2014/5/13

「緑はるかに」  短歌

私が子供の頃、新聞に絵物語つまり今のストーリー漫画のようなものが連載になっていて、子供向けに「少年ケニア」などは大人気であった。そういう絵物語の一つに「緑はるかに」という少女物兼少年探偵団みたいな話が読売新聞に連載され楽しく読んでいた。
今調べると北条誠原作中原淳一挿絵で、中原淳一は戦後も「ソレイユ」で洋服デザインなどとても人気があったから、この物語も人気があったのだろう連載後日活で映画化された。その主人公の目の大きな女の子の役として選ばれた浅丘ルリ子(当時14歳)がデビューしている。

私の住んでいる神田〜御茶ノ水周辺に昔は映画館が五、六軒あってどこの映画会社の直営もあったから、小学校の映画会と言うのはその映画館に生徒が出掛けていくと言うぜいたくなものだった。尤もそれ以外にも東映のサード館で三本立てと言う所も近かったので、毎週見に行っていたのだけれど。(「笛吹き童子」や「紅孔雀」などは学校では連れて行かなかったから。)その映画会で「緑はるかに」を見に行った記憶がある。
その当時は誰も噂をしなかったし、浅丘ルリ子はかわいいと言われるだけで、今川中学に在学中の中学生だということを(学区が違うので)誰も知らなかったと思う。ただ本名が浅井信子で役名の「ルリコ」を芸名にとったという話は聞いていた。話の筋はたいして覚えていないが、オルゴールに秘密が隠されていてということだけ覚えている。1955年だから戦後十年、少し物が出回ってきてオルゴールと言うのは女の子の憧れの小箱であった。私もそれより大分あとで誕生日に買ってもらったオルゴール函をまだ持っている。
私が高校生のころに、すぐ近所のひとから「浅丘ルリ子のお姉さんは家に住んで洋裁をしていたのよ」と聞いたので、女優として売り出していても姉妹の人はそんなものなのだろうかと思ったりした。その頃でも洋服の仕立てをして生計を立てていた女性は多く、ただ神田のこのあたりは紳士服の仕立て屋が多くて、婦人服はお店をもたずにやっているひとが殆どだった。須田町に行くと生地屋や材料屋が並んでいたが、いまでは家の方はスポーツ屋街、須田町は普通のオフィス街になってしまった。
ウィキペデイァによると浅丘ルリ子の一家は館山の引揚者寮から神田鍛冶町に家を借りて越してきたとある。そのお姉さんが居た家も奥さんが館山出身だったから、何らかの縁があったのかもしれない。
私達が学校から「緑はるかに」を見に行った日活館も、銀映座もシネマパレスも南明座もみんななくなってしまっている。

ユリの樹よ緑はるかに時は過ぎあのオルゴールはどこへ行ったの                         多香子
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