2014/11/13

永観堂の見返り阿弥陀  短歌

これまで京都の事を書くことがなかったのは、私が京都を訪れた回数の少なさと、ネットで歌の交流のある方々に関西在住の人が多いためだからだ。関西圏の人たちはネットの中では関東圏よりすごいパワーで、歌を詠みイベントを開いているような気がする。それでもここに永観堂のことを書こうと思ったのは、数少ない京都旅行で一番当てた紅葉と「見返り阿弥陀仏」の特別公開に行き会った事があるからなのだ。

調べて見たら20年も前だったが、その後で亡くなった友人が抗癌剤の終了後におばさん4人で京都旅行をしたことがあった。紅葉目当てだったから、11月の一泊二日の欲張り旅行には見どころの絞り込みが必要で、二日目に当時始まった「トロッコ列車」を入れたので、一日目は永観堂から南禅寺のあたりに決めた。南禅寺は私一人水路閣を見ていなかったので是非にと行ったのだが、感想は「テレビドラマのまんま」だった。そのころ嵌っていた二時間サスペンスによく出てきていたので、既視感が強かったのだけど、悪くはなかった。
永観堂(禅林寺)は案内書で紅葉の名所とともに、永観さんが阿弥陀如来に邂逅する由来も読んで、憧れて出かけて行った。私達は土日を避けての旅行ばかりだったから、休館の施設などもあるけれどお寺などは休みは無くて、宝物などが非公開なのは仕方ないと思っていた。紅葉のお庭はすばらしく、禅林寺の本堂へ拝観料を納めにいくと「今は本尊阿弥陀像公開中」となっていて、その運の良さに舞い上がりながらお寺の長い広縁を進んだ。永観堂という呼び名は愛称らしく、開基ののち中興の祖と言われる永観さんが弥陀に念仏を唱えて堂内を歩いていた夜中、弥陀のお像が降りてきて共に歩きながら先立ち、振り返って「永観遅し」と言われたと言う。そのとき弥陀の救いを感じて永観さんが悟りを開きその場が後に浄土宗の道場となった。
振り返ったお像はそのまま振り返ったお姿で本尊となっていると言う話だが、話は話としてもその時の永観さんの悟りは凡人にはすぐとは分からない。

広縁を渡っていくと広間の一室に戸を大きく開け広げ、中まで入れるようになっていて、そこに1mには満たない細身の仏像が公開されていた。そのまろやかな体の線、斜め後ろを振り返ったお顔のやさしさ、そのお姿を見た時に凡人でもその救いを信じることの出来る瞬間があるのだと解ったのだ。外は絢爛たる紅葉のお庭、極楽浄土を思わせる景色の中で私たちは何と良い時間をもてたのだろう。しかしおばさん四人組は、つかの間の感動ののち又さざめきながら南禅寺の湯豆腐のことを話題にしていたのだ。

赤よ赤、紅葉の庭の極楽に弥陀のお顔のやさしき涙  多香子

永観堂のお庭に晶子の歌碑があることを、次回に書こうと思う。
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2014/11/8

秀歌(39)岡部由紀子『父の独楽』  秀歌読みましょう

年を取ると涙もろくなると言うが、一方で中々感動するという事も少なくなるのだろうか。歌を読んでいてうまい下手などと心の中で思う事はあるが、自分が熱中している歌の世界だけに中々感動したりはしなくなって来ている。大体感動と言うものは心の動きだから、時を別にすればまた違ってくるし、その時の自分の状態と呼応するものがあって感じるものではと思っている。
この歌集「父の独楽』はちょっと違って、一読めから涙がぶわっと来て、休み休み何回読んでも泣けるのだ。不識書院刊なので、不識書院さんから出版のいきさつは聞いていたが、その後もあちこちの書評に取り上げられているのを「何だか評判良いんだよね」と彼が不思議そうにいっていた事由は読後私なりにわかった。
岡部由紀子さんは二年前に亡くなった歌人岡部桂一郎夫人で、夫の大きさに比べ経歴もあまり出ていない。しかし戦前から歌を詠み岡部と同じ同人活動にいて、山崎放代、斎藤史などとのあつい交流もあったようなのだ。まず歌を並べてみよう。

岸に置く青年の杖 たそがれは遁れきたりし者をつつめり

状差しに夏の終わりの日はさして「ユトリロの斜塔」やがてかげりぬ

台所の角に吊られし蠅叩き お前はなんと淋しい名前

氷頭なます酔へば五つ木の子守唄をとこはさびしき傷をもつかな

白猫のうすら瞼をとぢるとき「嘘だったのね あれは」といひしか

山の上より水流れくる夢をみきあなたは振り向ひてくれたかわたしを

別れ住む夏の夜長く重ねきて耐へざりしとき人を憎めり

夢に出て音なく廻る父の独楽 まぼろしに似し冬の夜のあり

こんなにもやさしい人をなぜ叱る 十年ながし長し十年

ありがたう なにも言ふことあらざればまだ暖かきこの手を握る

この歌集は岡部桂一郎死去のあと、それまで一冊の歌集も出せなかった由紀子氏の一生が詰まったような「一冊」なので、編年体でもないが心の中の澱をぶつけたようなところもあり、夫を愛し、恨み、支え、また愛した濃い気持ちがつまっている。短いこのスペースでは簡単な事しか書けない。歌壇の先生方はこの歌集の赤裸々な「介護」の部分に高評価を与えているようなのだが、私が前半から感じてしまったのは、これほどの才能を岡部桂一郎は殺していたのか、ということだった。「あとがき」に結婚当初「おふくろが白いものを黒い、と言ったら、それは黒いのだ」と夫から言われ、夫の歌を愛し信じるが故に従ってきた彼女が、介護体制に入って、夫を「自分のもの」に出来たこと、その死によってすべてを得てまた解放されたことが窺われる。80代であろうその年故に「はじめで終わりのこの歌集」となったことを残念に思う事も私を泣かせた原因かもしれない。しかし彼女はこの一冊を「残す」ということでなく、持って共に岡部の墓に入りたいと言っている、その気持ちにも私は打たれる。
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2014/11/3

「11月の歌」  短歌

10月には菊の歌をいっぱい詠んで、今月の歌を菊で纏めようと思ったが、題詠をしていると菊は題に馴染まないことがあると気付いた。ちょっと戦前の「モダニズム運動」の事など読んでいたので、そう思ったのかもしれない。現代の人がカタカナ語を使いそれが歌の中でも日常の生活を普通に表しているようになった。カタカナ語が日常にあふれて早い展開で新造語として流れ去るのは仕方ないのだろうが「しゃれた」感じを出す道具ではなくなりつつあるのかと思ったりした。

菊の花は秋を代表するのに、とても日本的で感情のありかもしとやかに落ち着いた女心のような所がある。振り返ると私自身はそういう女ごころはとうに捨て去って、振られ歌やあきらめ歌から立ち上がる割り切り歌を詠いたいので、菊に二の足を踏んだのだろう。ともかく菊の歌を五首。

「菊もいろいろ」

倒れ伏す野分の後の庭の辺の小菊という名はいとしきかぎり

傘作り菊の後ろに立つ人の顔は見えねど美しき人

白菊をたんと植えよういつの日か裏戸を開けてあなたは帰る

うつむきて悲しき名にも耐えているダンドボロギク雑草は強し

のこんぎく菊の仲間に入れられず一人さみしき駅の裏口 多香子

母のたった一本残っていた歯がとれた。上の歯は入れ歯だから一本だけの下の歯は邪魔になっても役に立たなかったから、目出度いのかもしれない。それでも何か献立を考え直さなければと寂しい感じもする。「菊の歌」もなんだか寂しい所があるなあと思った次第。

「風の*歌会」は「特別歌会」を経て「第一回」が始まる。主催者のやねうらねこさんが、新たな参加希望者はメールをと言っておられるので、リンク集の所に「エントランス」のURLを貼っておきます。
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