2020/8/28

ライブカメラに見る「忍野八海」のこと  

富士五湖ドットTVというサイトが、富士山回りのライブカメラ映像を出していて、その中でも忍野八海のカメラ画像は10分ごとの画像が一番の池と富士山の姿を大きくとらえて、観光客の姿も(顔までははっきりしないけれど)大きく映っている。3,11の後富士山噴火の噂とかあるたびにその画像をのぞいて来たのだった。

私が40年位前に母と友達と尋ねた時も猛暑の夏で、せっかく行った池の姿も何かの事故の規制で涼しくもなく辺りにお店などもあまりない場所だったが、今では建物も増え、藁ぶき屋根の日本家屋にお土産屋さんなど配置して、観光地らしいたたずまいになっている。
中国から大勢の観光客が「爆買い」などといわれてやってきたころ、観光バスで富士山を回るのも流行りだったらしく、覗いてみるライブカメラ画像は人で埋まっていた。爆買いがおさまって、外国人の観光客は日本各地にあふれかえっていたから、忍野八海の画像も賑わっていた。私もいつかまた行きたいなあと思っていたら、コロナが来てしまった。

今年の初めだったか(クルーズ船も今は夢のよう)あれよあれよと外国人は姿を消して、緊急事態宣言の出た時にはもう忍野八海に人影はなかった。日本人もステイホームと言われて、全国の観光は止まってしまった。富士山の雪が消えて、でも美しい姿はかわらないけれど、今もまだ首都圏の観光地には外国人の団体はいない。

でも批判の多いゴートーキャンペーンが始まったら、日本人は政府がいいと言ったのだからと旅行をはじめあっという間に感染は広がり東京はダメと言われてしまった。忍野八海は山梨県だから東京からは近い、このお盆にどんなかしらと映像をのぞいたら、懐かしい観光客(日本人の団体だろうか)の姿がかなりの数見られて複雑な気持ちになった。

富士山の伏流水が湧きあがり小さな池なれど八海と呼ぶ   多香子
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2020/8/21

秀歌(94)佐伯裕子「角川」のコロナの歌  秀歌読みましょう

佐伯裕子さんには同じ東京生まれ、東京育ちとして親近感があるけれど、女性の歌人が立ち並ぶ現代の中やはり苦しんでその先へと歩を進めているのだろうと思われる。ああやっぱり歩みは確かなのだと(私が)感じたコロナ詠を「角川短歌」六月号巻頭28首から引く。五月発売の六月号,原稿はもっと前であろうけど、四月の緊急事態宣言の頃と思われる。

「ときじくの雪」

ときじくの木の実となりて雪は降り桜大樹をこなごなにする

西窓に疫病の影過ぎるのを私はふっと見たかも知れない

ウィルスを纏うがごとく避けられて友の娘の看護師の日々

ロシアンルーレットみたいと言えり疫病の忍び寄る日郵便配達

「自粛」から「要請」に変わる微妙さは日本文化の「間」を見るようだ

埃くさい東京が好き烏羽玉のぱりっと乾いた海苔を巻きつつ

戻らない元の世界を知るからに思い出してみる世界の昨日

郵便配達の仕事を続けている息子さんへの心配、友人のむすめさんの看護師のコロナゆえの誹謗などへのやさしい気遣いが切ない時代を写している。どんなに言われても「東京が好き」というふるさと感には共感しかない。私たちは同じ歴史の時を歩んでいるのだから、誹謗中傷ではなく、共感といたわりで暮らしていきたいものだと思う。
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2020/8/14

童謡「雨ふり」  

「雨降り」は1925(大14年)に作られた子供向けの歌で長く人々に愛され歌われてきた。と私は思うけれど気が付いたらこの頃は本当に聞かないのだった。確かに歌の中にランドセルは出て来るが、蛇の目でお迎えの「蛇の目傘」を普通にさしている人もいなくなり、雨だからお迎えに学校に行くお母さんもいないのだろう。
私の思い出はお迎えの経験ではなく、幼稚園から小学校低学年で叔母のところで習っていた「幼児舞踊」(モダンバレーの子供用)の発表会でこの曲を踊った写真があるからなのだ。まず、歌を抜粋で(簡単な曲と思っていたが、白秋と中山晋平の組んだものだった)

「雨ふり」北原白秋作詞、中山晋平作曲

あめあめ ふれふれ かあさんが 蛇の目で おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ 柳の 根方で ないている
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな 蛇の目に はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

蛇の目は和傘で戦前は仕方ないとして、柳の根方とかここに引かなかったところに「きみきみ、この傘さしたまえ」など子供のセリフとは思えない言葉が入っていたりする。当時親のいない子だけでなく、忙しい家、お手伝いさんがお迎えする家など、いろいろあったのだろうけど、わたしのこどもの頃(戦後です)は祖父や父親が自転車で、こうもり傘を持ってきてくれた気がする。

この曲を三人の女の子で、叔母が振り付けをして踊ったのだが、写真に依ると私が「ぼく」でもう一人のターちゃんが「あの子」せっちゃんが「おかあさん」だった。写真を見るとわかるのだが、どうもこの時の記憶は凄く薄い。「ぼく」は半ズボンに蝶タイ、お母さんはスカートに前掛けというどことなくアンバランスな衣装が嫌だったのかもしれない。場所は上野の松坂屋ホールで、デパートの中にホールがあった。でも記憶はどこまでも薄いままだ。

ふり返り「どうかしたか」とかたつむり傘をもたない濡れ猫私に   多香子
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