2009/9/18

「花と兵隊」の藤田さん  映画/ドラマ

小学生の頃に習ったことは、身に染みつくように覚えているものである。その分、その後、「あれはマチガイでした」と言われても、修正するのは難しい。

 太陽系の惑星は「水金地火木土天海冥」のままだし、源頼朝や足利尊氏のビジュアルは、当時、歴史の教科書に載っていた各肖像が、反射的に思い浮かぶ。理科系はともかく、歴史は時間が経つにつれ現代史が増えて行くだけの変化だと思っていたけれど、どうもたった30年やそこらで、あちこちに修正が入っているようだ。でももう個人的、反射的には修正はむずかしい。淡々と教えられた教科の知識でさえ、そうなのである。

 それなら熱意を持って徹底的に叩き込まれた戦時中の教育を受けた人々は、戦後どうやって過去の日本や自分自身と折り合いをつけたのだろう?という問いを、映画『花と兵隊』を見て、改めて考えてしまった。

 なおかつ戦時中の自分の行為の記憶とどのように向き合っているのか、あるいはどのように向き合わないでいるのか。

 たとえば坂井勇さんは、ブラジル生まれの日系ブラジル二世なので、根っこは日本人だとはいえ、日本人のアイディンティティーについて、(インパールで地獄を見たものの)他のひとほどには悩まずにすんだのではないか。
 タイで事業を成功させ、難民達を援助し、カレン族の妻とは偕老同穴を絵に描いたような仲むつまじさで、多くの家族に囲まれ幸せな晩年がカメラに収められている。多くの人々に慕われ、人間的にも穏やかな好々爺だ。

 ところが藤田松吉さんは、まるで坂井さんのネガのようだ。藤子不二雄の漫画に登場する、うるさ型の盆栽を愛する(そして彼の家には、少年達の野球のボールが飛んで行く確率が高い)じいさんのようにとっつきづらい。ほとんどケンカ腰なの?というような怒声で語り、会話をシャットアウトの方向に持って行きたいかのような剣幕である。おまけに典型的な軍国教育を受けた人である。目の前に彼がいたら、確実にドン引きするだろう。

 しかし、何度か藤田さんを見ていると、なんというか、真実がにじみ出てくるようなキャラなのだ。過去や現実をありのままに見つめ、だからよけい自らは苦しい。取り繕う、というところが一切ない。逆に他の人が言えば露悪的なの? というくらい正直な(たぶん自らをひどく傷つけながらの)不器用な語りは、まっすぐ映画をみているひとまで届く(と思う)。自分に正直な人故、辛い戦争の記憶を、リアルに同伴しながら人生を歩いた人なのだ。だから彼の苦しみは大きい。それにもまして「怒り」は大きい。

 彼は長い年月を費やし、日本兵の遺骨を800体集め慰霊塔を建てたのだけれど、それは何にも増して「怒り」によったのではないか。「これが自分がしてきたことへの理(ことわり)だ」と彼はいう。日本(=天皇)の戦後のまるで自分たちへの裏切りのような姿勢についての、絶望感と怒り。それが彼を駆り立てたようにも思える。

 そんな彼にとっても唯一表情がやわらぐときがある。すでに亡くなってしまった妻の写真を見るとき。彼女の思い出を語るとき。
 しかし彼女があっけなく亡くなったことを話す彼の中には、どこかに「自分のやってきたことの報いでは」という陰りを見た気がして、胸が痛んだ。

 彼は映画の完成を見ること無く、坂井さんとともに鬼籍に入った。蓮の花は、泥の中から茎や葉を伸ばして水上に美しい花を咲かせる。藤田さんは、この映画で、ついに人生の花をひらいたのではないだろうか。
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