2011/9/30

釣り場で自然観察  おでかけ

 昨日の続きです。

 雄大な大自然の中、釣り場の日陰でアウトドア読書をするのはサイコーの贅沢だった。結局「釣り」ではなく「読書」なのだ。でもそれでは料金がもったいないので、しばしの読書の後、自然観察をすることにした。

 いろんな種類のトンボがツイーと水面を飛んでいく。シオカラトンボ(青かったので、たぶん)、オニヤンマ(でかかったので、たぶん)、ホソミオツネントンボ(調べてみたらこれしか該当しなかったので、たぶん)など、多種多様。

 ホソミオツネントンボ??が草の葉に留まった。
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 メタリックなブルーかグリーンの胴体、透明すぎてまったく認知できない羽、華奢な身体つきなどまるで妖精のようだ。
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 奇妙な動きは産卵だろうか?
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 植物もいろいろ。名前はほぼわからない。
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 カヤツリソウの仲間か?↑

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 ツユクサの仲間、イボクサ↑

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 これはわかる。ツユクサだ↑

 そして今日は、金木犀の初香り。庭の金木犀はまだツボミだったけれど、ツボミでも香るのだ。
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2011/9/29

やっと夏休み?  おでかけ

 数年前から超多忙になって、夏期休暇どころか休日出勤しまくりのH氏が、昨日なんとか休暇をもぎ取った。

 ものすごくお天気がいいので、どこかに出かけたくてうずうず。ネットであれこれ調べて「今津に釣に行こう。釣った魚を天ぷらにしてくれるらしいし」。

 今津は県内湖西の上方にある静かな自然いっぱいの町だ。春先の「座禅草」で有名。車で1時間くらいか? かつてのNHKの朝のドラマ『ちりとてちん』のスピンオフのロケ地である安曇川より、もう少し遠い。

 あー釣かー。と思ったけれど、せっかくなので付き合うことにする。それに、こんなにいいお天気で、しかもやっといい気候なのに、出かけない手はない。久しぶりの湖西を堪能しよう。湖西のドライブはなかなかだし。

 H氏がネットで検索して頭に入れた(はずの)ロードマップ?を頼りにおまかせドライブ。でも私は知っている。ときどきH氏が目的にの途中に道に迷い、墓地にたどり着いたりすることを。念のため、行きがけに滋賀県ガイドブックのようなものを何冊か本箱から抜いてきた。そしてやはり役にたった。(墓地にはいかなかったが)

 着いてから知ったのだが、「もろこ釣り」のできる場所は『家族旅行村 ビラデスト今津』というところ。ロッジあり、キャンプ場あり、宿泊施設あり、BBQあり、釣り場あり、グラウンドゴルフあり、そば打ちだって体験できちゃう施設だ。
 もろこ釣り場は、なんとグラウンドゴルフ場の中にある池(でかい!!)だ!しかも本来は板場であるはずの釣り場は、先日の台風で流されてしまったという。浅瀬の川岸でトライしたが、問題なく釣れた。エサさえ盗られなければ、入れ食い状態。

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 おりしもゴルフ大会をされていて、お手すきでヒマをもてあましたおじさんが、代わる代わるときたまやってきては、「何が釣れるの?」「よー釣れるか?」「(料金は)いくらぐらいや?」と野次馬根性で?次々に質問攻めだ(笑) そして「案外釣れるんや」「ちっこいな〜!」(そら、モロコやからね!でかいメダカがおらんように、でかいモロコはおらん)「がんばってや」と戻っていかれる。やれやれと顔を上げれば、離れた場所でのんびり釣をしているはずのH氏も、おじさんに質問攻めだった。

 ときたま悠然とやってくる赤いブチの錦鯉が、エサに食いつかないかとヒヤヒヤしたが、さすが高貴なご身分の方はご飯粒なぞにめもくれない。でもなんで釣り場に錦鯉!?
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 雄大な風景の中、雲の影が山を横切っていくのをながめつつ、ぼんやりしているのは気持ちいい。H氏もひさびさの釣りで楽しそうだ。(ときたまオジさんに邪魔されるが)
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 釣りをしていると、ときに針を飲み込んでしまうモロコもいる。引っ張ったら、辛そうに「ぎぃ・・・ぎ」と泣くので、おもわず「ごめんね、ごめんね」と謝りつつ引っ張ると当然傷つけてしまう。少しながら血煙をあげつつ泳ぐ魚をみるのは辛い。口に針がひっかかった魚でさえ、謝りながら外すのだから、やっぱり私には釣りは向かないのだ。10匹ほど釣った時点で釣りから撤退し、H氏の様子を見に行く。

 おっ、釣れたね!
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 なかなかの釣果だ。
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 結局2時間弱でふたりで30匹ほどの収穫があり、レストランで天ぷらにしてもらって、この辺の名産らしい(道々に蕎麦畑があった)ざる蕎麦と共に食す。
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2011/9/28

六曜社珈琲店へ  おでかけ

 長年、行きたい行きたいと思い続けていた『六曜社珈琲店』に、やっときのう初入店。

 お天気もいいし、おばあちゃんはデイなので10時前に出発し3時すぎに帰宅の計画を急遽たてて、京都文化博物館の『帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズのギッター・コレクション展』へ出発する。

 かわいくてお茶目なコレクションだった。これがポスターにもなった伊藤若冲の『達磨図』↓ 「それがどうした」的まなざしが楽しい。
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 脱力満載の昼寝(寝坊?)する布袋さんを描く、仙がい?義梵の「欠伸布袋図」もいい↓
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とんでもなくシンプルな線の中原南天棒筆「托鉢僧行列図」が、いちばんのお気に入り。あまりの脱力加減にほのぼの。しかも、ご丁寧に往復するのが笑える。
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 河原町三条という抜群の立地にある古い喫茶店、『六曜社』に行こう!と、これも博物館を出たとたん、急遽決定した。『六曜社』に行くなら予算的にギリギリなので、お昼ゴハンはパスすることになるけれど、それでも『六曜社』に軍配があがる。H氏と行こうとするたび閉まっていたのだ。だいたい元旦だったので、仕方ないのだけれど。

 烏丸御池から河原町三条間にあったレトロ建物。公衆電話を使う尼さん(たぶん)がアクセント↓
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 若い時には、なんだか「オトナの喫茶店」というにおいがプンプンしていたので、気後れしたのだ。お店の前は何回通ったかわからないくらいなのに。
 いつも雑踏で人が行き交うメジャーな通りなのに、媚も客を招き入れる様子も無い、孤高を保つ静寂さが扉からも漂う場所だったのだ。烏丸御池から河原町三条まで歩いて、六曜社にたどり着く。1Fと地下の2軒のうちどちらにしようかと迷ったあげく、地下に決定。看板にあったドーナツに誘われたのだ。やはりまったくお昼抜きは私にはムリでしょう。

 長年行きたいと思っていたお店なので、やや緊張気味にカウンタ―に座る。先々、電気を使わないようにコーヒーメーカーを手作業に切り替えようという思惑もあるので、一人分の珈琲を手作業で淹れるマスターの手元を観察する。

 ドリッパーは白い陶器製。コーヒーペーパーの綴じ部分はきちんと折って、しっかりお湯で濡らす。挽いた珈琲は3人分くらい気前よく使う。ポットで沸騰させたお湯をドリッパーに注ぎ、しばし蒸らす。(カップにもお湯を注ぎあたためる) そのあと、1、2、3と3分割にお湯を小刻みに注ぎ、分量が溜まったらコーヒーサーバーを少しだけ火にかける。こんな感じかな。

 たっぷりと挽いたコーヒーが入っていたのに、すっきりと軽く飲みやすい。でも当然薄くはなく、コーヒーの控えめな美味しさに満ちている。

 それからドーナッツ! いかにも手作り感あふれるいびつな形がいい。からっと揚がっていて、固めでさくっと、幸せなほの甘さ。思わず「家でドーナッツ揚げなきゃ!」と、思ってしまったほどにおいしい。

 特筆すべきもの、というのが他にもあった気がするのだが、ま、いいか、ネット上には『六曜社』情報はあまたある。写真動画もあるんだし。

 お昼ゴハンと引き換えに『六曜社』に行ってよかった。ひとりでいくにはうってつけの喫茶店だから。

 そこから四条烏丸までお店に寄り道しつつ徒歩で戻り、地下鉄で京都駅まで。

 帰りに京都駅構内でオータムジャンボ宝くじを買う。おかげで、もうちょっとで電車に乗り遅れるとこだった(焦)
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2011/9/27

井伊直弼は多趣味すぎ。  おでかけ

 井伊直弼をウィキペディアで調べたら、面白いこと(個人的にだけど)が浮上してきた。(緑色の文字がおもいっきり引用)

井伊直弼は兄弟が多かった上に庶子だった。そのため養子にも行けず、父の死後は三の丸尾末町の屋敷に移り、17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みとして過ごした。なんと32歳まで芽のでない日陰の生活をしていたのだ。

 長野主膳と師弟関係を結んで国学を学び、自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた邸宅で世捨て人のように暮らした。この頃熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。そのほかにも和歌や鼓、禅、槍術、居合術を学ぶなど、聡明さを早くから示していたが、風流に生きる姿から「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名された。

 チャカポン!? 
「お〜いチャカポン、ちょっとぉ!」とか呼ばれていたのか、井伊直弼? あの安政の大獄を断行した人のイメージとはかけ離れているなあ。

 部屋住みの時代に儒学、国学、曹洞宗の禅、書、絵、歌、剣術・居合・槍術・弓術・ 砲術・柔術などの武術、茶の湯、能楽などの多数の趣味に没頭していた。特に居合では新心流から新心新流を開いた。茶の湯では「宗観」の名を持ち、石州流を経て一派を確立した。著書『茶湯一會集』巻頭には有名な「一期一会」がある[16]。他に『井伊大老茶道談』などを著している。


 そうか。「一期一会」の人だったのか。文武両道というには凄過ぎる。おまけに茶の湯では一派を確立って。いやいやそれで驚いてはいけないのだ。

能楽方面では能面作りに没頭し、能面作りに必要な道具を一式揃えていた。また、新作狂言「鬼ヶ宿」の制作や、廃曲となっていた「狸の腹鼓」の復曲(いわゆる「彦根狸」)を試みるなど、狂言作者としての才能も持っていた。大蔵流茂山家再興に力を貸し、名跡茂山千五郎は彼が名付けた。


 能面作りの道具を一通り揃えているって。新作狂言をつくったり、廃曲を復活させるなんて。それもタイトルが『狸の腹鼓』って!? 真面目なのか不真面目なのか。あまりに多趣味すぎて、それも度を越えているので理解不能なくらいだ。
 ところでその狸、ひこにゃんの友人ということで、彦根の新しいゆるキャラに加えてもらえるかも。

安政の大獄における過酷な処分は多くの人々から恨まれ、彦根藩祖である直政同様に「井伊の赤鬼」といわれた。ただし直政の場合は畏敬の念が含まれていたが、こちらは憎しみのあまりである。また、直弼を指す隠語として「赤鬼」という語を用いた場合がある。

 彦根藩の藩校を元とする高校では、『赤鬼魂』としてプラスイメージで受け継がれている。万城目学さんの新刊『偉大なるしゅららぼん』にも、赤い詰め襟が登場するが、それも『赤揃い』や『赤鬼』をふまえてのことだろう。
 あ、もしかして「しゅららぼん」って、「チャカポン」となにか関係があるのかな? 気になる。なにしろ読んでないので、そのへん、皆目わからない。

 しかし井伊直弼は、いったい開国派だったのか攘夷派だったのか、なんだかいまひとつわからない。これについてはいろんな説があるらしいし。歴史上名を残しているくらいな大きいことをしているのに、まるで伝説の人みたいだ。しかも道半ばにて、刺客に首をはねられるという、ショッキングな末路だ。レジェンド・オブ・直弼。

 もしかしたら彼の不可解さや支離滅裂さが、筒井康隆にジャズでオノマトペな『万延元年のラグビー』を書かせたのかもしれない。
 初めて読んだ時(高校生)には驚いたけど、きっと今読み返しても驚愕だろうな。驚きのあまり今でも覚えている「ふぐむが、ぐ」って、それなに?だもんね。「しゅららぼん」どころではない。
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2011/9/26

ひこねキャッスル!  おでかけ

 電車の関係で、少し早めに集合場所に着くため、道々でも写真を撮りつつゆるゆると。とても通勤途上とは思えない(笑) 石屋さんの前には、御影石のひこにゃん像があったが、マラソンランナーたちがいたため写真を撮りそびれた。

 駅前通りを突き当たりマラソンランナーたちと左右に別れた後は、静かな休日の朝の城下町である。観光客はまだまだな時間帯だ。

 城下町はお城に行く前から、プレお城の道から石垣だらけだ。そんななか、お屋敷だの厩だの蔵だのがどーんと現われる。さながら江戸時代だ。

 いつでも時代劇のロケができるように、舗装された道路も土色である(交通法上、ラインなどは引いてあるが)。水に映る石垣がとてもきれいだった。
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 石垣の上には彼岸花が↓
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 さらにズーム↓
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 なんだか映画のロケにハマりそうな風景だ。もっとも彼岸花の時期は短いので期間限定だけど。

 彦根藩といえば幕末の有名人、井伊直弼。彼の歌碑がひっそりとあった↓
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 和歌はこんな感じ↓
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 琵琶湖に打ち寄せる波のように、世のために心を砕きました。幕府大老として国政に力を尽くしてきましたよ〜ん。という内容らしい。なんだかつまんない歌だな、白洲正子に怒られそうだ。でも本職が政治家だから、許してもらおう。

 でもあれ? 井伊直弼って茶人だったし、文化人じゃなかったかな? とひるがえってウィキで見直してみたら・・・いや〜、井伊直弼って(笑)

・・・話せば長くなるので、彼の話は別の機会に。

 待ち合わせの場所に行くと、彼岸花が日陰者らしく、こっそりと日陰で咲き誇っていた。

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 そして観光地には付き物の人力車が、お堀を渡る木造の橋とよく調和している。
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 おっと、プレイバックしてさきほどの彼岸花の後にあるポストの上には・・・


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 ひこねキャッスル!
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2011/9/25

さすがはやっぱり国宝!  おしごと

 彦根に行ってきた(お仕事で)。 彦根城の入口まで行って来た(お仕事で)。
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 それにしても、である。久しぶりに彦根城をじっくり(お堀端と入口だけなのだが)身近にして、感慨もひとしおだ。

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 この落ち着き。この重厚。この静けさ。時間の流れの蓄積を感じさせる佇まい。季節季節に応じた美しさ。これはもう、国宝の名に充分値する。ビバ!彦根城!

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 そんな場所でお仕事をさせていただき、たいへんうれしかった。

しかも、午前中は赤い甲冑を着た鉄砲隊(若干名)が、ゆるキャラ「ひこどん」とともに出現し、お堀の内側から火縄銃の実演をしてくださった。爆音の大きさに心の準備をしていてさえ、びっくり。
 
 係の人に訊くと、大きいイベントのあるときには、火縄銃の実演をされるそう。今日はたまたま彦根シティマラソンが開催された日だったからかな。朝の彦根駅からの道のりで、リュックと軽装の老若男女の群像にガンガンと抜かされていた。一体これは何事かと思えば、途中のポスターで彦根マラソン大会だと判明したのだ。

 彦根城の入口には、テーマパークの着ぐるみショーや水族館のいるかショーさながら、ひこにゃんの登場予定時刻が記載された看板があった。本日は3時から3時半まで。
 お仕事終了後の帰り際に、本堂の縁側みたいな場所で、ひこにゃんが司会のおねえさんの横で、ダンスをしたりかわいいポーズをしたりするのが垣間見えた。その前にびっしりとひしめく熱い観客。
 ああ、ひこにゃんは大スターなんだ、と今さらながら実感した。そして私の初ひこにゃん邂逅。生ひこにゃんは、すべてが愛らしい! さすがゆるキャラ人気ナンバー1だ。

 彦根讃歌は明日に続きます。
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2011/9/24

八幡掘りでおしごとアゲイン  おしごと

世間が連休だと浮かれている土日に、私はバイトだ。前回働いたアンケート調査のお仕事が先方より舞い込んできたのだ。

 今日は八幡堀にて。前回とは違い、彼岸花も咲く爽やかな秋の風が心地よく八幡堀に漣を立てる。空気も澄んでゆったりとしている。観光客の方の「ここって時間の流れがまるでゆったりしている!」という感激の声が、風に乗って聴こえてきた。

 遠方からみえる方もいらっしゃるけれど、地元の方も幼児連れで散策したり、街中でぶらぶら買い物をしたついでに、のんびりできるこの場所をめざしてみえたりもする。

 そしてたしかに、春秋の八幡掘り界隈は、格別なうっとりさなのだ。私は今日初めて来たかのように日牟礼八幡宮の門をみたけれど、獅子や御朱印船などが立体的にいくつも彫られた、それはりっぱな門だった。しょっちゅう来ているのに、いままでまったく気づかなかったのだ。まさしく灯台下暗し。

 いわゆる「観光地」のあざとさや喧噪やうわっつらのハリボテ感がないのだ。昔のあれこれといい感じに「今風のおしゃれ」が融け合っているのだ。リピーターが多かったのもこの場所の特徴。そういえば、金沢の兼六園や金沢城周辺も、地元の方の朝のお散歩コースだったっけ。いい観光地は地元民も吸引するのだ。

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 明日はひこにゃんのお膝元、彦根城でお仕事だ! ひこにゃん、いるかな?

 では、明朝は早いので、そろそろおやすみなさい!
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2011/9/23

長岡京の史跡巡り  おでかけ

 話は歴史探訪ウォークに戻り、ビール工場を出た後、ほろよいの一団(一部素面)は恵解山(いげのやま)古墳を見る。
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 なんだかこんもりした雑木林みたいだけど、これが乙訓地方最大の前方後円墳。周濠の跡も残っている竪穴式石室のある由緒正しい古墳だ。しかも鉄製武器が700点も収められていたらしい。
 とはいえ、今も古墳の主はナゾに包まれている。

 古墳? ふ〜ん? とあんまり感動しないのは、小学生の徒歩通学路の田んぼの真ん中に、いくつもぼこぼこあったから見慣れているせいだ。実家の裏山にだってあったし。それは、ちょっと昔は防空壕だったが、最近では幼児や小学生の軽めの遠足目的地になっている裏山の古墳。古墳なのに、気軽にいろんな用途に使われている。ということで、近江の人間にとって、古墳は案外身近な物件なので、さほど驚かない。

 次に訪れたのは、勝龍寺。西日本ぼけ封じ三十三ヶ所霊場の第3番霊場だけど、「ぼけ封じ観音」が安置されたのは平成18年。

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 観音様にすがるのは水子供養では子どもたちだけど、ここではじいちゃん、ばあちゃんだ。いや実は、まだ「ばあちゃん」とまではいえない私だって、他ならぬ「ぼけ封じ」についてはぜひとも観音さまにおすがりしたい。思い当たるフシのある方は他にも多数いらしたようで、ビールの酔いも手伝い(?)ここでは見知らぬ同士でも、なかなか話に花が咲いていたような気がする。

 そしてトリは細川忠興とその妻、ガラシャの居城であった勝竜寺城公園だ。

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 しかしお堀に泳ぐ白いアヒルを「あれ、白鳥だよね?」「そうそう!」って・・・。えっと、白鳥は冬の渡り鳥ですから〜。残念! と心の中でツッコミつつ、お城&ささやかな細川博物館に入る。ここで細川忠興&ガラシャのあれこれについて説明を聞く。

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 細川ガラシャについては、大河ドラマ『江』にて学習していたので、ある程度感情移入できた。とはいえ、キャラ的にはあまり感情移入できるひとではないのが残念なところだ。説明を聞いた所で解散。2階にも彼らにまつわる展示があるので、ざっと眺める。1階で記念スタンプを押し、そのまま駅まで歩く。

 めちゃめちゃ疲れたけど、やっぱり案内人付きで見学や鑑賞すると、まったく違うことに気づかされた。まんまと企画者の思うツボである。次はどこに行こうか?と企画者にすっかり洗脳されている自分に愕然(笑)

 特筆すべきは講師の小嶋一郎先生である。おっかけがいるというのもうなずける、いい先生だった。京都検定1級保持者で京都おもてなし大使でもある宣京師なのだ。カルチャーセンターや現地見学でにわか信者を引き連れ、日々宣京に励まれている。「好きなことを仕事に」して自由な少年がそのままオトナに、の典型みたいな方だった、ように見受けられた。もしも先生の講座でお気に入りのテーマがあれば、ぜひお申し込みを。
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2011/9/22

敬老の日に  テレビ/ラジオ

 昨日は、Kちゃんの学校が余裕で休校になるほど大きな台風が通過した。

 午前中の早いうちに西友で買い物を済ませ、お昼前後の雨風がひどい時間帯は家に籠っていた。

 雨が小降りになり少し明るくなってきた3時頃を見計らって、待ちかねていた堀文子さんの本を借りるために、図書館にGO! 取り置きでなく棚にある本だから、一足ちがいで貸出しされるかもしれずドキドキだったけど、小さな黒い本はひっそりとちんまりと、棚の中にあって一安心。

 敬老の日にNHK総合であった『ヒューマンドキュメンタリー「画家・堀文子 93歳の決意」』を見て、あらためて彼女が大好きになったのだ。
 番組はこんなふうに紹介されている↓(NHKの番組表より)

 「群れない、慣れない、頼らない」生き方を貫き通し、93歳になった今も情熱とチャレンジ精神で新作に挑む日本画家・堀文子。時代に流されず、お仕着せの常識や権威にくみせず、自分自身の価値観と美意識を追求し続けてきた生き方が今、世代を越えて多くの人々の憧憬を集め、孤独を恐れずに自由を求めるその言葉は、人々に勇気を与えている。

 43歳のとき彼女の理解者だった夫と死別した後、あてのない世界放浪の旅に。3年間である。振り返って彼女はしみじみという。
「若さよねえ。あのときは若かったから、できたことよねえ」

 それを聞いた戸井十月氏、「若い、っていっても、すでに43ですよ!!」
あきれ顔である(笑)

 いやいや彼女は82歳にして、幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を走破したりもしているのだ。ヒマラヤに行ったときの半分の年齢だから、よけいに自分では43歳の若さを実感したのだろう。

 本当は科学者になりたかったそうだ。自然が大好きで虫や植物に興味津々の少女だったらしい。いまでもミジンコに夢中だ。だけど、科学者の世界にいても女である自分にはハンデがありすぎる。大成することはむずかしいだろう。実力の話ではなく、システムの部分で。現代の話ではない。なんといっても関東大震災や2・26事件の頃の話だ。

 だったら、女でも実力だけでやっていける世界は? とさんざん考えた末に彼女が出した結論が「美術」だった。「美」という世界には男も女もないだろう。しかも画壇とは無縁、権威にも賞にも派閥にも興味無し。男兄弟が早くに亡くなったので家族の生活を支えつつ、ひたすら自分の目指す絵を描いていた。

 83歳で大病をし、生死の境をさまよった後生還する。身体は不自由になって取材に出かけることは無理になった。それでも持ち前の好奇心と柔らかな感受性は衰えること無く、顕微鏡の中のミジンコに命の根源を見いだし、日々夢中だったりする。ミジンコに夢中の堀さんは、すごいかわいいのだ。

 「死は私の中にあるの。私の中の死がだんだん大きくなっていくのがわかるの。自分の中に死があることがわかったらなんだか安心して、とても穏やかな気持ちになったわ」
 90を越えるとさらに新たな世界が見えるようだ。90を越えるとまったく世界が違って見えるという話は、別の人もどこかで言っていたっけ。長生きはするものである。

 なんだか久しぶりに「豪傑」と呼べる爽快な人をみた気がする。「女傑」という言葉もあるが、彼女の場合は「豪傑」の方がふさわしい気がする。現在たちこめているもやもやとした灰色の雲を一掃してくれるような、「老を敬う」というにふさわしい番組だった。
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2011/9/21

リアル工場萌え。  おでかけ

 もともと素質はあると思っていた。

 大山顕総裁の数々の写真集を、垂涎のまなざしで眺めていたからだ。『団地の見究』、『高架下建築』、『ジャンクション写真集』、そして『工場萌え』。どの写真集も素晴らしい。しばらくは、ネットでも追っかけをしたくらいだ。

 とはいえ、ナマで見る機会はさほどない。わざわざ観に行こうという熱意には欠けるのだろう。団地が林立する都市部ではないし、わざわざ高架下を利用するほどには土地に困っていない地方だし、高速などはいかんせん、何年も乗っていない。子どもたちも大きいので、工場見学に行くプランもない。

 今回の工場はビール工場なので、石油プラントなどの重厚な美しさは無理だけど、巨大なビールタンクや、ビールが眠る貯蔵庫、ビールが流れる複雑なチューブのうねりや、早過ぎる缶詰め作業のレーンには、子どものように、というよりたぶん子ども以上にシンプルに驚いた。未来世界のような無機質な廊下や、SFチックな清潔な工場内部の質感にも。

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 今回の歴史探訪ウォークで、おまけのように挟まれたサントリービール工場の見学は、たぶん先生の「ひさしぶりに『できたての美味しいビール』を試飲したい!」という希望だったような気がする(笑) 

 でもちょっと待って。「飲酒」は五戒、「してはいけないことリスト」の一大悪事ではないのか? 閻魔さま以下、眷属の方々のチェックが入るのに、なぜ直後に飲酒を!?

 ところが、先生の話では
「今日は奇しくも9月16日。1月16日と7月の16日は『閻魔斎白』といって、いわゆる『地獄の釜の蓋があく』とか『亡者の骨休め』とかいう地獄の定休日なわけです。旧暦で数えると、今日が定休日ということで、地獄の人たちはだれも見ていませんから、お酒を飲んでも大丈夫!」 

 ・・・ほんまかいな〜? いえいえアヤシい詭弁だなんてめっそうもない。ま、私は浄土系仏教だから、別に定休日でなくてもいいんだけどね(笑) 

 私は「ビール、いいね!」とH氏のをかすめ飲むが、量的には多くて350mlを半分くらいだ。どちらかといえばソフトドリンクの方がおいしいと感じるお子様なのかも。子どもたちの送迎仕事が少し減少したので、昨年度よりはアルコール摂取は微量に増加している。実際、昨年度までは、ほとんど飲まなかった(飲めなかった)。

 でも案内してくださったおねえさんの説明を聞いていると、がぜん飲みたくなるのだな、これが。

 「めったに飲めない、工場でできたての美味しいビール」。
 「花のような香りを楽しむビール」
 「生クリームのようなふんわりとした泡」
 「3年連続モンドセレクションで金賞を受賞した、殿堂入りのビール」

 などという言葉に酩酊したのだ。パーティ会場のような試飲室で小袋のおつまみもいただき、思わずビールに手を伸ばしてしまった。

 やはり美味しかったのは半分くらいで、のこり半分はやや苦行に(苦笑) お口直しに(!)「なっちゃんのオレンジジュース」をコップに1杯飲んで大満足。なら最初からそっちにしろよ〜ってなもんですが。

 お土産に、ブレミアムモルツと、工場オリジナルの赤いバンダナと、ビールグラスを、ひとり1セットずついただいた。わ〜い! 僅かなお土産タイムにファクトリーショップにて、やはり工場オリジナルの「ビールうどん」と「スモークベーコン」をすばやく購入。
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 行きは長岡京駅から送迎バスに乗ったけど、帰りはほろ酔いの一団は、長岡京の史跡を探訪しつつ駅まで歩くことに。夕方の行程に突入だ!

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 工場出入口前のモニュメントとビールタンク。もっと手前には小さなホップの畑もあり、見学者は思わずしげしげと観察してしまう。そして実の香りをかいでみたりするのだ。
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2011/9/20

えんまカルテット  おでかけ

 閻魔王庁の裁判制度についてのあらかたは昨日お話ししたとおりだが、えんまカルテットのメンバー紹介をしていなかった。

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 まず後中央で、杓を持ち睨みをきかせているのが、言わずと知れたリーダー、閻魔大王だ。その向かって右側で健筆をふるっているのが司録菩薩さま、裁判の記録係、すなわち書記である。閻魔さまの左で左手に巻子、右手に筆を持つのは、司会進行係の司令菩薩さまだ。

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 このトリオは作者が同一と伝わっており、前の二人は別の方の手になるらしい。共に鎌倉時代の作で、国指定の重要文化財だ。

 一方、前面のふたりは、素晴らしくリアルで今にも動き出しそうなコンビだ。共に獣の敷物を座布団代わりにして椅子に座り、生前の人間の行いを記録している。(そして亡者が目前に現れたときには、この記録と亡者の証言を照らし合わせるのだ)

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 向かって右側が倶生神さま、巻物をひろげて悪事確認作業中だ。コワいのう。

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 向かって左側が暗黒童子さま、木簡に筆で記録中だ。コワいのう。

 そして意外なみどころは、彼らの敷物だ!
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 木で造ったとは思えないような、その薄さやなめらかな毛皮感にも驚愕だけれど、自然にできた木目や節穴を利用して、動物の耳や眼や鼻の穴などを表現している。先生に教えていただいて近くで見た時には、鎌倉時代の技術の素晴らしさを遊び心で表現する仏師の姿勢に感嘆だった。

 そうそう、忘れていたけれど地獄関係の話は、浄土系仏教(浄土宗、浄土真宗)関係者は除外されると最初に先生がおっしゃっていた。そうだった、そうだった。なら、地獄の心配はしなくてもよかったんだ。やれやれ。
 これだけ地獄の話を聞いたら、浄土系仏教が庶民に熱狂的に受け入れられ、浸透したことも深く頷ける。地獄の話はかなり面白いんだけど、当事者になるのはちょっと・・・だもんね。
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2011/9/19

閻魔堂にて  おでかけ

 閻魔堂での講義は、ほぼ講談といっていいほど楽しかった。

 まずは「閻魔」という人についての説明だ。

 地獄で亡者を裁く裁判長であり、地獄の支配者。
 ウソを言うと舌を抜かれる。
 浄玻璃(じょうはり)の鏡で、亡者が現世でした行いはすべてお見通し。

 一般的に閻魔情報について、私たちが知っているのはこんなところだろう。

 先日行った奈良国立博物館の『天竺へ』のとおり、お経は、つまり仏教は印度より伝わったものだ。閻魔様も仏教関係者だから、当然印度出身である。印度での名前は「ヤマー」という。別名「夜摩天」。印度では人間第1号である。キリスト教ならアダムとイブのカップルだが、印度の人間第2号は「ヤマー」の妹である「ヤミー」だ。

 人間第1号ということは、死者第1号でもあり、最初に死者の国に行ったのが彼だった。最初のうち死者の国は、人数も少なく静かに平和に暮らしていたのだが、人口が増えるに従っていわゆる「やんちゃもの」が出現する。手に負えない人たちが増えると、死者の国の秩序が維持できないと考えた「ヤマー」は、「やんちゃもの」専用の死者の国をつくる。これが、地獄のはじまりだ。

 いままで死者の国の管理だけしていればよかった「ヤマー」は、がぜん忙しくなる。死者の居住地区がふたつになったからだ。彼は地獄の管理もしなければならない上に、死者を振り分ける裁判をしなければならなくなったからだ。ああ、忙しい。

 仏教では人が死ねば7日ごとに法要をするが、これは7日ごとに生前の罪を問われる法廷が開催されるからだ。法廷には弁護人がいないので、法要で死者の関係者が集まり、死者の生前の善行を思い出話として語り合うことが、情状酌量につながるそうなのである。まちがっても死者の悪口は言ってはいけない。

 その7日ごとの法廷は普通は第7法廷まである。いわゆる49日、すなわち満中陰が第7法廷で結審。ここで来世が決まり、六道(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)のいずれかに行くことになる。第6法廷は第5法廷までの裁判を総括する量刑審査だ。
 ごくまれに審議を不服として、上告を申し立てる者もいるので、予備法廷として100日目、1年目、3年目にも裁きが行われることがあるらしい。だから予備法廷を入れると、10回の法廷がある。

 閻魔大王は地獄のトップリーダーだから、超多忙な人である。地獄の王は他にもいらっしゃるので、10人の王が手分けしてそれぞれの法廷を受け持っている。閻魔さまは、そのうちの第5法廷、35日目に「妄語」の罪を問う裁判を受け持つ。

 つまり5回の法廷で、仏教での五戒、つまり「してはいけないこと、五つの罪」を問うのだ。五つの罪とは、「殺生(ころし、動植物も含む)」、「偸盗(ぬすみ、人の時間を盗むことも含む)」、「邪淫(姦通、不純異性交遊含む)」「飲酒(酒をのむこと)」「妄語(ウソをつくこと)」である。

 これって、ふつうのひとは程度の差こそあれ全部クリアするだろう、いや罪の方を、だけど。というかすべて「してません!」という人がいたら、そっちの方がむしろがコワい。

 私は大変に記憶が怪しいので、ことこまかに覚えてないことを追求されてもらっても困る。それなら最初から浄玻璃の鏡を出してもらった方が手っ取り早いのに、とマジ思う。そう思っているのは、私だけではなかった(らしい)。

 先生の話はノリに乗る。
「閻魔さまは第5法廷で、亡者の罪を総合的に判断していくため、いままでの裁判でウソを言っていないか、ダメ押しをするわけです。それでも『うそは言っていません』と言い張る亡者には、指をパチンと鳴らして、手下に後の扉を開かせるのですね。すると浄玻璃の鏡が出て来る。『お前が前世でしたことは、この鏡が全部知っている』と、鏡に前世の悪行をすべて映させて白状させるわけですね。そんなことなら最初から鏡を出せばよいのに〜と思うんですが、自分で告白することを閻魔さまはヨシとされているんですね」

 いまから現世での悪行を箇条書きに記録しておいて、棺桶に入れてもらわなきゃ。あ、その前に、棺桶に入れるものリストをつくっておかなきゃ。

 そんな地獄行きを覚悟しないといけない私に、先生は耳寄り情報をくださった。

 閻魔大王は、日本ではお地蔵さんと同一人物だといわれています。だから(法廷での心証をよくするために)お地蔵さんを見かけたら手を合わせるようにって、お年寄りの人がいうのはそういうわけです。もしも地獄に堕ちても、お地蔵さん助けてください!と呼べば飛んできてくれ、顔見知りならば「ああ、あんたか〜」と助けてくださるけど、現世で手を合わせたことがなかったら「あんたは見たこと無い顔やな〜」ってUターンしていってしまわはります。

 ・・・お地蔵様、意外に現金というか俗っぽいというか・・・。

 そうか〜。地獄で仏というのは、お地蔵様だったのか! 毎日お顔を合わしているから、これで大安心だ。

 とはいえ、先生はこうもおっしゃっていた。

 血の池とか針の山なんていうのは、地獄でも序の口なアトラクションなので。もっと凄い地獄がいっぱいありますから〜。

 そういえばレジメには8種類の地獄の名前は紹介されていたけれど、具体的な内容については書かれていなかった。昔あった「奈良ドリームランド」みたいなゆるい地獄で充分です〜。間違っても「富士急ハイランド」クラスの地獄はご勘弁を〜!
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2011/9/18

宝積寺にて  おでかけ

 京都の歴史探訪ウォークのメインは、宝積寺だ。

 天王山の上り坂を平均年齢の高い参加者たちは、意外に脱落者もなくするするとのぼって行った。するするしていなかったのは、年齢的に中程の層にあたると思われる私たちくらいだった。

 プレ宝積寺の仁王門(昨日の写真)で休憩&先生の楽しく興味深い説明を聞きつつ、水分補給にいそしむ。せっかく水分補給したのに、宝積寺に到着する頃には全て汗と化した模様。

 大黒天神をおまつりしてある小槌宮もあるので、灯籠もおめでたいものづくしだ。
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 ハツカネズミとか打出とか小槌とか(トリにも見えるが・・・汗)
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 これが小槌宮。
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 欄間(?)も宝船だ。
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 中の大黒様は、なぜかアイヌの木彫りの神様(カムイニポポ)を横に伸ばしたような、不思議な感じだった。
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 でもこの近くあったお守り売り場で買った「招福開運小槌付きおみくじ」は、願いはなんでも叶う!とばかりな大吉! さすが大黒様! 太っ腹!
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 ところで本堂の鬼瓦の近くに、ヘンなもの発見!
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 このニンマリした怪しのものが気になるので、京都検定1級の資格保持者である案内人の先生に質問してみた。即答で返ってきた。
「あれは...そうですねえ、玄武でしょう。首の長い亀で、胴体は蛇ですね。北面の鎮護神です。」

 玄武! 鬼瓦+玄武なら、守りは堅い。そしてこんなところにも、歯の丈夫そうな亀が↓
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 他にも、こんなかわいい鬼瓦が(なんだか、すごいアンビバレンツな言葉だ!)↓
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 ああ、閻魔堂に行き着くまでに随分寄り道をしてしまったので、すみません、閻魔様の話は、またもや次回に。実はこの中で、先生の話術が炸裂し、たぶん参加者のみなさんはすっかり閻魔王庁フリーク(?)になったことと思われる。そんな閻魔堂の中は、こんな感じです↓
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2011/9/17

仁王門にて力尽き?  おでかけ

 今日こそは宝積寺、通称「宝寺」のあれこれを、閻魔王庁の裁判制度を書かなくちゃだったのに、恐ろしいような睡魔が押し寄せてきて。

 仕方が無いので、宝積寺の山門と仁王像の写真をアップ。

 宝積寺の開山は行基菩薩。聖武天皇の勅願寺で1300年の歴史がある。

『大山崎山荘美術館』と半ばまでルートがかぶる。石標の上には「小槌」が。
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 山門の提灯。山の浅草寺みたい。
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柵に掛かっているちいさな草鞋(わらじ)は、「足が丈夫になりますように」という願掛けのお供えらしい。
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2011/9/16

長岡京は奥深い。  おでかけ

 友達のれんくみさんと、京都の歴史探訪ウォークに参加した。山崎の宝積寺、長岡京のサントリービール工場、長岡京の史跡あれこれを巡る、ガイド付き(ほぼ)ウォーキングだ。

 さすがに山を登ったりしてくたくたなので、今日の所は手短に。ざっくりとした印象は、山崎はしっとりと落ち着いた、お屋敷の多い場所(そのお屋敷の最たるものは、言わずと知れた『大山崎山荘美術館』)で、しかも歴史的にも節目節目には重大なポイントであったことを、しみじみと知る。なにしろ「天下分け目の天王山」なのだ。

 そして長岡京、かつて神足(こうたり)と呼ばれた場所は、いままでなんの興味も用事もなく、たぶん駅に降りたこともなかったと思うのだが、少し歩いただけでも、歴史と史跡の宝庫だった。

 プラス、歴史と史跡以外にも、目をみはるあれこれを発見する、とても楽しい街だった。

 たとえば駅前のバスターミナル↓
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 「はっぴぃバスのりば」!? はたして「はっぴぃバス」とは、どんなバスなのだろうか? 講師の先生の話すら頭を素通りしそうなほど気になった。気にしている内に、当のバスがやってきた!
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 そのネーミングも気になったが、実物のインパクトには、胸を打ち抜かれた。こ、これは中高生女子の世界ではないですか!! う〜ん・・・なるほど、これは、たしかに「はっぴぃ」だ・・・。

 それとは対極にある、駅前にありがちなターミナルの石碑↓
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石垣の台付きだ。いかにも歴史の香り漂う街だ。

 しかも駅舎の屋根には鴟尾(しび)がある↓

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鴟尾(しび)とは、飛鳥時代に大陸から伝わった屋根飾りで、後に「火よけのまじない」となった。中世になってから鴟尾(しび)は、鯱(しゃちほこ)に変化する。
 駅舎の屋根にのる鴟尾(しび)は、平安京より古い都だったという、京都市民にみせつける長岡京市民の誇りを感じさせた。

 また長岡京市は、竹とタケノコの街でもあるらしい。ということを、駅前ターミナルで知った。

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 竹とタケノコがデザインされたマンホールのふた↑

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 青竹から光るものはかぐや姫・・・ではなく駅前の時計です。斬新なデザイン。

 というように、長岡京市は駅前だけでも、これほどまでに虚々実々、悲喜こもごもなあれこれに溢れている。さすがに千年の文化を誇る京都以前に都があった場所は、やはりなにかが違う。やるな、長岡京!
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