2017/1/20

椿の思い出  短歌

私が小学4年生のころ、父母兄弟とともに伊豆大島に行ったことがあった。父も母も旅行好きで、子供連れの移動は大変であったろうに苦にもせずに出かける家だった。戦後の復興が下の弟が生まれたころから急に進んで(という感じが今振り返るとするのだ)大島との船便も竹芝桟橋からの夜行便と、下田からの昼便があった。都はるみの「あんこ椿は恋の花」が出るずっと前だから、歌と言えば「波浮の港」で父が好きな歌だった。

私は子供の頃、あまり旅行の好きではない子供だったけれど、大島は椿が有名でそれには一月が見ごろだと冬休みに連れて行かれたものらしい。
竹芝からの船便は夜の出発で、沖掛かりして時間調整をし一晩を船で寝て早朝に港に着くのだった。はじめて船に泊まった私は激しい船酔いで眠ることも出来ず、自分が船に弱いという事を知る羽目になった。そのときから島に渡る旅行を避けるようになってしまった。

よくしたもので、早朝港に着くと(岡田港だったと思う)朝休憩の旅館の人が出迎えに来ていて、近くの「為朝館」という旅館で炬燵に入って朝食を取ることが出来た。その味噌汁で船酔いが大分緩和されたような気がした。たしかバスで島の観光をして、三原山にものぼり(そのころから山嫌いな私はとてもつらかったし、火口は自殺名所だと聞かされて怖かったりした)もう一泊して色々な思い出があるはずなのに、書いたようなよくない思い出が強い。
お目当ての「椿」は咲いていたのだろうけど、そのころ大島にタイワンリスが増えて椿の実を食べて困る話を聞いた記憶しかない。確かにどの椿の幹にも斜めに筋が付いていて、これがリスが齧った跡だと教えられ「悪い奴」と思った記憶は今も残っている。

その時は帰りに下田回りで帰って、他の家族はあとからも大島に行ったが、私は二度と行くことはなかった。大島の名誉のために言っておくが、あれから何十年、熱海からのホバークラフトで短時間で着くし、あの噴火、豪雨被害を乗り越えて温暖な気候の夏に楽しい島になっている。先日亡くなった従妹は、一時住んでいた大島が好きで、遺言で大島の海に散骨をするのだという。そういう思い出は哀しいなりに素晴らしい。

うそつきな栗鼠が大事に水をやる夢の中なる大島椿  多香子
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