2009/9/15

東寺徘徊  おでかけ

 私にとって東寺のいちおしは金堂である。修学旅行生たちを追い抜き、一足先に金堂へ向かう。

 私の直前に金堂に入られた若い男性(最近の少女漫画に不可欠なメガネ男子系)は、薬師如来(&賽銭箱)の前で、直立不動の姿勢で、清々しく美しい祈りを捧げておられた。その後も壁面にもうけられた作り付けの長いベンチに座り、深く静かに佇んでおられた。他にも2、3名の女性が、金堂の濃密な空間に、心ゆくまで浸っておられた。

 金堂には大きな薬師如来像、その両側に日光、月光菩薩像が脇を固めておられる。その3体の仏様の存在感たるやもう、金堂の空気すら濃くし緊張感漂う空間の結界となっているようだ。いやがおうでも、厳かな気分になる圧倒的に厳粛な空間。ひたすらひれ伏すのみである。

 金堂で静謐で厳粛な気分になった後、まだグループで係の人から説明を受けている修学旅行生のいる講堂に移動する。

 講堂には大日如来を中心として21体の仏様がいらっしゃって、それは密教の教えをわかりやすく説明した曼荼羅を、よりリアルに立体として具現化しようという弘法大師空海の壮大な構想だったそうだ。

 とはいえ、その「密教をわかりやすく説明された」という曼荼羅は、けっして「わかりやすい」ものではないと思う。というのも、修学旅行生に説明されていた係員のかたは、こんな風におっしゃっていたからだ。

「この大日如来さまが、東寺の中心におられて、立体的な曼荼羅となっています。この21体の仏様が、こういう配置になっている、これが密教の教えなのです。これは私の考えをいっているのではなく、空海さんがそうおっしゃっていたわけで、密教の教えはほんまのところ、ここのお坊さんでもよくわからへんくらい難しいんで、ちょっと説明できないんですけど。」

 でもこの意味不明なところが、密教の密教たるゆえんで、魅力なのである。私は昔から密教には興味津々だった。折り込み付録で曼荼羅図がついていた別冊太陽を買ったこともあるくらいである。(たぶんそのころハマっていた半村良の『妖星伝』の影響と思われる)

 講堂で私の目を引いたのは、増長天、帝釈天、広目天のラインである。なんとなくルネサンス(人間の肉体美)の匂いがする。増長天、広目天に踏みつけにされている邪鬼が(ことにそのおしりが)、なんとなくセクシーな気がする。帝釈天は、たいへんなイケメンだったし。このラインはちょっと離れ難くて、しばらく彼らと空間を共有して楽しんでいた。
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