2013/10/25

コスモスの思い出  短歌

秋の花を思う時、桔梗、萩、彼岸花、菊・・と思うのに、コスモスの事を忘れていたなーと我ながら不思議におもった。20年前には一番好きなのはコスモスだった。家の屋上では水が切れて育たなかったが、ちょっと近郊にいけば空地にはひらひらとピンクのコスモスが群れていたものだ。昔の私は人がコスモスの種をまいて育てるなんて考えもしなかった。ある時生えてきたコスモスは自分で種を落とし増え広がっていくものだと思っていたのだが、その始まりなんて考えもしなかった。

主人の鎌倉の実家の隣に、天津敏さんという俳優さん(テレビで「隠密剣士」の悪役をやっていた)がいて、その方が亡くなった跡家が取り壊されたところに一面のコスモスが出現したことがあった。誰がまいたか分らないから、私は自然発生だと今でも思っているが、背の高いピンクのコスモスが、鎌倉の切り通しに面して風に吹かれていた様はほんとうに「夢のよう」であった。二年位堪能したろうか、次の秋には砂利が入れられて駐車場になってしまい、私のコスモスは夢となってしまった。
わが家には息子も含めて「父の介護」という長い欠損時間があって、それが終わった後母をはじめとして旅行に出かけた時期があった。大抵は母が一人で出かけたが、たまに私と母の親子旅もした。父の介護の間家にこもっていたので、テレビで見るコスモス畑はいつか行きたい憧れだった。その頃の流行はコスモス街道と黒姫のコスモスだった。ことに黒姫山のゲレンデに咲き誇るコスモスの写真が私を魅了し、主人だけが行ったことのある野尻湖というのも行ってみたかった。

あれこれ計画を立てて、妙高高原のペンションに一泊の強行軍だったが、母と二人で長野新幹線ではない「あさま」で出かけて行った。結果として私は昔のコスモスの夢を取り戻すことはできなかった。ゲレンデ一面のコスモスは、人の背ほども高く赤紫ピンク白と色とりどりにさかりであったが、それはスキー場の人が育てたもの、畑のようにきちんと並んで間に人の通り道がある観光用のコスモスだったのだ。
高い山の上で、見下ろせば眼下小さく野尻湖が光り、言うことのないシチュエイションだった。行く途中で小林一茶の記念館や柏原の終の棲家を見ることが出来たのは収穫だったし、妙高高原の紅葉の始まったいもり池など自然も満喫した。母と私にとって妙高はお気に入りの一つになった。ただその時以来、私はコスモスを追うのはやめようと思った。なんでもない空き地にコスモスが勝手に咲き乱れている所など、高度成長してしまった日本にはないと分かったからだ。
信州は随分あちこち行って大好きなのに今また行けない年月がめぐってきている。ペンションの庭に一叢ふたむら秋風に揺れるコスモスが今はなつかしい。

この夏の暑さおもえば安寝(やすい)する夢のなかでもコスモスゆれる                        多香子

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