2021/1/8

「東京歌壇」掲載  毎日歌壇他

東京のコロナは年末から激しい勢いで、とうとう2000人越えという感染数を出して緊急事態宣言ということになりました。基礎疾患を持つ老人二名の我が家も冷や冷やしながら暮らしています。医療機関のお休みな間も心配でしたが、日大のコロナ禍も終息には時間がかかるらしく、この状態は三月ごろまで続くのだろうという気がします。
このところ太平洋側はカラカラ天気で、外も寒いし運動なんて考えずに家にこもっているのがいいのだろうと思っていますが、季節らしい花や木を見ることも無いのが歌詠みにはつらいことです。(昨日ポストまで行く途中で、広場のモクレンの花芽が小さく白く光っているのを見ました。だんだんに膨らむことでしょう)

去年の最後の日曜日12月27日に「東京歌壇」東直子選で三席にとって頂きました。
東京新聞の投稿を初めてじきに佐佐木幸綱さんに取られたのですが、若い人の多い東直子さんには(挑戦だと思っても)なかなか取られないかなと思いつつ、がんばろうと続けていました。だから意外と早かったという気もしました。

口紅は薄い桃色まだ顔の輪郭がしっりしている内は   河野多香子

私はずっと口紅はピンク系でしたが、三年ぐらい前から写真写りが悪くて赤い色に変えました。(今はマスクをしているので、関係ないのですけど)年を取ると顔の輪郭がぼわっとなって、眉なども引かないとうす呆けるし、口紅もしっかりしなければだめなのだなあと思ったものです。この歌はその感慨のひっくり返しを詠んだのです。60代の歌ですね。東様ありがとうございました。
5

2020/12/25

今年の述懐と「毎日歌壇」掲載  毎日歌壇他

主人の病気ではじまりコロナの蔓延が続く令和二年が終わろうとしています。いろんなことがあったのにただただ追われるように日が過ぎて、「ひどかった」という思いだけが残る一年でした。
でもよく考えると、ひどい出来事の時にはほっとするような「助け」があって、人の優しさや思いというのは大切だとつくづく思いました。自分も人に出来るだけ優しくありたいと心掛けていましたが、世の中に対して怒ることは抑えられません。
歌を詠むときには怒りは怒りのままに、優しさでくるんで出したいと思っていました。夏の暑さにはいつもに増して歌がうまく詠めなくて先生方から檄を飛ばされたりして(それが良い刺激となって)秋風とともに自分の歌を取り戻して来たような気がします。

掲示板「風」の家庭教師の座も自分には向いているのかもという気もして、主人のこと会社のことも忙しいけれど、自分のやるべきことはやっていこうという心持に至りました。今年は一年を締めくくるという気持ちにはなれません。コロナもまだ終息しないし、主人との生活も一生ものでしょうから、ただただ毎日を生きて行くだけなんだろうと思っています。

12月15日付「毎日歌壇」米川千嘉子選で二席を頂きました。

撫(な)で牛は柵に囲まれ寂しげに湯島は静かな菊花展なり   河野多香子

<評>天神様のお使いで痛い所を触ると御利益がある撫で牛。今年は触れない。

先月「今年の菊花展」で書いた湯島天神に行ったとき作った歌でしたが、米川さまは何時も読み込んでくださるのがありがたい選者さんです。評が付くのも久しぶりでうれしいことでした。

今年一年、いろいろな「お助け」を下さった皆様、私が気付かずに傷つけたかもしれない皆様も、私を生かして下さったことそれぞれに感謝しています。これからもよろしくお願いいたします。
9

2020/12/4

「東京歌壇」掲載デビュー  毎日歌壇他

東京新聞は東京の言ってみれば地方紙なのかと思っていましたが、ウィキで読んでみて明治の「都新聞」からの流れというとても歴史のある新聞で、倒産も含めて紆余曲折ののち現在は「中日新聞」の経営となったらしいのです。本部は品川の社屋を解体し内幸町の中日新聞本社の中にあると言うのですが、私の記憶の中にはまるで何もないのです。南関東の千葉、東京、埼玉、神奈川、そして静岡辺りが販売圏らしいです。

東京新聞の歌壇は、選者に東直子氏、佐佐木幸綱氏を擁して毎週日曜日に紙面掲載があります。お二人ともなんとなくご縁がないような気でいたのですが、「うたの日」の方たちが東さんに大勢出して取られているようで、調べたら投稿フォームもあるし、地元紙というものが欲しかった(東京には地方紙はないと思っていたし、全国紙の東京版歌壇というのも無かったので)始めてみようかなと思ったのです。
投稿始めてひと月ほどで11月22日付「東京歌壇」佐佐木幸綱選の尻尾のほうに一首掲載されました。

九段坂二・二六も夢の跡軍人会館取り壊されぬ    河野多香子

これは私の普段の歌らしくはないけれど、若い選者には分かられないかもと、幸綱さんに出したものです。
戦前の軍人会館はのちの「九段会館」で遺族会が運営していましたが、3,11のとき天井が落ちて死者が出て閉鎖されていたのです。この度建て直しのために取り壊して、外観は残すと言っても歌舞伎座のようなものが立つのかもしれないと思っています。二・二六事件(昭和11年)で反乱軍が立てこもり、辺りは戒厳令で通行禁止だったそうです。私の母が子供の頃で、親戚のおじさんが商用で九段まで行ったら、警察に止められて帰れなかったという話を聞いたことがあります。これが東京新聞デビューかと感慨深い思いです。
7



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ