2010/2/28

真夜中の撮影会  

 昨夜のようにブログを書くことができないときでも、なにか面白い工夫はできないものかと常々思ってはいた。

 昔、テレビで何らかの障害が勃発し、放映できない事態に陥ったとき「しばらくそのままでお待ちください」という静止画面が映っていたことがあった。いまやほとんど目にすることはない画面だから、若い方々はご存知ないかもしれない。

 で、本日はご容赦を、というときのための画像をストックしておけばいいのではないか、ということを、ついさっき思いついたのだ。ついさっき、というのは真夜中、午前0時である。

 ためしに急遽、たぬき亭にて撮影会を開始する。

 イーヨーぬいぐるみ(@くまのプーさんキャラ)の哀愁漂う後ろ姿とか、一筋縄ではいかないポチぬいぐるみ(@ののちゃん家の番犬!?byいしいひさいち)とか。

 でもやっぱり「おたま」暴走族がいいかな。しかもバックは金子光晴全集だし。ゆるゆるな見かけによらず、案外反骨な大暴走もあり、かも(笑)

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「おたま」については、過去ブログに書いた記事があります↓
http://ivory.ap.teacup.com/applet/tanukitei/20061008/archive
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2010/2/27

今日も休業  

 オソロシイほどの睡魔に襲われているので、またもや本日休業です。再三すみません。本日分の更新もなしで、一日とびます。ごめんなさい、そしておやすみなさい。
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2010/2/26

鐘の世界  テレビ/ラジオ

 ショートプログラムで浅田真央ちゃんを見た時に、もしかして大技に気を取られている?と非常に心配した。たぶん多くの人たちが、一時的に真央ちゃんの親族のような気持ちになっていたことだろうと思うが、私もそうだったのだ。そのときには、大技が終わってからの、彼女のにこやかな笑顔にほっとしたもののショートプログラムでの彼女自身の「表現」に、何かしら物足りないものを感じたのだ。

 つい最近、彼女のフリーの曲であるラフマニノフの前奏曲「鐘」が、非常に不評であることを知った。暗い、彼女のイメージに合わない、見ている人たちが乗らない、などなど。そうなの? 

 本日フリーを夜のオリンピック・ダイジェストで見て、「鐘」で演技する真央ちゃんを見る。ええっ? こんなの見たこと無いぞ! 

 わかりやすい曲でもなく、振り付けでもない。でもなんだかわからないけど、圧倒される。

 妖艶さやポップさや華麗さや愛らしさを表現するわかりやすいスケーターはいるけれど、こんなでかい難解なものに挑むとは・・・。確かに見ていて明るい気持ちにも、楽しくもならないのだけれど。

 ふと山岸凉子先生の昔のバレエマンガ、『アラベスク』をなぜか思い出した。浅田真央というスケーターの、心身ともに血のにじむような努力の末にたどり着いたであろう「鐘」の世界。私はショートプログラムの『仮面舞踏会』より、フリーの『鐘』の方に魅入ったな。素人がみたって技術的にもなんだかえらく難しそうで、凄まじいまでに突き抜けた世界にいた浅田真央という人に圧倒された。あれを二十歳にもならない人が「する」のだ。それだけでも恐るべきことなのに。

 終了後の彼女の涙は、金メダルがとれなくて悔しい、というだけのものではなく、純粋に『鐘』の世界を完璧に構築できなかった悔しさも大きかったのかもしれない、とふと思った。

 いったい浅田真央という人は、どこまで行くんだろう。誰からも愛される、純真で素直な努力家の「真央ちゃん」ではない、果てしないところを見据えている19歳を感じた。
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2010/2/25

知的でも生産的でもなく  

 昨日のように自分のブログは書かなくても、リンク先の記事は毎日読んでいる。一日の終わりの私の楽しみのひとつだから。

 眠りに落ちそうになるのを押しとどめながら、リンク先を開いて行く。蕃茄さんの「福沢諭吉のブロマイド」に受けて思わず笑ってしまい、☆紗さんの公演スタート記事に心の中で声援を送ったり。
 真花さんのブログを読んだとき、思わずしばし眼が覚めるほど心に落ちる記事があった。高校生の頃に読まれた『知的生産の技術』という本を再読されたときの感想が書かれていたのだ。

 私も同じ頃にこの本を読んで、大変感銘を受けていたら、もっと違った人生だったかもしれないが、実は今もって読んでいない。それどころか、役にたたない本ばかり好んで読んでいる有様である。『ニセドイツ』(伸井太一/著)とか『いやげもの』(みうらじゅん/著)とか。

 で、真花さんの記事で、「おお!」と眼を開いた部分はここ↓ 

この本では、メモするべきことは「発見」であると書いていた。著者は、思いついたこと、発見したことこそ、記録すべきメモだという。これはつまり、ライフログではなく、思考ログだ。

 「発見」!! なるほど!!  

 私がブログに書きたいことって、基本的に子どもがおかーさんに「なー、きいてきいて! こんな面白いことがあってん!」とうれしそうにいうようなことである。この「面白い」には「素晴らしいこと」や「感動したこと」も含まれる。梅棹忠夫さんの使っている意味とは、もしかしたらまるで違うかもしれないが、私はあえて「発見」と呼んでいる。しかし「知的生産」とはほど遠いな(笑)

 この「発見」を家族に吹聴しても足らず、あるいは趣味の相違によって届かず(悲)、もしくはみんなが寝静まってから調査したことに一人「わあい〜!」と大喜びしている部分を書いているというのが現状だ。

 あと、家族よりのおもしろ情報提供や、家族の言動の面白さをいただいたりとか。彼らの面白さをひとりで持っているのは、あまりにもったいないので、押し売りのようなお裾分けをしたいのである。

 また、たまにはふと魔がさして、真面目に自分の生活や意見を述べたりもする。たぶんこれが本来のブログのあり方だと思うんだけど。

 この蓄積されたアーカイブスを時間があるときにアトランダムに開いて読むと、「ああ、無駄に人生、生きてない!」とちょっとうれしくなる。少なくとも、つまらない人生ではない。面白いこと「てんこ盛り」じゃないか〜!

 一日ひとつのトピック。それだけで「人生の充実」を感じられるって、単純かもしれないけど、凹んだときにはなかなか効きます。 
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2010/2/24

はつなき  季節

 今朝、うぐいすの初鳴きを聴く。

 まずKちゃんが「うぐいす、鳴いてへん?」といい、おばあちゃんが「玄関に行ったら、うぐいすが鳴いてた」といい、その後私も耳にした。

 まだ「ホーケキョ、ケキョ」とおぼつかないからか、連続して鳴いている様は、あたかも鳴き方の練習をしているようだった。

 H氏にも「うぐいす、鳴いてるね?」というと即座に「ほやねん!ほやねん!」と返事が返る。Kちゃんは「最初聴いた時は風情あるな〜て思たけど、こんだけ連続して鳴いてると、やかましーわ!て思てしまうな」と、いかにも彼女らしいコメント。

 みんながそれぞれに出かけて、ほっと一息ついたとき、外に出てどのへんで鳴いているのだろう?と耳を澄ませた。さっきまでは、玄関の近くの庭あたりにいたけど。梅に鶯っていうけど、ウチの梅は背が低いので止まらないし。

 さっきとは場所の違う鳴き声のする方向を見上げる。意外に高い所から聞こえたけど・・・まさか!?

 道沿いの電信柱のてっぺんから聴こえたような気がしたんだけど・・・それはあまりに鶯らしからぬ場所ではないかとも思うけど、集団登校の小学生たちもいたので、安全重視だったのかも。
 そんな、春の朝。
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2010/2/23

仮想ゲームとリアルの融合  テレビ/ラジオ

 NHKの朝のニュースはあなどりがたい。全国区の大きいニュースではなく、どちらかといえばローカルな、ほのぼのニュースの方なのだが。今日のお題は「旅に出たくなるゲーム」。

 いきなり地域の盆栽屋さんが登場する。ずらりと盆栽が並ぶお店には、いままでは年配の盆栽好きの客がそれなりに見えるくらいだったが、最近異変が起こっているという。携帯片手に若い、しかも盆栽に興味があるとは思えないようなお客が、遠くからもやってくるというのだ。ときには幼児連れのお母さんなども来店し、親子で小さい盆栽を買ったりする。何が起こっているのか?

 携帯位置情報ゲーム「コロニーな生活☆PLUS」、略して「コロプラ」と呼ばれるゲームのゲーマーが新たな客としてやってくるのである。このゲームでは、移動距離の長さに応じてポイントを稼げ、架空通貨がもらえ、その通貨で施設や設備を購入し、自分の架空の町をゲーム内に作って行くことができるのだ。

 また、コロプラ内で指定されたお店に行き、実際に買い物することで手に入れられるリアルカード、「コロカ」というものがある。このカードには1枚1枚異なるパスワードが記されており、コロプラ内で登録することで特別なアイテムが手に入ると共に、サイト上でも手に入れたコロカが表示されるようになっている。このコロカを貰えるお店(むろん一定の金額以上の買い物をしなければならない)のひとつが、先の盆栽屋さんだったのだ。

 新たな顧客はもちろん最初はカード目当てで来店するのだが、そこで買ったものが気に入り、リピーターになる人もいるとか。日本に拘った厳選された商品のあるお店が登録されているので、個人的な「いいもの発見」の楽しさも加わる。

 コロプラの広報担当の方の記事があったので、そのミッションがどのようなものかを下に引用する。

 コロプラのミッションは、ユーザーに「お出かけのきっかけ」を提供するサイトと定義しています。
 ゲーム画面の中の世界で完結するのではなく、リアルなお出かけのきっかけを提供することで、色々な地域に人が動き、その結果お買い物をしたり移動に伴う費用が落ちることで地域が元気になり、その積み重ねで日本が元気になればという想いがあり、リアルな世界とどれだけ接点が持てるか、という部分を真剣に考えています。


 とても野心的な戦略であると同時に、どの方向を向いてもいい話ばかりという夢と希望に溢れたゲームだ。しかもコロカを貰えるお店を選抜する視点が、まさにゲーマー(消費者)重視で、売り上げ至上主義ではないのが、好感を持てる。再度、担当者の方の記事より引用↓

 パートナーになっていただく企業はコロカの売り上げよりも、ユーザーが実際に足を運んだ時の満足度を重視させていただいてます。
 それは日本ならではの産業であり、わざわざそこに行く価値のある店であり、日本ならではの旅の素晴らしさを演出する企業であることが大切
なのだという。

 楽しみながら地域振興がはかれ、地方の特産物、名品の購買者が広まり、家族でおでかけする頻度も多くなることから、家族の絆も深まったり。日本の良さの再発見も見込める。

 すでに旅行会社との提携で、コロプラゲーマー対象のツアーも実現し成功を収めて、次々に新たなツアーの企画が登場しているようだ。ディスカバー・ジャパンの再来ともいえよう。
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2010/2/22

まとめて「龍馬伝」  テレビ/ラジオ

 私の中では「『龍馬伝』ますます快調!」だ。

 第6回の吉田松陰(生瀬勝久)、第7回の河田小龍(リリー・フランキー)、第8回の吉田東洋(田中みん)は、必見。

 黒船に乗りたい!、アメリカへ行きたい!とアツく語る吉田松陰にあっという間に感化される龍馬。間髪を入れずに龍馬を一喝する松蔭の迫力に、私もはり倒されてしまった、いや、マジで。

 カリスマのような存在がいると引き込まれるように感化されるけど、それじゃダメだと。「それは僕のやりたいことで、君のではない。悩んでいるヒマがあったら、今できることをすぐ始めろ」と。

 で、私の中ではだけど、なんとなくいつも「やりすぎ」ではみ出していた感があった生瀬さん、この吉田松陰の大きさと迫力にぴったりと収まっていて、パーフェクト! いや、それ以上かも、と大感激。実はずっと、すごく気になっていたのでした、生瀬さんのことが。よかった、よかった。

 河田小龍のリリー・フランキーさんも、ぴったりハマってたなあ。すべてお見通しなところとか、飄々としたとらえどころのない感じとか、何をしても憎めないところとか、重なってしまって。いいなあ、いいなあ。

 で、弥太郎大活躍の前回。岩崎弥太郎の悔しさ全開、優しさ全開、友情(!?)全開な、弥太郎ファンとしては大満足の回。この回に楔を打ち込む男、吉田東洋。登場時から、ぎょろり、ぎょろりとした眼力によって、「やなやつ」感をアピールしてきたのが、ここにきて爆発(笑)
 「わしは天才じゃから、なにをしてもいいのじゃ!」という天上天下唯我独尊体質の男だったのだ! むろん龍馬や弥太郎を虫けらのように見下す嫌なヤツなわけで。

 それにしても前回は頭から、走る!走る!走る!弥太郎の連続で、しかも江戸から土佐までを16日で走破したというナレーションに、Kちゃんと「速〜っ!!」と驚いたし、終盤の漢文落書きにも「やるぅ〜!!」とウケまくり。すっかり掴まれてしまいました。錆びた刀を抜くシーンの演技力にもね。
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2010/2/21

大車輪な日  おしごと

 今日は(いや、「も」かな)大車輪で働く。なんでか(いくら日曜とはいえ!)客足が絶えず、返却カウンタ―はてんこもり状態。配架(返却本を書架に戻す作業)をほとんどした記憶がないのは、カウンタ―の方で常時お手伝いをしていたからだ。

 でも2月にはうれしいことに、大好きな職員さんが2名も復帰してくださったので、心楽しく仕事ができる。相変わらずのてんてこ舞い状態ながらも、すこしばかり心に余裕ができたのは、そのせいだ。

 そして、つくづく「ひとの力」というものを思い知る。その人の能力というより、場に与える磁力というか影響力というか、陳腐な言葉でいえばオーラというものか。そこにいる人によって、こんなにも空気が変わるものかと、いまさらながら驚いてしまった。

 最近思う所があり「場の空気を味わう」ことを意識している。
 これは世に言う「空気を読む」というものとは違うので、それで気配りができるようになったり、先取りして仕事をすすめることができるようになったりはしないけれど(少しはできればいいなとは思うけれど)、びっくりするくらい人はそのひと独自の気配を持っていることがわかる。

 きらきらした気配、どっしりした気配、水が静まるような落ち着いた気配、うきうきするような気配、和む気配。

 これはもちろんスタッフだけでなく、お客さんにも色濃く漂っている。こちらはもっと様々である。

 こういうことを感じていると、人ってそんなに抜きん出たり、才能を開花させたりしなくても、そこにいるだけで意味があるんだという言葉に素直にうなずけて、ちょっとうれしくなったりする。
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2010/2/20

はるめく。  季節

 夕方5時をまわっても、まだ明るい。いつのまにか、日が長くなったのだ。

 寒い事は寒いのだけど、なんとなく、空気が「ぬるむ」感じ、ぼやけた感じが、春の気配を感じさせる。

 3月になる前に牡蠣を食べておこうと、今夜は白菜も入れて牡蠣雑炊。今日の晩ご飯は、私とおばあちゃんのみだったので、好きなものだけ簡単につくったのだ。

 今日のばんごはん・・・牡蠣と白菜の雑炊 鱈の真子の煮物(昨夜の残り) 焼き牡蠣

 ひとパック105円の牡蠣を3パック分。でも熱々でぷっくりで、美味しかった〜!


 
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2010/2/19

電信柱のある風景  路上観察

 寒くて、遠く(湖西や湖北)の山は雪雲を被って見えないような日。でもこちら側はお天気。寒そうな日差しの感じも郷愁をそそり、素敵。

 私の生活圏内で、一番好きな「電信柱ビューポイント」の写真を撮るため、ちょっと遠回りしてきた。木造の背の低い電信柱とコンクリートの電信柱のコラボで、見ようによっては、明るい西洋の墓地みたいにも見える。

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うーん、やっぱり私の写真じゃ、ちょっと伝わらないなー。残念。大房から野村へ至る26号線沿いの右手側あたりで採取。
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2010/2/18

商魂たくましい  お買い物

 昨日スーパーに行ったら、「遅れたバレンタイン」も「受験便乗商品」もそろそろ落ち着いて来たようだ。いまや頭脳パンが、パン売り場の目立つ所に置いてある、みたいな地味な感じである。

 しか〜し! スーパーマーケットのポップ企画人をあなどるなかれ! 特に県内チェーン店の「スーパー○善」(全然伏せ字の意味無し!)の陳列やフェア企画やポップは、(私見だが)他の同業者を一馬身抜いているので、油断がならない。

 このスーパーのパッキングされた手作りハムを買おうと思い、ハム/ソーセージ売り場に引き返したときのこと。ハムの売り場に行くと、大きめの短冊型の紙が下げられていた。

 そこには何の説明もなく、ただ

 「公立に強い

 と大きく書かれていた。いきなり、なんなんだ!? うっかり5秒ほど考え込んでしまった。
 でも、公立の公でハムって・・・やや無理矢理すぎないか?

 このポップのせいなのかどうかは定かではないが、手作りハムは売り切れていたらしく、私はハムを買う事無くレジを通ったのだった。
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2010/2/17

心は太平洋!  ファミリー

 Kちゃんを迎えに行って、本日の学校生活のあれこれを聴いていたら、今日から宣言して始めたマイ・キャンペーンがあるとか。

 「これからは『心を太平洋』にして、気に入らない事(人)も反発せずにおおきな心でスルーすることにした。ほんで心を広く持つという「心は太平洋」って言葉、今日、クラスで流行らせたねん。逆に心が狭い人のことは『あのひと、心、水たまりやん!』っていう風に使うねん」

 「あ、それ坂本龍馬の有名な言葉やろ?」

 「なにそれ? 坂本龍馬がそんなこと言ってるの?」

 彼女は知らなかったのだ。

 かつて一世を風靡し(!?)最近復刻された、おしゃべりする「りょうまくん人形」にある有名な台詞に「心はいつも太平洋ぜよ」っていうのがあったし。しかもいくつかの台詞の中には「くよくよしてちゃいかんぜよ」というものある。 Kちゃんも今日クラスメイトに「何いつまでくよくよしてんの!」と喝をいれてきたとか。

 励ましの「りょうまくん人形」より元気になれる(かもしれない)、ライブな女版・坂本龍馬がいたとは(笑) まさか彼女が「がばいばあちゃん」より幕末のビッグネームに近かったとは! 親バカですいません・・・。 
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2010/2/16

悲喜こもごも  ファミリー

 昨日2月受験の結果が出そろったので、学校でも塾でも悲喜こもごもの人間模様がみられるそうである。

 「学校でウチは元気にニコニコしてるし、友達が『受かったんやろ? おめでとー!』っていわはったから、『落ちたしー』っていうと、一瞬時間が止まった」。 ダメもととはいえ、わずかな可能性という淡い期待もなくはなかっただろうに、鋼の精神力と不動の安定感のあるKちゃんならではである。

 もっとも受験日以降は、かなりシュミレーションをして、自分なりにセーフティネットを張り巡らせていた。
「塾で、(受験の手応えは)どうやった?って訊かれたから、さっぱりやった、万一受かってたら寒中水泳してあげるわ! って言っといた。そしたら落ちても、あー、寒中水泳せんでもよくてよかった!って思えるやん?」

 昨日も通常通り塾に自習をしにいったので、「寒中水泳せんでもよくなった、って言った?」と帰って来た彼女にきいたら、「あっ!! せっかくのネタを使うの忘れた〜!! 普通に落ちた〜ってゆーてしもた〜」と、非常に残念がっていた。

 「塾は『受かった組』と『落ちた組』にクラスが分かれたし。『落ちた組』で元気なのウチだけやし。そやけど3月の一般入試に向けていかないとあかんのやから、それまでにもう1ヶ月もないし、落ち込んでるヒマはあらへんねん!」 
 
 学校での面白かった出来事を、「もう、ツボにはまってしもて〜!」と笑いながら報告してくれたり、逆境になるほどテンションがあがるヤツ。
でも、その気持ちはDNAを分かち合っている私にもわかる。自分だけのうまくいかなかった事なら、なんとか気持ちの折り合いをつけられる。というより、逆境になれば逆に燃えるのだ。むしろ気を遣ってもらったり、同情されたりする方がイタかったりするのだ。

 Kちゃんのことは、心の中で「近江のがばいばあちゃん」と呼んであげよう。いや〜、オオモノだ! こんなすごいものを間近でみられるなんて、感動的。
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2010/2/15

フォト575  テレビ/ラジオ

 最近楽しみにしている番組は『カシャッと一句! フォト575』だ。写真と俳句のコラボレーションによる、視聴者投稿番組なのだが、写真/俳句共レベルの高い作品ぞろいで、短い番組ながら毎回楽しませていただいている。

 今朝のお題は「寒い」。これがまた秀作ぞろいで、いずれも甲乙つけがたい。ほのぼのあり、哲学的あり、笑いあり、シュールさあり。「ぜんぶ、いい!」と殿堂入りのひとつを選ぶことは、私には不可能。

 個人的には、見た瞬間爆笑してしまった作品があって、これがなかなか。小坊主体験に連れて行かれたあげく、思いもよらず滝修行をするはめになったお孫さんたちをネタにした作品。
今週のセレクトされた4作品がみられます。←ぜひ写真をごらんください。

 滝修行をしている10歳くらいの男の子ふたり。奥の子は歯をくいしばって顔を歪めつつも、がんばって滝にうたれているのだけど、いかにも腕白そうな手前の子はギブアップ!!寸前で、腰も引けている。かわいそうに! でも、俳句を読んで思わず爆笑。

 もう嫌だ こんなこととは つゆ知らず

 いやいや、本人達にしてみれば、笑い事じゃないんだけど。でも、嫌な思い出すら、笑いに変換してしまおうぜ! というじーさんの気持ちは前向きだ。
 きっとお孫さんだって、ちっと舌打ちしつつ「もう金輪際ごめんだぜ〜!」とつぶやきながらも、つい笑ってしまうのかも。

 俳句は柔道の背負い投げのように、最小の力で最大限の効果をあげる面白いフィールドだと、つくづく。

 『フォト575』の放送時間は

NHK-BS2/月〜金の午前8:00〜8:15。

伊集院光氏のえびす顔司会もほのぼのします。
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2010/2/14

憧れのケーキ  ’70

 子どもの頃には、ケーキといえばお誕生日かクリスマスに食べるホールのもの限定だった。だからケーキが食べられるのは家では年に2回だけ。

 といっても、当時は各家庭で友達をご招待して催されるささやかな「お誕生会」なるものもあり、そのときには決まってカレーライスと切り分けられたケーキだったように記憶する。ケーキとともに我家とは違うご家庭の様子を見るのが、とても楽しかった。

 なかで最も興味深かったのが、白馬に乗った正装の王子様だった。それから彼のご結婚の写真とか。それが額に飾られ、額の角には小さな座布団が敷かれ、床の間などの高い場所に飾られていた。家によっては3枚くらいあったと思う。それらは昭和天皇の写真である。昔からの家には、必ず飾られていたのだ。我家にこれがなかったのは、神道や神棚とは無縁の寺院だったからで、大それたポリシーがあったわけではない。

 話がそれたが、今日はケーキの話がしたかったのだ。昔のケーキはイチゴやフルーツなんて乗っかっていなかった。缶詰のフルーツすらなかった。あるのはクリーム、それもバタークリームである。

 でも、それをいまだに懐かしく思い出す。クリーム絞り器で手際良く、かつロマンチックに縁取られた中に、花弁を丁寧に作られたピンクの薔薇の形のクリームがあった。その薔薇には、銀色の仁丹が朝露のように数粒ちりばめられていた。これが私にとっては、うっとりするようなケーキの原風景なのだ。

 これが最近ひんぱんに瞼の裏に出てくるのは、高橋真琴さんの少女画と、記憶のどこかでリンクしているからに他ならない。ロマンチックなものに対して、今よりはるかにハングリーだったのだ。でもそれは確かに、幸せなハングリーだった。
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