2018/10/26
「三朝庵」閉店 短歌
このまえ「藤むら」が無くなったと書いたが、七月に早稲田の「三朝庵」が閉店したと9月17日の「毎日新聞」に記事が出ていた。前日の16日に早稲田のお寺で法事をして、従姉妹と古い話をしていたのだが、その事は聞き逃していたのでびっくりした。
三朝庵は早稲田通りの大隈講堂へ曲がる角にあった蕎麦屋で、店の名は大隈重信が付けたと言う。「かつ丼の発祥の店」とも言われ、その歴史や閉店の理由は検索で色々に出てくると思うが「蕎麦屋」というものが庶民の物から材料の高騰、趣味人のそば打ちの流行などで大分高いものになってきたのも一因ではないだろうか。
私の従妹は早稲田大学の裏側に屋敷のある家に嫁いで、今は学生マンションと家用のビルに建て替えている。(先日も法事の後でいとこたちが寄りあった)そこから三朝庵は通り道で、母が元気な時は何度か訪れるたびに「あ、三朝庵」と言っていたがとうとう食べに入ることはなく終わってしまった。
母がそう言ったのは、昭和ひとけたの時代に祖父が小さい母をつれて無尽の会に連れて行ったからだそうだ。無尽と言うのは「講」というよく分らない金融システムで、小金を掛け金でためて、くじのような物で一人に渡す(落ちると言う)その会合を小料理屋や蕎麦屋の二階などで開いていたらしい。祖父は徳島の出で阿波狸の子孫らしく、金融には興味があったから江戸川橋から早稲田あたりの無尽講に入っていたのだろうと思う。
母は毎月ではなかったが、何度かその会合に連れて行かれて御蕎麦を食べられるのが良かったけど、子供には面白くはなかったと話していた。母が亡くなって母の生地江戸川橋近くの西早稲田にお寺を移って、三回忌を執り行うことが出来た翌日、三朝庵閉店の話を知ったのも不思議な気がした。
時代(とき)がまた扉を開けて流れゆく 早稲田通りを風に連れられ 多香子
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三朝庵は早稲田通りの大隈講堂へ曲がる角にあった蕎麦屋で、店の名は大隈重信が付けたと言う。「かつ丼の発祥の店」とも言われ、その歴史や閉店の理由は検索で色々に出てくると思うが「蕎麦屋」というものが庶民の物から材料の高騰、趣味人のそば打ちの流行などで大分高いものになってきたのも一因ではないだろうか。
私の従妹は早稲田大学の裏側に屋敷のある家に嫁いで、今は学生マンションと家用のビルに建て替えている。(先日も法事の後でいとこたちが寄りあった)そこから三朝庵は通り道で、母が元気な時は何度か訪れるたびに「あ、三朝庵」と言っていたがとうとう食べに入ることはなく終わってしまった。
母がそう言ったのは、昭和ひとけたの時代に祖父が小さい母をつれて無尽の会に連れて行ったからだそうだ。無尽と言うのは「講」というよく分らない金融システムで、小金を掛け金でためて、くじのような物で一人に渡す(落ちると言う)その会合を小料理屋や蕎麦屋の二階などで開いていたらしい。祖父は徳島の出で阿波狸の子孫らしく、金融には興味があったから江戸川橋から早稲田あたりの無尽講に入っていたのだろうと思う。
母は毎月ではなかったが、何度かその会合に連れて行かれて御蕎麦を食べられるのが良かったけど、子供には面白くはなかったと話していた。母が亡くなって母の生地江戸川橋近くの西早稲田にお寺を移って、三回忌を執り行うことが出来た翌日、三朝庵閉店の話を知ったのも不思議な気がした。
時代(とき)がまた扉を開けて流れゆく 早稲田通りを風に連れられ 多香子

2018/10/19
秀歌(80)栗木京子「角川短歌」28首詠より 秀歌読みましょう
栗木京子さんは今NHKの「短歌で胸キュン」を担当しているので、若い人でも知らない人は居ないのではと思われますが、京大出のリケジョで「塔」の選者。理知的で麗しい歌から始まって「塔」らしい日常詠になって行ったが、一時期その生活が謎のような感じがしていた。「胸キュン」で若い人に囲まれ、すごく変ったなと思っていたら、母君と生活しているのか「読売歌壇」などは古い読者にも気を配っているようだ。「角川短歌」10月号の巻頭28首がとても良かったので十首引いて紹介したい。
「移動図書館」
切り株に今日も座しゐる滑瓢(ぬらりひょん)お辞儀をすればやがて雨降る
亡き人に詫びに行きたし入谷にて買ひし鉢植ゑ朝顔提げて
夕立の嚢(ふくろ)のなかにひとときを街はしまはる音うしなひて
十三人の死刑執行されし夏 被告らの古き映像流る
足立区のアレフ施設を拒否せむと署名をつのる回覧板来ぬ
いだかれてブランコに乗るみどりごは空に近づくたび目をつむる
楽しきもの想ひ眠らむひまはりの野をゆく移動図書館などを
自転車の表面積の大きさよ何度も雑巾すすぎつつ拭く
八月の試着室いたく涼しくて白夜の国へ続きゐるべし
仲秋の月の面(おもて)にドアありと見つつ宴ののちを歩みぬ
栗木さんは生まれは名古屋の方だけど、東京暮らしが長くこの歌では「足立区」という東京のはずれの区(言い方が悪いのだが)がキーワードになっている。表題になっている七首目の歌の、恐ろしげな現実の歌の後に来る美しさ、自転車の面積などという普段考えない物を「ていねいに」詠う事の実践、ご自分では「不思議系のうたはもう飽きた」などとおっしゃりながら、巧みな比喩を織り交ぜて不思議な歌に昇華させていると思った。
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「移動図書館」
切り株に今日も座しゐる滑瓢(ぬらりひょん)お辞儀をすればやがて雨降る
亡き人に詫びに行きたし入谷にて買ひし鉢植ゑ朝顔提げて
夕立の嚢(ふくろ)のなかにひとときを街はしまはる音うしなひて
十三人の死刑執行されし夏 被告らの古き映像流る
足立区のアレフ施設を拒否せむと署名をつのる回覧板来ぬ
いだかれてブランコに乗るみどりごは空に近づくたび目をつむる
楽しきもの想ひ眠らむひまはりの野をゆく移動図書館などを
自転車の表面積の大きさよ何度も雑巾すすぎつつ拭く
八月の試着室いたく涼しくて白夜の国へ続きゐるべし
仲秋の月の面(おもて)にドアありと見つつ宴ののちを歩みぬ
栗木さんは生まれは名古屋の方だけど、東京暮らしが長くこの歌では「足立区」という東京のはずれの区(言い方が悪いのだが)がキーワードになっている。表題になっている七首目の歌の、恐ろしげな現実の歌の後に来る美しさ、自転車の面積などという普段考えない物を「ていねいに」詠う事の実践、ご自分では「不思議系のうたはもう飽きた」などとおっしゃりながら、巧みな比喩を織り交ぜて不思議な歌に昇華させていると思った。

2018/10/12
10月の歌 短歌
「まったく良く降りますね」と男の先生がおっしゃつた。本当に九月から長雨と言うけれど、台風の土砂降りからしとしと雨まで曇りと雨の日が並んでいた。そして毎週来襲する台風。災害の多い時代がまた巡ってきたのではないか。戦後の一時期台風、地震、大火など凄いと記憶に残るものがあった。未知の災害ではなく、時代は「回る回るよ・・・」なのだろう。日本人(?)は強いのか弱いのか、(もしかして鈍感なのか)ひどい災害にもなんとなく生きていく。今年のあの猛暑の記憶も大分ぼんやりとしてきた。
「人生は辛い」
羽根もたぬ我の背中に残る骨 地に悲しみて草笛を吹く
もうこれで精一杯という疲れ 休め休めと涼風の吹く
何ほどの成果も出せぬ日の空を夕陽に染まり凍て鶴が飛ぶ
この町に一軒残ったお風呂屋の煙突あしたは取り払われる
松茸の香りか路地を曲がるとき空きっ腹にひびく 秋はしんしん
履きなれぬヒールのかかと打ちつけてシンデレラには夜明けが遠い
この路地に住む人想う黄昏の花壇に匂うかっこうあざみ
先月は「気楽な人生」だったので、今月は「辛い人生」にしてみたが、それほど違いはないのだろう。「今年はまだ松茸を食べていない」ということだって、とりたてて辛い事ではないのだ。
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「人生は辛い」
羽根もたぬ我の背中に残る骨 地に悲しみて草笛を吹く
もうこれで精一杯という疲れ 休め休めと涼風の吹く
何ほどの成果も出せぬ日の空を夕陽に染まり凍て鶴が飛ぶ
この町に一軒残ったお風呂屋の煙突あしたは取り払われる
松茸の香りか路地を曲がるとき空きっ腹にひびく 秋はしんしん
履きなれぬヒールのかかと打ちつけてシンデレラには夜明けが遠い
この路地に住む人想う黄昏の花壇に匂うかっこうあざみ
先月は「気楽な人生」だったので、今月は「辛い人生」にしてみたが、それほど違いはないのだろう。「今年はまだ松茸を食べていない」ということだって、とりたてて辛い事ではないのだ。
