2018/8/3

『固い麺麭』長谷川径子歌集  歌集

長谷川径子さんは「中部短歌」の方で「そののち歌会」「風の歌会」にはじめから参加されていました。私は「そののち」の終わりぐらいから入れて頂いたので、先輩感はありました。『古今さらさら』をお送りしたので、28年に出された第二歌集『固い麺麭』本阿弥書店刊を恵贈下さいました。私より少し年若い、堅実なでもやっぱり短歌沼にはまっている方とお見受けしています。(お会いしたことはないのですけど)歌集より十首引かせて頂きます。

退職は武装の解除口紅をつけず散歩は川を見に行く

幼子を抱いてコアラをみる我は葉をふるわせるユーカリになる

赤い下駄履いてしまった猫なれば歌って踊って息が出来ない

金の鶴羽撃く布におおわれた母の鏡の暗闇深し

きんいろの狗尾草に気をつけなこころの中まで揺らしてしまう

しおり紐しっぽのように垂れている「ムーミン谷の彗星」ひらく

この屋敷縄張りとするぶち猫が庭の金魚を拐う月の夜

固い麺麭、ゴルゴンゾーラ冬に入る我を肯いつつ噛みしめる

眠れない長き夜をこめ打ち鳴らす我のうちなるたんばりんりん

誰も来ぬ小さな部屋に椅子ひとつ隠れ家(エルミタージュ)に飛ぶポンペイの鳥

猫の歌が思いのほか多く、それは愛しむことより野生の逞しさの猫のようで、ご自分もまた逞しく人生を切り開いてきたようにも読めました。(もちろん猫好きな事には変わりないでしょう)
集名の「固い麺麭」は子を育ておわり、年寄りの看取りも済ませて、これからの人生を「固い麺麭を噛みしめていくような」ものと思ったと言われているのですが、径子さんらしい堅実な考え方とは思うけれど、私からはもっと楽しく、もっと飛んで行ってくださいと言いたい気持ちになりました。「風の歌会」が休会となって寂しい思いもしていますが、それぞれの歌の道を行きながらまた同じ場で詠み合えることもあると思っています。
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2018/7/27

ハッカドロップスと「読売歌壇」掲載  毎日歌壇他

ドロップと言うとあの缶入りの「サクマドロップス」を思うのは私が年寄りだからでは無く、今の人も知っているロングセラー商品なのだろう。(だろう)と思って検索してみたら「佐久間製菓のサクマ式ドロップス」と「さくま製菓のサクマドロップス」の二種類があるらしいのです。そのいきさつは検索して読んでみて下さい。

私は割と小さい時から「ハッカ」の味がすきで、他の味のドロップはそんなに好きではなかったのです。この前「うたの日」に「ドロップ」「ハッカ」のお題が出た時、「ハッカ」や「白いドロップ」がきらい、出てくるとはずれ、残るものみたいな歌が多くてびっくりしました。それから何か月かして、同じような題の時は、反動のように大人っぽい味として「好き」と言う人が多かったので本当のところはどうなんだろうと思いました。
でもこの前業務スーパーに、すごい大袋にハッカドロップスばかりはいって200円ぐらいの特価品があったので、好まれていないからなのかなと思ったのです。私はその袋を勿論買って、数ヶ月で食べ尽くしました。

7月10付「読売歌壇」俵万智選で一首掲載されました。読売は競争率が高いのか(本当はのところは知らないです)中々とって貰えないのですが、俵さんには四月以来なので、割と直だった気がします。

ハマナスが咲いたときみが誘うから明日の私を忘れてうなずく   河野多香子

歌友から「乙女、おとめ」と言われましたが、私も大したカマトトな歌だと思います。そう言う乙女チックな心も掬い取って貰えたのは嬉しい事です。俵さまありがとうございました。
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2018/7/20

裁縫上手と浴衣  短歌

歌集を謹呈した中学時代の友人からお手紙を頂いた。前の「猫と暮らせば」もとても気に入ってくれたのだけど、今度の『古今さらさら』から次の歌を引いて、女学校時代のエピソードを思い出したと書いていた。それは「小田原」の中の

単衣なら一晩で縫う上手とか同じ血を引く裁縫自慢 『古今さらさら』

の歌なのだけど、この歌は祖母が和裁が上手で手が早かった事をいつも聞いていたので、私の場合は洋裁好きと言う事を詠んだものなのだ。母はミシンでカーテンや布団を縫って、夏蒲団など一人で綿を入れて作っていたが、私は実用的な普段着や、小物を作るのが好きで和裁なんてとんでもないと思っている。

中学時代に家庭科の裁目で「浴衣」を縫ったことは覚えているが、私の記憶ではさんざんな出来だったような気がしていた。それなのにその友達はクラスで彼女と私の二人が10点満点の9,5点を取ったと書いてきたのだ。早速電話して真偽を確かめたが、彼女の記憶ではそう言う事らしい。二人で学級委員をやっていたから、どちらかというと勉強主体で他に裁縫や手芸の得意な人がいたのに、私達が最高点だったので、記憶に残っていたらしい。(と聞いても私は思い出さないのだけど)

あのころの女学校は、中学では原型製図から始めて、半袖ブラウス、スカート、袖なしワンピース、浴衣を縫ったような気がする。そして、高校の一年でウールのオーバーブラウスと襞スカートの補正をやった。二年からは受験準備にはいったから調理実習だったかもしれないが、昔の(戦後です!)女学校はけっこう実戦に役立つものを教えてくれたのだなあと改めて思い出すこととなった。

カラカラと下駄を鳴らしてお祭りへ 浴衣の娘等はじけて通る   多香子
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