2020/9/25

「NHK短歌」10月号佳作  

コロナ以前は「電子書籍」より紙媒体のほうが読みやすいと、なかなか電子書籍は広がらなかったのだが、それでも断捨離の進め難さを思うと「買わない」という選択は多くなって、月ごとに出るテキスト類は「キンドル版」が良いという気分になってきていました。本屋さんは不況の中本を買う人も少なくなって、だんだん閉店していき、町の本屋さんというものが無くなってしまいました。

そこへコロナの登場で、外出自粛、少し本は売れ出したけど本屋さんはないから、アマゾンなど通販で買いましょうとなる。巣ごもり生活に必要なお届けも大変で、リモート授業、オンライン会議とともに「電子書籍」が急に発達したように見えます。
「短歌研究」「角川短歌」も電子化され、アマゾンで買えるようになったけど、一時「本」と同時発売だったN短テキストが、キンドル版だけ五日も遅れて発売というのはどういう意味なのか、一般市民にはよくわからないです。

今月は仕方なく、お医者のついでに市ヶ谷駅そばの本屋さん(チェーンだけど、支店がどんどん減ってしまった、かすかな残り)で「本」を買いました。
「胸キュン」栗木京子選 「冷蔵庫」の佳作にとって頂きました。

冷蔵庫あければ海が広がって日干しにされた魚が眠る   河野多香子

N短はもうやめようと思いながら投稿しています。今年は四人の選者に一首ずつ取られて、歌の勘も少し戻ってきたような気がします。まあ、干物の歌なんですけれどね。栗木さま、久しぶりにありがとうございました。
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2020/9/18

「四季」夏号の歌  短歌

夏号の「四季」はまだまだ暑い夏の内に出来上がりました。縦書きで紙面に印字されたものは、またすっきりと歌らしくなるという方たちもいます。私は「うたの日」投稿でも、このブログでも横書きに慣れているので、(私の歌については)横書きのまとまりのほうが「らしい」と思ってしまうのですが、どなたも感想を言ってくださらないのでよくわからないでいます。
夏号には(三か月ぐらい前に詠んだものですが)コロナの歌を井上陽水「少年時代」を下書きに作りました。

「風あざみ」

言葉には魔性もあれば陽水の造り言葉も普遍となりて

七月は夏休みではありません、今年の夏はコロナのせいで

県境を越えてはダメよ東京に生まれた私が悪かったのね

夏椿、沙羅双樹の別名と一夜に花を散らす哀しさ

バス停に立ち枯れている夏椿身を投げることもない東京で

お祭りも縁日もない夏の日を二人お家で食べる密豆

朝顔の伸び行く蔓を巻き付けて行灯仕立ての刑に処したり

十五階二十階と建ち行けど墓標とならぬかげろうの街

海の香が窓から流れ込むような気まぐれな風みな白昼夢

風吹けば昼寝の夢は破られてまだ立ちつくすコロナの東京


いつの間にか九月も後半になり、あの春のコロナの騒ぎ初めから、いつになっても終わらないことが疲れになってきています。政府が変われど実態は変わらず、「これが終わりだ」という形は何なのか誰か示して下さいと思ってしまいます。
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2020/9/11

「角川九月号」結社賞の歌人から  短歌

「角川短歌」九月号の「結社賞受賞歌人大競詠」から2019年度の「未来賞」の文月郁葉さん、第三回群黎賞(心の花)の星野さいくるさんを読んでみました。
お二人とも以前「風の歌会」でご一緒して、郁葉さんは若手の中でも上手な方だなあと思っていました。chariさんと呼ばれていた星野さんが後から「心の花」に入って短期間で新人賞になったのは、やはりネットで培ったものがあったのではという気がしました。(そういえば中牧王子さんと泳二さんchariさんと三人で何か名前のあるグループだったような)今の人たちは表面的に軽やかに冗談めかしていても、裏側で大きな努力をしていることを知っています。

結社賞など、角川は結社に本を買わせるためなどと言う人もいますけど、結社の中間に来てこれからも進もうとする人に場を与えるという企画はいいことと思います。五首詠の中から二首ずつを引きます。

「素数たち」     星野さいくる

二十九年触れることなきサリンジャー君の手紙を挟んだままで

十代は素数ばかりが転がって最後のひとつをふたり歩いた

若いころを思い返す歌は多いし、それは作者がもう若くないという事だし、するっと入って来るよい歌群だと思いました。誰の「青春」の中にも「サリンジャー」はいて、それぞれの中年や老年に語り掛けて来る。その時代の思い出を連れて。
星野さんが「心の花」に入ったと知ったとき、合うのかしらと思ったのは私の間違い。それからの進歩と肩の力の抜けたこの歌が「良かった」と言っているようです。

「float」    文月郁葉

向ひ風 かばんをななめ掛けにしてあらゆる処世の術を撃ちぬけ

おのづからいのち生まれてたしかめるやうに詩を抱くヘリオトロープ

いつもうーんと唸らされる彼女の歌が、今回一読目にはあれっと思ったのです。コロナの時代に押しつぶされそうな日々の私には、あまりに抽象的な物言いが拒否感になったのかもしれません。でもこうやって書き写したり、考えたりしているうちに「未来」短歌会の(近藤芳美の)思っていた未来ってなんだろうなどという事につながるような気がしてきました。これが彼女の歌であり、「未来」なのかもしれない。そんなことを思いました。

お二人のご活躍を片隅で嬉しく、今後を楽しみにしています。
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