2014/3/7

清涼寺へ行って来た。その2  神社仏閣/教会

 門の下には、半ば剥げかけたこんな看板があった。

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 生身、しかも五臓六腑内包の釈迦如来!? そりゃ国宝だろう。

 門を入ってほどなく左側に、ちょっとステキな建物を発見。嵯峨・薬師寺だ。

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 ついでに気になる石碑も発見。「生の六道」? 「小野篁公遺跡」?
 
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 昨年、「京の夏の旅」で行った不思議なお寺、東山にある六道珍皇寺は篁が冥土通いをした井戸があった。地獄・死の入り口である井戸と、この世への帰り道として使ったと伝えられる黄泉がえりの井戸。

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 そして帰り道として使われた井戸が、もうひとつあったらしい。それが招金山福正寺というお寺にあった井戸だったが、残念ながら福正寺は、清涼寺内にある薬師寺に合併してしまい廃寺となった。福正寺の井戸も埋められた。しかし福正寺の仏具や仏像等の遺産は、嵯峨・薬師寺に、現在も引き継がれている。なるほど、地獄からの出口だから「生の六道」か。

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 薬師寺の本堂は、一般公開されていないけれど、年1回、8月24日の「地蔵盆」のみ公開されるそうだ。めったに目にする事のできない秘仏もいくつかあるらしいので、機会があればお会いしたい。

ところで清涼寺とは、どんなところなのか? 南大門の前に説明があった。

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 五台山(ごだいさん)と号する浄土宗の古刹。浄土宗の元祖法然上人が、24歳の時に人々を救う仏教を求めて、同寺の釈尊像の前に7日間おこもりした寺院。

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 また一説には『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとなった源融(みなもとのとおる)の山荘が、彼の没後、菩提寺になったのが始まりとも言われているらしい。

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 この本堂に祀られている「三国伝来の生身のお釈迦さま」は国宝であり、「生身」というセンセーショナルなチャッチフレーズで、昔から大変な信仰を集めている。

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 寺を開山した奈良東大寺の僧であった「ちょう然(ちょうねん)」が中国へ渡った折、インドで釈尊37歳時の生き姿を刻んだといわれる栴檀(せんだん)の香木で作られた像が中国に伝えられているのを見た。感動のあまり、ちょう然はその像を模刻して、日本に持ち帰った(985年)。
 その像を安置するための寺院を発願したのは「ちょう然」だったが、志半ばで没し、弟子の成算が遺志を継いで建立する(1016)。

 無料拝観券を受付で渡して本堂に上がると、普通のお寺ではなかなか上がらしてもらえないお内陣に、「仏様の前でゆっくりご覧ください」と声をかけてもらえ、近くでじっくりとお参りできた。

 昭和28年、この像の胎内から中国尼僧が制作時に入れた、絹で作った五臓六腑封籠品が発見されている(国宝)。「生身」という噂はダテではなかったのだ。ちなみにこの内蔵は仏教美術史のみならず、染色や織物の資料としても貴重な上、千年以上前の中国では体内の様子を知っていた記録でもあり、解剖学的にも重要なものなのだとか。ガラスケースをとおして見られるのは、レプリカ。

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 ちなみに「ちょう然」が模刻した中国のホンモノの像は、「義和団の乱」で焼失してしまったとかで、さらに貴重さが増すご本尊なのだ。

 でもでも実は私が国宝より熱心にじっくりと時間をかけてみたのは、お内陣の横にざっくりとなにげなく掛けられていた、狩野一信の巨大な五百羅漢図。これがもう、マンガみたいに動きとストーリーのある迫力のある絵で。これ、なにげにめんどくさそうに雑に展示してあり、しかもほとんどの人が顧みないけど・・・なんか凄いんですけど?

 気になってよく調べてみたら、東京・増上寺の「五百羅漢図」の下絵だそう。その増上寺の「五百羅漢図」って、あの山下裕二先生が大絶賛しているぶっとんだシロモノで、山下先生監修の五百羅漢100幅の特別展も2011年に東京であったとか。・・・だろうなあ! だって、ただ者じゃないよ、あれは。

 清涼寺にいったら、国宝じゃないけど、必見!!です、「五百羅漢図」下絵。

 (つづく)
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