2018/9/14

「藤むら」はなくなってしまった  短歌

私は甘いもの好きだけど、羊羹よりは最中の方が好きで、でも日持ちのしない最中よりお使いものには羊羹の方が良いと思っている。知り合いの羊羹好きに言わせると日本一は「藤むら」の羊羹だそうで、店は本郷東大横の角から一軒隣なのだけど、ちょっと店前が引っ込んで目立たない作りの木造家屋だった。
お値段が高いというのは聴いていたけど、一度友人が止める間もなくお店に入ってしまって、すぐ飛び出してきたことがあった。ちいさな半切りが2000円ぐらいだった。お家にお土産にするには角の「三原堂」の方が庶民的な品ぞろえで、友人は納得の買い物をした。

「藤むら」は加賀の前田家お出入の菓子匠で、江戸時代に前田家が今の東大のところに上屋敷を造営した傍へ金沢から呼び寄せられたのだと聞いていた。加賀百万石のお殿様直々のお声掛かりであったため、最上の味であったという。
いつも私の歌を応援して下さる高木絢子さんの歌にも

「藤むら」の桜もち買ふ一葉のこころときめき弥生のそらは       高木絢子『一葉日記』

という歌があって、小石川生まれの樋口一葉も「藤むら」を訪れていた話はあったけど、その当時でも高かったとおもわれるお菓子を、ただ買ったとは思えない。萩乃舎のおつかいを頼まれて自分もおすそ分けにあったのかなどと思ってしまう。(一葉日記に当りもせずにこんど絢子さんに聞いてみようなどと考えている)

その「藤むら」が店を閉めたと思ったらとうとうやめてしまって、建物も人手に渡り壊されてしまったと知ったのはつい先ごろ。ずっと出かけないでいたからネットの情報で知ったのだ。やはりデフレに慣れてしまった人々には手が出ないほどの高級品(友人は価値の分かる仕事上の大事な方にしか贈れないと言っていた)ではやって行かれなかったのだろう。ビルに建て替えて貸さなければ固定資産税の払えない東京は老舗の生き残りは難しい。残念。

涼やかに月の射しこむ部屋を出て猫の目のような夜を歩こう    多香子
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2018/9/7

九月の歌  短歌

台風21号の被害に次いで、北海道の大地震に心痛んでお見舞い申し上げます。

今年の異常な暑さは九月になったからと言って、そう簡単には終わるまいと思って覚悟を決めていたが、台風の発生によって少し秋めくのか知れないと思うようになってきた。気温グラフは上がり下がりするのだろうけど、夜が熱帯夜でないと楽に寝られてとても助かる。このところだるいと言いながら、良く寝られるので「馬肥ゆる秋」が近づいているのだなあと納得する。九月の歌は「恋」ではなくて「日々」を詠ってみることにする。

「気楽な人生」

今朝はもう秋の野分の吹き抜けて短歌ノートに夏の終焉

ポケットに手を突っ込んでその角を曲がれば朝はパン屋の匂い

百均で夫婦茶碗を買ったから誰かこの指とまってください

陽のあたる表通りを鼻歌で、今日はポイント三倍の日だ

味のある人と言われて今日もまた隣へ運ぶきんぴらごぼう

古本も子猫も箱に並びおり初秋の一日夕焼けだんだん

できあがりかけた真上を猫が踏む ジグソーパズルの淡いため息

結社に所属していない私に「連作を」とアドバイスを下さった先生のため、毎月の歌に少し力を入れてみた。題がこれだから真面目なんだかどうだか、申し訳ないような気もするのだが。
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2018/8/31

秀歌(78)江戸雪「角川短歌」十首詠より  秀歌読みましょう

江戸雪さんはこのブログでも何度か書かせてらった「塔」の選者で大阪の方。文面や歌を活字で読んでいると(私は東京人なので頭の中で標準語読みをしている)歌会のユーチューブなどでお声を聞くと、あまりに大阪のおばさんでびっくりしてしまう。(江戸さんごめんなさい)でも私の好きな歌人さんなのだ。「角川短歌」八月号の十首詠より六首を引く。

「黙砂」

逢ったのは砂漠でそこはぜんぶ死であなたが蝶に纏われていた

ああ海を見たかったのか声嗄れて窓枠に爪たてるあけがた

くちびるはいつもわたしをおいていく 君をなくした 靴を洗った

氷片がひしめくグラスくちびるをよせるたび鳴り窓にくる蝶

わが耳がみどりに朽ちたのち風が、そこでまた知るだろうあなたを

くちびるがすこししょっぱく砂を待つ 海だよここは、もう出会うころ

砂漠であり海であり、恋をする場所とは自分の居るところ。歌のリズムによって揺れるこころは不安定に表現される。
以前にご紹介したときに、その新鮮さ飛び跳ねる様な歌心は若い時のせいなどと書いたけれど、52才でもほぼ変わりなく若々しい。突き抜けるような詠いぶりと、年を重ねて「新鋭短歌シリーズ」などで若い人の監修をしていらっしゃる姿が違和感なく、バイタリティと感じられるのだ。
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