2014/3/6

雲南ソケイ  短歌

家のベランダは日当たりは良いが、なんといっても土がないから鉢仕立てにするしかなく、木の物は常にかれる危険にさらされているが、鎌倉からもらってきて取り木でもすぐに根の出るウンナンソケイは元気にはびこっている。雲南素馨は モクセイ科ソケイ属の常緑半蔓性低木で、漢字から中国雲南省の物と思われていたが、雲南省には自生していなくて原産はヒマラヤだそうだ。
ソケイははじめ灌木の様な細い枝を何本か枝分かれさせているが、やがて真ん中が幹となって三年ぐらいすると木らしくなってくる。ウンナンソケイはその幹から何本もの細い枝が四方にでて、やがて柳のように垂れ下がってくる。花時の跡は緑の葉で覆われるが冬には落葉する。その枝だけのところに花芽がまづついて二月ごろにはぷっくりとふくらんできて枝の先の方は葉が出ている。花は2pほどの黄色い八重で、日当たりが良いほど花も大きくきれいな気がする。二月の中ごろから開き始め四月まで咲き続けるが盛りは三月の下旬で満開になると黄色い万灯のように美しい。万灯とは万灯会に供養のため多くの灯篭に火をともしたのだが、この花万灯はお会式や万灯祭りなどで紙の花を長い竹の撓んだ棒に飾り放射状にひろげたものである。

ウンナンソケイが満開になるころの、私には悲しい思い出がある。それは30年も昔若くして亡くなった姪の事で、差しさわりもあるから詳しくは書けないが、幼いころに母親を亡くし父親も遠くに赴任していったので祖父母に育てられていて、私もかわいがっていた。取り立てた美人でもなく、学校でもいじめられるような普通の(?)少女だったから特になりたいものもなく、かわいいお嫁さんになりたくて高校卒業後は洋裁学校に通ったりしていた。昔は成人式に振袖どころか家ではだれも出席もしたことがなかったので、その子も着物の写真は一枚も残っていない。私は自分の派手になった着物はその子のお嫁入りにみんな持たせようと心づもりしていたのに、突然のように病気で亡くなってしまった。
「セカチュー」のような恋もなくて片思いの人にやっと告白して振られたのは知っていた。どういう状況だったか忘れたが訃報に主人が先に行って、私が急いでその家に駆け付けた時、庭にウンナンソケイの大きな丸い花万灯が薄闇にあでやかに満開であった。「花の盛りを」と思ったとたん涙があふれて向こうから歩いてきた主人の胸にとびこんでしまった。
ウンナンソケイの黄色い花が開き始めれば春が来る。ゆく人来る人、春は心浮きつつも愁いをふくんでいるのだろう。

雲南そけい花万灯にさきほこり二十歳で死んだ姪を思わす 多香子
3

2014/3/2

歌集『風のむすびめ』紀水章生  秀歌読みましょう

「そののち歌会」の主催者やねうらねこさんこと紀水章生さんが第一歌集を出されました。『風のむすびめ』六花書林刊です。ご紹介をしながら感想を書かせていただきます。日頃は故人や大家の作品を勝手に解釈したりしているのですが、処女歌集という大事な作品にどう向かえばいいか緊張してしまいます。

まず装丁から褒めると言うのは作者に失礼なのかもしれませんが、六花書林さんのサイトで写真をみていただくと美しい表紙デザインが紀水さんのお歌にとてもマッチしているのです。この表紙のイメージに導かれてお歌の世界にはいっていけば、決して想像を裏切らない、静かで緩やかな自然の中の風の風景が流れています。特に編年とは断っていないのですが、「中部短歌会」に発表したものを主にとなっているので、過去五年位の作品なのでしょう。私の好きな歌として十首並べてみます。

天上の使者のきさうな桜の夜 月のうさぎに見られておりぬ

こはれさうな嘘を抱く夜群れて咲くほたるぶくろに光が入りぬ

その蕊のおもひおもひの奔放を風になびかせ曼珠沙華咲く

あふぎみる花梨の空の深みまでしんと冷やせりのど飴ひとつ

とらはれてゐるのはわたし透きとほる蜘蛛の巣越しに見える青空

わたくしはここにをります手をのべて鈴懸の樹が空にささやく

青き灯の揺らめく夜のウォトカに嘘燃やしつつ飲みほしてゆく

溶けるほどやさしい気持ちひたひたと満ち来る夜の水際にをり

飛ぶことは難しいことコトリともけさは動かぬぬひぐるみたち

いまよりもきみはきれいになるだらう淡きまぼろし露草の花

集中の美しい歌を並べたようですが、全体が美しく為にメリハリに欠ける部分はあるかもしれません。ここからは私の感想ですから人によって感じ方も違い、結社に属していない私には束縛がない分、勝手な部分があるので著者にはお許しいただきたいと思います。紀水さんは和歌山県の山の中にお住まいらしく、自然を前面に出して自分はその中に溶け込むようなお歌が多いのですが、本質的に抒情をまとった人だと思います。私自身が抒情を求めているせいかもしれませんが、現代短歌の人々の中でちょっと趣の違った抒情性を好ましく感じています。集の途中で自らその抒情を排除しようとしたのではと思われる部分があり、私にするといいなあという歌より上手いなという感じになって、その後少しずつ「上手い」の上に抒情を重ねるようになって来たのではないだろうかと思われました。
紀水さんは前に40歳代と思うと書いたのですが、歌集を見ると50代終わりごろのお年でした。でもこの先の洋々としている事は確かなので、益々の活躍があることと思われますが、本来の抒情性を剥がすことなく進展して欲しいと(勝手ながら)思っています。
4



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ