2014/6/27

秀歌(33)片山廣子  秀歌読みましょう

片山廣子のことを先に書いてしまおうと思ったのは、NHKの朝のドラマ「花子とアン」のせいで、村岡花子が生涯頼ったのは片山廣子だと知ったからだ。それなのにドラマは始めから脚色が強すぎて、「赤毛のアン」と村岡花子の大ファンの私は結局テレビは見ない事にしてしまった。そして未だに漏れ聞く所、花子の生涯の友は柳原白蓮の方にウエイトを置いた作りになっているらしい。確かに白蓮の方は駆け落ち事件に関してドラマチックだけれど、歌人で翻訳家(松村みね子)であった片山廣子にも、芥川龍之介最後の恋人という素晴らしい肩書があるではないか。

私が廣子の事を知ったのは20年くらい前、横浜の近代文学館で芥川展を見た時で、一枚の写真に写る美しい女性の説明に「軽井沢での片山廣子、最後の恋人と言われるがプラトニックな物であった。」と記されていた時だった。それまで芥川は漱石よりも好きな作家だったのに、そのことを知らずにいたのは迂闊だったと思ったが、その頃は忙しくてそれ以上調べるすべもなかった。
片山廣子(1878〜1957)は東京生まれで外交官の娘として英語教育をうけ、東洋英和女学校の寄宿舎に入る。そして佐々木信綱の下で短歌を学び、村岡花子、柳原白蓮と交流が出来る。その歌と生涯については「NHK短歌テキスト」4月5月号にわたって、佐藤弓生さんが詳しく書いている。私もそれを読んで以前に芥川の恋人と知った人だと思い出したわけであった。それによると廣子は佐々木信綱の勧めもあって、文学を続けられる家に嫁入り、大蔵省勤務の官僚夫人として二人の子にも恵まれ良家の婦人としての生涯を全うしている。

わが指に小さく光る青き石見つつも遠きわたつみを恋ふ

この歌のように自分の中にロマンを追うこころを持ちながら、静かに家庭人であることを選んでいる両面性は、自由な現代にもいる女性像ではないだろうか。

日の光る木の間にやすむ子雀ら木の葉動けば尾を振りてゐぬ

この歌を芥川が匿名で褒めたと言うがさほどの歌ではないように思う。二人の交際は片山の夫貞次郎死後のことで、軽井沢の別荘と万平ホテルに滞在中に知り合ったらしい。私は芥川の「ある阿呆の一生」「西方の人」が大好きで、作中に見え隠れする知性の勝った婦人の愁いやマグダラのマリアに模して語られる人の神秘的な姿は誰なのだろうと謎だったのだが廣子の事を知るとそうだったのかの思いが深い。また、堀辰雄の「聖家族」「菜穂子」のモデルも廣子と娘であるというのに、堀辰雄嫌いの私はとうとう読んでいないのも何とも言えない。しかし当時46歳ぐらいか美しいというより気高いひととして二人もの文学者に慕われていた人というのは、後からそれを読むわたしにとっても憧れになりうることと知った。晩年の歌を二首

いくたびか老いゆくわれをゆめみつれ今日の現在(うつつ)は夢よりもよし

わが側に人ゐるならねどゐるやうに一つのりんご卓の上に置く
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