2012/3/31

東北に捧げるカーネーション  テレビ/ラジオ

 今日は記念すべき『カーネーション』の最終日だ。そんな重大な日にも関わらず、なんと寝坊してしまった!! よりによって今日という日に、なんという失敗!! 大チョンボだ!! 
 Kちゃんからは「さすがおかーさん、やってくれるな〜」と。

だからBSで、一週間分の『カーネーション』を途中10時から見て、最終回の冒頭いきなり、「だんじり」の空撮?にびっくりだった。やるやん、NHK! 朝ドラで空撮って、すごい。空から糸子が「だんじり」をみている! 

 「おはようございます。 しにました。」というナレーションにつづく糸子の語りは、まるで昨日読了した『心のおくりびと〜東日本大震災復元納棺師 思い出が動きだす日』にも通底するようだ。

 そしてすっかり見慣れた、鳶がとぶ岸和田の青空が、なんだか妙に懐かしい。

 そういえば余命幾ばくもなかった加奈子さんが元気に登場するのは、ストーリーとしてはどうなのか? あまりにハッピーエンドにこだわりすぎなのでは?とも最初は思った。だけど、放射能について、そしてガンについて語ることは、現在進行形で生きている誠実なストーリーテラーなら、触れない訳にはいかなかったのだろう。物語全体に流れるトーンは、日本の、ことに東北の現在と未来への静かな応援となっているから。

 朝の『カーネーション』を見そびれるという、かつてない失態を演じてしまったが、実はもうひとつの失態も。

 めったに『カーネーション』を見ない、最終回だって後半分しか見ていないH氏が「今日の『カーネーション』のラスト、すごかったな〜!」と感心していた。看護士さんが車椅子のお年寄りを待合室のテレビの前に連れて行き、『カーネーション』の第1回をみせてあげる、という個所。

「あの車椅子のおばあさん、奈津やんなあ。最後にあのひとに『カーネーション』みせるなんて、すごい締めやんか」

 実は恥ずかしながら、私はそのとき初めて、その場面の意味を知ったのだった。しかも車椅子のお年寄りは「おじいちゃん」だと思い込んでいたし。

 一日1回の視聴では済まない『カーネーション』ウォッチャーの私が、めったに朝ドラを見ないH氏に、してやられるなんて!!
 しかもH氏は、なんのヒントも情報もなしで、脚本家のドラマ作りを想像しての指摘だった。私はお昼の再放送で「看護師長さんが、絶対見せてあげなさいって言ってたのに」という看護士さんのひとりごとで、やっとウラをとって確信したのだ。

 見事H氏に負けました。と同時に自分自身にガッカリする。そんな重要なことを読み落とすなんて! 

 どれくらいガッカリしたかというと、もう来週から『カーネーション』が見られないという喪失感と相殺されるくらいの、かなりなガッカリさだ。おかげで、楽しみでしょうがない朝ドラが終了するときにいつも感じる「胸に穴があいたような」気分から逃れられたのではあるが。

 そういえば私自身が夢想した『カーネーション』のラストは、糸子が奈津と死後の道中を共にして、相変わらずお互いに悪態つきながら、あの世に旅立つというものだったな。どう考えても奈津が『カーネーション』を観るというアッと驚くシチュエーションの方が素晴らしいよね。最後の最後までやってくれます、渡辺あやさん。

 震災後に日本中の、ことに東北の人々に、渾身の力で捧げられたであろう『カーネーション』。このドラマに関わっていただいた全ての人々に、心から「ありがとう」と「お疲れさまでした」を捧げたい。
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2012/3/30

本法寺に  神社仏閣/教会

 すっかり涅槃図にとりつかれた私は、押さえておきたい涅槃図を調べて、隙あらば突撃してみようと、虎視眈々とチャンスをねらっていた。

 千本釈迦堂の涅槃図も見たかったけど、これは日にち的にも難しい。最終的に、堀川通りに面した北区の本法寺と銀閣寺界隈の真如堂にターゲットを絞ったのだけど、どんなルートでいけばいいのか悩みに悩む。このお寺たち、微妙に距離があるのだ。制限時間付きなので、どちらから回った方がいいのかをイメージするけど、よくわからない。

 まず、JR山科から市営地下鉄でいって蹴上から歩いて真如堂まで行くか、それとも京都駅から市バスで本法寺にアタックをかけるか。よし! その日の気分で行ってみよう。

 当日は朝の内は少し寒かったけれど、時間が経つにつれ、春のうららな絶好の日和だった。日中は暑いくらい。「日焼けする〜〜」と焦るくらいだった。気分としては、本法寺の長谷川等伯筆・涅槃図からだな。

 しかし、京都駅を出て市バスのターミナルで愕然とする。

 えらい人やんか〜!

 そういえば、世間は春休み。駅構内も平日なのに混み合っていた。ああもう、バスはパスパス! バスで本法寺近くまで連れて行ってもらうのは、早々にあきらめ、市営地下鉄にチェンジ。烏丸通りから堀川通りまで歩くというチョイスに切り替え、一番近い最寄り駅となる鞍馬口で下車する。さあ、歩くぞ〜!

 プリントアウトしたマップを手に裏通りから堀川通りを目指す。通りに出たら駅方面に戻って行く。途中に「淡交社」のりっぱなビルを見る。出版社って、意外に小さい建物だったりするのに、見上げるばかりの立派なビルだ。茶道関係の業界は、強いのかしら?

 ほどなく本法寺に到着。

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 石橋を渡り

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 門をくぐり 

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 重厚で興味深い伽藍の数々は、あとでゆっくりと見ることにして

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 まずは宝物館である涅槃会館へ行って、等伯の涅槃図にごあいさつだ。

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2012/3/29

日野町、浄光寺へ  神社仏閣/教会

 人は「期間限定」に弱い。「特別公開」にも弱い。「京の冬の旅」という非公開文化財特別公開のツアーが毎年人気なのは、こういう人間心理のツボをガッチリ押さえたものだからだろう。

 そしてそれは、涅槃図にも当てはまる。お釈迦さまが入滅された旧暦の2月15日にあたる3月中旬の何日間か(寺院により異なり、期間も1日のみから1か月まで多岐にわたる)に限り公開される涅槃図。「期間限定」にも「特別公開」にも弱い私は、しっかり「涅槃図」の魔力(!?)に取り憑かれてしまった。

 「涅槃図」内には、さまざまなストーリーがあり、意味があり、作者自身の想いがあり、さまざまな楽しみ方がある。そしてなんと、地方色だってあるらしいことを、たまたま知ってしまった。

 江戸時代に大人気となった涅槃図は、意外に多くのお寺が持っているのかもしれない。知られていないことが多いけど、近江の寺院にだってあった。

 マイブームが涅槃図熱中人な私は、だから3月25日、休日のH氏に「どっか行きたいとこない? 連れて行ってあげる」と言われたとき、即座に「涅槃図/滋賀県」で検索をかけてみた。すると、こんな新聞記事が↓

「県有形文化財に12件新指定 日野町浄光寺の『八相涅槃図』など」
 (滋賀報知新聞 平成21年11月21日(土) 第15501号)
【紙本着色八相涅槃図(浄光寺)】八相涅槃図とは仏伝図の一種で、涅槃図の釈迦を中心に、生涯の主要な事績「誕生」「出家」など七つを描いたもの。浄光寺の涅槃図(江戸時代)は、日野町出身の絵師・高田敬輔(一六七四〜一七五五年)によるもので、ナマズ、コイなどの淡水魚も描かれオリジナルとして興味深い。


 行かなくちゃ、浄光寺! ナマズやコイの涅槃図、もしかしたら見られるかも。
 ネットでマップを確認して、即座に出発。恐ろしく寒い日で、日野からみた向こうの山には、うっすらと雪が↓

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 恒例の「道に迷ったあげく墓地にたどり着く」というジンクスも健在ながら、細い道を折れながら、珍しい黄檗宗の寺院である浄光寺に到着。山門は、さながら竜宮城だ。(境内から見た門)

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  境内には、墓石やお地蔵様や石仏がスキマ無くぎっしりとピラミッド型に積み上げられている。
  
 二階建てで、二重の屋根がついた、りっぱな鐘楼がある。

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 田畑智子似の若奥様が、お堂の入口を開けてくださる。寒いのに、素朴でにこやかな対応に、心もほかほか。小さいけれど、充実したお堂。お寺に興味のないH氏も、なぜか気に入ったご様子。

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 寺伝によると、僧行基の開基でご本尊の乳房薬師如来は一刀三礼の霊仏であるそう。
 行基さまか〜!! 古い!! でも乳房薬師如来って?

 十一面千手千眼観音菩薩立像という、聞いたこともないような不思議な仏像もいらっしゃった。
 十一面で、なおかつ千手!! とはいえ、これは理解できる。でも千眼って! 小振りで奥まった暗い場所にいらっしゃったので、十一面と千手は確認したけれど、千眼がちょっとわからなかった。

 布袋様(珍しい!!)のちいさなお守り付きおみくじを、二人で引く。お値段はお志。黄檗宗、太っ腹!! さすが布袋様をメインキャラクターとする宗派である。H氏、「大吉」が出ておおよろこび。私は「吉」。やっと凶を脱出したか?

 本堂の脇に、こんな魚がいた。

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 調べてみると黄檗宗のお寺には、必ずいるらしい。木でつくられていて、口には真実の玉をくわえている。
 正式には開版(かいぱん)、また形から魚梆(ぎょほう)ともいうそうだ。木魚の原型ともいわれるもので、日常の行事や儀式のほか、朝夕の食事の刻限を告げるチャーミングな法具。あまりのチャーミングさに、H氏はひとめ惚れして、大ヨロコビ。

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 もしかしたら、東福寺の三門にあった魔伽羅(まから)や龍のように、火を避ける意味から水を連想させる魚も、火災から本堂を守る願いの形なのかも。

 あ、そういえば、肝心の涅槃図だけど、これは大きすぎて出せないんです、とのこと。文化財に指定を受けたときに、ちょっと公開しただけだとか。気の毒そうに、田畑奥様が恐縮しておられた。お蔵に入った幻の涅槃図だったのだ。

 では、おいとまを。いろいろありがとうございました、と田畑奥様に挨拶すると、あ、ちょっと、と引き止められ、「もうお彼岸はすんでしまいましたけど、お彼岸の品です」と、お線香の小箱をいただいた。いかにも高級な箱で、花模様の透かしが入った薄紙につつまれている。しかもかなりいい香り。どうやら伽羅だ。(香道をたしなんでいる訳ではなく、箱にちゃんと書いてあった)

 せっかく、いろいろ楽しいもの、不思議なものをみたのに、すっかり記憶から蒸発している。ネットで調べても、マイナー寺院らしいので詳細はわからない。でも、楽しかったという記憶だけは残っている。いいところだったなあ、日野町の浄光寺。

 また隙をみて、図書館の郷土資料を調べて来なくちゃ。そして美術館か博物館に、「近江の涅槃図」展のリクエストをしなくっちゃ。
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2012/3/28

怒濤のラスト  神社仏閣/教会

 今回のツアーのテーマである「涅槃図」鑑賞予定が、まさかの時間切れになってしまった。正直、時間のことなんか、まるで念頭になかった。ひたすら、その場その場を丁寧に味わった結果なので、私は自業自得だが、相棒のれんくみさんには、たいへん申し訳ないことをしてしまった。

 それでも泉涌寺に向かう。涅槃図は4時まででも、お寺自体は4時半までのオープンだから、他に見られるものはあるはず。そう、泉涌寺といえば、美しい観音様がいらっしゃる。その美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれて来た仏像だ。

 いそげ、急げ。

 しかし、観音堂の前には、団体さんがいて、私たちの行く手を阻んでいた。

 ・・・んん? このスピーカーを持っているお兄さんは・・・小嶋先生!? またしても合流してしまった。
 そして今後の彼らの予定としては、楊貴妃観音像を見た後、横手の宝物館である「心照殿」に行かれるようだ。

 彼らよりいち早く、お堂で観音様を拝ませていただくが、夕方でもあり、曇ってきたせいもありで、お顔はよく見えない。残念。

 おまけに授与品を販売する方が、お客さんに対してあまりにつっけんどんな態度なので、実のところ、心中大いに毒づいていましたよ。

 確かに天皇家とも深い繋がりのあるだけに「御寺(みてら)と呼ばれる格式高い寺院なのはわかる。わかるが役人でさえ「お客様は神様です」なサービスをしている時代に、あんまりな態度じゃないか。

 とはいえ宝物館に滑り込み、ほどなくやって来た団体さんたちに混じって、室町時代に描かれた、土佐国綱兄弟筆になる涅槃図を、小嶋先生の解説付きで見ることができ、たいへんラッキーだった。

 これは日本最大といわれる涅槃会で公開されるものとは違うけれど、彩色がきれいに残っていて、それなりに見応えはある。先生は、満月や、沙羅双樹の半分の木が花を咲かせ、あと半分が枯れている様子や、摩耶夫人(お釈迦様の生みの母親)が雲に乗ってやってくる様子なども、浮き浮きと解説されていらっしゃった。
 いままで、漫然と見ていた涅槃図が、ちょっとした説明が加わっただけで、突如シャープに、かつ、もっと興味深いものにみえてくるから、不思議だ。

 心照殿を出て、れんくみさんと「せっかく来たのだし、仏殿にもいってみよう!」と、未練たらたらで(笑)、涅槃図の展示会場である仏殿に向かった。

 そしたら! あるじゃないですか、涅槃図! 

 かたづけモードに入っている係の方達だったが、さすがに高さ約15m、幅約7mもある涅槃図は、おいそれとは片付けられないだろう。

 東福寺の繊細な涅槃図とは違い、人物などの輪郭が太いので、逆にとても見やすい。愛嬌のある涅槃図だ。

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 未練たらたら、大いに結構! 人間、あきらめないのも肝要だ。しぶといことは、いいことだ。1年待たなくて済んで、本当に安堵した。

 これさえみたら、もういいだろう。時間も押しているし、帰ろう、帰ろう。

 ということで、おわりよければ、すべてよし! 気分よく帰途に向かい、無事終了した『龍と涅槃図ツアー』だったのでした。
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2012/3/26

雲龍院へ  神社仏閣/教会

 門を入り、まっすぐに仏殿に行けば、即座に日本最大の涅槃図鑑賞ができたのだが、門の近くの枝分かれした道に入ってしまった。モザイクのような石畳に魅せられ、のんきに満開の梅見をしつつ、泉涌寺別院である雲龍院に迷い込んでしまったのだった(笑) というか、知らず知らずに迷い込むほど、アプローチから魅力的だった。

 雲龍院の創建は1372年。丁度「京都冬の旅」(=非公開文化財特別公開)期間中で特別拝観もでき、いろんなものが見られて、とても楽しいお寺だった。お昼と夕方にかけての、少し斜めの日差しが、明るくもちょっと切ない、いい感じで、静かなお寺に漂う春の気配を満喫できた。

 最初の部屋では置いてある座布団に座ると、障子に枠取られたガラス窓からは、一幅の絵のように松や梅が見事に切り取られている。その奥には季節柄、雅びなお雛様が飾られていた。そんな小癪な(褒め言葉)、または猪口才な(褒め言葉)計算がなされている、お庭鑑賞のお座敷があった。

 雲龍院は、現存する日本最古の写経道場なので、写経体験もできる。写経する時に使用する机は、後水尾天皇(江戸時代初期に即位)によって寄進された机だそうだ。なんだか、歴史〜!

 本堂にあたる龍華殿では、薬師如来を中心に左右に日光菩薩・月光菩薩(がっこうぼさつ)が配置されている薬師如来三尊を拝む。阿吽の龍と風神雷神を描いた襖の向こうにお祀りされているのだ。。

 薬師如来三尊を守るような襖絵は、水墨画家の堂野夢酔(どうのむすい)によるもの。襖絵『双龍風雷図(そうりゅうふうらいず)』も、薬師如来三尊も、特別公開中だった。襖絵は平成22年10月に奉納された新しいものだからか、撮影自由という太っ腹さ。新しいだけに認知度をあげなくちゃいけないし。

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 ふと、故・赤羽末吉画伯の『だいくとおにろく』を思い起こす↑
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 三尊のすぐ前にあたる襖には、「般若心経」が書かれている。

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 歴代の天皇や皇后のご位牌や肖像などがぎっしりと集められた霊明殿。その前庭には、徳川慶喜寄進の灯篭もある。灯籠の下では、砂が珍しい菊のご紋を描いている。これ作るの、難しくて大変そう。

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 大石内蔵助の書(これは2文字だけど)がある部屋には、他に、なぞかけの掛け軸が。

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 おわかりでしょうか?

「ち」が五個書かれているので、「稚児」。五つの「も」で、「いつも」。「の」が三つで、「飲み」。「た」が八つで、「たや」

これを掛け軸の通りにつなげてみると・・・

「稚児の酒いつも飲みたや」
鎌倉時代の大工さんの落書きだそう。
 
 台所(現役で使ってらっしゃるらしい)には怖い顔で口をあんぐり開けた「走り大黒」天。ちょっと不気味かも。

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 書院にある悟りの丸窓から見る薄桃色の梅。ベストポジションに小さな椅子が置いてある。至れり尽くせりで、サービス満点。

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 要所要所に生けられた素晴らしい生け花(愛知県のお華の先生が生けられたものだとか)。龍がテーマの生け花らしい。

 と、しっかり雲龍院を楽しみ尽くして、もと来た受付から出ようというときに、ふと不安になった。おそるおそる受付で訊ねてみる。

「すみません、泉涌寺の涅槃図は何時までみられますか?」

「涅槃図ですか? 4時までです。もう4時5分になってますね」と気の毒そうにつぶやかれる係の方。しばし、ショックで呆然とする私たち。まさか、4時終了とは・・・。

 (やっと次回は最終です。たった1日の話に、延々と付き合ってくださって恐縮ですが、あとしばらく、よろしくお願いします)
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2012/3/25

泉涌寺参道  神社仏閣/教会

 ということで、龍と涅槃図のほほんツアー・午前中の部を終了した。といってもお昼ゴハンにしてはずいぶん遅い時間になってしまった。

 東福寺を出た所で、団体さんとすれ違う。これがまさに、私たちが残念ながら参加できなかった小嶋先生率いる「涅槃図をめぐるウォークツアー」。このツアーは午後からだったので、入れ違いの接近遭遇だったのだ。

 お昼はガイドブックいちおしの「ここはな」へ行き、石焼ビビンバなどを食す。いかにもおしゃれな若向き、観光客向きで、雰囲気もメニューも、正直私たちには中途半端だったかも。悪くはないけど、ちょっと違う気もした。

 それでもゆっくりとでき満腹になったので、少し遠いけれどハラゴナシに泉涌寺まで歩くことに。東大路通りに出て、そのまま今熊野商店街に入りしばらく歩いて右折すると、泉涌寺への参道。

 泉涌寺総門に到着。でも、ここからが長いアプローチとなる。

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 意外に丸くてカワイイ系の墨書札。

 最初の泉涌寺塔頭は「即成院」の門。昨年秋に行った「二十五菩薩お練り供養」のお寺だ。那須与一ゆかりの寺でもある。鳳凰のついた門が懐かしい! 

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 次の塔頭「戒光寺」に、ついフラフラと入ったのは、山門に「京の大仏」とあったから。「京の大仏」って?

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 この「京の大仏」に誘われて境内に入ると、思わぬご縁が! なんとまたもや小嶋先生率いる「涅槃図ツアー」と、今度は思い切り合流!! 最後部から見るナマ小嶋先生の後ろ姿は、やっぱりチャーミングだ♪ 

 こじんまりした本堂で40人ばかり、ぎっしりの参拝者を前にお話されるのは、戒光寺のご住職。で、このお方のお話の面白いこと、面白いこと! 本堂にしばしば笑いがわき起こるとき、本堂の端におすわりの小嶋先生は、いかにも楽しそうに微笑まれていた。その佇まいが、実にただ者でない。

 融通無碍、なのに周囲全方向に、礼儀と敬意とホホエミをもって対峙することができる方だ。私なんかが「ちっ!」と心で舌打ちしまくる質問がきたときでも、きっとにこやかに「大事なご質問ですね」と、まず相手を安心させて、誠意を持って全力であらゆる知識を呼び起こしながら、質問者が必要とする以上の回答を返してくださるのだ。誰でも出来ることではない。大人気なのも頷ける。

 しかも伊達に神社仏閣を東奔西走されているのでなく、きちんと信心や節度をもっておられることが、その佇まいから察せられる。ちゃんとお数珠も手に巻かれていたし、自分の仕事を放り出して、趣味に走ることもない。もっとも、この方の仕事は趣味の延長線上ですからね。

 この小さな本堂に収められた「京の大仏」こと本尊丈六釈迦如来像は、親しみをこめて大仏という意味らしい「丈六さん」(一丈六尺を越えているから?)と呼ばれているとか。

 鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作で、もちろん重要文化財だ。台座から後背部を入れると約10メートルにもなる。
 うねるような模様の不思議な後背は、上の方が天井すれすれに曲がっている。もしまっすぐだったら、このお寺には入れない。本堂の前からでさえ、足しか見えないし。覗き込むように見上げて、やっとご尊顔を拝めた。

 巨大なだけでなく、ツメは長いし、首から血のようなものを流されている特徴だらけの釈迦如来だ。首からの血(のようなもの)は後水尾天皇が即位争いに巻き込まれたときに、この釈迦如来が身代わりにたたれ、事無きを得た、といわれている。このため、この寺のキーワードは「身代わり」だ。授与品などにもこのキーワードは色濃く現れている。買わなかったけどね。

 団体さんたちより、いち早く戒光寺の本堂を脱出し、境内に降りると清楚に花が生けてある。これは生け花の勉強になる♪

 ところで、戒光寺で先頃ロケがあり、稲垣足穂原作、林海象監督・脚本の「弥勒」という映画で釈迦如来さまがシネマデビューされるとか! 共演者は永瀬正敏さん。というか、「弥勒」の主演が永瀬さんです。

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 さあ、歩いて歩いて、やっと泉涌寺の大門に到着。・・・と思いきや。

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(明日に続く。長々とすみませんねえ/汗)
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2012/3/24

極楽を堪能  神社仏閣/教会

 堂内は半分に仕切られて、仏像などがある場所のみ、うすく照明が灯っている。そんな暗く冷たい本堂で、観光客の皆さんに説明してくださる係の女性のお話を聞く。それはなかなかに楽しい説明だったが、入ったときには、すでに半分以上終わっている模様で、ほどなく終了。

  暗い堂内の釈迦如来様の真ん前に当たる壁際で、座禅のように胡座をかき、瞑想されている若い男性がいた。目を閉じて手は印を結んでいる。こんなざわめいた場所で瞑想できるなんて、たいへんな集中力だ。しかもここはまさに極楽浄土で、目前には宝冠釈迦如来像。なるほどこれなら瞑想のボルテージは高まるのかも。いや瞑想なしでも、ここが神秘的な空間であることは、皮膚から感じられる。

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 すでに説明をきかれた方はゆったりと退散されていくが、新たな観光客が三々五々入場される。まもなく堂内の説明が始まる。待ってました!

 さて三門とは、禅宗で空門・無相門・無作門の三関門を象徴する三解脱門のことで、悟りに通じる三つの解脱の境地を表わす門(=三解脱門)との意味だそう。この1階にある三つの関門を抜けて、2階の極楽浄土に入れるということらしい。

 三門は鎌倉時代に創建されたのだが、残念ながら焼失してしまい、室町時代に再建され、現存する禅宗寺院の三門では最大かつ最古のものだ。大屋根の四方の角柱は、豊臣秀吉が天正大地震(1586)による破損個所を大修理した時の柱で 「太閤柱(たいこうばしら)」と呼ばれているそうだ。

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 中央の須弥壇上に、宝冠釈迦如来像、脇侍の月蓋(げつかい)長者、善財童子像、十六羅漢像がお祀りしてある。宝冠釈迦如来とは、お釈迦様の悟りを開く前の姿で、彼は釈迦族の王子だったため、きらびやかなお姿で、髪も高く結ってある。まだ修行中なので他の如来像とは違い、岩場に座しておられるのだ。

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 堂内の羅漢さんや仏像を見たり、極楽にしか咲かないという白い花や、美しい声で歌うという迦陵頻迦( かりょうびんが )の天井画や柱の画にうっとりしたり。火災よけの龍や魔伽羅(まから)も描かれている。魔伽羅(まから)はインド由来の想像上の生き物であり、ワニと魚が合体したもので、シャチホコのご先祖さまらしい。

 おおきな木造建築特有の厳しい冷気が足元を冷やしていく。それを見越して靴下を2枚重ね履きしたけれど、焼け石に水だった。足が冷たくなるのを我慢して、説明を聞く。なかなか興味深い説明を沢山聞けて、たいへん勉強になった。

 あんなに心配した下り階段だったけど、なにしろ行列をついて降りるので、下を見ても段々は見えないから、ぜんぜん大丈夫(笑) 

 それとも極楽を垣間みたご利益だったのかも?!
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2012/3/23

極楽への階段  神社仏閣/教会

 すっかりくつろいでしまった方丈庭園を後にし、次は特別公開の三門へ。でも場所はどこ?

 甘酒の接待の前で、お檀家さんらしき方と立ち話をしているお坊様に「三門はどこですか?」と訊ねてみた。

 「ああ、あそこに紅白の幕が張ってあるやろ? あそこが受付になってるさかい、拝観料払って入れますよ。・・・そやけどな、階段がものすご急やし、くれぐれも落ちんように、気いつけてくださいや」

 「ええっ!? そんなに急な階段があるんですか?」

 ここだけの話、私は年々高い所に移動するのが苦手になってきている。子どものころ、ときどき階段から落ちたり、家の周りのちょっとした崖から何度か落ちたりした(4、5mくらいの高さで足から落ちたので青あざ程度で済んだ。もちろん親にはナイショだ)のと、母親が親戚の階段から転げ落ちて腰を悪くしたのを見た記憶が、トラウマとしてゆっくり芽を出したのかもしれない。

 お坊さんは真顔に「そや。こーんな急やでえ。もう、ほとんどハシゴやでえ」と、腕で45度くらいの角度をつくる。ちょっと悲壮な表情になった私をみて、となりのお檀家さんらしきおじさんが、「いやいや、そんなに急やないしな、大丈夫」ととりなしてくださった。
 しかしお坊さんは、「いや、ほんまに急なんやて。落ちんようにな。気いつけてな」と追い打ちを。

 それでも特別公開されている三門は、みたい! 紅白の幕に向かって急ぐ。

 拝観料を払い、履物を脱いで階段下へ。

 ・・・う〜ん。確かにハシゴに近い。お城の階段で、たまにこういうのがあるよね。急斜面で、しかも一段一段の距離が長い。巨人とまでは言わないが、身長2mかつ細身の人たちの国に来たような気がする。途中、踊り場があり、そこで上から降りてくる人が通り過ぎるのを待ってから、係の人の指示で登って行く。

 それでも「のぼり」は、まだいい。息を切らしながらでも「こわい」とは思わない。問題は「くだり」だ。こんな急斜面で下を見ながら降りるなんて、できるのだろうか? と既に心は帰りの心配を始めた。いや、できるかどうか、ではない。否応なく降りなければならないのだ。

 とはいえ、登りきって楼上内部に向かう回廊から見渡す眺めも、格別だ。帰りの心配は降りる直前にすればいい。

 楼上内部への入口には、暗室のような黒いカーテンに覆われ、これから映画会でも始まるかという薄暗さだったが、柱や天井に所狭しと描かれた天上世界の絵画は、年月による風化というスパイスを効かせて、神秘的な世界をくりひろげていたのだった。

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 極楽浄土を表現した天井画は、なぜか♪エキゾチック・ジャパ〜ン♪という歌詞を喚起する。これも涅槃図同様、明兆こと兆殿司、それに弟子の寒殿司の手による作品。

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 極楽に住むという半鳥半人。迦陵頻迦 ( かりょうびんが )といわれている。
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2012/3/22

ガーデン・ヒーリング  

 せっかく東福寺に来たのだから、方丈庭園もみようかという消極的な動機で、しかし入場料も払って入ってみた。東福寺のHPでは、こんな風に案内している↓

 禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されてきましたが、四周に庭園をめぐらせたものは当寺唯一の試みです。当庭園は1938(昭和13)年、重森三玲氏が作庭しました。
 釈迦成道を表現し、八相の庭と命名され、近代禅宗庭園の代表として広く世界各国に紹介されています。


 「当寺唯一の試み」、とか「広く世界各国に紹介」とか、禅を極めているにしては、なにげに自慢している。いやいや、広報は自慢してナンボだから、別にかまわないが。

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 石庭に関しては、私のテリトリー外なので、庭石が意味するものとか、白砂の流れだとかには、さほど興味がない。私がお庭に求める物は、ただひとつ。

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 そこで、憩えるか、憩えないか。


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 それだけだ。

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 うわあ。おもしろい!というのも入ってはくるが、その場所でひなたぼっこして、1時間ほどのんべんだらりできるかどうか、の方が大事なので、30分で飽きる小細工なら、別段なくてもかまわない。

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 ゆっくりのんびりと歩いたけれど、いや〜、不思議なほど憩えましたね。市松模様に刈り込んだサツキの西庭や、市松模様の配置された石と苔の北庭も、モダンで斬新だったけど、細長い枯れ山水の南庭、お昼寝できそうに心がくつろげた。

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 でも一番好きだったのは、北庭に張り出して行き止まりになった空中の回廊!
東福寺トップページの写真がそうかもしれない。ここが、とてもよかった。秋なら紅葉の海を見渡せるのだろうけど、それよりはまだしも静かな初夏に来て、青紅葉の海の上で、風にそよいでみたい気がした。 
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2012/3/21

東福寺の涅槃図  神社仏閣/教会

 まずは、基本を押さえておこう。緑の字は、いつも助けてもらっているウィキペディアからの引用。

 涅槃とは?
 ニルヴァーナの訳語で、煩悩がなくなった心の境地を指す言葉だが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。

 涅槃図とは?
 釈迦入滅を、横臥する釈迦を中心に菩薩や仏弟子、会衆や動物らが釈迦を取り囲み、嘆き悲しむ情景を描いた仏画。釈迦を追善供養する涅槃会(ねはんえ。常楽会ともいう)の際に懸用された。

 涅槃会とは?
陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。現在では、3月15日に行なわれているところもある。

 涅槃図のある仏殿(本堂)へ。さすがに人も多い、それに広い、天井も高い。あ、天井には、今回のツアーのもうひとつのテーマが!

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 堂本印象描くところの天井画龍。天井一面なので、巨大でど迫力だ。最初は涅槃図よりよほどのインパクトをもって、いやでも眼に入ってくる。
 しかも写真撮り放題の模様。まるでスターの記者会見のようにシャッター音が堂内に響く。東福寺さん、太っ腹。

 しかしこの龍の顔は・・・なにかに、似ている・・・と5日ほどくよくよ考えて、やっと先程判明した! 『あしたのジョー』に登場する丹下段平じゃないか!(隻眼ではないけれど) 
 どうみても堅気じゃないけど、しゃにむに夢にむかって一途で、根性がすわってる気配がなんだか似ている。ああ、すっきり。

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 東福寺の巨大な涅槃図は、この寺の僧でもあった吉山明兆の作だ。室町時代のものである。明兆は僧としての身分は低い殿司(でんす)で、通称「兆殿司」と呼ばれていた。

 兆殿司描きたる大き涅槃図のなかの猫より春は来るらし

 明治生まれ、大正から昭和にかけて活躍した歌人、吉井勇が歌ったものだ。一般的には、涅槃図に猫は描かれないので、猫が描かれた東福寺の涅槃図は珍しいということになっている。でも、意外に猫が描かれた涅槃図もわりにあるみたい。京都は堀川通にある本法寺の長谷川等伯筆「涅槃図」とかね。

 猫が涅槃図のどこにいるのかという案内は、涅槃図の前に小さなコピーで表示されていたが、それはその場所にきた人しか見ない。案内表示されているくらいなので、ちょっと事前に調べて見えたであろう一般の方々は、みんな「猫」を探している。

 お堂の中程にいた年配のご夫婦のうち男性が、一生懸命「猫」を探していた。奥様が親切に教えて上げてらした。
「ほら、あれよ、あの虎のちかくの」
 そうそう。虎の近くにいるんですよ!
「あの黒いの。あれが猫よ」

 ああっ〜チガイマスウ〜! それは反対側ですう〜! 
でも教えてあげにくい位置と形なので、すみません、見て見ぬ振りをしちゃいました。(その後、調べてみたら三重県鈴鹿市は龍光寺の、やはり明兆の手になる涅槃図には、そういう黒っぽい猫がいたから、三重県の方なのかもしれない)

 それくらい猫の場所はわかりにくい。だいたい猫自体が薄く描かれていて、離れた場所の肉眼では薄茶の丸にしかみえない。絵葉書か、図録のアップ写真でしか、ハッキリとは確認できないだろう。まるで未確認猫物体だ。虎の近くの黒い動物の方が、たしかに猫っぽいと思われる。

 さて、猫以外の涅槃図もみてみよう。お釈迦様が入滅されたのは、満月のよるだったそうだ。

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 天部の菩薩や八部衆などの方々も悲しみ、

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 十大弟子や信者たちをはじめ、獣たち、虫までもが嘆き悲しんでいる。

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 お釈迦さんの周りには沙羅双樹(夏椿)の木が8本あり、あまりの悲しみに?花を咲かせ、その半分はお釈迦様と運命を共にするかのように、枯れていったといわれている。
 ほのかで上品な色調が、静謐な悲しみを現しているかのよう。

 仏殿内には、2mもある仏さまの手もあった。明治時代に火災が起こり、一度仏殿は焼失してしまったのだそうだ。奈良の大仏にも匹敵するくらいの大仏が、かつてはここにいらっしゃったのだ。

 その日特別公開されていた仏殿内では、お坊様たちも絵葉書やポスターや、その他、販売ものを売っておられた。
 
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お坊様たちのそういうお姿をみるのも珍しく、しかも愛想よく佇まいがほのぼのされているので、長寿健康を祈り、『花供御(はなくそ)』というお菓子を購入。おばあちゃんへのおみやげだ。後で調べると、仏様にお供えした鏡餅をアラレにして、煎った豆を混ぜたものだとか。もしかして、お正月の鏡餅と節分の豆をまぜたものだろうか?

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 中身は、小さなあられとピーナッツや黒豆など豆類の小袋。おばあちゃんが、入れ歯ながら豪快にボリボリと完食しました。
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2012/3/20

ついに東福寺  神社仏閣/教会

 やっと東福寺目前の臥雲橋(がうんきょう)にたどり着く。東福寺の境内を流れる渓流「洗玉澗(せんぎょくかん)」に架かっている。京都市内でも珍しい100%木造かつ屋根付きの橋だ。

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 ところで「洗玉澗(せんぎょくかん)」には3つの橋が架かっている。一番上流側に架かるのが「偃月(えんげつ)橋」、中ほどは有名な「通天(つうてん)橋」で、この「臥雲(がうん)橋」は一番下流側に架かっている。3つとも屋根のある橋廊の形をしており、大変珍しい。

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 この臥雲橋のおもしろい所は、境内ではあるものの 公道のように一般の自由往来が認められているところ。地元の人たちも行き来している。渡った先には保育園だってあり、幼子のかわいい歌声が響いていた。

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 観光客は必ずここで写真を撮る。

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 なぜなら、通行するには料金がいるくらいな有名どころ、通天橋が見える絶景ポイントだから。

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 この連なる裸の木は、すべて紅葉。紅葉シーズンには恐ろしいくらいの人波だが、いまはオフなので、そこそこだ。もっとも3日間限定の涅槃会シーズンだから、それなりには多いかも。ズームしてみよう。

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 「枯れ木も山の賑わい」という言葉が、ふと頭をよぎる風景だ。

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 橋を渡ってしまうと、白壁が続き、壁の向こうから椿が顔をのぞかせる。上から、椿、瓦、白壁、セメント、苔、石垣という層になっている。れんくみさん曰く「竹下夢二の世界」。
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 そんな景色を見つつ、ついに東福寺に到着。日下門より入場。
入ってすぐ眼に入ったのが、これ↓
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 う〜ん、さすがは東福寺、トイレからして、でかいぞ!・・・って、ちがうちがう! 確かに百雪隠ともいわれる禅宗式のトイレ、東司という建物も東福寺にはあるけれど、それだって室町時代の重要文化財だって!

 これは畏れ多くも座禅専修の道場、禅堂だ。しかも南北朝時代の重要文化財。トイレはこの前を横切った奥にあったのでした。
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2012/3/19

同聚院に寄り道  神社仏閣/教会

東福寺に向かう。もと来た道に戻り駅前を突っ切って、東福寺の矢印のカンバンを左折する場所の角に、なんと一足はやい桜が満開!!

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 ・・・と思いきや。

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 ま、同じバラ科サクラ属なら、兄弟姉妹みたいなもんか。

 桜はまだだけど、椿はあちこちで咲き誇っていた。椿はいい。花が落ちても苔の上なら、それもまた風情がある。白梅も満開だった。紅梅は蕾のものも。

 どんどん歩くと、左手にお寺がある。東福寺の塔頭のひとつ「同聚院」だ。「じゅうまん不動さん」の名で親しまれている。

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同聚院は文安元年(1444)に、東福寺第百六十世・文渓元作禅師が、その師の東福寺第百二十九世・琴江令薫禅師を開山に勧請して創建した。

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 この寺のご本尊である不動明王像は、藤原時代前期の代表的な彫像で、仏師定朝の父・康尚(こうしょう)の数少ない作品として重要文化財に指定されている。火伏の霊験あらたかなお不動さんだ。もともと5体あった仏像の中で、唯一焼け残ったお方なのだから。

 というお寺や仏像のあれこれは、あとで復習したときにわかったこと。その日は、人気のまばらなこの寺に、ただ何の気なく入ってみただけだった。

 受付のおばさんに「拝観もできますよ」と声をかけられ、勧められるままに、拝観料を払い、お堂の中へ。

 薄暗い小さなお堂の中には、像高265センチの日本最大の木造不動明王像がいらっしゃる。天井すれすれの見事にゆれる火炎光背をみて、れんくみさんは「どうやって入れはったんやろ?」と素朴な疑問をつぶやかれていた。ああ、確かに〜! 私には思いもつかない疑問だ。それくらい、天井すれすれで、いっぱいいっぱい。

 そうそう、檀ふみさんが東福寺に行く前に、梅原猛さんから「東福寺にいくのなら、絶対みておきなさい」と助言された仏像のひとつが、たしかこの不動明王像だったのでは。
 予習しておこうと思って借りた『東福寺』という本に、そんなことが書いてあった。リュックから取り出し見直すと、やはりそうだった。

 そんなことは実はほぼ忘れていたのに、無意識に残っていた記憶が私を誘ったのだろうか? なんにせよ、大迫力ながら端正で上品ですべてが美しいお不動さんだったので、ふらふらと迷いこんだのは大正解だった。
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 外は白梅がきれいで、石のお不動さんもいらっしゃる。

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 手水舎の屋根は法輪柄のかっこいい瓦だ。
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 ほのぼのと、ちいさなお寺の境内でくつろいでしまう。こうして私たちが気づかないまま、どんどん時は過ぎ去っていくのであった。
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2012/3/18

意匠だらけ!  神社仏閣/教会

 拝殿の話だけで終了するくらい、精緻と意匠を凝らした彫刻なのだが、本殿も立派。所々に金が使ってあり、豪華絢爛。

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 芸が細かい!

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 石畳のカーブも品がある。

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 本殿には格子が巡らされていて、スキマから中を覗く。本殿の両脇には、厳めしい木の狛犬と、伏見人形で作られているという御弊を持った猿の姿がお茶目。
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 祭神は大己貴命(大国主命、大黒様)と、弁財天、毘沙門天の三神で、龍がいらっしゃり、大丸の創業者は福助のモデル。ということで、絵馬はこんな風だ↓

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 ちいさな福助、かわいい。

 絵馬舎には、大丸百貨店ゆかりの絵馬が奉納されている↓

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 ぱっと見、地味な手水舎ですら、彫刻三昧だ。

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 昭和59年に拝殿・拝所・幣殿・東西廊・手水舎など8棟が京都市指定文化財となっている。いやいや重要文化財でも納得するよ。

 いきなり小さな巨人級物件に出くわして時間をかけてしまった。・・・東福寺に着くのは、いったいいつだ(笑)
 なにしろ、メインの道沿いの鳥居から退出して、やっと東福寺へ向かうコンビの行く手には、さまざまな寄り道の魔??の手が!?

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2012/3/17

驚きの瀧尾神社  神社仏閣/教会

 瀧尾神社をプログラムに入れたのは、小嶋先生のツアーの集合場所だったから。駅前はすぐ道路で、団体さんが待つようなスペースがないし、こんなマイナーな神社でとりあえず集合しようということなのかな?思ったのだが。

 なんとなく、気になったのだ。あの小嶋先生が神社仏閣を集合場所にするのなら、なにかしら引っかかる物があるのかもしれない。だから念のため検索してみた。すると見どころ満載な場所だということが判明したのだ!

 以下緑色の文字は「京都 東山区南部地域活性委員会が発信する観光情報案内サイト」より。
 創建年代は不詳だが、「源平盛衰記」にその名が見えるという。天正14(1586)年10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座した。現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて造立された。

 江戸中期に行商から大呉服商になり、今の大丸百貨店の礎を築いた天下の豪商・下村彦右衛門。瀧尾神社は、彼が熱心に参ったことで知られる。

 また下村彦右衛門は「福助」のモデルとしても有名。中国から輸入した綿糸を販売し、巨万の富を築いた彦右衛門は、お礼として、瀧尾神社境内にて食事を振る舞った。次第に人々は彦右衛門を「福の神のような人」と呼び始め、「福助」の愛称が定着した。そこで、伏見稲荷の人形師が、彦右衛門をモデルにした伏見人形を作ったところ、大人気となり「福助」の名前が全国に広がった。

 なるほど総額2500両(現在の通貨にして5億円!)という太っ腹な造立は、さすが名にしおう「大丸」だ!
 
 JR東福寺の駅で下車し、東福寺とは反対方向へ歩くことしばし。右手に小さな神社があるので、拝殿正面の鳥居から入る。ピンクの建物はなんと社務所。

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 たまたま、拝殿の上を飛行船が飛んでいた。まさに「見る前に、飛べ」。こんなことでも、テンションがあがる、単純な私たち(笑)

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 この提灯がずらりとぶら下がった拝殿の見どころは、天井にある。生きているかのごとく見事な木彫りの雲龍が、天井いっぱいに、のたうっているのだ。

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 最初見た時は、おもわず「わああ〜!」と声が出るほどのど迫力。全長8mという大きさもだけど、彫りの精緻さと、今にも動き出しそうな躍動感に圧倒されるのだ。拝殿はスリッパが用意してあり、上がることも出来るので、間近でも拝見できる。

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 となりで説明されていた方(雰囲気としては商社の接待か?)によれば、ウロコの一枚一枚の木目の流れまで計算されているとか。

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 雲の上には龍の宝珠として黄金の玉もある。

 龍の出来があまりに良かったため、夜な夜な抜け出し、近くの今熊野川まで水を飲みに行くとの話が広がったらしい。神社側では拝殿の天井に網を取り付けて、龍が自由に動けないようにしたという。(現在、網はない。ざっくりとした支えのような針金のみ)

 次の拝殿もこれでもかというくらいな、彫刻三昧で装飾されている。
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 高名な京の彫刻家・代々当主が新之丞を名乗る九山新之丞氏の子息(九山新太郎)作の彫刻が社内には多数見られる。回廊には十二支の姿、水鳥や阿吽の龍、獏、鶴、鳳凰、尾長鳥、霊獣である犀や麒麟の姿も見える。正面から見える面だけでなく、裏側まで丁寧に彫りこまれており、正面とはデザインも異なる。

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 真正面には鳳凰↑
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 鶴や鳳凰や松↑
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 波をかぶる動物たちは、火伏の意味も?↑

 以下は十二支より。
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 龍は水を司るので、当然火から建物を守る。眼光鋭い小動物は、意外にもウサギ。
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 不老長寿の言い伝えがあり、魔除けともなる桃をもごうとする猿↑
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 木目が活かされたイノシシ↑
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 乳首までキチンと彫り込まれた犬。子犬もいる。これは安産の象徴か。

 見どころ満載なので、書ききれない。続きは明日また。
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2012/3/16

龍と涅槃図ツアー始動す。  神社仏閣/教会

 今日は宣京師、小嶋先生の歴史ウォークで涅槃図を見るミニツアーがあったのだ。実は2月に申し込んだけど、さすがは人気講師、すぐさま定員オーバーになって、早々に閉め切られてしまっていた(悲)

 でも悔しいので、独自に企画して同じ日にぶつけてみた。・・・って、うそ。たまたま今日都合がついただけ。それに、東福寺や泉涌寺の涅槃図公開は、3月14、15、16日の3日間だけだから。スペシャルな企画なのだ。

 名付けて『龍と涅槃図を見る、歩け歩けツアー』。なにしろ私が作ったくらいの、ざっくりとした企画なので、半分はいきあたりばったり。予定としての行き先は、JR奈良線の東福寺駅で降り、瀧尾神社、東福寺、泉涌寺、甘味処。

 しかし、メンバーは私とれんくみさんだ。無敵ののほほんコンビである。ざっくりとした企画で、道草、寄り道、迷子を計算にいれると、甘味処はカットされるかも、というのが当初の私の予想だった。

 けれど、事実は小説より奇なり。甘味処どころか泉涌寺すらあやういところだった。

 それもそのはず、サクッと見るはずだった滝尾神社が、予想以上の出来映えだったので、かなり深入りをしてしまい、いきなり時間を取ってしまったからだ。
 それだけではなく、追加で3つの寺も見た。おまけに特別公開期間が終わっていたので諦めていた東福寺三門が、涅槃会期間も特別公開中だったので、これも喜んで追加した。
 付け加えると、ラッキーにも宣京師率いる一団に偶然混入し、先生やお坊様の説明を聞いてしまうという、うれしい時間ロス(内容的にはロスじゃない!プラスや!)も。偶然とはいうものの、行き先はほぼ一緒ですから〜。

 そりゃ、タイムオーバーするはずやんけ!てなもんだ。頭からシッポまでアンコどころが、お腹から、はみ出すくらいの充実ぶりだもんな。1万4千歩あるいたし。

 では明日から、『龍と涅槃図を見るアルケイスト・ツアー』レポートになる予定。想定外に素晴らしかった瀧尾神社から、ようい、どん。
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