2020/10/16

秀歌(95)小島ゆかり「角川」六月号より  秀歌読みましょう

小島ゆかりさんが長いこと介護にたずさわって大変という話は聞いていたが、このコロナ下に同年代の女性たちはかなり追い込まれ、かつ覚悟を決めなければならない不安にもあうことだろう。それを詠う人、詠わない人さまざまながらこの28首を読んだ時、「小島ゆかり」の力とともにまたまた進んでいく歌人の姿に圧倒された。「角川」六月号巻頭28首より引く。

「肺呼吸」

いつまでと問はず答へず老耄の母と暮らせばぼたん雪ふる

わからうとしない自分に気づかうとしないわたしにうすうす気づく

捨てて捨てて生きんとおもふ夕焼けのそらに老母を捨てるときまで

ひるがへる紺のからだのしゅっとしてツバメハツバメデツライゼと言ふ

自己嫌悪Maxであるけふのわれ餃子の羽をバリバリに焼く

放心の胸にしいんと陽は照りて脚のみじかきアホウドリゐる

姑も母もてんでに老い進みどんどのやうな春のゆふぐも

はなみづきも鳥もゆれをり白マスクはづせばゆたかなる肺呼吸

父上の介護を共にした母、愛していた父、愛をくれつづけた母、人はその人の終わりをみとるまでなんて切ない時間自分を捨て続けるのだろう。介護は女だけの仕事ではないと思いつつ、この感覚は男の人には分からないのかもしれないと思った。
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2020/8/21

秀歌(94)佐伯裕子「角川」のコロナの歌  秀歌読みましょう

佐伯裕子さんには同じ東京生まれ、東京育ちとして親近感があるけれど、女性の歌人が立ち並ぶ現代の中やはり苦しんでその先へと歩を進めているのだろうと思われる。ああやっぱり歩みは確かなのだと(私が)感じたコロナ詠を「角川短歌」六月号巻頭28首から引く。五月発売の六月号,原稿はもっと前であろうけど、四月の緊急事態宣言の頃と思われる。

「ときじくの雪」

ときじくの木の実となりて雪は降り桜大樹をこなごなにする

西窓に疫病の影過ぎるのを私はふっと見たかも知れない

ウィルスを纏うがごとく避けられて友の娘の看護師の日々

ロシアンルーレットみたいと言えり疫病の忍び寄る日郵便配達

「自粛」から「要請」に変わる微妙さは日本文化の「間」を見るようだ

埃くさい東京が好き烏羽玉のぱりっと乾いた海苔を巻きつつ

戻らない元の世界を知るからに思い出してみる世界の昨日

郵便配達の仕事を続けている息子さんへの心配、友人のむすめさんの看護師のコロナゆえの誹謗などへのやさしい気遣いが切ない時代を写している。どんなに言われても「東京が好き」というふるさと感には共感しかない。私たちは同じ歴史の時を歩んでいるのだから、誹謗中傷ではなく、共感といたわりで暮らしていきたいものだと思う。
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2020/7/31

秀歌(93)木村雅子「角川短歌」六月号より  秀歌読みましょう

東京だけでなく多くの県がこれまでで最高という感染者が出ている。主人に付き添いで日大の外来に行ったが、大分患者さんはすいているみたい。皆やっぱり怖いのだろう。次は10月の予約を取ってくれて、ほっとしている。
コロナの盛り返しで重苦しい日々に、少し明るい歌をと思い、「角川短歌」六月号の木村雅子10首詠から五首を引く。木村雅子さんは「潮音」の代表。大正5年からの潮音社は一番長く続いている結社ともいわれる分、盛衰も激しいのかもしれない。太田水穂創刊のち何代か甥の青丘氏の娘である木村さんが後をついで鎌倉の邸宅に事務所を置いている。

「杳々山荘 春」

亀ヶ谷(やつ)の庭に見おろす英勝寺の屋根の緑青さやかなる朝

海見ゆるつばきの垣にしっぽだけみせてゐるリス実をかじるらし

ことことと風が小さな戸をゆすり緑の庭から呼びかけてくる

つーびーつー 椿の森の真上からふりてくる声「ぼくはここだよ」

縁側の芳名帳に春の陽のさして明るむ訪ひし人の名

主人の実家と同じ扇ヶ谷だが線路を挟んで反対側であろう。もっと年上の方かと思ったら、年鑑ではまだ70代初めのようだった。指導の厳しい結社と聞いていたけれど、このお歌では軽やかで静かに鎌倉での生活を詠っていて、(土地勘があるからかもしれないけれど)こころが開かれるような気持になった。実際の鎌倉の谷(やと)は日がさんさんとは射さず、緑が濃いので鬱っとしているとも言えるのだけど、リスが好き勝手をしているのはかわいらしい。
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