2018/8/31

秀歌(78)江戸雪「角川短歌」十首詠より  秀歌読みましょう

江戸雪さんはこのブログでも何度か書かせてらった「塔」の選者で大阪の方。文面や歌を活字で読んでいると(私は東京人なので頭の中で標準語読みをしている)歌会のユーチューブなどでお声を聞くと、あまりに大阪のおばさんでびっくりしてしまう。(江戸さんごめんなさい)でも私の好きな歌人さんなのだ。「角川短歌」八月号の十首詠より六首を引く。

「黙砂」

逢ったのは砂漠でそこはぜんぶ死であなたが蝶に纏われていた

ああ海を見たかったのか声嗄れて窓枠に爪たてるあけがた

くちびるはいつもわたしをおいていく 君をなくした 靴を洗った

氷片がひしめくグラスくちびるをよせるたび鳴り窓にくる蝶

わが耳がみどりに朽ちたのち風が、そこでまた知るだろうあなたを

くちびるがすこししょっぱく砂を待つ 海だよここは、もう出会うころ

砂漠であり海であり、恋をする場所とは自分の居るところ。歌のリズムによって揺れるこころは不安定に表現される。
以前にご紹介したときに、その新鮮さ飛び跳ねる様な歌心は若い時のせいなどと書いたけれど、52才でもほぼ変わりなく若々しい。突き抜けるような詠いぶりと、年を重ねて「新鋭短歌シリーズ」などで若い人の監修をしていらっしゃる姿が違和感なく、バイタリティと感じられるのだ。
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2018/8/24

「お屋敷 山野愛子邸」のこと  短歌

八月お盆明けの土曜日に「歌集批評会」をやって頂きました。これはお教室の中だけの事でしたので内容は書きませんが、10人ほどの会で先生、皆様に色々な歌を引いていただいて、暖かい感想を頂けた嬉しい会でした。

会場になった「がんこお屋敷 山野愛子邸」のことを書いておきます。私は美容に関心が薄く、今になって後悔はするけれど(あの抗がん剤のひどい色素沈着などが10年以上で随分取れた事を思うとあまり気にする事でもないなと思ったりします)山野愛子は名前だけ知っているという具合です。
近年耐震問題などでビル化が進んだ東京でも、昔の建物を使ったレストラン、料理屋に形を変えて存続されている物がかなりあるようです。その一つとして外国化が進む新宿大久保近くのビル街の中に、小さいけれどお庭のある和風建築に椅子テーブルを配置、廉価なお料理で個室もあるのは使いやすい場所でした。(「がんこ」というのは関西から進出してきたお寿司屋さんらしい)内部が思ったより良く手入れされて、彫ガラスの仕切り戸など昔懐かしい面もちもありました。

開店時間からの会議使用を頼んでいたので、お庭などゆっくり見ることは出来ませんでしたが、暑い季節だったので仕方ないかなと言う所でした。私たちのお部屋は二部屋を続けたのでお庭の見えない裏側でしたが、「批評会」がメインでしたから話に集中できたと思います。法事も子供連れのお祝い事もあまり気にせずに出来るのが高級店を気取っているより良いし、居酒屋のような雑さもないお店でした。(べつに宣伝ではないので写真はウェブでどうぞ)

葉陰来てイエライシャンはまだ香りひとには秘めし不意のくちづけ  『古今さらさら』

お二人の先生があげて下さった恋の歌です。
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2018/8/17

霧ヶ峰の想い出  短歌

新宿から中央本線に乗って信州に行くのは昔でも割と近いものだったのか(鈍行でも五時間ぐらいだったのか)小学校の修学旅行(何故か私たちの学年だけ)も蓼科だったし、大学のクラブの合宿も白樺湖だった。私達いとこグループ(20人位)は、夏は房州の別荘で地元民のような顔になって遊んで育った。それだけに諏訪から松本にかけての信州の優雅な夏は印象深いものとなった。

母は美ヶ原が一番好きと言っていたけれど、私は霧ヶ峰が一番好きだなあと思う。白樺湖には恋の想い出もあるのに、後から欠片を拾いに行った時には喪失感で昔のイメージのまま封印したくなったりした。
母の介護に入る前(もう15、6年前か)「あずさ回数券」とか「かいじ切符」という安い切符があったので、毎年夏のハイシーズンを避けて一人で霧ヶ峰に出かける機会があった。上諏訪の駅から路線バスで一気に霧ヶ峰高原インターチェンジまで行かれるので、短時間でニッコウキスゲの群落に会える。七月の(いまは連休が出来たので、混むのかもしれないが)中ごろから観光バスがどんどんやってくる。その人達と一緒に霧鐘の塔までぶらぶら歩き(バスの人はそこでUターンをする)その先を強清水まで歩くと次のバスに乗れると言う寸法である。夏の終わりにはクガイソウやヤナギランの残りが見られ、亜高山植物の大きく華やかな姿に幸せを感じたものだ。

二回目かにそのルートを歩いていたら、細い脇道の方から人声がした。思わずそちらへ向かったら何かの石碑の陰から二人連れが笑いながら出てきた。私はお幸せにと心に呟いて、さて何の碑なのだろうと覗いてみたら「藤原咲平博士の記念碑」であった。初代気象庁長官というより咲子さんのお祖父さんと覚えていたから、突然の出会いに嬉しくなった。(藤原咲子さんは大学の同級で、新田次郎、藤原ていさんのお嬢さん。前に気象庁の事で書いたかもしれない)藤原家は諏訪の出であったからなのだろう。ひょんなことで、小さな出来事に邂逅するのは旅の醍醐味だなあと思う。

山思う ビーナスライン霧ケ峰一人歩きし夏の日は夢   多香子
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