2013/10/31

金龍寺(高松御所)  神社仏閣/教会

 短いけれども急な石段をのぼり、息をきらせて金龍寺へ。両側の松が、いかにも木地師の祖神らしくほほえましい。

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 おそれおおくも、こんなやんごとなきお方が、こんなところにお住まい下さるとは!という、村人の思いが膨らんで行くのが目に見えるようだ。

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 そんな尊い方がお住まいなのだから、そこを高松「御所」、と呼ぶのは彼らにとっては当然なのだろう。どんなにか誇りにしたことだろう。

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 この簾が並ぶ様子は、デジャヴュだ〜・・・と思ったら、龍大ミュージアムの外観と似ていたからだった。
(↓こちらが龍大ミュージアム)

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 さて、次は復習。3日前に学習した神社仏閣建築のパーツの各呼称は?

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 「懸魚(けぎょ)」の上の六角形のが「六葉(ろくよう)」、真ん中の突起が「樽の口」。「樽の口」の周りの菊文様部分が「菊座」。「懸魚(けぎょ)」と「樽の口」以外はカンニングしたので、50点(汗)。

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 獅子は情けない顔だけど、花の彫刻は凝っている。底にも模様が彫り込まれている。

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 ハート模様の猪目(いのめ)がついた釘隠しか。そして「樽の口」と「菊座」もある。

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 山をバックにした鐘楼は、風景にばっちりハマる。

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 たぶん鐘を撞く音が、こんなに似合う場所は、そうそうないと思う。

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 では、次のポイント、筒井神社と木地師資料館へ。
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2013/10/30

惟喬(これたか)親王の墓所  神社仏閣/教会

 惟喬(これたか)親王が祀られている墓所と伝わる石造宝篋印塔。やんごとなき方であるという目印の菊紋。錆びた鉄の閂(かんぬき)が取り付けてある。

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 やはり村人たちにとっては、また木地師の方達にとっては、敬愛やまない方だったのだろう。大河ドラマの『平清盛』で、讃岐に流された崇徳院が、村人に敬愛され穏やかな日々を得たことを思い出した。

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 大皇器地祖(おおきみきじそ)神社の鳥居がのぞまれる。

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 目を移せば、ここで暮らす人々の家並みが広がる。

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 悲劇の人物が、判官びいきな日本人に人気がある故かどうか、惟喬(これたか)親王の墓、といわれるものはあちこちにあるらしい。想いを寄せる人たちの数だけ墓ができる、ということか。それもまたよし。どれが本物かなんていう詮索は無意味だ。

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 次は、隣にある金龍寺へ。惟喬親王の住居であったらしく「高松御所」と呼ばれてもいる。いかにも木地師の祖神らしく、門柱のように大木が左右に伸びている。
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2013/10/29

大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)  神社仏閣/教会

 石の鳥居だが、扁額は木製。鳥居をくぐると、一気に時間の層が厚くなったよう。千年を生きたかもしれない樹々の中へ。

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 とんでもない巨木がいっぱい! 隣の街灯と比較したらわかるでしょうか?

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 裂けて、虫食いだらけでボロボロなのに、この威厳!

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 野生っぽい戸隠みたいに、太い幹の間を抜けていく。戸隠神社の参道もすごく太い木が続いていたっけ。でもこっちの方が自然な感じ。

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 山の中なのに、じとじとひんやりじゃない。意外にさわやかな森林浴。しかも通路は整備されている。歩きやすい。ここは軽井沢と同じ標高らしい。なるほどね。

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 高く聳える巨木があると、つい見上げてしまう。クラクラするような景色だ。

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 まるで恐竜の足のようだ↓

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 石の太鼓橋を渡る。アーチの橋を渡れば、神の領域感がいや増しに。

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 本殿には、やんごとなきお方がお住まいのようで、御簾がかかっていた。屋根には金色の菊が咲いていた。

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 拝殿側面。一見シンプルなのだが、

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 屋根の下には、獅子と象の凝った意匠が。

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 拝殿正面より。

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 ほら、ここにも菊が。

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 屋根の内側も木の並びが美しい。なにげに格子の天井だ。

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 近づく人を威嚇するような狛犬。

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「永遠にお守り致します」感がいい。

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 神社の御由緒。木地師の祖神である惟喬(これたか)親王が祀られています。

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 本殿の側面も格子だ。

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 日が差して来て、緑が輝くばかりに美しい。青紅葉とシダのコラボ。

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 山並みと石碑がよく似合う。

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 「日本国中木地屋之御氏神」の碑。白洲正子さんもこれに心惹かれるものがあったのか、「彼らの根強い信仰をそのまま現しているようだ」(「かくれ里」)と書かれている。

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2013/10/28

ほんものの工芸品  おでかけ

 説明するのを忘れていたが、木地師とは、近世末まで手挽き(二人挽き)・ろくろなどの工具を使って、椀・盆などの木地を造った工人のこと。

 ろくろ挽きは、平安時代、文徳天皇の第1皇子であった惟喬(これたか)親王が巻物のひもにヒントを得て考えついたといわれている。惟喬親王はご長男にも関わらず天皇になれなかったので、都を逃れて隠遁した方。蛭谷・君ケ畑に隠れてこのろくろ挽きの業を土地の人々に伝授した、と伝わっている。史実は史実で別にあるようだが、この伝承はロマンチックだ。白洲正子さんも、「私は世にいう史実とか史料より、そちらの方を信じたいと思う」(「かくれ里」より)と書かれている。

 この縁起により、惟喬親王がろくろ業の祖神として、君ケ畑にある大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)と蛭谷(ひるたに)にある筒井神社(つついじんじゃ)両神社に祀られている。このふたつの神社は、全国の木地師の発祥地として知られている。

 作業所を出て、自動車がやっと通れるくらいの小径を歩く。

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 傾斜のある屋根は、雪が深い地域特有のものか。もとは茅葺きだったのだろう。たしか木之本の奥の方にも、こんなお家がたくさんあったな。

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 屋根の色合いがそれぞれなのも、お洒落だ。

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 木地師の方のお宅におジャマして、展示即売されている広間に上がらせていただく。掛け時計までもが木製。

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 高価な木製うちわを扇いで、「贅沢な風」にうっとりしたり、木目の美しさに感嘆したり、肌触りを確かめたり。5桁のお値段なので、おいそれとは買えないのが残念だ。

 その日の所持金5千円余の私に購入することは不可能だが、すっと開けられる小箱などは、さすが職人業だと感心する。いままでに味わったことのない、気持ちのいい開け心地だった。手作りならではなのだろう。

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 いや、私にも買えるお値段のものもあった! 絵馬が500円也。人力で回すろくろを使っての器作成する木地師たちの絵柄だ。昔はこうやって木の器を作っていた。今でも人力が電動に変わっただけ。そのアナログさが素敵。
 
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 床の間に祀られたカラフルな大皇器地祖(おおきみきじそ)神社の掛け軸。作品が供えてあるところが、いかにもだ。

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 ということで、次の目的地はもちろん大皇器地祖(おおきみきじそ)神社だ。
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2013/10/27

木地師の里は別世界!  おでかけ

 君ヶ畑に到着。山、茶畑、ススキ。降りた途端にいきなり感動! 実のところ心の中では「キャー! キャー!」とギャルのように黄色い声を上げていたのだ。

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 太陽の光が、山にかかったり

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 陰ったり、自然のパノラマが展開する。

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 ススキの原のお出迎えで、日本昔話の挿絵のような風景が繰り広げられる。

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 さざんかのようなお茶の花も、平地よりよほど大きく沢山付いていた。そういえば、この辺は皇室にも献上されている政所茶の産地でもある。

 感動醒めやらぬまま。木地師の作業所を見学する。手づくりっぽい木と浪板で作られた作業所に、ぎっしりとおばさまたちがすし詰め状態になる。入口には材料となる厚い板が立てかけてあった。

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 材料はトチノキやケヤキなど。同じ物を50個つくるそうだが、なにしろまず材料の調達が難しいので、そこに時間がかかる。

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 とりあえずここまでの形にして、5年間乾燥させる。その間に木に「反り」が出てくるので少しずつ調整して削るそうだ。現代人のスピード重視とは正反対の仕事で、だからこそ魅力的だ。

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 とにかく5年間も乾燥させるのだから、至る所に器の原型が積み上がっている。床は通路以外にはぎっしりと。窓際にも、梁にも。

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 そんな手間ひまのかかった、木目の美しいお盆。自然の木肌が、なによりの模様と装飾になっている。

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 作業は実は工具から手作りで、木地を削るのに使い勝手のいいような特殊な刃のついた道具作りから始まるとか。「鍛冶屋さんもせにゃならんのですよ」と、案内してくださった木地師さんが笑いながらおっしゃっていた。自給自足。やはり、日本昔話の世界だ。

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 これほどの人目の中での作業は、(見学用の作業としても)大変だろう。しかし、朴訥ではにかんだ笑顔が、この地にも職人さんとしてもイメージどおりの誠実で実直さを表していた。これがセールストークのように立て板に水だったら、台無しである。

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林業だけでは食べて行けないです。材料費や人件費だけでいっぱいで、儲けが出ないんです、とおっしゃっていた。きびしい現実だ。

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 ついで、その完成品の数々を見せていただくことになり、場所を移動する。

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 風景だけでなく、あのなんともあかるく美しい空気感をお届け出来れば! と痛切に思う。残念ながら写真ではとても伝わらない。
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2013/10/26

永源寺へ!  おでかけ

本当は9月に行くはずだったのだ。

 近江八幡内の読書会グループが結集するツアーが、今回は白洲正子の近江かくれ里をたどって、永源寺の木地師の里である君ヶ畑に行くということなので、なんとしてもこれは行かなくては!と、初めて申し込んでみた。

 ところが誰も予想しないくらい酷い被害を被ることになる台風とかち合ってしまったので、一ヶ月延期になってしまった。

 それでも態勢を立て直し、家の方の段取りをつけて、なんとか再チャレンジできる見通しがついた。

 白洲正子さんの紀行で心にフックをかけられる場所がいくつかあったが、今回の目的地もそのひとつ。
 油日神社も心に懸けてからほぼ10年後にやっと訪れることができた地だったが、心が晴れ晴れする光に満ちて清新な場所だった。少しずつでもゆっくりでも「滋賀県の行きたい場所」制覇は、着々と成し遂げられている。

 読書会では小型バスをチャーターされていて、20人ほどの陽気なオーバー40(ほぼオーバー60だったかも?)の女子達が、車中賑やかにさざめいていた。地元民のメンバーもいらっしゃるので、みちみちのガイドも買って出てくださった。

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 お天気もよく爽やかで、ほどよい気候の一日だった。田んぼと山の風景が続く。50年見ていても見飽きない風景だ。

 永源寺に入ると、蛇行する山道を登って行く。PTAの親子旅行で(しかも企画する方だ)http://aikyo-no-mori.com/愛郷の森には10年以上前に行ったことがある。、紅葉で有名な永源寺には、小学校の写生大会で行ったきりだ。今回はもっとその奥の、山の上まで連れて行ってもらえる。

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 今回初めて永源寺ダムを見た。放水時には、さぞ見事だろうな。

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 紅葉にはまだ早いけれど、

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 山の連なりがとても美しい。

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 目だけでも、ひんやりとした山の空気が伝わってくる。

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 そしてこの蛇行する細い山道は、個人的には行くこと能わずだ。もし前から対向車が来たら・・・想像するだけでもおそろしい。
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2013/10/25

葛井寺 その6  神社仏閣/教会

 さあ、ずっと憧れていた葛井寺の十一面千手千眼観音菩薩さまに、やっとお会いできる!

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 秘仏なので御開帳は毎月18日。月に一度だけのチャンスをやっとモノにできた。もちろん計画的犯行(?)だ。厨子内ひきこもり期間が25年とか33年とか50年とか、ごくまれには「永遠」という方もいらっしゃるので、まだしも庶民的なお方だ。

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 お内陣にあがらせていただき、拝観料500円をお支払いし、パンフなどをいただく。観音さまは、私が思っていたより大きかった。厨子内の暗闇からぼおっと浮き上がられているようで、とても神秘的。面前での空気感も荘厳なのに優しい。ちょっとその場を離れがたいような吸引力のある空気だった。

 実はネットのウワサでは「暗くて距離があり、よく見えない」とあったので少々不安だったのだ。小さな仏様でお内陣との間に柵があり畳敷きからしか見られない、もしくは厨子内があまりに暗くて、さっぱり様子がわからない、という苦渋も味わったことがあったからだ。

 それらに比べたら、ずっと普通に見られた。持物をもった手の先は、いくつがが暗闇に溶けていたけれど、それは裏手で見られる解説ビデオを見ればハッキリわかる。しかもアップで見られた。私の好きな(たぶん)髑髏杖の髑髏が、丸顔の「ダンボー」(@「よつばと」)みたいに可愛らしかったのも確認できた(笑)

 それにしても天平仏が、創建当時から無傷で保存されているなんて、本当に素晴らしい。しかも、この観音さまは、脱活乾漆造(だつかつかんしつづくり)なので、金製よりもろい素材でできているにも関わらず、である。脱活乾漆造とは、粘土の芯に漆で布を張り付け、最後に粘土の芯を抜き取るという技法だ。奈良の唐招提寺の乾漆立像と双璧をなす傑作とされているそうだ。この保存状態を考えると、月に一度でも多いくらいかもしれない。

 ふつう千手観音像は、合掌している手と合わせて42本の手を持っているのが一般的だ。看板に偽り無く小さな手を1000本持っている観音像は、葛井寺の観音像のほかには唐招提寺の観音像、ほか数例しかないそうだ。しかも、そのひとつひとつに目が描かれている。手は合計すると1043本あるらしい。この丹念な仕事ぶりは、今では想像もできないような、当時の信仰のありようを思い知らされる。

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 名残惜しくビデオを見た後、再度観音様を見てから葛井寺を出た。商店街で食料を買ったり、「おかしのまるしげ」で「今話題」の「呼吸チョコ」を買って藤井寺の駅に戻る。夕方には早い時間だったので、近鉄もJRも電車はオール着席でき、いつものようにそろって爆睡しながら帰途についた。

 帰宅したらノンストップの家事が待っていたのだが、れんくみさんにいただいたお饅頭のほどよい白あんの甘さに、ずいぶん励まされた。千鳥の焼き印もかわいかった。

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 その夜、たまたま白洲正子さんの『私の古寺巡礼』をアトランダムに読んでいた。大阪だったか奈良だったかの、すごく辺鄙なお寺に白洲さんが出向いたことがあった。彼女は、その閑散としたお寺の仏像を見たくてはるばる訪ねたのだが、なんとそこのお坊さんは「できません」と答えたのだ。「雑誌の取材だから」と諦めきれず頼み込んでも、彼はがんとして聞き入れなかったそうだ。

 その後、白洲さんは残念がりながらも、「それは正しい」と引き下がる。信仰というものは、そういうものだと。たとえご本尊の姿がみえなくとも、甲斐甲斐しくお寺や神社を守る村人たちこそが、本当に豊かな信仰を持つ人なのだろうと。これはけっこうな衝撃だった。

 がつがつと、なにがなんでも仏像を見たがる人たちや、クレームを恐れて、あるいは観光客を呼び込む為に仏像をむき出しにしてしまう寺院も、白洲さんにとっては、さぞかし苦々しいものだろう。直感的に真実を見抜いてしまう白洲さんの文章を、改めて読んでみたくなった。

 そして私は葛井寺に行った3日後、まるで連続するように「白洲正子をめぐるかくれ里旅イン永源寺@君が畑」を訪ねることになるのだ。
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2013/10/24

葛井寺 その5  神社仏閣/教会

 たぶん本日分の投げ銭収入は、充分に得たであろうえびす顔のおじさんと別れて、本堂に上がらせていただく前にも、写真タイム。

 南大門の近くの石畳、紫雲石灯籠とまっすぐに結ばれた場所にあった、青銅のりっぱな灯籠。灯籠みたいなのに「青銅鳥居」と呼ばれているそうだ。

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 レリーフは四天王か?

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 素敵なフォルムの鐘楼。

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 これは、ええと、そうそう「マニ車」。重かったけど、しっかりれんくみさんと回しましたよ。御利益、御利益。

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 片目だけ入っているみたいな「願かけ絵馬」。こっそり絵馬を読んでみるのも、なかなか楽しい。

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 そしていよいよ本丸へ。秘仏の十一面千手千眼観音菩薩さまに参拝だ。
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2013/10/23

葛井寺 その4  神社仏閣/教会

 紙芝居のおじさんのレクチャーは、その後も続いた。ひとくぎりごとに、「お時間、大丈夫ですか?」と旅行者への配慮も欠かさない、気配りの行き届いた方だった。私たちは好奇心旺盛で食いつきがいいので、おじさんも気持ちよく案内ができたことだろう。

 「ご存知のように、葛井寺のご本尊は千本の手のそれぞれに目がついていますでしょ。だから千手千眼観音というのですが、漢字の『看』という字とも関係があるんですよ。ほら、看護の『看』という字は手と目でできているでしょう? この字は『悪い方へ行かないよう、気をつけて世話をすること』で、ただ見るだけの目ではないんですな」
 なるほどなー。

 「奈良に信貴山という山があって、そこに毘沙門天さまがお祀りされてます。今から1400余年前、聖徳太子が、物部守屋を討つために、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をすると、毘沙門天さまが出現され、太子はその御加護で守屋に勝ち、お礼に自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建されました。

 さて、その毘沙門天さまを守護するのがムカデ。毘沙門天は金銀財宝の神様でもあり、ムカデを見ると金運に恵まれるといいますよね。なんでムカデが金運なのかって? 『お足』がいっぱいですから!」 
 なるほどー(爆笑)

 ところで弘法大師堂の前にある香炉というか、お線香をたてる青銅の巨大な器には、エンヤコラと何者かが支えた上部にレリーフが施されている。
 このコピーを広げ、中国の親孝行話の定番、「二十四孝」の一人に数えられる孟宗の解説を始めたおじさんに、「あ、これ、知ってる!」と。

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 孟宗竹の孟宗だ。先日行った御香宮神社の表門に蛙股の意匠で使ってあった。れんくみさんも、タケノコを見て思い出した模様。おでかけで得た知識がリンクするとうれしい。
 
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 最後に「もっと古いもの、あまり知っている人のない不思議な石がここにはあるんです」と、案内してくださったのは、本堂の横の穴だらけの石だった。

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 これは「盃状石」というもの。五穀豊穣や子宝祈願のためにつくられたらしい。とても気になって、あとでウィキペディアで調べてみた。

 世界中で見られ、再生や不滅のシンボルとして信仰されてきた。女性シンボルと関係があるとされ、現在でも病気の治癒や子宝に恵まれる事を願って信仰されている。
 日本では丸石(道祖神の一種)や手水石の近くで見つかる事が多いという。日本の盃状石は縄文時代から作られている。元々は磐座に彫られ、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされている。古墳時代には古墳の棺に彫られた。

 鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。東大寺の転害門に彫られた盃状穴もこの頃に彫られた物である。江戸時代には従来の目的に加えて、昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある。
 日本では明治時代に坪井正五郎や鳥居龍蔵によって考古学的な研究が行われたが、その後の考古学者の興味を引く事はなく、あまり研究は行われてこなかったようである。最近は民俗学の学者が研究している。

 これはやっぱり気になるものだ。たぶん私の民俗学的興味は、高校時代の半村良や諸星大二郎好きから培われたものなのかも。民俗学が土台の伝奇もの、好きだったもんなあ。
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2013/10/22

葛井寺 その3   神社仏閣/教会

 投げ銭効果は追加公演だけに留まらず、神社仏閣の建築様式のレクチャーにまで及んだ。レクチャー大好きな私たちにとっては、願ったり叶ったりだ。おじさんも抜かり無くコピーした写真や解説の大きなファイルを持っての説明だ。しかも現地で現物を見ながらだから、わかりやすいことこのうえない。

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 まずは南大門の扉の金具を見ながら、レクチャーはスタートする。

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 「ここにハートの模様がありますよね。これは『いのめ』といって、猪の目と書くんですわ。猪は愛宕の神様の守護をしてます。愛宕の神は火伏の神様だから、防火のまじないになるんですな」
 
 ああ、たしかに金具の穴はハート型だ。「猪目」は日本の伝統的な文様で、はるか古墳時代からあったそうだ。

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 「これは『鯖尾』。鯖のシッポみたいでしょ? 魚は水の中にいるものなので、やっぱり火伏に関係した模様なんです」 
 そして「鯖尾」にもハートマークが。

 「『猪目懸魚(いのめけぎょ)』という装飾が寺院にはあって、これももちろん防火の意味合いがあるんです」

 「懸魚」! 最近、神社仏閣ブログを書くのに専門用語を知っていたら楽しいだろうと調べて覚えたばっかりだよ。破風(はふ)板の下に取りつけられた建築装飾の板だ。

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 帰宅後の調査によれば、葛井寺の懸魚は一見「猪目」がみあたらないが、「三花」というきれいな形だ。「猪目」の変形したものらしい。ちなみに懸魚のうえにある警察の模様みたいなのは、「六葉」という形らしい。そして、この中心の突起物を「樽の口」と呼ぶ。樽酒の栓を模したもので、水を注ぎだす口として防火の意味が表現されているそうだ。樽の口の周囲の菊文様部分を菊座と呼ぶ。

 おじさんのトークは続く。

「一般家庭では、高価で格式の高い懸魚は無理だけど、替わりに同じ場所に『水』と書かれていることがあります。これが防火のおまじないになる。」

 「いろりの上に木の魚の板があるでしょう? あれも火の上に水を用意してある、という意味合いでの魚なんです」

 「いろりから離れる時には、火箸で×を作って、その真ん中に棒線をひいとくと、火事除けのまじないになります。なんでかわかります? そう、「水」という字を書くんですわ」
 
 恐ろしいものの民間口伝は、「地震、雷、火事、オヤジ」だった。「オヤジ」は現代では「竜巻」や「放射能」とトレードされかもしれないが、あとのものはこれからも不動の位置をしめるだろう。火事をいかに免れるかに腐心する昔の人々に思いを馳せる。自然現象はあきらめるしかないが、火事は起こる前なら、ある程度は人間にも防げるチャンスはあるのだ。
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2013/10/21

葛井寺 その2  神社仏閣/教会

 奥の南大門のそばから、気になる音が。れんくみさんが、「あの拍子木って、なんやろ??」ととても気になる様子だったが、私は路上観察眼で境内観察に夢中だったので、「ああ、カンカンいってるなあ」と頭の片隅でつぶやく程度だった。

 どうも拍子木を景気よく打ち合わせているのは、南大門に佇むあのおじさんだ↓

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 私たちが南大門の近くで興味深そうに写真を撮っていると、そのおじさんが近づいて来た。「紙芝居、見ませんか? どうですか?」と。

 え?? 紙芝居っ?♡

いかにも隙だらけなおばさん二人組は、好奇心も人一倍、いや人二倍だ。聞けばおじさんは、「のぞきからくり研究家」を自称し、子どもの頃、大好きだった「のぞきからくり」を(巨大な「のぞきからくり」の装置は高額なので)、紙芝居で再現することを思い立ったとか。

「みたいです、みたいです!!」と、またとないカモ?になり、私たちは食い入るように簡素な紙芝居に見入った。演題はお寺の境内にふさわしく、

「のぞきからくり節風紙芝居 地獄、極楽巡り」。これは有名寺院での定番らしい。比叡山でもされたことがあるとか。

 拍子木をハリセンに持ち替え、要所要所でバンバンと調子良く机を叩きながら、おじさんの名調子が風に乗る。語りも紙芝居の絵も、共に素人っぽいのが好感度大だ。

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 賽の河原で石を積む子ども達。でも夜になると鬼どもがやってきて、せっかく積み上げた石を蹴り崩す。子ども達は泣き出すが、そこにお地蔵様がやってきて、子ども達を守ってくれる。

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 色欲に溺れた男が陥る地獄はこんなかんじ。責め苦なんだけど、なぜか妙にエロチックだ。

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 でました! 葛井寺の千手観音様!

 ほかの観客は2〜3歳の女子とそのお母さん。意味が分からず投げ銭をパクったその女児に、お母さんが「そんなことしたら、地獄で皮剥がれるで!」と娘ちゃんを諭していた(笑)今見た紙芝居の最恐シーン、生皮を剥がされる地獄のインパクト大だったのは、私だけではなかったらしい。

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 そんな娘ちゃんに、おじさんはオマケのペーパークラフトの咲いたり閉じたりする「からくり花」を手渡してあげていた。投げ銭をはずんだ私たちにも、同様にくださった上、追加上演してくださったのは、徳富蘆花の大ベストセラー「不如帰(ほととぎす)」。

 映画化、ドラマ化されたものも、何度もリメイクされた。のぞきからくりでも定番中の定番だったようで、いまここに紙芝居でもリメイクされている。
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2013/10/20

葛井寺 その1  神社仏閣/教会

 私たちが入った門は、「四脚門」。小さいながら、由緒のあるもの。 

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 豊臣秀頼が寄進し、桃山様式をよく伝える建造物として、国指定の重要文化財となっている。とはいえ、どこが「桃山様式」なのかは良く分からない。この門の金具の様子なのだろうか?(こういうことがつい気になり調べ始めるから、一向に書き上げられないのだ・・・)

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 葛井寺は、かつては紫雲山三宝院剛琳寺と号し、古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立された。少なくとも明治時代の中頃は、「剛琳寺」と呼ばれていたらしいので、「葛井寺」で固定化したのは意外と新しい時期のようだ。

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 寺伝によると、葛井寺は奈良時代、聖武天皇によって葛井連(ふじいのむらじ)の邸宅地に建立され、春日仏師に命じて千手千眼観世音菩薩を造らせ、神亀2年(725年)に僧行基が開眼法要を行ったとされているが、発掘調査によって上記のように、奈良時代より古いものであることが判明した。

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 室町時代には、奈良・興福寺の末寺として栄えたが、明応2年(1493)、畠山家の内紛に端を発した兵火にあって、楼門、中門、三重塔、鎮守、奥院を焼失し、本堂と宝塔を残すのみとなり、残った建物も地震で倒壊してしまった。

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 しかし多くの信者の尽力により、復興勧進で再興された。いつも思うけど、昔の日本人の信仰の力はすごい。焼けても壊れても、何度でも再建してしまう。

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 この本堂も国の重要文化財に指定されている。

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 かつて花山法皇が本尊を参拝したとき本尊の眉間から光が射し、この灯籠から紫雲がたなびいたと伝えられている。そのときから「紫雲石灯籠」と呼ぶようになったとか。紫雲石灯籠を本堂方向からみたところ↓ お百度用の石もある。

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 紫雲石灯籠を南大門方向からみたところ↓

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 山号「紫雲山」のもととなった紫雲石灯籠は、聖武天皇の寄贈と伝えられ、大阪府指定文化財となっている。

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 本物は傷みが激しいため、これは欠損箇所までそっくりに造られたレプリカ。なので、「紫雲石灯籠の写(冩)し」の石碑が横にある。

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 このお地蔵さまは、「出世地蔵大菩薩」さま。その向こうに見える松は「旗掛けの松」または「三鈷(さんこ)の松」と呼ばれているらしい。松葉はふつう二葉がつながっているが、ここのは三葉になっているとか。だから「三鈷」ともいうのか。

 南北朝の動乱期、楠正成が本尊に戦勝祈願をしたとき、菊水の旗を掛けた木とされている。楠正成が戦勝祈願をしたとき、三人の息子(正行、正時、正儀)に、この松葉(三葉になっている)のように三人が力を合わせ一つになって武士道に励むよう誓わせたという。以来、この松葉を持つと力が付くという言い伝えがあるそうだ。

 三人が力を合わせて? どっかで聞いたことが・・・。松葉とか矢とかが違うだけじゃん! レジェンドにはパターンが付きもののようだ。

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 弘法大師堂。大きなシャチホコや鬼面の瓦が乗っかっている立派な建物だ。

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 隣には弘法大師修行像がある。

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 その隣にはお坊さん(弘法大師!?)の顔出し看板が。
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2013/10/19

藤井寺の商店街を歩く。  おでかけ

 JR天王寺まで来たら、改札を出て「あべのハルカス」を仰ぎ見つつ道を渡る。

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 近鉄電車の構内に入り、阿倍野橋駅から準急に。「準急」のホームがわからず、運転手さんに聞いて正しい番号ホームにたどりつく。やれやれとロングシートの席に着けば、窓の外には分身の術を使ったように、弥勒菩薩のポスターが10枚ほど貼られていた。さすがは奈良だ。

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 準急で2駅だけど、環状線の2駅とはやはり違う。

 12時ちょっとに藤井寺駅到着。

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 藤井寺の名物は梅? 帰宅して調べたら、「道明寺天満宮」の一ヶ月にわたるイベント「梅まつり」が有名らしい。

 駅近くのうどん屋「集」さんで、この店の一押しらしい「かすうどん」を注文する。私は「かす」って「天かす」のことだと思い込んでいたけど、脂が抜けきるまで油で揚げたホルモン(牛の小腸)のことを「かす」というそうで、それでいいおだしが出ていておいしかった。
 夜は居酒屋さんに変貌するらしく、キープされたボトルが並んでいた。カウンタ―ではビアガーデンのように、カラフルな提灯が楽しげに下がっていた。人気店らしく、いい感じに人が入っていた。でもやかましくはなく、ゆっくりできる。 

 お店を出て大きい通りに出たら、「お菓子の専門店マルシゲ」のお店の窓に気になる物が。

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 「呼吸チョコ」って??

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 「今、話題」といわれても、知らんで、そんなん。私の世間はせまいしな。
気になりつつも、どうせ帰りにも通る道なので今はスルー。写真だけ撮っておく。

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 踏切を渡らず反対側にある商店街に入る。

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 アーケードつき昔懐かしい商店街で、うれしいことにほとんどのお店が営業中だ。シャッター商店街を見慣れた眼には、ほっとする風景だ。ただし自転車が、たまに容赦のないスピードで走ってくるから要注意。天神橋筋商店街ほどの歩行者数ではないので、自転車の通る道としても存在しているらしい。

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 オンナコドモ大歓迎をアピールして、敷居が低いことを強調するお寿司屋さん↑

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 枝道になった商店街の角には、レトロな造花が垂れていた。

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 水曜定休が一目瞭然。

 商店街を抜けるとそこは、縁日で賑わう葛井寺だった。

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 門前には托鉢僧が2名いらっしゃった。西国三十三所第五番札所の霊場だからな。ずらりと並んだ鉢植えの露店もあり、なかなかいいチョイスだったので、かなり心動いたが、いかんせん旅の途中。門の中にも乾物やお菓子、ハチミツや佃煮、野菜などのお店がずらりと活況を呈していた。
 
 楽しい縁日だったが、境内の奥にはもっとアメイジングな出来事が。
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2013/10/18

月に一度のチャンスをつかむ。  神社仏閣/教会

 初めてお姿を拝見したのは、たぶん去年、いや、もしかしたら一昨年だったかもしれない。秘仏を集めたガイドブックを本屋さんで立ち見していたとき、目に飛び込んで来たのがこの方だった↓

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(「NHK国宝への旅」 第18巻より)

 まさしく一目惚れ。どきどきした。お住まいのお寺を確認すると、大阪、藤井寺にある葛井寺だ。とりあえず頭にインプットして、そのまま月日は流れた。どうやってその地まで行けばいいのか、アクセスがよくわからなかったのだ。時間的にも難しかったのかもしれない。

 しかし、「よくわからなかった元凶の乗り換え」であるJR天王寺から近鉄阿倍野橋駅は、道を隔てているだけの近距離にあることを知り、なおかつ御開帳がある18日で、それも私が一番自由に動ける金曜日で、ということになると今年は10月18日がチャンスだったのだ。春からの計画である。

 行き帰りの電車のスケジュールを立て、お昼ゴハンのお店もチェックし、葛井寺の小ネタ情報を仕入れる。少しの電車のミスもあったが、工程は予定通りに進行したので問題なし。タイムスケジュール的には、寄り道・回り道・迷子が常態化している私にしては順調に進んだ。一年以上想い続けて来た観音様のご加護としか思えない。

 なにしろ初めての場所でまるで土地勘がなかったので、例によって相棒のれんくみさんにご迷惑をかけるかとヒヤヒヤものだったが、すべて順調な上、ラッキーも重なり、予想以上の楽しい旅となった。

 そう、予想以上。目的は、秘仏の十一面千手観音さま御開帳拝観だったが、想わぬオプションが目白押しだった。
 藤井寺の商店街、境内の縁日、自称・覗きからくり研究家のおじさんの紙芝居、同じおじさんによる仏教建築における火事除け装飾のレクチャーなどを体験、満喫できたのである。これもまた、観音さまの御利益といえよう。

 その詳細は、また後日。
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2013/10/17

極楽へいらっしゃ〜い♪  博物館

 じつは西本願寺前で下車したはいいが、龍大ミュージアムの場所がわからず、うろうろしてしまったのだった。西本願寺と道を隔てた総門からしばらくのところに、でかでかとありましたよ。こんなところで迷子になるなんて。とほほ。

 でも、まさかこの建物がミュージアムだなんて!! 

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 通りに面して簾で覆われてるんですからね。スダレですよ、スダレ!

 キレイなミュージアムだけど、内部も案内がなければ戸惑うかも。2階と3階が展示室なので。エレベーターに乗って『極楽へのいざない』展に。

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 龍大ミュージアムのHPの案内から、この企画展のコンセプトなど↓

 人がこの世を離れる時、極楽浄土から阿弥陀如来とその一行がお迎えに来て下さる。この臨終観は日本で平安時代中期より広く行き渡りました。阿弥陀の来迎を願う強い思いは浄土教美術の源泉となり、その様子を実演によって表現することも行われました。これが、迎講(むかえこう)、来迎会(らいごうえ)、練り供養(ねりくよう)などと称される行事です。


 副タイトルが「練り供養をめぐる美術」。お練りの基礎知識としての「来迎図」を始めとして、當麻曼荼羅、仏画、あの世である極楽のみならず地獄の絵巻や、美女の死体の朽ちてゆくさまを描いた「九相図」、来迎の別バージョン「山越阿弥陀」なども。
 
 もちろん各地で行われているお練りのパネルや、仏具や仏のかぶりもの(!)や面なども展示されている。

 二十五菩薩フルメンバーでのダンス&ミュージックな来迎図。

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 生きている時の功徳が高いほど、大人数でのお迎えがあるらしい↑
 これは3人体制で、ダンスとミュージックは省略↓

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 練り供養といえば當麻曼荼羅で有名な奈良の「當麻寺」が、まずあげられるだろう。

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 しかし、今回龍大ミュージアムがフューチャーしたのは、岡山県の弘法寺だ。

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 内側に人がすっぽりと入れる特殊構造の木彫り着ぐるみ仏像。練り供養の日以外は、足元付きの台に乗せられ、普通に阿弥陀如来立像として拝まれている。

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 仏面、もしくは頭だけ被るタイプのでも、くり抜かれた細いスキマから見る視界はかなり限られているので、手を引いてあげる介助者がひとり付き添う。しかし着ぐるみの木造阿弥陀如来さまは、足元まですっぽりなうえ、かさ高く重量もあるので、とうてい一人じゃ無理。二人がかりで抱え込むように付き添われている。

 この阿弥陀様、まっすぐなのに礼儀正しく義理堅いので、あちこちで深々とお辞儀をされる。中の人は大変だろう。最後に本堂に戻られる時は、大きすぎて頭がつかえてしまう。どうして中に戻られるのか興味津々というところだが、なんとその場所でいきなり「着ぐるみ」を脱がれるのだ!! 

 画期的だ。動画とかがあれば見てみたい!

 そんな弘法寺のお練りも衝撃だったが、他にも画期的なものはいくつかあった。
 
 たとえば三面衝立形式の来迎図だ。普段は折り畳んでコンパクトに片付けておいて、さあ臨終を迎えるぞ、という人の枕元に広げて置いてあげるのだ。もちろん掛け軸の方が場所もとらず、普段も片付けておけるのだが、やはり三面ある大きな衝立の来迎図は、いざ臨終に際し、なんだか心強い気がするのだろう。わかる気もする。

 もっと衝撃的なのは、山越え阿弥陀のレリーフだ。阿弥陀三尊の額の白毫(びゃくごう)部分がくり抜かれているのを見た。もちろん後ろに光源を置いて、額から光が放たれているように演出するのだ。これをみた臨終間近い人は、ありがたくて死の恐怖も忘れるのではないか。と思われる。

 ラストあたりにあったお練りの面にも驚いた。来迎なのに鬼の面があるのだ!
おいおい、鬼が迎えに来たら、絶対、イヤじゃないか? 死ぬのがイヤになってしまうではないか。

 鬼の面を使うお練りをするのは、奈良の矢田寺だ。もちろん普通に二十五菩薩さまも行列されていたが・・・。

 矢田寺は地蔵信仰で有名なお寺らしい。 天武天皇の勅願により智通僧正が開基した古いお寺だ。絹本著色矢田地蔵縁起(国重文)には、閻魔大王のもとに菩薩戎を捧げに行った満米上人がご覧になった、という 地蔵菩薩の姿が描かれている。 この縁起をもとに、毎年4月の第3日曜日には菩薩や鬼の面をつけて境内を練り歩く『練り供養』が行われているそうだ。これは見に行きたいなあ。

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 ついでに、帰り道で見つけたもの↓

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 仁丹町名看板。
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