2017/3/17

3,11のあと『Midnight Sun』再び  歌集

前に佐藤涼子さんの「Midnight Sun」をご紹介した時、前半部分の「震災詠」は改めてということを書いたが、私にとっては心の中にぐちゃぐちゃに詰め込んで解決のない「原発事故」のことを思うと、手を引っ込めてしまいたい気持ちにもなってくる。沼尻つた子さんの『ウォータープルーフ』米川さんの『吹雪の水族館』とからめて震災詠と言う物を書いてみようと思ったのだけれど、このブログの許容スペースを越えるだろうし伝えられる物でもないのだろうとおもった。

佐藤さんには前半はもう一度書きますと言ったので、『Midnight Sun』について少しだけ書いてみようと思う。震災時の緊迫した歌は何人もの方が取り上げてらっしゃるし、解説の江戸雪さんも「被災していない自分が」と書かれているように一時東北のフクシマの人でなければ詠んではいけないと言う風潮もあった。そして3.11から六年「風化しないように」といいながら「なかったことのように」飼いならされようとしている私達に、ぽつりぽつりと「原発」のニュースが齎される。でもそのニュースに関心を持つ人はどれほどだろう。
(1)より七首を引く

電気復旧「心のケアとか言う前に米と水だよ」テレビにぼやく

数量計の数値は一応見るけれど前へ行くしかない東北道

三月は踏絵のようでやすやすと踏んでしまえば良いのだろうか

五年目の一斉捜索 私の時は五日経ったら忘れて欲しい

「フクシマ」の表記の是非の話には口を出さずにカフェラテを飲む

時が解決すると言う嘘 逆さまのスノードームに雪を降らせる

泥舟をいつ降りようと勝手だが船は揺らすな みんな沈むぞ

これらの歌は、ポツンポツンと離されて、3.11の被災の様子のなかに埋め込まれている。ひねくれたような詠い口は作者の受けた衝撃の表れと読み手はとるだろう。でもそれだけだろうか。

私は原発問題は「フクシマ」の問題ではなく、日本の、地球の未来の問題なのだと大きな声で言いたい。しかし何かが私に警告を発している。大逆事件を見た荷風が「花火」を書いて戯作者宣言をしたように私たちは歌にかすかな思いを沈める方法しか残らなくなるのかとも思う。「炎上」という言葉があって、それは突然燃え上がることがあり、私の指は言葉を選び迷いつづける。
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2017/1/27

佐藤涼子『Midnight Sun』  歌集

新鋭短歌シリーズ第三期「書肆侃侃房」の佐藤涼子『Midnight Sun』を読んだ。佐藤さんは塔の若手で、入会二年で塔新人賞という精鋭。この新鋭短歌シリーズは、公募になったはずだからその力を認められての歌集発行であろう。私はクローズのネット歌会で何度かご一緒して私の「猫と暮らせば」も読んでいただいた。歌集のかたちは四六という少し小型のもので、ソフトカバーで手によくなじむ、私の好きな大きさだ。

構成が一二部になっていて、前半は3,11の(作者は仙台在住)記憶と記録で、やはり真に迫っている。が、それが前半に来たために後半に、あれという感じは受けてしまう。今回は前半を「震災詠」として後日にゆずり、後半について感想を述べることにする。歌の風合いに自分と似たものを何首か感じてどうしてもそういうもの(恋の歌?)に惹かれた。ここにまず八首ならべる。

身の内に蛍が疼く 手を引かれ一ノ坂川越えて行くとき

ライラック色のペディキュア塗っていて良かった 口に含むだなんて

君の手で私の名前が銀色に書かれた黒いオルゴール鳴る

豆電球の電飾数本 木造のライブハウスにブルースが這う

初夏のトラジャブレンド濃く淹れて土曜の朝の窓明け放つ

ブルースをしゃがれた声で口ずさみ裸足の女は猫を蹴飛ばす

忘れたい記憶は白い モビールの鷗はゆるく回るばかりで

橋の下を過ぎる小船に手を振った君が乗ってるはずもないのに

歌集の後半は生活と恋の歌である。ある部分は音楽が深くかかわって、都会的な重苦しい雰囲気も出てくるが、「どうしようもないのに」と言っているみたいな恋の歌に、現代の女性のそれでも生活は強い足で歩いていくところが感じられる。そしてところどころに強くにおう性愛の描写は同じ恋を詠っても私には出来ない部分で、ああ若い人には等身大なのだなと思わせられた。
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2016/7/28

歌集『夢の緒』澄田広枝  歌集

塔短歌会の澄田広枝さんが、私の『猫と暮らせば』のお返しに送って下さった歌集『夢の緒』(青磁社)は四年前に上梓された著者の第一歌集である。私が何やかやと忙しく、なかなかブログに載せることが出来ずにいたのだが、とても素敵な歌集なのだ。内容はご自身のいらした結社「氷原」と「塔」の十年くらいのお歌で、ご自身の病気とご両親の介護に戻った和歌山の実家での蜜柑作りのお歌なのだけれど、その重さを感じさせない明るさ、そして何より表紙、中扉を飾るお嬢さんの描いた「花」の絵のほわっとしたあたたかさが、この歌集を物語っている。

本を開けた時のわっと匂い立つ「思い」のようなものが現われて「ああ、やっぱり歌集っていいな」とつぶやいてしまった。十首をあげる。

ゆるやかに君とわれとの頭上ゆくきさらぎの夜の青き魚たち

かなしみがゆっくり沈んでゆくまでの君のかたへの空色の椅子

二十キロの蜜柑コンテナ積み上げてたくましき女はお嫌いですか

かたち成すもののふかしぎ爪切ればゆふべ小さき三日月こぼす

失ひし翼をわれに戻すやうにいつも背より抱きたる人

ぎしぎしの根を最後までぬくときの土のにほひとからっぽが好き

子がもどり荷物が戻りそののちをすこし疲れた猫もどりくる

夏真昼たったひとりで父は死に生きねばならぬ者らの夕餉

今われを通りぬけたるさびしさは風のかたちをした既視感(デジャ・ビュ)です

りんりんと雪のふるおともうあらず前のみ見よと言ふこゑのせり

後半は御両親の衰えと蜜柑作りの生活歌が多く、それも良いお歌がならんでいるのだが、私はやはり柔らかくどこかに恋を思わせるお歌が好きだ。僭越ながら私の歌作りに似通った部分を感じて、夢の中に漂いながらなお強く両足で立つ女性を感じるのだった。
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