2020/10/30

秀歌(96)鈴木加成太「角川」10月号より  

今年の「角川短歌賞」は田中翠香さん、道券はなさんと「未来」の若手で(あひるだんさー)(ぴーたーぱん子)というニックネームで「うたの日」で活躍していた方たちでした。なんだか仲間意識もあったけれど私はツイッターをやらないし、道端で勝手に喜んでいることになりました。「うたの日の」人たちはそのほかの場所でもご活躍です皆様おめでとうございます。
     ******************************

鈴木加成太さんは2015年61回角川短歌賞受賞者で、当時は阪大の学生さんだった。受賞後に「かりん」に入って「国立図書館」に就職したのではと思う。学生時代から美しい言葉で紡ぐ比喩のすばらしさに目を止めていたのだけど、受賞作も就職の苦労の歌なのにどこかおいしそうなおかし名の比喩などが好ましかった。久しぶりに「角川」10月号に10首詠を見たので五首を上げる

「ひぐらし水晶」

七夕笹を母と担いで帰えりし日 うすがみの銀河がさらさらと鳴る

魚の眸の奥の水晶こりこりと食みつつ昏れる陶のふるさと

シベリアの野に向日葵を焚きながら青年祖父の汽車は走ると

祖父の死後この世のほかのひぐらしのしんかんと夕べ「赤旗」届く

手花火をまっすぐに持つやくそくは宵闇の祖父に教えられたり

五年がたって祖父の思い出話の中に、すこし社会で重ねた疲れも感じられるけど、共産党員であった祖父の思い出の「不思議さ」など、透明感は失われていないと思った。題の「ひぐらし水晶」のイメージは生かし切れていないかもしれないが。
4

2020/10/23

上野「永藤パン」のこと  

私が三歳で上野に引っ越した時、戦後すぐの上野広小路は、焼け残ったところにいくつかのお店が再開されて、弟が生まれたころには映画館やデパートも物が出始めていた。(アメ横は進駐軍の横流し品の場所だった)母は子供を連れてお買い物のついでにはデパートの食堂か「永藤の喫茶部」でお昼をたべる事があった。

母は祖父がハイカラ好みだったので、パンはもとより三時のお茶という習慣も戦前からしつけられていたのに、戦争中に食品も無くなり哀しい思いで暮らしていたから、戦後の(すぐは戦中よりずっと大変だったと話していたが)闇でも物が手に入るようになると、子供に「おやつ」の習慣をつけるようになっていた。
家の近くにもパン屋さんはあり、駄菓子屋禁止だったけどそのパン屋さんの仕入れるお菓子は買ってもいいと言われていた。(小学一年までしかいなかったので、私はお買い物はしなかったけど)それでもお出かけ(デパートに行くのも洋服を着替えて「お出かけ」だった)の時は池之端まで都電に乗って「永藤」で「ホットケーキ」を食べる楽しみがあった。

永藤はもとからのパン屋さんだから「シベリア」とか杏ジャムの入ったジャムパンなど、安くはないけれど美味しいパンを売っていた。ホットケーキは家でも焼いてくれたけど、まだ材料が十分でないのでふくらみが悪く、祖母も奮闘してケーキを作ってくれても(それなりにおいしいけれど)今三ぐらいの出来だった。

私の永藤のお店の記憶はラジオで洋楽のかかった石畳みの床や広いホールなのだが、子供だったから大きく見えたのかもしれない。この文を書くのに、ちょっと検索をしたら昔の「永藤」の建物の写真が出てきて、懐かしいというより驚きだった。ネットは便利というだけでなく多くの人が記憶の証を載せてくれているからこそ、話はつながっていくのだなと思った。永藤はビルを建て替えて、飲食店に貸しているうちにとうとう自分の店も畳んで、ビルに名前が残るだけになってしまった。

グローブの形だったねクリームパン、角のパン屋も閉めてしまった   多香子

5

2020/10/16

秀歌(95)小島ゆかり「角川」六月号より  秀歌読みましょう

小島ゆかりさんが長いこと介護にたずさわって大変という話は聞いていたが、このコロナ下に同年代の女性たちはかなり追い込まれ、かつ覚悟を決めなければならない不安にもあうことだろう。それを詠う人、詠わない人さまざまながらこの28首を読んだ時、「小島ゆかり」の力とともにまたまた進んでいく歌人の姿に圧倒された。「角川」六月号巻頭28首より引く。

「肺呼吸」

いつまでと問はず答へず老耄の母と暮らせばぼたん雪ふる

わからうとしない自分に気づかうとしないわたしにうすうす気づく

捨てて捨てて生きんとおもふ夕焼けのそらに老母を捨てるときまで

ひるがへる紺のからだのしゅっとしてツバメハツバメデツライゼと言ふ

自己嫌悪Maxであるけふのわれ餃子の羽をバリバリに焼く

放心の胸にしいんと陽は照りて脚のみじかきアホウドリゐる

姑も母もてんでに老い進みどんどのやうな春のゆふぐも

はなみづきも鳥もゆれをり白マスクはづせばゆたかなる肺呼吸

父上の介護を共にした母、愛していた父、愛をくれつづけた母、人はその人の終わりをみとるまでなんて切ない時間自分を捨て続けるのだろう。介護は女だけの仕事ではないと思いつつ、この感覚は男の人には分からないのかもしれないと思った。
8



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ