2020/5/29

子年と「NHKテキスト」六月号  NHK短歌

今年度のNHK短歌は四月三週まで放送されたとおもったら、コロナの騒ぎで録画ができないと、去年の再放送になってしまいました。詠草募集は続いているし、どこまで再放送?と先行きを危ぶんでいましたが、五月四週の「胸キュン」で他のテレビ番組のように「リモート出演」というのか、栗木さん他小沢君などが一人ずつの枠の中でしゃべっていました。(私はNHKの見逃し配信で見ています)ホームページで好きな時に見られる代わりに、前のように「今週の特選」という画面の写真がないので入選歌が見にくいです。その分テキストを買ってということなのかしら。

「N短テキスト」六月号の松村正直選「子、鼠」で佳作に載せていただきました。六月号から今年度の選者で、松村正直、寺井龍也、小島なおと若手に胸キュンは栗木京子の各氏です。松村さんは長く「塔」の編集長をされていて、今年交代されるらしいです。もう中堅なのになんとなく若いような気がするのは、昔から端正なお顔つきが私の好みだからかしら(!)

今年のお題は十二支に決めたらしく、それぞれの動物でもよいらしいです。「子」は十二支の初め、そういえば今年は子年だったなあと確認するくらい「コロナ年」なんじゃという気分です。歌は

くるくると車を回す白鼠どこまで行ってもおんなじ私    河野多香子

出してから三か月、うろ覚えになっていて読み返したら私らしい歌だなあと思いました。昔は縁日などでハツカネズミが今の「ハムスター」の水車車を回すように、かごに入れられて売られていたものです。歌も覚えていられない私はネズミの脳みそぐらい、きっと呆けていくのでしょうね。松村様ありがとうございました。
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2020/5/22

自粛は続くが、日大病院の事  

東京など13県を置いて、一足早く他県が緊急宣言解除になったとき、まあ妥当だと思いつつ緊張の糸も切れて「もうすぐ東京も解除になり、それから次の波が来るだろう」という気がした。専門家と言われる人たちは、大波小波でだんだん収束していくと言っているのだろうから、そんなにシャカリキに自粛しなくてもいいのじゃという気持ちにもなる。

それにしても日本人は「マスク」が好きなのだなあとあらためて思った。私は息苦しいから大嫌いだけど、しかたないから手造りの花柄とイチゴ柄をしている。解除になったところでも、都心でもみんな何らかのマスクをして平気で歩いているのはすごいなあとしか言えない。

21日の木曜日に主人の付き添いで日大病院に行き主人は二か月振りに診療を受けた。確かに少し空いているみたいで、玄関は入り口出口を分けて手を消毒、検温をして入っていく。職員が何人も立っていて目を光らせていたけれど、私はイチゴ柄の縫ったマスクだったので「手作りですか、かわいらしい」と笑ってもらえた。

採血室はビニールカーテンの遮断、受付もアクリル板で覆っていたけれど、診察室の医師はマスクだけで(フェイスガードでもしているかしらと思ったけれど)平気な顔をして診察をしていた。入院患者は出来るだけ取らないようにしているみたいだった。

ヤマボウシ白く誇れる近道をマスクの二人病院に行く

耳打ちをしてもソーシャルディスタンス取れていないとどこからか笛  多香子
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2020/5/15

「エビアン美容室」のこと  

もう無くなってしまったお店のことを時々書くのですが、今回のコロナで自粛要請の職種に東京都は「美理容業」を入れようとして、国と対立しました。その時以前隣りにあった「エビアン」美容室のことを思い出したのです。

その店は戦後29年に家が神田に越してきたとき、一足先に隣に開店していたお店でしたが、はじめのころは一階を喫茶店に貸して、二階で美容院をしていました。家の一角は「治作」という大きな料理屋さんの跡地で、分割して何軒ものお店が買い取って住まいとお店にしていたのです。家はその真ん中の大きな場所を買って旅館でしたから、いろいろなお店とつながりがありました。一階の喫茶店はしばらくしてやめて、美容室が一階になりました。

「エビアン」さんはお隣だったので、ずっと仲良くそこの「先生」と画家のご主人、妹さんたちと家族ぐるみのお付き合いでした。その「先生」は神田明神の出入りの美容室の娘分だったので、結婚式の着付けから、明神下の芸者さんの髪までやっていました。明神下の女将さんや、引退したお姐さんたちが来て昔話などを聞いたりして耳学問にもなりました。(明神下は講武所芸者と呼ばれ、地方からではなく自前で出ていた人たちが多かったそうです)

特に親しくなったのは私がいい年になって、先生も70過ぎてからご主人が弱り私も相談相手になったり、その分カットは安くやってもらうなど持ちつ持たれつで暮らしてきました。私は髪が天パーなので、パーマはいらず月に一度のカットだけでしたが、じっとしているのが苦手でその先生でないと切ってもらえないし、先生のところはお風呂がなくて(すぐそばにお風呂屋さんがあった)お風呂屋さんが無くなってからは家に入りに来たりしていました。ご主人が亡くなって先生も85、ひとりでお店をやっていけなくなってこの辺りが(家も含めて)マンション建設の時売って妹さんのところに行ってしまいました。

私は髪は家中お互いに切りあって、なんとかなっていますが、あんなに仲良かった「先生」も遠くはなれてしまうと亡くなったときも知らせはなくて、後から聞いても詮無いことでした。

髪を切る銀のはさみの冷たくて首筋うつす鏡をみつむ  多香子
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