幻想画である。」と評しているが、私はやっぱり現実感と女のあどけなさ、そして

白玉かなんぞと人のとひし時つゆとこたへてきえなましものを (六段)
の歌の詠嘆が、男の哀れを感じさせて好きである。
3



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ