2011/4/27
東日本大震災現地調査
4月23日(土)から25日(月)までの3日間、東日本大震災の被災地域への現地調査を行いました。
今回の調査は、南伊勢町と同様の海岸線を持つ岩手県の三陸海岸沿線の市町村の被災状況や海岸線の状況などを現地調査し、南伊勢町がすぐに取り組むべき地震津波対策へ生かしていこうとするためのものです。
初日は岩手県釜石市から大槌町、2日目は宮古市から山田町、大船渡市、3日目は宮城県石巻市から女川町のほうを見て回りました。
どの地域も筆舌に尽くし難い、信じられないような状況になっています。
各地域の状況から、堤防の役割や防災のまちづくりの状況、それとともに、人々のすべての努力を無にするような自然の力を感じさせられました。
その中でも、過去の教訓を生かしている地域もありました。
我が南伊勢町も、東海、東南海、南海地震・津波の脅威にさらされています。いつ、なんどきに今回の東日本大震災と同様の被害にあわないとも限りません。
今回の現地調査を基に、さっそく南伊勢町ですぐに取り組まなければならない地震津波対策に取り掛かっていきたいと思います。

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今回の調査は、南伊勢町と同様の海岸線を持つ岩手県の三陸海岸沿線の市町村の被災状況や海岸線の状況などを現地調査し、南伊勢町がすぐに取り組むべき地震津波対策へ生かしていこうとするためのものです。
初日は岩手県釜石市から大槌町、2日目は宮古市から山田町、大船渡市、3日目は宮城県石巻市から女川町のほうを見て回りました。
どの地域も筆舌に尽くし難い、信じられないような状況になっています。
各地域の状況から、堤防の役割や防災のまちづくりの状況、それとともに、人々のすべての努力を無にするような自然の力を感じさせられました。
その中でも、過去の教訓を生かしている地域もありました。
我が南伊勢町も、東海、東南海、南海地震・津波の脅威にさらされています。いつ、なんどきに今回の東日本大震災と同様の被害にあわないとも限りません。
今回の現地調査を基に、さっそく南伊勢町ですぐに取り組まなければならない地震津波対策に取り掛かっていきたいと思います。


2011/4/7
小学校入学式
4月6日(水)
今日は南伊勢町の小学校入学式の日。
ある小学校へ祝辞を述べに行きました。その小学校では昨年度から2・3年生で複式学級になっていましたが、今年の新入生は3人でした。
3人の新入生はとても行儀も良く、ハキハキしていました。
大勢の来賓の方々が紹介を受けた時にそれぞれが「入学おめでとうございます」と声をかけると、その一人ひとりにかわいい声で「ありがとうございました」と返していました。
特にそのように指示を受けていたのではないのでしょうが、自分たちへのお祝いの言葉と受け取り、それに対してお礼の言葉を発していました。楽しい雰囲気の入学式が更に柔らかく和気あいあいとしたあたたかい雰囲気になりました。
小さい学校の良さでもありますが、一学年3人で小学校の6年間を過ごしていくことについて子どもたちにとってどうかと考えていかなければいけません。
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今日は南伊勢町の小学校入学式の日。
ある小学校へ祝辞を述べに行きました。その小学校では昨年度から2・3年生で複式学級になっていましたが、今年の新入生は3人でした。
3人の新入生はとても行儀も良く、ハキハキしていました。
大勢の来賓の方々が紹介を受けた時にそれぞれが「入学おめでとうございます」と声をかけると、その一人ひとりにかわいい声で「ありがとうございました」と返していました。
特にそのように指示を受けていたのではないのでしょうが、自分たちへのお祝いの言葉と受け取り、それに対してお礼の言葉を発していました。楽しい雰囲気の入学式が更に柔らかく和気あいあいとしたあたたかい雰囲気になりました。
小さい学校の良さでもありますが、一学年3人で小学校の6年間を過ごしていくことについて子どもたちにとってどうかと考えていかなければいけません。

2011/4/1
年度末日
3月31日、平成22年度最後の日に役場の退職辞令交付式を行いました。
最長の人は42年間町役場職員として、地域のために頑張ってこられました。
退職者は15人、保育士、看護師、調理員、行政職員とそれぞれ職種は異なりますが、人としての一番働ける時期を町職員として勤められてきました。
高度成長期の終わりころからオイルショック、低成長期、バブル期、バブル崩壊期、失われた10年、20年と言われた時代がありました。
今年は年初から大災害の年。
楽しかったこと、つらかったことなどそれぞれの思いがいっぱい詰まった公務員生活から離れ、新たな人生を健康で楽しく幸せに、価値ある人生としていってほしいと思います。
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最長の人は42年間町役場職員として、地域のために頑張ってこられました。
退職者は15人、保育士、看護師、調理員、行政職員とそれぞれ職種は異なりますが、人としての一番働ける時期を町職員として勤められてきました。
高度成長期の終わりころからオイルショック、低成長期、バブル期、バブル崩壊期、失われた10年、20年と言われた時代がありました。
今年は年初から大災害の年。
楽しかったこと、つらかったことなどそれぞれの思いがいっぱい詰まった公務員生活から離れ、新たな人生を健康で楽しく幸せに、価値ある人生としていってほしいと思います。
