2013/12/2

公孫樹と銀杏  短歌

東京都の樹はいちょうで、公孫樹とか銀杏とかも書くけれど、鴨脚樹と書くのは短歌の世界で初めて知ったことでした。葉の形が鴨の脚の形に似ているからと、この頃難読漢字クイズなどにもでてきます。銀杏は「いちょう」とも「ぎんなん」とも読んでぎんなんはいちょうの実の事を指すのはご存知のとおり。東京都はマークも公孫樹のデザインで、いちょう並木は有名な神宮外苑や東大構内、皇居前広場だけでなく、そこら中に散見されます。尤も世田谷から奥の方では、昔武蔵野と言われた名残の欅並木が素晴らしいのですが。この頃は東京でも12月には真っ赤な紅葉が見られるようになったが(何故だかが不思議に思われる)私の若いころは東京ではきれいな赤は見られなくて「こうよう」といえば「黄葉」いちょうのことでした。晩秋から冬が近づく頃背の高い公孫樹並木が黄色になってきらきらと陽を受けているのは、寒さの訪れを嫌いながらも美しい光景でした。そして雨が降れば落葉が散り敷き、歩道が真っ黄色に染められる。そのあとは・・・お掃除をしないと多くの靴に踏まれた姿は無残なものになるのです。

公孫樹はオスの樹とメスの樹があって、もちろんメスの樹に実が成るからギンナンが熟れて落ちるころには、あの臭気にみな顔をしかめるが心の中では、ああ拾って中の種をとればあのおいしい銀杏が手に入るのにと思っている事でしょう。現実家の近くの街路樹は公孫樹並木なので、その中のメスの樹からは沢山のギンナンが落ちて、その前の料理屋の人たちが早朝に総出で銀杏拾いをするという。ここまで読んできて、あれ、公孫樹の黄葉の話ではなかったのかと思った方、

金色の小さき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に  晶子

が出てくると期待した方には申し訳ないのですが、そう食べるほうの銀杏の話でした。
私が上野の寛永寺の幼稚園に通っていた時、お寺の庭に公孫樹は多く、ある日子供たちは先生に命じられるまま「くさい、くさい」といいながら銀杏拾いをしました。子供だから何のためだかも解らず中には手がかぶれる子もいましたが、お弁当の時間になって先生がきれいに作って焼いた銀杏をおかずに配って下さったのです。それが私が初めて食べた銀杏でした。戦後間もない食糧難の時代、親もクレームなどつけるわけもなく、子供は食材の入手法を知り後から先生方のご苦労も感じたのです。弟が通った都立日比谷高校は、日枝神社と背中合わせだったので弟たちのクラブは毎年銀杏を山ほど拾い、それを芋洗いのように洗って干し、文化祭で販売すると近くの料亭から買いに来たそうですが、今はどうなんでしょうか。
銀杏は殻を割って、薄皮ごとサラダオイルでさっと炒め、そのまま冷凍しておくと使う時にお鍋のお湯でゆでれば、薄皮は簡単に取れて少しずつでも使えて便利です。

冬の夜の食卓彩る茶わん蒸し底をさぐれば銀杏ふたつ  
                     多香子
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