2021/9/17

秀歌(101)俵万智「角川」30首より  秀歌読みましょう

俵万智さんが第55回超空賞を得られて、いよいよ歌人としての地位を一段高くしたのは、早かったのか遅かったのかはともかく納得できることだ。私の師匠は岡井さんにも超空賞を取らせたという一時期賞ラッシュの時期のあった編集者だったから、この頃の歌人の傾向と「超空」の名はそぐわないと不満を漏らしていたけれど、それは「芥川賞」と同じで時代というものだと思う。
「角川七月号」に受賞第一作30首が載って、俵さんが受賞後入院生活のあったことを詠んでいた。読者はこのような連作から歌人の消息を知ることが出来て、それはこの文化の良い部分だと私は思う。30首より8首を引く

「笑いたい夏」

一昨年のパリ以来なる鞄持ち入院という旅が始まる

採血のたびに謝る看護師の声やわらかに針雨の降る

つっこんでくれる息子がいてほしい「午後の紅茶」を朝に飲むとき

入院の日々の渚に濡れながら触れたいものはガラスのコップ

牛丼の日にお粥から米飯へ替わる喜び主治医に話す

母親が賞もらうこと思春期の息子はいかに受けとめおらん

絶食の砂漠の蜃気楼に見るアボカド、焼き茄子、メヒカリの群れ

10センチ以上は開かない7階の窓にも届く梅雨晴れの風

遠い山の緑のようだ退院後の仕事で埋まりゆくカレンダー


二首目は子規の「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」のパロディー。全体に本当は辛い日々ものんびりとおかしいものに聞こえる。
コロナ下でも他の病気で入院治療が出来ること(面会も何もないけれど)それが日本の医療水準が高いことだし、コロナで逼迫したベッドを増やすために他の病気は診なくていいというのは間違いだろう。うたの中のユーモアは相変わらず豊かに、無事退院されたことおめでとうございます。
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2021/8/20

秀歌(100)鷲尾三枝子「角川」12首より  秀歌読みましょう

鷲尾三枝子さんは、2014年2月神保町の事務所で倒れ急逝した小高賢氏の奥さんで、二人とも「かりん」の歌人であった。あの時その事は「神保町」という場所の近さで記憶に残る(出来事)であったし、中静氏とも話題に上ったものだった。
それから少しして母の介護で週一に来てくれるヘルパーさんが台東区の短歌連盟に入っているので短歌の話などするようになった。そこの短歌連盟で新しく講師に招いた先生が鷲尾さんだというのを聞いて、ああ小高さんの未亡人でかりんの中堅の歌人だと記憶にききざみついたのだった。
そのヘルパーさんは浅草の金型職人さんの奥さんで、打ち解けて話を聞いたら「大相撲の賜杯」を作った職人さんだというのでびっくりしたものだ。人生はいろいろな邂逅があって、山も谷もあるけれどどこか面白い。
鷲尾さんの東京人らしい歌を「角川6月号」12首から5首をひく

<Sailing>

背とじ糸ゆるんでゆくのか歳月は死者を増やして住所録厚し

神田川なければさびし さびしいよ東京に生まれ死ぬる私は

午後三時感染者数をたしかめる慣いの日々のもう暮れてゆく

マスクして無言に一年やりすごす瞼やせれど眼差しつよく

しんしんと耳は韻きをもとめをりことに沁みいる今日の<Epitaph>

コロナ下の東京人の気持が私と同じ様で共感するところが多い。三首目の三時は今は四時四十五分に変わったが、みなテレビやネットで発表される数字を待ってそれで一日が暮れていくのだ。それはそれで記録しておくべき日常なのかもしれないと思う。
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2021/6/18

秀歌(99)坂井修一「角川」四月号より  秀歌読みましょう

竹橋の教室が終了して、コロナのために昨年の12月で坂井先生の講義も最後となってしまった。東大の図書館長、副学長となったために定期の副業は出来ないというお話で、もうお会いしないのだなあと寂しい思いのうち今年の春を迎えた。講座を離れたのだからこうして一読者として歌評なども書くことが出来るのだけど、やはり「坂井修一」という逸物の魅力は伝えられないだろうと気が付いている。
彼の本業である情報工学とかITなど私には縁がないけれど、一方の「短歌」の世界も実は「本道」なのではないかと思われる。理系の人が自己のロマンを表現するため詩歌の世界に入っているのは多く見かけるが、坂井氏の歌には常にギャップを嘆く偽悪的な姿勢が見られる。本当の真面目な姿を知るとそこが「男らしくない」魅力だと思うのは私の勝手だろうか。
「角川短歌」四月号巻頭28首から七首を引く

「ヤフーの世界」

枯れはやき草食みながら軽鴨はほほを打つ風楽しむならね

節目なく年すぎゆかむ風の庭レモンの実ふたつかがやかせつつ

実とは死んでゆくことレモンの実来む春の死を秘めてひそけし

ビオラ咲きフェイジョア繁る春の庭妻のたつとき庭は色もつ

ビットコイン仮想空間にうばいあふ七十七憶ヤフーの世界

学位審査ひとつ終はりて思へらくかしこきは心直くあれかし

六十二歳世界旅行に出た父よ同い年われは生ゴミ縛る


こうして引いたものだけだと、さして難しい歌群ではないが、孤高を思いつつ現代と対峙したい人間のコロナ禍にみせるとまどいか、いつものようにはにかみながら詠んでいるようだ。四首目のように、ご夫妻がお互いのことを詠むとき、私はある安心感につつまれて気分がよくなる。
彼の歌は常に難解で万葉風の言葉も多く使うようになっているが、人の世にまだまだ信頼をおいていると思われる。
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