2019/4/26

山吹の里と太田道灌  

家の近くに「太田姫稲荷神社」という小さな神社があるのは、あの太田道灌が江戸を開いて館を置いた場所だと言う。それは同じ区内の別の場所だと言う説もあって、麹町地区のそちらにも神社があるらしい。道潅の有名な歌に

わがいほは松原つづき海近く富士の高嶺をのきばにぞみる 
 
と描かれているのは家康の入城の前の葦原だったころの風景であろう。私が小学生の時に東京百年祭と言うのが開催され、明治期に江戸から東京になったのを記念してパレードなどがあった。
その時の都知事は誰だったかわすれたけれど、太田道灌の格好をして馬に乗っている人も居たなあと思い出す。千代田区民には太田道灌は身近な人物だった。その人を祀っている神社がお稲荷さんなのも面白いけれど、由来は良く知らない。(すぐ近くでも町会は別なので)

もう一つ親近感があるのは、何度も書いたが母の小学校が「山吹小学校」といって早稲田の地が昔「山吹の里」といったことからついた地名の育ちだっせいだ。この山吹の歌の話も有名でそれは「常山紀談」と言う書物から広がったと言われるけれど、現代では落語などから知ることもあるのだろう。
道潅が江戸築城したのは1450年代だから、徳川入城より随分古い話だが鷹狩りに出てにわかに雨に遇った道潅が、しもた屋に雨具を頼んだところ、その屋の貧しい女が山吹の一枝に歌を添えて出したと言う。

七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき(後拾遺和歌集・兼明親王)

道潅は意味が分からず、怒って帰ってきて知識人の友から古歌に「蓑」と「実」をかけて風情ありげに断りをしたものと教わり自分の不明を恥じたと言うものだ。道潅はそれから武だけでなく文も学び一流の歌詠みになったと、いかにも戦前の「修身」の教科書に出てくる感じだった。母は生まれ育った場所の話なので、私達子供にも教え、年を取ってからも太田姫神社に山吹が咲く頃は散歩に行っては「昔語りに山吹の〜」と小学校の校歌を歌っていた。
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2019/4/19

「読売歌壇」掲載  毎日歌壇他

四月に入っても寒暖の差は激しく、先々週の関東大雪には驚いたりしました。冬の敷き毛布や綿入りコートを片付けたいのに用心深くなっていたりします。今週やつとあたたかさもどり、桜は八重桜に移りながら木々の新芽が柔らかく覆い始めています。
いつも忙しい春先の洗濯やガラス磨きも、手の痛い今年は思う様には行きません。手洗いをする綿入りのコートも、まとめて洗濯機にぶち込んでしまいました。手入れの行き届かないベランダでは、フリージアの花が少なく、それなのにクリスマスローズと菫はぞこぞこと咲いています。

そんな思うに任せぬなかで4月9日付「読売歌壇」小池光選で一首掲載されました。

ひなあられ三粒を雀にやりにけり一粒ずつをくわえてゆきぬ      河野多香子

小池さんは二年ぶりくらいで、とても嬉しいです。猫が居なくなってから、ベランダにくる雀がどこかで貰ったパン屑を咥えてきてまるで家を食堂のようにしていたので、少し餌をやり始めていたのです。小池様ありがとうございます。
動物好きなのだけどあまりに多い雀はチュンチュクうるさいと息子が嫌がっていたのですが、このごろは慣れて面白がっています。猫は名前も憶えて、言葉もかなり理解するのに、雀はあまり懐きません。(猫のいた家だから仕方ないかも)お礼に雀に、クッキーでも粉にしてやります。

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2019/4/12

金沢「むらはた」に行きました  

能登の中間あたりまで、一泊旅行を無事終えました。年寄り夫婦の久しぶりの旅はどうなる事かと心配でしたが、行きの「かがやき」から雪をかぶった信州の山々を見た時は、本当に旅に出られてよかったと思いました。

今回の目的地は「能登島水族館」と高岡市「万葉歴史館」だったのですが、金沢では兼六園より、「むらはた」のパフェが食べたいという思いがありました。それは金沢の「鏡の会」という歌会(未来の黒瀬欄の人たちが中心らしいのですが)のいくはさんが度々ツイッターで、歌会やパフェ部なるものを発信して私を羨ましがらせていたからなのです。昔は銀座に「リズ」というパーラーがあったのですが、このごろはわざわざ出かけないので、たまに資生堂パーラーでパフェを頼んでみても、昔風な物には出会わないのです。

六日の金沢は土曜日で兼六園が無料公開、桜も七分咲きで人でごったがえっていました。風情も何もなく大急ぎで金沢城公園を抜けて(トンビがお花見のお弁当を狙って急降下するのを初めて見ました)人に聞きながら「むらはた」に辿りつきました。行列の出来る店と言うので心配したのですが、二時前だったため、そんなに待ちませんでした。フルーツパフェはフルーツが多すぎて、クリームが少ない感じ、主人に少し助けてもらって、大体食べ切れたのは良かったけれど、店内がざわざわするし、階段に並んでいる人がガラス越しに見えるのは落ち着かない感じでした。

「万葉歴史館」は今度の元号「令和」にちなんで大伴家持(旅人の息子)の赴任地伏木の場所にあるので、突然新展示を企画して、普段はあまり人も多くないだろう場所に人が来ると、館長以下浮き立っていました。それでも静かな場所で趣のある庭が配置されていました。
そのことはまた書くかと思いますので「万葉集」から家持の歌一首を(この歌の「かからむと」は弟の死の知らせに、こんなことになるのだっらという嘆きが歌われているので)御代代わりの前に載せて置こうと思います

かからむとかねて知りせば越(こし)の海の荒礒(ありそ)の波も見せましものを 大伴家持
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