2012/7/31

親子で学校。  学校

 進路に向けての三者懇に行ってきた。

 いままでは二者懇だったので、Kちゃんと一緒に先生と向き合うのは、高校になってからは初めてだ。進路については、いろんな先生方から有り難いアドバイスやら、心迷わせる誘いやらをいただいているらしい。あちこちで気に留めていただけて、ありがたいことである。先生方を大勢味方につけてしまうという人たらしなワザは、お父さん譲りだ。

 懇談に行く前に、電車の中でKちゃんが言ったひとことが、気になる。

「学校ではおかーさん、有名やしな」。

 先生にではない。学生さんたちに。彼女は小学校のときからテッパンの「おかーさんネタ」を吹聴し、作文のネタにまでしていたが、高校生の今もまだネタにしていたのだ!

 それにしてもKちゃんの「有名人」ぶりには驚く。校内で彼女とすれ違った学生たちは、親しく微笑み、声をかけ、手を振る。男女問わない。同じスタンスだ。Kちゃんの見事なユニセックスぶりを確認する。
 
 遠くでしゃべっている数人の学生さんたちも、彼女に気づくと親しげに手を振っていた。

 そして私と遇った子たちは、かすかにオドロキが混じった、かなりうれしそうな笑顔で挨拶してくれた。『ウワサには聞いていた「あのひと」を見てしまった!』という感じか。ネタ元確認♪というべきか。

 その中の一人の男子は、うれしさのあまり(!?)ツイッターでつぶやいたそうだ。

「初めて○○さんのお母さんに会った。やっぱり『持ってる人』はオーラが違う」

 「持ってる」って、何を(笑)? ネタか? 

 確かにほぼ毎日、日記かけるくらいのネタはあるからな。でもオーラはたぶんないと思う。キミがみたオーラは、怪しいマボロシです。怪しさなら、持ってるかもね。
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2012/7/30

延長、怨霊、納経。  テレビ/ラジオ

 オリンピックが始まってしまった。

 スポーツに全く関心がないので、オリンピック最優先でテレビ番組が進行される事態を憂慮していたが、早速大河ドラマの『平清盛』が、新聞の番組表では9時といつもより1時間も遅れて始まることになっていた。それが、柔道競技が遅れに遅れて10時を越えてしまった(怒) 野球の延長とオリンピックの延長には、いつも泣かされる。

 それでも今回の『平清盛』はリアルタイムで見なくっちゃ!!と固い決意でテレビを気にしつつ家事をする。タイトルは『平家納経』、なんといっても崇徳上皇のハイパワーな怨霊登場の回で、予告編も期待度が高かった。

 平家は一門で(ひとり1巻担当)嚴島神社に納める三十三巻の経典を書写したが、それは平家繁栄を祈願するため、また保元・平治の乱で無念の死を遂げた人たちを弔うためだった。清盛はこの国最高の技と材料、莫大な財と労力を注ぎ込み、絢爛豪華な三十三巻の経典を完成させた。

 この納経完成までのすごさを、見せてくれる見せてくれる!
 心をこめた平家の人々の写経の労力と、カネに糸目をつけない絢爛豪華な力の入れようと、技術の粋(すい)を集めた絵や工芸の力! 繊細な金箔や截金の技術もこの頃からあったのかと感動的なほど。

 崇徳上皇の讃岐での穏やかな暮らしぶりに、心温まるくらいな出だしが一転、かつての敵はおろか、日本中を呪詛するほどのパワフルな怨念に変貌してしまう。

 「なにひとつ思うようにならなかった」人。王家の人なので仕方ないが誰かに頼ってばかりで、たまに自分で「なにかやらかしたろー!」と思えばすべて裏目裏目にでてしまう。唯一和歌には秀でているので、西行との縁もあっただろう。

 とはいえ讃岐では「上皇さん」と地元の人たち呼ばれ、気さくに愛されていたし、戦を起こしたことを「なんと愚かなことを」と悔恨するほど穏やかな気持ちになっていた。ご自分でも「わたしは流されてよかった」と、しみじみおっしゃっていたように、流されて幸せな日々を得ることができた人だったのに。

 ところで高野山で修行中の西行は、清盛の息子、平基盛が不慮の死をとげたとき、讃岐の方角から怨念の塊のようなものが飛んで来た、たしかに見た、といっている。武芸にすぐれ、和歌も一流、女性にもてまくっていたスーパーマンのような彼は、なんと宗教的にも目覚ましい進歩をとげているのに驚く。スピリチャル方面の才能だってあったのだ。

 崇徳上皇の怨念が起こす嵐を沈めようと、ひたすら祈り続ける西行。それは「助かりたい」ための祈りではなく、崇徳上皇を怨念から解放するための、西行の愛ある祈りだった(独断)。

 同じく「嵐を鎮めるために、教典を海に沈めよう」と言う意見を聞かず、あくまで厳島神社に奉納する固い決意を持っていた清盛。彼も自分たちが助かることより、王家、摂関家、武家、そして日本のすべての民のために作った教典を奉納することを第1義とした。スケールの大きな強い慈悲の意思だ(断言)。

 彼らの愛と慈悲によって、怨念から解放された崇徳上皇は、朝日の中、穏やかに成仏できたのだろう。不慮の事故で亡くなった基盛も、きっとあの笑顔で。
 
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2012/7/29

不祥の負傷  

 照りつける太陽のもとでする仕事は、もちろん洗濯干しだろう。日差しがやや弱まる夕方に、取り込み作業にとりかかる。

 お風呂の足ふきマットを取り込もうとしたとき、不測の事態が勃発した。なにかが落ちた来て、目に入ってしまったのだ。

 それから私はすっかり使い物にならなくなり、ふてくされる。晩はおばあちゃんと二人しかいないのをいいことに、残り物とかあるもので、そそくさと晩ご飯を食べてしまう。

 目薬をさしても、目を洗ってみても、目に入ったものは出て来ない。移動する場所によっては痛くて開いていられないが、ゆっくり自然に目の端に移動し、とりあえず痛みはなくなる。でもゴロゴロしてる。

 翌日は日曜なのでガマン、月曜もKちゃんの三者面談があるので、滋賀県に帰宅後、行きつけの眼科医さんの午後診療時間にみてもらった。

 目に入った犯人はちいさな虫だそうで。おかげで日曜日は、棒に振ることとなった。
 それでも執念で『平清盛』は見たのだった。
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2012/7/28

チェブラーシカ!  アート

 れんくみさんにいただいたチケットで、H氏とともに滋賀県立近代美術館で開催中の『チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち』展に行って来た。

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内容については、滋賀県立近代美術館のHPより下記にコピー↓ ご参考までに。

 1966年エドゥアルド・ウスペンスキーの童話『ワニのゲーナとおともだち』に初登場し、ついで1969年人形アニメの巨匠ロマン・カチャーノフ監督によってアニメーション化されると、ロシアで絶大な人気を誇る国民的キャラクターとなりました。大きな耳と茶色の毛、つぶらな瞳が特徴で、無邪気でひたむき、愛らしくて、でもどこか哀愁を帯びたチェブラーシカは、日本でも幅広い層に親しまれ、2010年にはロシアの二人の美術監督と日本人の監督による新作映画が上映されました。

本展は、人形アニメ『チェブラーシカ』のスケッチや絵コンテ、人形やマケット(舞台装置)、映像、童話の挿絵原画など貴重な作品を展示し、キャラクター誕生からその変遷、アニメーション映画の創作過程などを多面的に紹介し、その人気の秘密に迫ります。


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 チェブラーシカ、大好き〜!!という訳でもないが、100円のガチャポンでチェブラーシカの携帯ストラップにトライした程度には愛している。JR西日本のマナー広告ポスターもかわいかった。どちらかといえば、展示より企画展のミュージアムショップ商品に期待していたのだ。

 9時過ぎに家を出て、H氏と美術館を目指して車でGO! 美術館はやはり子ども連れなど、ご家族で見えた方が多かった。

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 で、結論から言えば、企画展の出口をくぐる頃には、すっかりチェブラーシカ(以下略してチェブ)大好き!になっていたのだ。ものの見事にまんまと美術館の罠にはまった、ということだ。
 ちなみにチェブラーシカはロシア語で「ばったり倒れる」という動詞。チェブはオレンジの箱で南の国からやってきたのだけど、果物屋さんがオレンジの箱を開けたとき、寝ぼけて「ばったり倒れた」からそう名付けられた。なんてトリビアルな名前なんだ。

 最初の展示物はチェブの住処の電話ボックス&そこから扉を少し開いてのぞくチェブ。ポスターやチラシになっているカットね。そのなんともキュートな映画のワンシーンを再現したセットに、おもわず胸キュン。か、かわいい・・・! 

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 ナゾの生き物であるチェブは絵本の主人公として誕生したのだけど、著作権の意識が低かった当時のロシア(旧ソ連)では、様々な画家が基本は押さえている(?? 目が大きいとか耳が大きいとかいう程度だが)ものの、似ても似つかない様々な造形のチェブ絵本を生み出した。内容は一緒だが、絵はそれぞれに個性的でユニークな別ものだ。

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 上のふたつは実は違う画家さんによる同じ場面。チェブの家に友達のワニのゲーナを招待し、一緒にコーヒーを飲むところ。

 さぞや原作者のエドゥアルド・ウスペンスキーさんはムカついていることだろうと思いきや! 私のような凡人とは、器の大きさがちがう。

 「チェブラーシカは、ひとつではなく、ひとりひとりの心の中にそれぞれのチェブラーシカが住んでいるのです」とおっしゃっていた。「それぞれのチェブ」を寛容に容認されていたのだ。さすが広大なロシアの人だ、スケールが違う!

 また、チェブラーシカは弱くて小さいけれど、ひととひととをつなぐ役割を担っている、というインタビュー映像も感動的だった。

 なにより映像でみた動くチェブは、なんとも可憐なのだ。シャイで弱くて自信無げなしぐさとしゃべりと眼差しが、なんていうのか、人間の保護本能を最大限に刺激するという、不思議な魅力に溢れている。それでいて、一生懸命に孤独なひとたちを結びつける素敵なチェブ。

 チェブで使われる音楽も「パルナスのCM調」で、いかにもロシアの哀愁いっぱいだ。

 ということで、出口から廊下に出た時点ですっかりチェブにメロメロになっていた私は、受付ちかくの大きなチェブ人形を写真に収めてミュージアムショップに向かったのだった。

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 (すみません、この企画展は明日7月29日までです)
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2012/7/27

H氏の名(迷)言・2012  ファミリー

 あまりに暑い日がつづいておりますが、皆様いかがお過ごしですか? お身体は大丈夫でしょうか?

 すっかり虚弱体質になった上、あちこちにほころびが出始めた私は、夜の部の家事に備え体力回復を図る為、長期不在のTくんの部屋で、夕方28度設定に冷房をきかせ仮眠をした。

 いつもは仮眠と寝起きのメリハリはつけることができるのだが、どうも仮眠の寝起きぼんやりが、昨日は後を引いていたようだ。

 起きてから30分以上たつのに、帰宅したH氏より「さては、寝てたな〜!?」とバレてしまったのだ。

「え? ええ?(狼狽) なんでわかったの??」と聞いてみると、彼にしか言えないような答えが返って来たのだ。

「ひとつ目小僧みたいなカオしてるし〜」

 虚を突かれたとは、このことである。見事にツボにはまってしまった。「ひとつ目小僧〜!!」 なんてナイスな比喩だ!!

 「目の焦点の合い方(合わない?)が、ひとつ目小僧やった」
と、得意げなH氏。

 うう〜〜ん、確かに!! まだ半分残ってるけど、今年のH氏の名(迷)言ナンバーワン決定だな。

 ホンモノのひとつ目小僧に遇ったこともないふたりが、なぜかひとつ目小僧の眼差しに大納得したのだった。 
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2012/7/26

元三大師補足  神社仏閣/教会

 追記しました。(7月27日17時〜)

 せっかくおみくじ発祥の地まで行きながら、おみくじをひくことをすっかり忘れていた!と帰って来てから気づいた、阿呆な私。

 というか、お堂にはそれらしきものが見当たらなかったのだ。

 こういうときのために、ネット検索はある。お堂で実際におみくじをひいた方のレポートを読んでみた。

 するとここのおみくじは、お坊さまに具体的に相談したいことをいい(あるいは書き)、10分ほどお経をあげていただいて元三大師さまにお伺いをたて、やっとくじがひかれるそうだ。次いで、結果報告と、内容説明、今後の対処の仕方などをていねいに教えていただけるという話だった。

 ちなみに料金は千円。おみくじというより、悩み相談かスピリチャルセラピーだ。そこまで思い詰めておみくじを引きたいわけではなかったので、「おみくじのこと忘れててよかった!」と、逆に安堵した。

 調べていたら、2年前に大津市歴史博物館で、すでにこんな企画展をしていた↓

 「第51回企画展 慈恵大師1025年御遠忌記念企画展
元三大師良源−比叡山中興の祖−」

 
 さすが大津の歴博、目の付けどころがすばらしい。さぞかし、面白い企画だったろう。過去の企画展ながら、長い説明も読んでみた。そのなかに、見過ごせない説を発見した。

 元三大師こと良源は超人的な活躍をされた方なので、観音菩薩の権化とか、仏法を擁護するためあえて魔界の棟梁となったとか、さまざまな伝説と噂に彩られている。
 なかでも今の私を引きつけたのが「平清盛は良源の生まれ変わり」という説だった。やはりこのタイミングで元三大師堂に行けたのは、大師さまに呼ばれたのかもしれない。

 追記:今日の午後、野洲図書館に行って雑誌のチェックをしていたら、長浜市の地域情報紙『み〜な』で、なんと「おみくじの元祖・元三大師」というタイムリーすぎる特集が!! もちろん閲覧してきましたよ! 

 もしかして、元三大師、降臨された!?
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2012/7/25

横川へ  神社仏閣/教会

 そんな状態なのに、なぜ横川エリアに行ったのか?

 昨年からの縁につながる行ってみたい場所があったので、H氏の「横川行きたい?」の問いかけに、煮え切らない返事をしてしまったのだ。
 そしてH氏は、私が殊勝にも(笑)夫があまりお寺に興味がないのを慮って、行きたいのを我慢しているのではないかと勘ぐったのだ(確かにそれもあったが)。ということは、後々私が「あのときホントは横川行きたかった」とこぼすのではないかと恐れたのである。(確かにその可能性はある) そういうことで、横川のPにイン。

 車から降りて、セット券を見せて横川エリアに入場。このときばかりはお得な気分になり、一瞬テンションがあがる。って、どんだけケチやねん! いかに私が欲深いか、わかろうというものだ。

 ゲートを越えて、山の中の道をあるく。
 やや涼しい高原とはいえ、直射日光が降り注ぐ石ころだらけの道を歩くのだ。しかも万全の体調ならともかくも、ゆっくりしか歩けない私は、夫の後を3歩どころか30歩以上遅れて歩いた。妻の鑑。というか、ほぼ、おいてけぼりだ。

 横川は、第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開かれた。

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 参道沿いには、延暦寺出身の各宗派の宗祖伝が絵物語になって連なる。青紅葉もきれいだ。

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 どんどん歩くと視界が開け、朱塗りの新しい本堂が横手に見える。

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 遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂(現在の建物は昭和46年に再興された)。しかし本堂なのに、目的地はここではない。まさかのスルー。もう「ついで」に立ち寄るだけの気力すら、なかったのだ(悲)

 目的地である、おみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)は、あとしばらくがんばって歩いて、なんとかたどりついた。

 慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれている。
 現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地となっている。 ここでは、角大師(つのだいし)のお姿を授与していて、魔除けの護符としている。



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 初めてこの護符を目にし、「これはなに?」と疑問におもったのが、去年の夏の金沢は御茶屋さんだった。

 それが元三大師という比叡山の僧侶で、神通力を持った「伝説」が山ほどあるお方だと知ったのが、今年の春の真如堂参りのとき。

 そして、出かけにネットで元三大師ゆかりの地が比叡山にあるのを知ったのだった。時が満ちて、元三大師さまに呼ばれたのかもしれない。しっかりとお祈りをしておく。でも何も買わずに退出する。ここにお参りできただけで、大満足だ。

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 帰途もカラダは辛かったけど、苔の間を流れる山の清水にみとれたり、久しぶりに見た「ヘビイチゴ」の赤さに感動したり、作務衣を来て作業中(池さらい)の修行僧の若い男子たちと挨拶を交わしたりしながら、それなりに楽しく駐車場まで戻ったのだった。

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2012/7/24

文殊楼  神社仏閣/教会

 さて、根本中堂を出たら、ものすごい傾斜の石段があった。知恩院の男坂を上回るかもしれない。ちょっとばかし目眩がしてきたので、う〜ん・・・と珍しく尻込みしていた。

「なんか上、おもしろそうやで。いってみよ」というH氏の言うなりに、石段をのぼる。もっと距離が長かったり、手すりがなかったりしたら、のぼりきるのは無理だったかも(すっかり弱気)。

 傾斜はコワいくらいだったが、段数は50あるかないかくらいだったので、なんとかのぼりきった。ら、ピンクの門がでん、とある。きっと昔は朱だったのだろうけど、色褪せてピンクになってしまったのだろう。じつは、これは比叡山の山門だ。

 中をくぐると、無料で上にのぼれるらしい。山門に自由にのぼれる♪と、よろこんだのもつかのま。それは階段というより、ほとんどハシゴに近いキケン極まりない階段だった。

 ほとんどヨロヨロしている私も5段ほどあがってみたが、H氏の「無理せんとき。やめといたら?」の言葉に、素直に従う。この状態では手強過ぎる。

 でもあとで調べたら、「受験生の合格祈願に人気」とあったので、ちょっと悔しかった。文殊菩薩、知恵を司る仏様だもんね。なんとか今年中にリベンジせねば(また行くんかい!?)

 しかも文殊楼の近くにあったらしい「大黒堂」はスルーだ。
 日本の大黒天信仰の発祥の地というのに。本尊の大黒天は「三面出世大黒天」と言われ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしている、山ほどお願いしても受けて立ってくださりそうな方なのに! やっぱり、リベンジせねば(どんだけ欲深いんや!)

 と、スルーしまくりの私だったが、H氏は冴えていた。

「こっちの道行ったら、さっきの道行かなくても駐車場に戻れるかもしれへん。いってみようか」という下りの道を選んでくれた。これが大正解で、階段を上ることなく、ゆるい登り坂のみで駐車場に戻って行けた。

 途中、お土産物屋さんで、ごまと醤油漬けの牛蒡と、栃の実せんべいと、鶴喜のそばぼうろとを急いで購入。3つで1050円コーナーの戦利品だ。牛蒡はおかず用、トチノミせんべいは、私が目がないので、そばぼうろは、かわみち屋より鶴喜の方が好きだから、という確信犯。

 酷暑の車中に戻り、ぐったり。いよいよ体力はすり減ってしんどさが増幅してくる。なのに、旅はまだ終結を迎えることなく続くのであった。
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2012/7/23

日本仏教の源にて  神社仏閣/教会

 やっと憧れの根本中堂に到着。

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 延暦寺の総本堂であり、本尊は伝教大師最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来(秘仏)と伝えられている。

 延暦寺を開いた最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が元で、その後やはり何回も災害に遭ったが、復興の度により規模が大きくなっていった。

 現在の建物は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものだ。ご本尊の前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)も安置されている。 建物は国宝、廻廊は国重要文化財に指定されている。

 南側に中庭が配置される寝殿造となっており、その中庭に日本中の神々を勧請する竹台がある。
 堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、本尊を安置している内陣は中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっており、内陣は僧侶が読経・修法する場所であることから別名「修業の谷間」といわれる。


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 回廊には子どもたちが書いた毛筆作品がびっしりと貼られて、厳かな気分を醸し出していた。小さな子が書いたのも、いかにもお寺にふさわしく「とう」というひらがなが多かったが、中に一枚なぜか「かに」と書いたものがあり、H氏にウケていた。永平寺だったら、なんとなくわかるんだけど(笑)

 回廊を廻って、根本中堂の中へ。他のお寺と違うのは、中の外陣・中陣(参拝者のいる場所)は高みにあり、欄干越しに暗い内陣(仏様のいらっしゃる場所)を見ることになる。
暗がりの中、内陣の灯りがぼんやりと浮かびあがり、その荘厳さに日本仏教の源という場であることを思い知らされる。←クリックすると内陣の様子が見られます。

 中陣の天井は「百花の図」といわれ、二百に及ぶ草花が極彩色で描かれている。というか「元・極彩色」で、現在はいい感じで古びている。柱は76本あり、諸国の大名が寄進したことから「大名柱」と呼ばれているらしい。根本中堂では下だけではなく、上も見るようにね。

 最後に、堂内でお坊さんが店番をしているお土産売り場の近くに、祈願された絵馬がかけられていたので、チェックする。これは最近のH氏のたのしみでもあるので、すでに彼はチェック済みだろう。どれどれ。

 「家族がいつまでも元気で一緒に暮らせますように」。
 気持ちはわかるが、昔の中国の皇帝みたいな、だいそれた不老不死の願いだ。「いつまでも」は、ご遠慮いただきたいところだろう。

 「パーマが失敗しませんように」。チリチリパーマの絵が大胆に描かれていて、ちょっと笑えた。これは、自分の頭にかけるパーマなのだろうか(笑)、それとも美容師さんの卵で「かけてあげる人」なのだろうか(困)? 私が神仏なら、これくらいのささやかなお願いごとは、ぜひとも聞いてあげたい。
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2012/7/22

根本中堂への道すがら  神社仏閣/教会

 次に向かうのはメインの目的・根本中堂である。

 その道すがら、牛さんに遇った。

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 カールしカーブするツノ、長い下睫毛がなんとも西洋風ながら、まるで生きているかのような強いオーラが漂う。写真を撮りながらドキドキするほど。

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 牛さんはしげしげと眺めたのに、菅原道真公ゆかりのものらしいとも予想していたのに、已講坂の途中にあるという牛さんの隣にあったらしい小さな祠↓は見過ごしてしまっていたのだ。うかつ! 

<登天天満宮>
 
 祭神は菅原道真。第13世座主 尊意の部屋に、左遷され深いウラミを残して死んだ菅原道真の霊が現れ、これから自分を陥れた人間たちに恨みを晴らすべく復讐するが、どうか邪魔しないで欲しいと頼む。尊意が断ると、尊意が差し出した柘榴(ざくろ)の実を食べて、口から火を吹いた。尊意は神通力で火を避け、霊力に驚いた道真の霊は庭の石を蹴り上げて天に昇っていったという。


 なんとなく、牛さんの強力オーラの源がわかったような・・・コワいじゃないか!と思いきや。

 調べてみると、意外な事実があった。

 明治初年の廃仏毀釈の弾圧によって根本中堂の「不滅の法灯」(根本中堂にて、けっして絶やすこと無く途切れずに灯すロウソクの火)に用いる種油にもこと欠くようになったとき、岡山の福田海(ふくでんかい)という教団の教主が根本中堂に油を献じたそうだ。その福田海は牛を農業の先達であり、功労者として大切にしていたので、明治の献灯奉納を記念してここに牛が置かれているのだそう。

 へぇぇ〜(ボタン連打)

 そして菅原公の話には続きが。
 「登天天満宮」は、尊意和尚の説法に心を悔い改め懺悔した道真公が、将来、十一面観世音菩薩となり、自分を祈る者には、いろいろな災難からのがれようと誓い、稲妻の如く白煙となって天に登った、という謂れからついた名前だ。厄除の天満宮なのである。

 大講堂から根本中堂までは、坂や石段は下り坂になっていた。ということは、帰りは地獄を見ることになるのか・・・?

 という不安は後回しにして、行くぞ、根本中堂へ!
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2012/7/21

苦難の大講堂  神社仏閣/教会

 次に行き当たった建物は、大講堂だ。

 本堂にあがらせていただく。内陣は薄暗く、中央には大日如来を本尊としてまつられている。左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像がある。各宗派より寄贈していただいた宗祖さまらしい。内陣にはあがることができ、木像のまん前で宗祖様の像に手をあわせることができる。

 主立ったところでは、浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞上人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮聖人。

 大講堂の向かって左端にいらっしゃった木像は、私の記憶によればひとり立っていらっしゃった。ほかの木像はすわっているのに。特に理由はないが「あっぱれ!」と感心する。どうも一遍上人像らしい。

 しかし、「ここで修行しても得るものはない」とか「ここはもう堕落している」とか比叡山を見限り脱出した方々も宗祖のなかにはいらっしゃるけど、恩讐を乗り越えるところが比叡山の懐の深さなのだろうか? でもなんだか不思議な気がして、ブログを書く前に大講堂について調べてみた。

 延暦寺は織田信長の焼き討ちにあい、壊滅的に焼失しているのは有名だ。だがそれ以前にも以降にも、大講堂は、さんざん火災や災害に遭っている。そしてその都度、建て直されていたのだ。その紆余曲折の歴史は、昭和まで続いていた。 

 寛永11年(1634年)に建てられた旧大講堂は、戦後まもなく大修理が行われたが、それからほどなく昭和31年には火災で焼失している。当時の新聞記事によれば、受付係をしていた未成年の青年の放火であったらしいとされるが、その後、冤罪として無罪判決を得た。
 火事の翌日、修学旅行で比叡山を訪れた山梨県甲府高の生徒100人は瓦礫と化した堂宇を見学するはめになってしまったという。もちろん堂内にあった仏像も焼けてしまった。

 現在の大講堂は、もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを昭和38年に移築したもの。江戸時代の始め頃にできたもので、昭和62年に重要文化財に指定された。

 比叡山から麓まではかなりの距離がある。おまけに山道だ。現在だって消火活動には手間取るだろう。東塔の敷地内に小振りながら(いや大きいと小回りがきかず、かえって不便だ)延暦寺専用消防車が2台用意されていたのは、このような歴史があったからなのだろう。

 過酷な運命を辿った大講堂の歴史を知り、思わずキーボードを叩く手が止まってしまったあげく、1日ブログがとんでしまったのだった。
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2012/7/19

宝物館「国宝殿」  神社仏閣/教会

 新たに写真をアップしました。

 きれいに整備された駐車場に車を停め、どこもフリーで入れるように「セット券」を千円にて購入。東塔エリアとその場所にある国宝殿に行くんだから値段的には一緒。それで欲深く西塔エリアや横川エリアにも行けば、なおお得である。駐車場は無料。

 入って直ぐに国宝殿はあった。(写真はパンフより)

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予習をする時間はなかったので、この中の仏像の知識は皆無だったが、なにしろ1200年の歴史の場だし、平安・鎌倉期の仏像が結集しているんだから、期待ではちきれそうだった(笑) おまけに天台宗の仏像だからバラエティに富んでいる、はず。今日は準備万端に、お数珠だってしてきた。

 入ってすぐわかった。「キターーー!」というやつね(笑) なんて個性的で見応えのある仏様たちなんでしょうか!じっくりとゆっくりと仏様たちと対峙する。

 H氏はそそくさと見るので(あまりほとんど興味なし!)、ずっと先にいってしまう。ひとりなら、もっと時間をかけて対話し、メモとかもしたかも。片道1500円もするドライブウェイを使って来た甲斐があったというものだ。

 延暦寺を代表する仏像らしい五大明王像も、かっこいい。紅蓮の炎を背負って、ポーズを決める明王さまたち。

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 H氏によれば大威徳明王さまを乗せた牛は「こんなはずでは・・・おもたい」とちょっと沈鬱な表情らしい。大威徳明王さまは、ひとりでカラダ3人分だからね。

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 降三世明王が踏みつけているのは邪鬼ではなく、なんとシヴァ神とその妻だ。神夫妻を踏みつけるとは、なんと大胆な明王さまだろうか。見た目大人しそうな感じのご夫妻なので、お気の毒な気もする。

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 五大明王様ご一行ではないが、部屋の突き当たりにも邪鬼を踏みつけた仏像がいらっしゃった。が、その邪鬼、なんだか表情が嬉しそう? しかも両手を上げてガッツポーズしているようにも見える?? ・・・まさかのドM邪鬼?

 千手観音さまもいらっしゃって、H氏が観音様のたくさんの持ち物のひとつを指差して「こんなの持ってはるけど??」と不審そうに問いかけた。
 「ああ、千手観音さまは、普通にこれ持ってはるよ。唐招提寺の門の千手観音さまも、持ってはったし、ドクロ。・・・そやけど、このドクロは真ん中歯抜けで面白いよね。なんか子どもが作ったドクロみたいにかわいい」
 千手観音さまのドクロは髑髏杖といって、すべての鬼神を意のままにあやつるものとか、死(はかなさ、諸行無常)の象徴とか、いろんな説があるみたいだ。

 いやいや、そんなツッコミどころ満載なだけでなく、真面目に見応えありましたから。

 仏像だけでなく、25菩薩来迎図を描いた厨子も荘厳で、バランスよく上品だったし。
 三筆といわれる能書家のひとり、嵯峨天皇の直筆も見られた。書はさっぱりわからない私がみてさえ、さすがと思うくらい堂々として個性的で力強くカッコいい字だった。開祖、最澄さまの書もあったが、正直、真面目ひとすじで面白うないのう〜な感じだった。ごめん!最澄さま。

 思いっきり国宝殿を満喫して、退屈そうに出口付近で待っていたH氏と合流したのだった。ごめん!H氏!

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 不動三尊。中尊は不動明王。不動明王の左(向かって右)に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、右(向かって左)に制多迦童子(せいたかどうじ)を配する。矜羯羅童子は穏やかな子、制多迦童子はやんちゃな子、というイメージ。
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2012/7/18

リベンジ比叡山  神社仏閣/教会

 昨年登山口というか、ケーブル電車の乗り場まで行くも、時間切れにて引き返した比叡山延暦寺にリベンジ。

 というより、H氏に近場で車で行きたい所は?ときかれて、とっさに出てきたのが比叡山。少なくとも下界よりは涼しそうだしね。

 学校のバス旅行で行った、小学校3年生以来の延暦寺だ。いや、家族でも大学生くらいになってからも行ったのに、まるで記憶に残っていないのは、まったく興味がなかったからだろう。
 その頃の記憶は、比叡山=野猿くらいのイメージしかない。昔は比叡山のお土産物屋さんには、サルがシンバルをたたくオモチャとかが、ネタではなく普通に売ってたし。

 昨日からあまり体調がよろしくないけど、せっかくのH氏とのお出かけだし、しかも比叡山ならテンションがいやでもあがる。テンションがあがっている間は、体調もそう悪くない。ともかく覚悟して出かける。

 延暦寺は広いし、あちこちに御堂や本堂があるので、行きたい所は厳選しないと。とりあえずは東塔、西塔、横川(よかわ)の3カ所のうち、メインの東塔の国宝館と根本中堂はみなくちゃ。

 朝からものすごく暑いけど、ものすごくいいお天気でもある。近江大橋を渡り、坂本ケーブルに乗り換えて、と思いきや、そのまま仰木あたりで棚田を見つつ登って行くうちに、だんだん道が細くなり、たどり着いた先は、やっぱりいつものように墓地だった。墓石に刻まれた無数の「南無阿弥陀仏」が迎えてくれる。なぜH氏が道に迷うと必ず墓地に行きつくのだろう?

 という紆余曲折を経て、奥比叡ドライブウェイに突入する。めったに入り込まない有料の道は、美しい山や琵琶湖を臨む絶景だった。もっとも運転する人は、うねる山道なのでよそ見は厳禁だ。

 結論からいえば、比叡山はさすが1200年の歴史ある日本仏教の母体だけあり、別格だった。世界遺産とか国宝なんてレッテルなんか目じゃないくらいスケールが大きかった。
 ほんの僅かしか見ていないけど、比叡山延暦寺の持つ歴史の厚みに圧倒、脱帽、そして合掌。

 むろん明日からは、比叡山レポートが始まる予定である。

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 近江大橋より欄干越しに琵琶湖をのぞむ。えり漁の「えり」(湖中に魚を追い込むために作った柵)とお仕事中の舟が見える。なんの「お仕事」かは不明。

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 大津市仰木の町から琵琶湖をのぞむ。

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 仰木の棚田の中で、道に迷う私たちがみた風景。シャッターのタイミングがすべてズレて、きれいに整えられた棚田は撮れず(悲)
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2012/7/17

暑い夏の日  

 子どもの頃はあんなに夏が好きだったのに、「日射病って、どこの話?」だったのに、一日中戸外で遊び回っても平気の平左だったのに、いったいどこでどうしたことか、激しく消耗してぐったりな日々だ。

 三連休も祇園祭も花火大会もどーでもいーしー!というくらい、投げやりな日々を送っている。てゆうか、ホントに隙あらば寝てるもんね。日向を5歩も歩いたら熱射病かというくらい、奇跡の様にぐったりする。こんなに太陽に弱いなんて、いままで気づかなかったけど、ドラキュラの血が僅かに流れているのかもしれない、とすら思う。

 それでも気を取り直して、なにかしなくちゃ、とマダムの行動を開始する。目を回しながらもファッションセンターで豪勢に衣服を買い込み、遅いお昼はおしゃれに冷製パスタをいただく。もちろん「しまむら」に行ったついでに西友でレトルトソースを買ってきてウチで作るのだ。

 その後は映画を途中からだけど見る。もちろん映画館ではなく、クーラーのない部屋でBSプレミアムだ。

 オードリー・ヘプバーン主演の「パリの恋人」。オードリーはものすごく魅力的で、ファッションショーのモデルという設定だけに、モードもシンプルながらきれい。
 でも実はフレッド・アステアとケイ・トンプスンが出し物としてからむ歌とダンスに目が釘付け。これが一番よかった。サルトルがモデルと思われる哲学の教授がコテンパンに小馬鹿にされている。サルトル、単なるスケベなオヤジじゃないか。噂には聞いていたが、当時サルトルファンにはやった実存主義ファッションといわれる黒のタートルネックも確認する。
 どうでもいいようなストーリーだけど、歌とダンスは素敵。音楽はガーシュインが担当している。

 というような、リッチなのかプアなのかよくわからない日中を、息がつける夕方になるのを心待ちにして過ごしている。

 太陽がいっぱいすぎて打ち萎れ
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2012/7/16

ピンクなカラオケ?  路上観察

 しょっちゅう通る道なのに、今日初めて気づいた。最初見た時には、車中での一瞬だったので、見間違えた?と思ったのだが。

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 もう一度、引き返してよく見てみる。

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 やっぱりまちがいない。

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 もしかすると、すでに営業されていない物件かもしれないが、アンダーグラウンドにマニアックなカラオケスタジオかもしれない。

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 春歌に特化した分厚い歌本があったり、棚にずらりと関連文献が並んでいたりするところを想像してみる。春歌の本分たる替え歌関連本もあったりして。
 
 寂れたる店も夏空従えて
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