2014/1/4

初詣で神田明神  短歌

私の家の地区は神田明神の氏子で、毎年元旦に初詣に出かける。母が目が離せなくなってから、年々お参りも大変になっていたのだが今年はついに車で前を通って遥拝で済ましてしまった。

神田明神は江戸総鎮守府神田神社といったが、氏子はみな「みょうじんさま」と呼んでその氏子の範囲も日本橋や浜町から神保町の途中まで広範囲にわたるので、お正月の参拝も結構混むものだった。近年は三が日はそれほどの混みようでなく、会社が始まる四日に企業参拝が一斉に行われるとテレビニュースでも報道される混み方になる。それはお祭りしてある神様が恵比寿大黒天で、商売の神様ということからであろう。
昭和三十年ごろまでだろうか(三丁目の夕日で有名になった昭和というのも嫌なのだが)獅子舞、猿回しは各家を回る正月風景だったのだけど、各家が豊かになってからそういう物が廃れていったのは何故なのだろう。縁起物と言うだけでなく施すと言う心が無くなって、施されると言うのは差別だと言われるようになったからだとは思いたくないのだが。
その廃れた獅子舞も正月の境内では能舞台で奉納芸能として演じられるし、近年は猿回しが(劇団などあるせいか)境内の隅で芸を披露している。何年か前に母がそれを見つけて「お金をやってもいいですか」と若い猿回しにことわって百円硬貨をだすと、猿は喜んで受け取りざるのところまで持って行っていれたので、「賢いかしこい」と母は手を打って大喜びだった。そう言う時の猿は哀れさがないものだけど、近頃来たポニーは「暁号」と言って神馬として飼われているのに、土も草もない所にブルーシートを敷いて狭い囲いの中で寂しそうにしているのは哀れな感じがする。
そういえば私が小学生の頃は境内がもっと広く(土地は変わらないが建物や駐車場がなくて)土の部分も多く、社殿のうらてに鹿が何頭か飼われていて神鹿苑となっていた。近所の人とその話をすると結構知っているのに、神社の人に話しても「へーそうですか」と知らないのだ。
お正月はゆっくり見て回るゆとりはないだろうが、裏手のぐるりにはいろいろな碑が建っていて「銭形平次」の碑もある。平次は明神下の親分だったので、奉納されたもののようだか、これはテレビドラマで長年放送されていた大川橋蔵以下スタッフの奉納である。お友達が橋蔵の平次がとても好きだと言ったのでいつか連れて行くといってから十年が過ぎてしまった。一昔はあっという間である。

猫耳をつけたや巫女のふところ手初春(はる)とはいえど寒さ厳しく  
                    多香子
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