2018/12/14

童謡「毬と殿さま」  短歌

寒くなると「こたつで蜜柑」が合言葉であったが、このごろは果物の種類も増えて、一日に蜜柑を何個も食べると言う事は無くなっている。それでも冬はちょっとした籠などに蜜柑を乗せておいて、来客などにひとついかがと勧めるのはお茶を入れる暇がなくても良い手かもしれないのだ。
私のひいお祖母さんは静岡の出だから、昔は少し酸っぱい静岡蜜柑が箱で置いてあった。けれど八百屋さんで買うようになると愛媛ものが甘く、和歌山の有田蜜柑は高級品であまり買うことはなかった。
「てんてんてん毬」で始まる毬つき歌は、女の子なら愛唱歌で今でも覚えているが、毬が転がってお殿様に拾われ紀州にまで行って蜜柑になった歌だと言う事は大人になってから分かった事だった。

「毬と殿さま」 作詞 西条八十 作曲 中山晋平

@てんてんてん毬 てん手毬  てんてん手毬の手がそれて
 どこからどこまで飛んでった 垣根を越えて 屋根越えて
 表の通りに飛んでった飛んでった

A表の行列なんじゃいな 紀州の殿様お国入り
 金紋先箱 供ぞろい お籠のそばにはひげ奴
 毛槍をふりふりやっこらさのやっこらさ

Bてんてん手毬はてんころり はずんでおかごの屋根の上 
 「もしもし紀州のお殿様 あなたのお国のみかん山
 わたしに見させて下さいな下さいな」

Dてんてん手毬は殿さまに 抱かれてはるばる旅をして
 紀州はよい国 日のひかり 山のみかんになったげな
 赤いみかんになったげななったげな
 
(「野ばら社」『童謡』より)

スペースの関係で四番を除いたが話の流れは分ると思う。母が童謡好きで母の持っていた古い本から引いたが、今でも歌われるだろうか。
紀州の出の風太郎さんは「紀州の手毬」の歌を詠んだ事があって、お土産品にも手毬があると知ったし「風の歌会」のやねうらねこさんも有田蜜柑の産地の人でご縁のある地である。

手毬つき遊びし昔の少女たち我らはゴムの手毬をつきぬ   多香子
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2018/11/9

11月の歌  短歌

寒さと暖かさがくりかえす霜月になりました。東京は冬は暖かいので紅葉もすぐには来ないのですが、イチョウ並木やユリノ樹はこれから黄色く色づいてきます。熊本の(生産者「河野商店」とありました。)銀杏100個入りのものを買いました。一度に銀杏割りで割り、鬼皮をとって茶色い薄皮はつけたまま、フライパンで薄油を引いて軽く炒るのです。(中に火が通らなくていい)それをビニール袋に入れて冷凍します。結構手間ですが一度やって置けば使う時、お湯で茹でるだけで薄皮も油もとれて、すぐお料理に使えます。冷凍して置けば来年の夏まで保ちます。11月の歌は寒そうな歌を。

「枯葉の寝床」

錆びついた扉を風がゆらす音きみの不在の胸に流れる

たまさかに草取りすればベランダに雀小首をかしげて居りぬ

吾もまた紅と思えば会いたさにざわざわ秋の野におりてゆく

風見鶏つめたい風を一人受くあなたのいない秋の深さに

街角で声かけたけど速足で用ある猫はすたすたと行く

朴の葉の音たて落ちる午前中 秋は静かにさよなら告げる

とりどりの落ち葉の色にくるまれて眠る雀の夢さえ欲しい

弟の妻が亡くなり、年末にかけて慌ただしい事になりそうですが、私は忙しい分寒がってはいられません。
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2018/10/26

「三朝庵」閉店  短歌

このまえ「藤むら」が無くなったと書いたが、七月に早稲田の「三朝庵」が閉店したと9月17日の「毎日新聞」に記事が出ていた。前日の16日に早稲田のお寺で法事をして、従姉妹と古い話をしていたのだが、その事は聞き逃していたのでびっくりした。
三朝庵は早稲田通りの大隈講堂へ曲がる角にあった蕎麦屋で、店の名は大隈重信が付けたと言う。「かつ丼の発祥の店」とも言われ、その歴史や閉店の理由は検索で色々に出てくると思うが「蕎麦屋」というものが庶民の物から材料の高騰、趣味人のそば打ちの流行などで大分高いものになってきたのも一因ではないだろうか。

私の従妹は早稲田大学の裏側に屋敷のある家に嫁いで、今は学生マンションと家用のビルに建て替えている。(先日も法事の後でいとこたちが寄りあった)そこから三朝庵は通り道で、母が元気な時は何度か訪れるたびに「あ、三朝庵」と言っていたがとうとう食べに入ることはなく終わってしまった。

母がそう言ったのは、昭和ひとけたの時代に祖父が小さい母をつれて無尽の会に連れて行ったからだそうだ。無尽と言うのは「講」というよく分らない金融システムで、小金を掛け金でためて、くじのような物で一人に渡す(落ちると言う)その会合を小料理屋や蕎麦屋の二階などで開いていたらしい。祖父は徳島の出で阿波狸の子孫らしく、金融には興味があったから江戸川橋から早稲田あたりの無尽講に入っていたのだろうと思う。

母は毎月ではなかったが、何度かその会合に連れて行かれて御蕎麦を食べられるのが良かったけど、子供には面白くはなかったと話していた。母が亡くなって母の生地江戸川橋近くの西早稲田にお寺を移って、三回忌を執り行うことが出来た翌日、三朝庵閉店の話を知ったのも不思議な気がした。

時代(とき)がまた扉を開けて流れゆく 早稲田通りを風に連れられ    多香子
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