2014/12/15

ナンシー関のいた17年  テレビ/ラジオ

 昨夜、BSプレミアムにて「ナンシー関のいた17年」を視聴する。

 日々締め切りの売れっ子だったから、毎日消しゴムを彫り、コラムを書きまくる日常的な過酷さが察せられた。

 私が初めてその名を知ったのは、「アグネス論争」においてだった。あの騒動の火付け役が彼女だったらしいことを、私は中野翠さんのエッセイで知ったので、当の記事を探し出して読んだのが最初だ。

 「ナンシーって誰だ? なんで日本人なのにナンシー? という声が聞こえそうだ。もっともである」みたいな感じで自分にツッコむナンシー節は、当初からのものだった。内容的には「聖母子像は絶対」的なママたちの意識にクエスチョンマークを投げかけるもので、これに抗議殺到だったとか。いわゆる地雷を踏んだというヤツだろう。

 彼女が空気を読まず押しが強いから、だれもが避けて通る話題にあえて切り込んだわけではない。むしろ繊細で常識的で真面目で律儀な人らしいから、「まっとうなもの」に「たてつく空気」というか「とげとげしい気配」が大手を振っているのが耐えられないのではないか。言わずにはおられないのだ。「自分の考える正論」を。そして彼女の正論がしごく真っ当だというのは、誰もが諾(うべな)うと思う。(標的にされた当事者以外は)

 辛口とか毒舌とかの形容がつく人にも関わらず、意外にも「いいすぎない」。ただし、「いうべきことはハッキリ言う」。だから読んでいても心地いい。絶妙なラインに留まり、中立公平を保つ。きちんと笑いもウィットも批評精神も盛り込んでいる。しかも毎回全力疾走で、ハズレなし。まさしく名人芸だ。というより人間業とは思えないくらい。こんな神業を駆使するなんて、まさに命懸けで仕事をされていたとしか思えない。瞑目。

 たぶん製作されたNHKさんが一番ご存知だろうけど、むちゃな企画だと思う。ナンシー関の偉業は、その作品に触れることでしか理解できないだろうから。彼女の人生のそこここを切り取っても、見る人によっては「かわいそうな女の人生」みたいな感じにしかなり得ない。番組ラストに、番組を見ていた渋い顔のナンシー関が、チッと言ってるショットをいれたのは、(茶目っ気を装いつつも)製作者側の本音ではないか。

 私の希望としては、彼女の数少ない貴重な出演番組だった、NHKの女性向け家庭の手仕事番組(いまの「すてきにハンドメイド」に当たる番組)で、消しゴムハンコ講座の先生役をされる姿を、再放送で見てみたかった。(ホントにあったんですよ、そういう番組!)

 彼女の予言が当たっている例として、「柔ちゃんが10年後、選挙に出ていると思う」が上げられるけど、私にはむしろ、広告批評での彼女の最後のコラムが相応しいと思う。2002年のワールドカップでの「日本」人の熱狂ぶりに「もはやちょっと引き気味。怖いです。気味悪いっす」と述べている。

 その前には、チョーのつく競技場のプラチナチケットを、「どうしたって正規の方法でチケットを取ったとは思えない」大物、「小泉、森、橋本とかもなあ。おまえらこんなとこで権力を行使するなよ、といいたい。」と言い放っている。いまさらながら、こんなことを言えた人がいたとは恐れ入る。

 話はワールドカップながら、たぶん彼女の視線はもっと向こう側を見ていたように思う。彼女の遺稿を読んで、彼女が怖いと思ったもの、気味悪いと思ったものが、力強く台頭してきたような気がしたものだ。

 奇しくも「ナンシー関のいた17年」が放映された日、安倍政権の自民党圧勝の選挙結果が報道された。これはナットク出来なかった番組の内容を償う、せめてものNHKさんの作戦なのだろうか。今度ばかりは彼女の予言、当たらないで欲しいけど。怖くて気味悪い日本になりませんように。 
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