2013/12/26

百人一首の楽しみ  短歌

私が子供のころから息子が中学生ぐらいまでは、お正月には親戚友達が集まって「カルタ取り」をするのが習慣だった。かるたは「百人一首」で、戦後家にあったのは古物やで買ったのだろうか、由緒正しそうだったが端に焼け焦げがあったりした。父方の親戚にはいとこまたいとこが大勢いて、男の子は洟垂れ小僧だったのに皆百人一首はやった。学校で習うわけではなくて、親たちが好きだから子供も自然と覚えるというものだった。だんだん年が行って、紙も出回ると解説本も出るようになって歌の意味もおぼえるようになった。子供たちは暮れが近づくとそういう本や一覧表でおさらいをして正月に備えたものだ。

現在ではかるたは「競技かるた」となって学校でもクラブが出来たりしているが、それは競技であって鑑賞や文学とは離れたものである。確かに昔のお正月かるたも源平戦や取れた枚数を競ったりしたが、競争に血道を上げたりはしなかった。世田谷の田舎人でも皆「ひ」と「し」の区別が付かなかったから、相手の前に「ひと」や「しずこころ」などの札をならべて、わあわあ、きゃあきゃあやって終わったらそれきりお汁粉食べて、大人は酒盛り子供はお年玉数えなんかで他愛なかったが楽しかった。
私達は暮れのおさらいをしながら、歌の意味によって似たような取り札の違いを覚え、作者も覚えて兄弟でクイズにしたりした。それほど覚える気になっていたのは、やっぱり歌が好きだったのかもしれない。
わが家では空想壁があってボーっと考え事をしている人を「夢見る夢子さん」と言っててたが、母も私もその例であったのかも知れないし、息子も遺伝かそういう子供だった。私はかるた会の最中でも、好きな恋の歌が読まれると、ぼーっとその場面を思い浮かべて札を取ることを忘れてしまって失敗することが多々あった。だから競技かるたには向いてないのだろう。自分の一番好きな取り札をおはこ(十八番)と言って、父は「おとめのすがた」母は「まだふみもみず」などと決まっていた。わたしの札は

立ち別れいなばの山の峰におふる待つとしきかば今かへりこむ                       中納言行平
であったが、これを読まれると、私もそういってくれる人が欲しいと思ったりするので、かるた会の時には心して思わないようにしなくてはならなかった。
息子が大きくなるのにつれて、お正月に集まることも少なくなり、かるたもやらなくなった。家持が選んだ百人一首は歌人最高の歌を採ってはいないといわれているが、リズミカルで口に乗せて覚えやすく、様々な恋も詠われているので、競技かるただけでなく鑑賞もしていただきたいと思う。
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