2017/2/24
椿の思い出(2) 短歌
私がこの小川町の地に越してきたのは小学校二年に上がる前の春休みだった。新しく建てていた旅館はまだ出来上がらず、ともかく住まいの方を急がして引っ越してきた。親は春休みと言う切の良い時ならば転校の混乱も少ないと考えたのかもしれないが、本来怖がりであった私は何も考えまいとして、建築の見物などしていた。二人の弟のうち上の弟は叔母の家に預けられ、下の弟は小さくてねえやさんに任されていた。
記憶しているのは、何日間かトイレが出来上がらず家から二分の学校や「主婦の友社」のトイレを借りたり、多分夜はお向かいの家のトイレを借りたのではということだ。そのときからお向かいの家の家族と友達になり、そこの娘さんが今弟の嫁さんである。
昭和29年ごろのお茶の水はまだ空き地も多く、大きな建物は大学と病院、あちこちに空き地があってわが家もそんな一角に割と広い旅館を建てたのだった。明治大学の向かいに主婦の友社があり(戦前からの建物だと思うが、今は壊されてその形をなぞって建てられたカザルスホールも日大に売却されてしまった。)その関係の土地がバラバラと近くにあった。家の近くでは「主婦の友の寮」というのがあって、古いアパートのようなものだった記憶はあるが、住んでいた人も知らないし今何になっているのかも分からない。私が小学校卒業の頃にはもう無くなっていたような気もする。
その割と広い敷地の入り口に大きな椿の樹があって、普通の真っ赤な椿が満開であったことと一斉に散って地面が真っ赤に染まっている記憶が二つ共に強く残っている。古くからの人に聞いても「知らない」というのは人の記憶はあてにならないという事だろうか。
そのあまりに赤というより紅の無惨な光景は、私を怖がらせ以来「椿」は嫌いという思いを抱かせてしまったらしい。大人になるに従って、ピンクの乙女椿、白い椿と出会ってすこしづつ嫌とは思わなくなったが、白侘助の清楚な姿に出会うまで「好き」とは言えないままであった。
転校当時一人ぼっち感(いじめとは違うのだが)にさいなまれたり、間口の広い家(旅館だから)の子というので「お大尽」といわれたりしたが、だんだん友達も出来て卒業時にはいっぱしの女大将であった小川小学校も平成5年に閉校になってしまった。
目を凝らし目白来ぬかと待つわれの目の前を椿ぽとりと落ちぬ 多香子
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記憶しているのは、何日間かトイレが出来上がらず家から二分の学校や「主婦の友社」のトイレを借りたり、多分夜はお向かいの家のトイレを借りたのではということだ。そのときからお向かいの家の家族と友達になり、そこの娘さんが今弟の嫁さんである。
昭和29年ごろのお茶の水はまだ空き地も多く、大きな建物は大学と病院、あちこちに空き地があってわが家もそんな一角に割と広い旅館を建てたのだった。明治大学の向かいに主婦の友社があり(戦前からの建物だと思うが、今は壊されてその形をなぞって建てられたカザルスホールも日大に売却されてしまった。)その関係の土地がバラバラと近くにあった。家の近くでは「主婦の友の寮」というのがあって、古いアパートのようなものだった記憶はあるが、住んでいた人も知らないし今何になっているのかも分からない。私が小学校卒業の頃にはもう無くなっていたような気もする。
その割と広い敷地の入り口に大きな椿の樹があって、普通の真っ赤な椿が満開であったことと一斉に散って地面が真っ赤に染まっている記憶が二つ共に強く残っている。古くからの人に聞いても「知らない」というのは人の記憶はあてにならないという事だろうか。
そのあまりに赤というより紅の無惨な光景は、私を怖がらせ以来「椿」は嫌いという思いを抱かせてしまったらしい。大人になるに従って、ピンクの乙女椿、白い椿と出会ってすこしづつ嫌とは思わなくなったが、白侘助の清楚な姿に出会うまで「好き」とは言えないままであった。
転校当時一人ぼっち感(いじめとは違うのだが)にさいなまれたり、間口の広い家(旅館だから)の子というので「お大尽」といわれたりしたが、だんだん友達も出来て卒業時にはいっぱしの女大将であった小川小学校も平成5年に閉校になってしまった。
目を凝らし目白来ぬかと待つわれの目の前を椿ぽとりと落ちぬ 多香子

2017/2/17
小太郎と「毎日歌壇」掲載 毎日歌壇他
「家の猫」とタイトルを付けて書いてきた猫の小太郎も、今年16歳になって、去年は母の死のあと暑さにやられたのか死にそうになったのが、どうやら回復して生き延びています。がりがりに痩せてそれきり太れないのだけれど良く食べて、椅子の上にもぴょんと飛び乗れるのでまだ大丈夫だろうと思っています。
一年位前から歯が痛くて、自分で手で舐めては「ふぁー」と怒っていました。カリカリを食べると歯石なども落ちていいと聞くのですが、食べる時と食べない時があって今は猫缶(と言っても此の頃はパック詰めのものが定番になって来ています)のゼリータイプの物を食べまくっています。先日朝起きた主人が「歯が落ちている」と叫ぶのでみたら、大きな牙が一本床に転がっていました。今までの猫より根の付いたしっかりした歯で、大したものだと思いました。大抵16歳ぐらいの猫は牙が四本とも抜けてしまうのに、小太郎はその後も残り三本は抜けそうもありません。でも見た目にはボロボロの老猫になってしまいました。
2月14日の「毎日歌壇」に米川千嘉子選で掲載されました。
あの頃はみんなで肩をいからせてヌーヴェルバーグ「勝手にしやがれ」 河野多香子
あのころがどの頃なのかまるで分らない、という若いかたもいるでしょう。、ジーンセバーグ、ジャンポール・ベルモントなんて知ってますか。映画「勝手にしやがれ」がフランスで作られたのは1959年日本でヌーベルヴァーグが伝染したのは大部あとのような気がしますが、私は名画座で見たのかもしれないと思います。私はあのころフランスかぶれでした。
今年になってからやっとの掲載なので、とても嬉しい気分です。米川さま、ありがとうございました。
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一年位前から歯が痛くて、自分で手で舐めては「ふぁー」と怒っていました。カリカリを食べると歯石なども落ちていいと聞くのですが、食べる時と食べない時があって今は猫缶(と言っても此の頃はパック詰めのものが定番になって来ています)のゼリータイプの物を食べまくっています。先日朝起きた主人が「歯が落ちている」と叫ぶのでみたら、大きな牙が一本床に転がっていました。今までの猫より根の付いたしっかりした歯で、大したものだと思いました。大抵16歳ぐらいの猫は牙が四本とも抜けてしまうのに、小太郎はその後も残り三本は抜けそうもありません。でも見た目にはボロボロの老猫になってしまいました。
2月14日の「毎日歌壇」に米川千嘉子選で掲載されました。
あの頃はみんなで肩をいからせてヌーヴェルバーグ「勝手にしやがれ」 河野多香子
あのころがどの頃なのかまるで分らない、という若いかたもいるでしょう。、ジーンセバーグ、ジャンポール・ベルモントなんて知ってますか。映画「勝手にしやがれ」がフランスで作られたのは1959年日本でヌーベルヴァーグが伝染したのは大部あとのような気がしますが、私は名画座で見たのかもしれないと思います。私はあのころフランスかぶれでした。
今年になってからやっとの掲載なので、とても嬉しい気分です。米川さま、ありがとうございました。

2017/2/10
二月の歌 短歌
旧暦の頃は節分で年が変わるので、占いなどは今も二月の節分で星を別けている。(いわゆる九星占いのような)二月になるといよいよ冬も極まった感じがして、今年の運勢などが気になるものだ。
去年が激動の年だった私はぬるま湯につかるようなあったかーい年になってくれればと思うけれど、世界もどうもそうではないらしいし、東京もどうなるのかと危うい所がある。せめて歌だけは「美しい歌」が良いなと思うので、二月の歌は花の歌を七首あつめた。
「花がたみ」
花野ゆき紫野ゆき明け果てて秘密の種をひとつ育てぬ
うす紅の椿はわたしの頬の色あなたの電話が来ればほころぶ
片恋のつらさにひとり池の辺のスノードロップうつむきて咲く
梅の香の花粉症にも思い出すきみと暮らした私鉄の沿線
捨てるべきプライドをはや持て余す、夕暮れせまる白梅の小路
冬枯れの土の中にも耐えてきた 明日は咲けるひなげしと思う
便箋の水仙もよう目にしみて得意なはずの嘘が書けない
もっと梅の歌が詠んであるような気がしたが、本当に少なかった。二月はバレンタインの歌を詠むほうがよかったとおもったけど、年を言ってしまってからちょっと気持ちがくすんでいるところがあるみたい。「大人」を意識しすぎても歌は生きないなと思ったりする。
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去年が激動の年だった私はぬるま湯につかるようなあったかーい年になってくれればと思うけれど、世界もどうもそうではないらしいし、東京もどうなるのかと危うい所がある。せめて歌だけは「美しい歌」が良いなと思うので、二月の歌は花の歌を七首あつめた。
「花がたみ」
花野ゆき紫野ゆき明け果てて秘密の種をひとつ育てぬ
うす紅の椿はわたしの頬の色あなたの電話が来ればほころぶ
片恋のつらさにひとり池の辺のスノードロップうつむきて咲く
梅の香の花粉症にも思い出すきみと暮らした私鉄の沿線
捨てるべきプライドをはや持て余す、夕暮れせまる白梅の小路
冬枯れの土の中にも耐えてきた 明日は咲けるひなげしと思う
便箋の水仙もよう目にしみて得意なはずの嘘が書けない
もっと梅の歌が詠んであるような気がしたが、本当に少なかった。二月はバレンタインの歌を詠むほうがよかったとおもったけど、年を言ってしまってからちょっと気持ちがくすんでいるところがあるみたい。「大人」を意識しすぎても歌は生きないなと思ったりする。
