2015/5/16

神田祭  短歌

わが家の地区は神田明神の氏子で、その神田神社の祭礼は二年に一回表のお祭りとして盛大に行われる。盛大という事は各町会の支度やお金や人手が大変という事で、いつも薄氷を踏むように行われている。今年は 9.10日の土日を中心として無事に行われた。

よくマスコミで住人が少なく御みこしの担ぎ手がいないとか、マンションが増えても住民の参加がない、と報道されるが現実はお金の問題で一般家庭(マンション族)では寄付がマンション単位だったり、しなかったりでそういう人たちが参加してお弁当代とか賄えないなどと言う世知辛い話である。
昔からの土地のお店屋さんでは、町会によく知らない人たちがはいるのを嫌ったり、婦人部では良くある世代間断絶でごたごたしている。それでも天下の神田祭だから、毎回なんとかこなして打ち上げの飲み会の後大抵年寄りが何人か死ぬ。死ななくてもひっくり返って半身不随という事もある。
父は(もう30年位前に町会長で)お祭り前の打ち合わせの時に脳溢血で、長い事植物状態になったからわが家では男性陣はお祭り禁止になってしまった。私も今年は母が大変でとてもお手伝いには行かれないとお断りをした。
お祭りの話で、全然面白くないことばかり書いて恐縮だが、裏方はとても大変だということなのだ。

今では五月のゴールデンウイーク明けの土日となったが、私が子供のころは五月13〜15日に行われたので、14日が日曜に当らないときは学校は休みで前日も半日だったから、子供たちはとても楽しみにしていた。戦後も落ち着いてきて、お菓子も買えるようになっても「ただで」良いだけ貰えるお祭りのお菓子は魅力的で、子供たちは各町会を回ったものだ。神田祭では氏子の大人たちは忙しく、子供たちはほっつき歩いていたけれど、境内の屋台などで買い食いをする習慣はなかったように思う。

今では町会連合が小学校単位で一回だけ「お菓子の詰め合わせ」を配るし、子供の方もいつでも手に入るお菓子など嬉しくもないらしい。ビルに分断された町会のおみこしはどこに居るかもわからず、昔の賑わいは決まった大交差点の一時にしかなくなっている。

ビル街に笛や太鼓は流るれど 祭りの先よりどこか淋しき  多香子
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2015/5/11

おだまきの花  短歌

去年出来たオダマキの種を広めの鉢にふりまいておいたら、春のはじめに綺麗な葉っぱがでて、たちまちオダマキの盛鉢と言う体になった。オダマキは苧環と書いてその花の形が機織りの糸を巻く糸巻(苧)に似ているからという。
家には昔は鎌倉から持ってきた深山苧環(ミヤマオダマキ)があったが、東京では続かずに消えてしまって、今ベランダで咲いているのは西洋オダマキの園芸種である。紫と白のぼかしの花はごく普通にある種類だが、その紫はミヤマオダマキより薄く形もぽってりして、日本の物のようなキリリとした所はない。

苧環といえば、静御前が鎌倉の八幡様で歌い舞ったと言う

しずやしず賤の苧環くりかえし昔を今になすよしもがな

の義経恋しと言う歌が有名だが、私にはもう一つ歌舞伎の「妹背山」に出てくるお三輪の悲劇が思い起こされる。
「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)は歌舞伎の時代物らしいめちゃくちゃな筋立てで、蘇我入鹿が出て来るのに江戸風の町娘お三輪が、恋する求女と取り交わした苧環の糸を嫉妬心からもとめの着物に針で付けて後をつける「御殿」の場という物語がある。(くわしくは検索で)その場面ではお三輪は振袖に大きな苧環をかかえて現れ、入鹿の御殿深く入っていく。
お話では求女は藤原淡海の仮の姿。彼は入鹿の妹橘姫に恋をしていて敵同士だが後を追っている。その求女を追っているお三輪は、敵わぬ恋の嫉妬に狂い正義の味方鱶七に刺される。実は入鹿を退治するために爪黒の鹿の血と「嫉妬に狂った女の血」が必要という、江戸時代らしい怪しげな神通力のようなものを得るための策略だった。お三輪はそれを聞いて恋しい男の役に立ったと喜んで死ぬ、というしっちゃかめっちゃかなお話。

静御前にしても、お三輪にしても成就しない恋の哀しさの道具立てに「苧環」が使われるのは偶然か。その名を頂く「オダマキ」が清楚に地味なのもどこか似通っている。

おだまきの花は静かにうつむけど哀れお三輪の恋に狂える  多香子
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2015/5/6

五月の歌  短歌

四月前半は寒くて震え、後半には暖かくなっても雨が多くて、週間天気予報から毎日の天気予報まで気にして衣服を変えたり、洗濯を考えたりしなければならなかった。雨は西の方から降って来るから、関東に前線が来るころには大分雨量が減るようなのだが、海からの風で補給をするのだろうか結構な降りになる。
それに昔はあまり日本では起きなかったような大きな竜巻が、関東でも被害をもたらすようになってきている。天気予報は昔より刻々かわるようになって来て、それで精度が上がっているのかもしれないが「当らないもの」という印象は私達には強くしみついている。春の気候の歌を五首。

「春の天気予報は」

春をゆく通学電車はひたすらに読書にいそしむ少女を運ぶ

さつき雨、雷、竜巻まで襲う 天気予報のボードはにぎやか

春の店、苺のゼリーに代わられてスイートポテトのかすかな愁い

シーツまで全部干しあげ見上げれば皐月待つ鯉もう泳ぐ空

恋にもう飽きてオス猫あくびするメイストームの荒れる縁側

ゴールデンウイークが近づいたら大分あたたかくなり、このところ落ち着いた晴れがやってきたが、これからは暑い昼間と突然のメイストームがやってくるのではと用心をしている。

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