2011/6/30

害虫大戦争  家事・畑仕事

 悪夢のような熱中症で寝込んでいた日々は、当然のように畑には出向いていない。

 すこし具合が良くなった月曜日に、ハウスのキャベツを見に行った。日に三度モンシロチョウの卵と青虫駆除(完全手作業!)をおこなっていた、手塩にかけていた二株の、我が子同様のキャベツである。

 結果は丸まるとした青虫たちが跋扈し、やっと球になったばかりのキャベツの、守りの要である外側の葉っぱが葉脈だけを残しているという、無惨な姿を見たのだった。

 これは、病み上がりの身にはショックが大きすぎた。崖っぷちから背中を押されたようなものである。野菜を育成する気力が「再起不能」レベルにまで、針が振り切ったのだった。手塩にかけたキャベツたちが、理科室の人体模型のような姿になっているのである。H氏はみかねてキャベツたちを「ラクに」するべく引き抜いた。

 あんなに手塩にかけていたのに。やっと球状になってきたのに。

 それ以来、私は復讐の鬼と化した。しかしもうキャベツはないので、テキはテントウムシダマシ(ニジュウホシテントウ)とカメムシ集団だ。おまけに里芋の葉っぱにも、別口の卵と芋虫たちが〜!! 

 ということで、日々汗にまみれて、あの手この手で虫たちとの戦いを続けている。ときには「葉っぱ一枚取り去った方がまし!」という状況すらある絶望的な戦いだ。

 というわけで、困難な状況ほど燃え上がる私の虫どもへの復讐心は、真夏日よりもアツいため、もうすっかり元気である。暑さよりも虫ども憎し!なのだ。 虫けらどもよ、首を洗ってまっておれ!
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2011/6/29

ネコや ネコや  ファミリー

 昨晩、BSプレミアム20時〜『おまえなしでは生きていけない〜猫を愛した芸術家の物語 
第2回 内田百けん.ノラを探した14年の孤独 内田百けん」


 ネットステラより内容を引用すると

 生活のリズムが乱れるからと不意の来客をいとい、鳥を飼っているからと猫を嫌った小説家・内田百けん。60歳を過ぎたころ、ひょんなことから野良猫の“ノラ”を飼い始めるが、猫は間もなく失踪。その不在を嘆いた百けんは、新聞に広告を出すなど、愛猫の捜索に手を尽くしたという。このてんまつをつづった『ノラや』を石橋蓮司主演で再現する。

 石橋蓮司さんの百けんは、ネコに対する溺愛とネコの失踪による悲嘆が渋く演じられて、味わいのあるものだった。

 ところで、今年あらたに我家に迷い込んできた黒ネコも、最近いなくなったばかりである。我家の3代目(血縁関係はない)の黒猫なので、踏襲してクロとおばあちゃんは呼んでいた。そして私たち夫婦はたんに、「ネコ」と呼んでいた。

 なぜかいつもH氏の留守を狙ったように、動物トラブルが発生するのだが、黒猫失踪も、先週のH氏出張時だった。「どうしたんやろう?」と心配していたら、近所の義姉の息子さんが「黒猫が車にひかれていたのを見た」という報告をしてくれたため、2日で心配の決着をみることができた。(確認はできなかったが、たぶんそうだろう) 百けん先生ではないが、「どうしたんやろう?」と消息不明なままだったら、心配を引きずり続けたことだろう。

 たぶん、「あれしてやって、これしてやって」と口ではよく指図していたが、いちばん猫に手をかけなかったH氏が、いちばん悲しんでいるようにも思うのだ。

 平子イワシの頭や、ゆでたトリレバー(のH氏の嫌いな部分)や、チクワをあげたら、ガツガツと食べ、食後はうまかったとばかりにベロベロと舌なめずりをし、ハウスや雑草の茂みでトカゲと戯れ、ブロック塀や切り株で、ひんやりとくつろぎ、隠れ家のような庭の木陰で寝そべっていたのを見ていた私は、(まだ若かったに違いないが)幸せな晩年を過ごした猫に対して、後悔はない。

 しかしそれも、いつも手負いの動物を見つけては、「エサあげて」と懇願するH氏がいたからこそなのである。

 黒猫は、前右足を負傷していたようで、ずっと足を引きずっていた。

 最初、エサをあげるたび「フー」(怒り?)というので、なぜ牽制されるのかわからなかったのだが、どうやら声が出ないので「にゃー」というかわりに思いっきり愛想良く「フー」と言ってしまうのだ、ということが、暫く経って判明した。ケンカをしたのか虐められたのか。運の悪い猫なのだ。

 そんな猫のことをH氏は、「どんくさいやつやなあ」とさも愛おしそうに言っていた。猫はどうやら轢死したらしいと聞いたH氏は、「さいごまで、どんくさいやつやったなあ」と寂しそうにつぶやいた。 

 どんくさいやつだったかもしれないが、最後にいい人間に巡り会うことができて、ラッキーなネコではあったのだ。天国でもどうか幸せに。
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2011/6/28

ゆりかえし。  

 熱中症だった3日間は、ほぼ一日20時間眠っていた。

 という話を試験前で臨戦態勢のKちゃんに話したら、
「どんだけ寝るねん!」と怒られた。

「ナマケモノ並みに寝たかも」とつぶやくと、
「おかーさん、ナマケモノはな、意外とそんなにねーへんのや。動物でよーねるんわ、コアラやで。一日22時間寝るねん」
「わ、そしたらコアラとタイ記録や〜」と浮かれていたら、
「自慢にならへんわ」と、バッサリ。

 昨夜は『バットマン・ビギンズ』を半ばから最後まで見たので(ブルースのヒマラヤでの修行シーンはすでに終わっていた。ごめん、渡辺謙!)、ベッドに入ったのは1時前。

 でもなんとしたことか、寝付けないのだ! こんなことが!! この私が寝付けないなんて!!!

 あまりに『バットマン』が面白かったから、気持ちが高ぶっていた?
 クールなワル、スケアクロウ(クレイン)役のキリアン・マーフィーに気持ちを持って行かれたから?
 夜中の3時に玄関に暴走族らしき人がやってきたらしいから?

 寝返りを打ちながら、暑苦しさの中でうとうとしていたが、4時半に新聞配達のバイクの音で、決心した。

 起きよう。

 起きて、いつもより1時間半早い朝家事にとりかかる。こんなに早起きした日に限って、皮肉なことにお弁当作りをしなくてもよかったりする。

 そして案の定、いつもの起床時間が近づくと、ふいに睡魔に襲われるわけだ。

 15分だけ寝ようと決意し、目覚ましもかけないのに、ぴったり25分だけ寝た。10分の寝坊だ。気分は3時間睡眠かも。

 そんな「ゆりかえし」の一日。そして暴走族づいている昨今。

 今夜の『ダークナイト』は録画しておこう・・・。
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2011/6/27

再起の月曜、吉本彦根劇場補遺  ファミリー

 ということで、まだよろよろながらも一週間が始まった。

 仕事に行かないので、無理矢理カラダに負担を強いることはなくなったけれど、それでも「やらなければならないこと」は一日で消化しきれず、日々積み残しだ。とはいえルーティンワーク以外の仕事は「一日ひとつ消化」すればよし、として焦らないようにしなければ。夏に無理は禁物。(しかしこんなに早く「夏」がくるとは・・・不覚)

 それから有形無形にお気遣いいただいた方々には、ふかくお礼を申し上げます。ありがとうございました。おかげさまで、気持ちの上では、ずいぶん上向きました。

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ところで先日の吉本新喜劇in彦根の舞台で、書き落としたことがあったので追記。お芝居が終わったら舞台で出演者が「江州音頭」を踊る、というのが締めだった。

 吉本の芸人さんたちと地元の子どもたちやおじさんおばさんたちが、ひしめいて輪になって踊っていた。Kちゃんを探すも見当たらないので、「ははあ、きっと舞台がツメツメでぎっしりだから、遠慮したんだな」と、いかにも幼少からオトナ以上に気を遣うKちゃんらしい判断だと納得した。(後で本人にきいたところ、やはりそうだった)

 踊りも終了し、最後のカーテンコールには出場者全員が登場して、緞帳が降りる間、みなさんは客席にお辞儀をしたのだが、はしっこの方で静かにお辞儀をするKちゃんをみて驚愕した。
 それは感動的に心のこもったお辞儀だった。全身全霊でお辞儀をしている! あんなお辞儀を若干10代の子がするのか!? 

 そういえばクラスで演劇をするときも「台詞は必死で覚えるけど、演技の練習はしたことがない」と豪語していたっけ。これほど瞬発的に身体表現力が高かったら、即興の演技はお茶の子さいさいなのかも。それで中学3年生の舞台では、見ている人を釘付けにしたり、鳥肌立たせたり、感涙させたりしたのだから大したものだ、といまさらながら感心した。

 たとえ舞台人にならなくても、日々の生活や仕事のなかでも演技力は必要なことがあるので、ぜひ有効に活用してほしい。未来への健闘を祈る。 
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2011/6/26

臥せっておりました。  

 夏至から突然、真夏の気候になってしまった。不意打ちである。このパールハーバー的な猛暑で私は壊滅的な打撃を受けてしまった。

 金曜日からえらく調子が悪くて、肩凝り?にしてはえらく体全体が硬直してるなあ・・・?と、とりあえずは整骨院にいくも、ぱっとしない。

 念のため2日分の食料を近くのスーパーで購入する。そして、こんなにしんどくても、スーパーの隣の本屋さんで漫画のチェックをするという自分に呆れる(しんどくなければ、文庫も雑誌もチェックできたのに!!と当時は悔しがっていたのだ)。

 帰宅後はベッドに倒れ、昏々と眠る。
 それでも金曜日は、ちゃんと食事の仕度ができ、フツーに食べられただけよかった。

 土曜日は完全な脱水状態。トイレに行く以外はほぼ昏睡で、まじ「これは入院して点滴をするレベルかも!?」と夢うつつに思いつつも、おばあちゃん以外の人はいなかったので、そのまま臥せっていた。それでも「おばあちゃんに晩ご飯をつくらなければ」の一念で、やっとのことで「ざるうどん」をつくる。

 明らかに(室内)熱中症だったのだろう。
 本日日曜日もひどい頭痛で、テレビもラジオも読書も無理なので、静かな部屋で、ひたすら昏々と眠っていた。だいたいこんなときに見るのは悪夢で、最後に見た夢は、夜の寂しい道で暴走族1名に文房具ポーチを強奪された上、車のエンジンがかからなくされて途方に暮れるというえらくリアルな(!?)夢だった。夕方4時頃にみたその夢のあと、あきらかに頭痛が消えて、テレビの音が頭に響かなくなっていた。

 ということで、やっとPCの前に座ることができました。まだまだ本調子ではないので、だらだらと生活する予定です。それにしてもこの二日間の平均睡眠時間が20時間。土曜だけなら22時間くらい眠っていたかも。昼間こんだけ寝てるのに、夜もぐっすりというのが、感心するというか何と言うか。

 なんにもできないときに、つらつら思うのは、ティーンの頃にのめり込んだ本の、幸福な読書の記憶だった。何度も読んだ本だから、場面場面が鮮明に浮かんで、と同時にそれを読んでいた自分とがオーバーラップしてくる。だから不思議に退屈じゃなかったな、なにもなくても。

 みなさまも突然の猛暑に、どうぞご注意ください。すこしペースを落として、睡眠時間を増やして、過度の節電をなさらないように。
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2011/6/23

学校アピール  学校

 日曜だったかに、高校の私学フェスティバルがあった。京都私学の生徒代表が自分の学校のいいところや特徴をアピールするフェスティバル??である。
 生徒会に所属しているKちゃんは、自分の高校をアピールするプレゼンのため、休日だというのに早朝より京都に出かけた。前日も遅くまで、原稿書きにいそしんでいたらしい。もっとも原稿なんかなくても、彼女は大丈夫だろうけど。

 夕方、疲れた疲れたといって帰宅したわりには、いつもに増してしゃべるしゃべるKちゃん。

 壇上で2分半ほどしゃべるんやけど、京都の私立学校全部終わるまで、その場で立ちっ放しやねん。それが練習が1回、リハーサルが1回、本番が1回で、全部で3時間立ってなあかんかったんや。そやし、ウチの両側のひと、ふたりとも気分がわるくなって倒れて退場しやはった。

 過酷! 鉄人アピールやな。フェステバルゆうても、全然お祭り気分と違うな。

 出番が早い人は大変や。ラ行で始まる学校は、最後の方やしラクやけどな。

 ここまでだけなら単なる愚痴なのだが、面白いのは後の話だ。

 終了後、たまたま居合わせた学校の先生に「おー、おまえ(舞台に)出てたやろ〜?」と呼び止められたKちゃん。「ウソばっかりゆーたらあかんぞ〜」と先生に突っ込まれたので、「ほんまのことゆーたら、誰もうちの学校きませんよ〜」と切り返す。「それもそやな〜」となぜかうれしそうに同意する先生。気が合う師弟なのだ(笑)

 いやいや、こういう個性的な先生がちらほらといらっしゃることが、Kちゃんの学校のいいところなのかも。
 
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2011/6/22

『バットマン・フォーエバー』  

 テレビで『バットマン・フォーエバー』を観る。ジム・キャリーが緑色のなぞなぞ怪人リドラーで出演するのを見たいがために、夜の2時間を費やす。

 おやつの桃ゼリーを間に挟みつつ。こういうタイプの娯楽はめったにしないので、たっぷりな幸福感に浸った。

 天才だけどマッドな研究者E・ニグマが、じっくり見られた。ところでエニグマ(enigma)とは、西洋語で「謎」、「なぞなぞ」、「パズル」等を意味する。古代ギリシア語の ainigma(「謎めいた言葉」「なぞなぞ」などの意)がラテン語を経て転訛したもの、とウィキより引用。

 それからニコール・キッドマンがものすごくキレイでうっとりする。度肝をぬかれる綺麗さ。これだけキレイなら、初対面でいきなりセクシーに口説かれたら「変な奴」と頭の片隅で思いつつも、どぎまぎしてうなづいてしまうかも。
 しかも「バットマンはマスクコスプレ状態なのに、ひとめ惚れされる状態か?」と私が気づいたのは、ずっと後になってからだった。それほどに際立った美貌。

 それからバットマンの老執事?のアルフレッドが大好き! このひと、バットマンよりよほどスーパーなヒトじゃないか! 
 気は優しくて、手が器用で、頭が良くて、気働きがカンペキで、まさに万能選手だ。マシンもコスチュームも用意できるんだから、タダモノじゃない。
 悪役が頑張らなくても、アルフレッドがいなくなれば、それだけでバットマンはなりたたないだろうな。悪役はバットマンを倒すより、アルフレッドを始末した方が早いぞ! (たきつけてどうする)

 ところでこの『フォーエバー』、残念ながらカットされた部分もいろいろあったみたいな気がする。最初に見た時には、もっとドキドキした。あんな場面やこんな場面がカットされてしまい、薄味になった。怪人リドラーの最初のプレゼント(カードだったかも)には、ぎゃ!!とのけぞった記憶があるもんな。ヒーローとヒロインの素敵なツーショットも、もっとあったように思うんだけど。

 そういえば私は『ビギンズ』と『ダークナイト』は見てないんだった。来週のBSでちゃんと見なきゃ。

 初めて『バットマン』をテレビで見たのは「ティム・バートン監督」がマイブームだったときだから、まだ20世紀のときだったかな。もっとも彼が監督をつとめたのは『バットマン』と『バットマン・リターンズ』だけなんだ、ということを、これもずっと後にしったのだけど。
 
 映像美とか、ゴシックな暗さとか、悪役のはっちゃけ方とか、悪趣味なくらいに凝ったコスチュームとか、派手なクレージーさとかに、引きずり込まれてしまう。ストーリーがどうとか、台詞がどうとか、内容がないようとか、ほとんどどうでもいい、と思ってしまう。ちょっと不思議な麻薬的世界。
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2011/6/21

中国の腐女子  ニュース

  中国の腐女子の間でネット上話題になっているらしいニュース。もう爆笑。

 教科書に必ず収録されている中国唐代の漢詩は、もちろん本場中国でも必修。最近、中国の中学校の教科書に書かれていた「偶然再会し、感激のあまり手を取り合ってしまったであろう2人の男性」の挿絵に、中国腐女子が過剰反応して大騒ぎらしい。記事より引用です↓(挿絵は一行目の下線部リンクを開くと見られます)

 「腐女子」とは広義では女子のオタクのこと、狭義ではとりわけボーイズラブをこよなく愛する乙女達のことだ。中国で「腐女子」と言えば専ら狭義の方である。

その中国腐女子達の間で話題になっているのは、詩仙・李白と並び、詩聖と称される唐代末きっての名詩人・杜甫(とほ)の詩『江南にて李亀年に逢う』の挿絵だ。花びら降る晩春に、男性二人がしかと手をとりあい、10本の指をからませ、お互いほほを染めて、感極まった表情で見詰め合っている。

これに対し中国腐女子達は「萌え死ぬ!」、「杜甫(とほ)というより杜腐(とふ)!」と大騒ぎである。中国語の「腐」は彼女らの間でボーイズラブ化している状態を指す。この状況に一部のネットユーザーは「教科書に載せて大丈夫なのか」と心配気味だ。

なお、これは杜甫が戦乱により都を追われ、たどり着いた地で、かつて都で権力者達に寵愛された歌手・李亀年に偶然再会、すっかり落ちぶれてしまった姿を悲しむと同時に、栄華を極めた過去に思いを馳せ、涙するという内容だ。決して恋の歌ではない。

確かに再会しただけにしては、ただならぬ気配を感じないわけでもないが、この挿絵一枚でいろいろ想像が膨らんでいくとは、中国腐女子達のレベルの高さに脱帽である。

参照元:今日新聞網(中国語)


 私が高校生の頃、萩尾望都先生の『ポーの一族』や竹宮恵子先生の『風と木の詩』が大ヒットしたので、元祖「腐女子」を友達(声を大にするが、私は元祖腐女子ではなかった! 残念ながら『風と木の詩』は読んでないので)に持っていた身としては、かなり気持ちがわかるし、状況の楽しさもありありと想像できる。

 妄想が妄想を呼ぶのは腐女子の特権であり、性向だ。腐女子萌え系妄想パロディの同人誌をつくり、普通のロボットアニメや『ドカベン』ですら、ボーイズラブ化していたもんな。腐女子の妄想力の高さは、昔からハンパじゃない。

 中国の腐女子たち、教科書にこれだけ萌えられるんだったら、授業が楽しいだろうなあ〜(笑) 想像できるだけに、つい笑いがこみあげてしまう。私としては、日本の教科書会社にも、ぜひ見習ってほしいところである。もちろん中国も後退することなく、腐女子仕様を押し進めてほしい。腐女子は興味の対象にはのめりこむので、かなり学力上がるよ(笑)
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2011/6/20

おとのつぶ。  音楽

 ラジオを聞いていたら、たまたまグレン・グールドの『トルコ行進曲』(byモーツアルト)が流れてきた。

 グレン・グールドといえば、バッハの『ゴルドベルク変奏曲』だけど、流麗なメロディのトルコ行進曲が、えらくスローだったので驚いた。中学生が練習しているみたいなスピード。

 でもピアノの音の粒が立っている! なるほど音を一粒一粒大切に弾くとこうなるわけだ。浮き足立つくらいショッキングな『トルコ行進曲』だった。
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2011/6/19

芸人さんといっしょ  ファミリー

 昨日は、彦根の「ひこね市文化プラザ」で、吉本の芸人さんと一般の滋賀県人が共演する吉本新喜劇の舞台@彦根バージョンがあった。それを観にいったのだ。

 新喜劇の爆笑王/辻本茂雄が出ないのに、わざわざ彦根まで出向いたのは、一般の滋賀県人の中にKちゃんが参加していたから。もちろん初興行である(一般人だけど)。ちょっとした通行人程度の役どころではあるが、プロのひとたちと一緒というのは、やはり違う、当然ながら。

 H氏が急遽車を出してくれたので、大助かりだった。帰途の彼女の話。

 「若井みどりさんは、すごい! 出演する5分前まで、ずっと台本読んではった」
 たしかに客席からみていても、抜きん出ていた。新喜劇の舞台は、わりとどこかゆるいのだけど、若井みどりさんのカンペキさや真剣さは、びんびん伝わってきた。それはもう、抜きん出ている。

 「(五十嵐)サキちゃんは、ええひとやった。チャーリー浜さんも、めっちゃええ人やった。みんなに気遣いしてくれてはった」
 吉本の芸人さんは、彼女にとって、ほとんど「ええひと」だったらしい。前日練習と当日のリハーサルと2回しか会っていないけど。
 
 「(山田)花子ちゃんは、ものすごいおとなしいひとやった。しゃべらはらへんねん。未知やすえさん以外のひとには、しゃべらはらへんのやて」
 そんなことはないだろうけど?? 仕事以外は、無口ということかも。

 ほかにも、脚本家さんは、練習日には必ず来ているとか、座長の舞台をつくる権限は大きい(責任重大)とか、脚本は本番の前日に渡される(それを一晩で覚える芸人さんはすごい!!)とか、脚本は一応の流れで、アドリブを含めて台詞は本番にはだいぶん変わるとか、驚きの?内幕を話してくれた。

 プロの人(とくに脚本家の方)に聞きたいことはいっぱいあったけど、なにしろみんなものすご忙しかったから、とちょっと残念そう。だけど、ホンモノの台本をもらったことが、なかなかにうれしかったようだ。

 でも、一般参加の方々とは、たくさんお話をしたらしい(待ち時間が長かったので)。
 Kちゃんの志望校(大学)に入学した息子さんを持つ保護者の方が、あれこれと教えてくださって、応援してくださったりとか。
 「すごく声が通るけど、なんかしてるの?」といろんな人に聞かれたと、ちょっと得意げ。

 なんもしてないです。・・・あ、仕切ることは好きなので、大人数の前でよくしゃべってる人だな。現在も生徒会では唯一の、集会時MC要員だ。でも幼少時から家族にパフォーマンスをしていたので、生来のエンターティナーではあると思うな。もしも縁があったら、彼女は今後もなんらかの舞台に立つことがあるかもしれない。

 それを期待している人は、意外に居るかも。小/中学校で彼女の演技をみたひとたちはね。
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2011/6/18

市長の名代は  おでかけ

 井伊直弼やひこにゃんで有名な彦根市に行って来た。

 地域活性化を目論む彦根市民団体と、来年創業100周年を迎える吉本興行のコラボで、彦根市&滋賀県民の一般人を交えた吉本新喜劇の上演があったのだ。

 上演の前にある、えらい来賓や主催者の挨拶。これはたいがいにおいて、忍耐を強いられるくらいつまらない。それなのに、今回に限っては、たいそう面白かった。

 まず、主催者である市民団体の代表者と、このイベントにおける吉本興業の代表者の挨拶があった。しかし、この、えらいひとたちが上がる舞台に、「ひこにゃん」がやってきたのである。もう、拍手喝采だ。当然、ほかの二人の3倍くらいの拍手だ。さすが「ゆるキャラ人気日本一」のひこにゃんである。地元でも人気者なのだ。

 わたしも初めてお目にかかったが、その魅力でイチコロにされた。それはそれは愛らしいのだ。天下無敵の愛らしさ。皇室の方々のように、手を振ってくれるだけのパフォーマンスだが、思わず夢中で手を振りかえしてしまうくらいだ。いい年齢のオバさんが、である。
 
 なぜこのような晴れがましい席に、ゆるキャラである「ひこにゃん」がやってきてくれたのか? それはなんと、驚くべきことに、彦根市長の名代なのである! やるな、市長! 本人がやってくるより、はるかに効果的なうえ、本人以上によろこばれる。

 その証拠に、えらいひとたちが、一生懸命挨拶している後ろで、客席に小さく手を振ってサービスするひこにゃんに、客席のひとたちは、大ヨロコビで、一部は熱狂的に手を振りかえしていたからだ。

 「人間 < 着ぐるみ」。「えらいひと < ゆるキャラ」。

 ほとんどの客席のひとたちは、えらいひとの話は馬耳東風で、意識はひこにゃんに集中している。おそるべし、ゆるキャラ。ひこにゃんは、無言のカリスマだ。

 土日のイベントには、市長は休日なので、ゆっくりしていただいたらいいのだ。ひこにゃんに代役をつとめてもらったら、三方よしで、すべてうまくいくのだ。彦根市は、なんという素晴らしい発明をしたのだろうか。いやー、ホンモノの迫力と魅力は、やっぱり違うわ〜。参りました。ひこにゃん、万歳。
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2011/6/17

前島密、万歳!  

 最近立て続けに、知り合いの方々から郵便物をいただいた。それぞれが、遊び心に溢れている。リアルな郵便は、それ自体が手間ひまのかかる作業で、わたしなんかは必要な郵送でもおっくうがって、ついズルズルとその日伸ばしにしがちである。

 それなのに皆さん、とても行き届いた、しかも読ませる楽しい文章をつけて、あるいは切手や封筒/便せんにこだわって、あるいはキレイに梱包して、ときには手書きのイラストまで添えて、おまけにシールまで貼って、と至れり尽くせりだ。

 はがき1枚でさえ、知り合いから届くととてもテンションがあがる。これはメールでは絶対に味わうことのできない独特のよろこびだ。

 さらに私は家にいるので、どこかやはり人恋しい気持ちになっているのだろう。人一倍、郵便物にテンションがあがるのかもしれない。

 郵便制度は、やっぱり素晴らしい。前島密、万歳、である。リメンバー『プリーズ・ミスター・ポストマン』である。

 お心遣い、どうもありがとう!!!!! とてもとてもうれしかったです! 取り急ぎ、この場を借りてお礼を申し上げます。 さ、お礼のリアルメイルを送らなきゃ。もちろん必要な郵便物もね。
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2011/6/16

顔にみえる・・・  

 小さい頃は、いや今だって木目が顔に見えてゾクゾクすることがある。とくに、夜! 

 深夜にトイレに入り、木目が苦痛に苦悶する表情や、恐怖に絶叫する顔にみえたりすると、こちらまで恐ろしさのあまり頬を抑えて叫びだしたくなる。
 しかも1つ見つけると、よせばいいのに「もしかしたら他にもあるのかも・・・?」と広範囲に探してしまったりするのだ。案の定、他にも見つけてしまい、「ここ、もしかして祟られている!?」と、ますます自分を恐怖に追い込んでしまうのだ。こんな経験、ありませんか?

 そういうことを仕事でしている人がいる、というのを先日知った。いつもの高野秀行さんの『ワセダ三畳青春記』だ。
 未確認生物やUFO、心霊写真の特集をする雑誌、『ムー』の編集部を高野さんが尋ねて行ったら、丁度締め切り前の修羅場で部屋中ピリピリだったらしい。

 読者より投稿される心霊写真については、それらしき場所に担当者が、読者にわかりやすいように○囲みをいれなければならない。心霊写真のなかの霊は、「もしかしたら霊かもしれないかも?」という非常に曖昧なものだってある。というか、霊がはっきりくっきりだと、かえって胡散臭くウソっぽい。だから担当者のデスクでは、「霊はどこだ、霊は!?」という怒号が飛び交っていた、という。霊も写真の中でびっくりだ。

 というさんざん長い前振りをしたのは、H氏に「これ、とって、とって!」と懇願された写真をブログねたにしようと思ったから、でも、この写真についてのコメントを思いつかなかったから。相変わらず、よくわからないものにウケる人だなあ。単に顔つながりです。
 
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 蚊取り線香の灰の跡でした。
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2011/6/15

ハッピバースデイ・プレゼント  ファミリー

 今日はKちゃんのお誕生日で、義理堅いクラスメイトからプレゼントをいただいた。

 前もって「プレゼント、何がいい?」と訊かれて、なんでもええでといっても、なんか欲しいものない?と重ねて訊かれたもので、骨が折れた上破れてしまったので、傘がほしいとストレートにリクエストしたらしい。

 「そしたら今日、机の上に傘が置いてあったんやけど・・・」

 Kちゃんはどちらかといえばお洋服の色合いはシックで、ボーイッシュなタイプだ。そのKちゃんに友達は綱渡りのようなウケ狙いのセンスを見せてくれた。地の色はシックに黒だけど、プリントもKちゃん好みにポップだけど、なんと「ふち」がフリルだ!! うれしいけど、ちょっと困った、というところか。絶妙である。このウケ狙いは大成功だ(とくに私に!)
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 ちなみにウチからは、プレ・バースデーとして昨日のうちにプレゼントを果たした。学校帰りのお迎えついでにファッションセンター・しまむらで「買いねえ、買いねえ、服買いねえ」と豪儀な振る舞いをした。買い放題でも4千円とは、さすが「しまむら」だ。「しまむら」の実力を思い知った。恐れ入りました。

 それから昨夜9時頃、ふたりで蛍を見にいった。毎年見に行くスポットが市内にあるのだ。
 今年も蛍の乱舞をみることができた。ふわふわと点滅しながら黄緑色に浮遊する儚げな光。「風流やな〜」。まったく。平安時代から(もっと前から?)のこの季節の習わしだ。
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 右側の丸い光ふたつが蛍の光。
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2011/6/14

衝撃。  読書

 今日は私が当番の読書会で、課題本は高野秀行/著『異国トーキョー漂流記』。とても軽い読みやすい(でも実は重い片鱗がある)本なので、はたしてみなさんの読後感想は?とヒヤヒヤものだったのだけれど、なかなかな盛り上がり方だったので、一安心だった。

 読書会で「村上春樹さんが原発について素晴らしい発言をされている」という話を聞いてきたので、夜中になってPCに向き合える時間ができるやいなや、検索して読んだ。「6月9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文」というものだ。

 これを読み、個人的にえらく衝撃をうけてしまって、しばらくは茫然自失だった。私が内心忸怩たる思いを抱いていた原発事故についての「個人的反省」について、非常に的確に指摘されていた文章だったから。あまりにもシンクロしている部分については、あたまがクラクラしそうだった。ちなみに「個人的反省」とは、福島で原発が事故を起こす以前に、一体何をしただろうか(あるいはしなかっただろうか)、という反省である。

 小学生の夏休みの宿題に、読書感想文というのがある。私は小学生の頃、課題図書の読書感想文要員だった。これは、抜きん出ていたからではなく、及第点をキープできるありきたりの作文が書けたからにすぎない。

 たまたま『碑(いしぶみ)』という本が課題図書だったときがあって、「なぜこんなこわい本を読まなければいけないんや!」というくらいショックだった。原爆の落ちた広島の直後を描写したノンフィクションだったのだ。それ以来、
広島にある原爆死没者慰霊碑にある言葉、
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
という言葉を子どもながら胸に刻み、原爆死没者に深く誓った。まだ10歳を少し過ぎたくらいの年頃の話だ。

 そして20歳前後くらいの頃に、もう一度この言葉を、原爆死没者の皆さんにダイレクトに誓い直したことがある。これは「不思議な体験」かもしれない部類のことなので(単に寝ぼけていただけかも?)、深くは触れないが、私にとっては大切な事件だった。

 図書館司書としては、チェルノブイリや東海臨界事故などもあったため、それなりに原発については本を集めたり、危険をアピールしたり、原発にアンテナを張っているマイナー雑誌を購入したりもしていたが、図書はおろか新聞すら予算がつかず購入できないという事態になり、この時点で私が仕事上できたことは中断した。

 それから随分経った今春に、突然「安らかに眠って」などいられない事態が起こってしまった。「過ち」を、なんと「自分たち日本人の」手で繰り返してしまったからだ。これは原爆で死んで行った人たちへの、手ひどい裏切りではないか。もう本当に忸怩たる思いだった。

 この感覚を共有してくださった、そして世界中のみなさんに丁寧な解説と呼びかけをしてくださった村上春樹さんに、心からありがとうと申し上げたい。私の一方的かつ個人的な思いだけなんだけどね。   
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